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狂犬? 犬ではなくて狼です。

7話:不満たらたら馬車の中・リターンズ

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「なんで大人ってのはコウユウ関係に口を出したがるのかな!? 友だちくらい自分で選べるのに!」

 侯爵家をあとにし、馬車で帰路に着いたティリーは向かい側の席に座るトムに不満をこぼしていた。のんびりとした馬車の速度にすら腹が立ってしかたない。

 幼少期に自分の周りに同世代の子供たちを集めた父や祖父たちも、今回の伯母も、過保護なのかなんなのか、勝手に友だちをお膳立てされているのが気に食わなかった。幼少期の件はだいぶ昔のことの上、その時に集められた子供たちと友人関係を築いているため、さほど感情を掻き立てられることはない。

 だが、今回は違う。

 十四歳――もうすぐ十五歳。多感な時期だ。

 向かい側のトムは苦笑していた。

「まあ、男爵閣下はともかく、侯爵夫人の提案は純粋な親切じゃねえだろうな」
「その言い方、何か理由でもあるの?」
「グローネフェルト侯爵家にはちょうどいい年頃の娘がいないんだ」
「エリザベート嬢、だったっけ? その人と同年代ってこと?」

 ティリーが尋ねれば彼は「そうそう」と頷く。

「この辺は政治の話だからな。お前は興味ねえだろ?」
「うん。興味ない」
「でも現実問題として、巻き込まれそうになってるんだ。さわりくらいは知っておいたほうがいいぜ」
「そういうもの?」
「正体のわからない敵とは戦えないし、対策もできない。違うか?」
「……違わない」

 どうぞ話してくださいとばかりに、ティリーは座席に深く腰掛けると背もたれに体重を預けた。

 そして侯爵家から出る時、執事に渡された『お土産』の紙箱を開ける。さすが侯爵家の執事だ。一流の仕事をする老人は無礼を働いた客人にも、用意していた土産を手渡して見送りをしてくれた。凝った模様が描かれた紙箱の中には、バターが香る焼菓子が詰められている。手に取って口に運べば、まだ食べるのかと呆れたような視線が飛んできた。

「エリザベート=フォン=ウィルデン侯爵令嬢は、第二皇子殿下の婚約者だ。で、この第二皇子ってのは、第一皇子と皇太子争いの真っ最中でな」
「ドンパチやってるの?」
「冷戦だ、冷戦。まだ両陣営とも水面下で味方を集めて、機を窺ってるって感じだな。何せ東西南北の辺境伯は誰も、どっちの皇子を擁するか公表しちゃいない」
「ハルティング辺境伯も?」
「まあ、心の中では決めてるかもしれないが、明確にはしてねえな」

 東の貴族を牛耳るハルティング辺境伯は、フェッツナー男爵家の寄親である。ティリーも男爵家の後継者として、何度か辺境伯に目通りをしたことがあった。人の良さそうな顔の細身の老人で、とても大貴族には見えなかったのを覚えている。

「一方、グローネフェルト侯爵家は第二皇子派だ」
「うん。それはなんとなくわかる」
「侯爵家の男児――お前の従兄たちは第二皇子の側近候補だって聞く。第二皇子自体、俺たちより五年上の世代だ。殿下の母親である第二皇妃様の懐妊に合わせて、ティリーの従兄たちも生まれたんだろう」
「それも、なんとなくわかる」

 紙箱の中からマドレーヌを取って食べた。高級なバターの香りとほんのりとした塩気に手が進む。

「予定外だったのは第二皇子の婚約者に決まったのが、五つも下の侯爵令嬢だったってことだ。実際、候補に選ばれてた令嬢はほとんど同年代だったが、なんでも、それを全部振り落として、三年前に第二皇子が自ら指名したらしいぜ」
「ほー、熱烈だね」
「だな。その熱烈さに慌てたのは第二皇子派の貴族たちだ。政治や社交界は男ばっかの世界じゃねえからな。当然、女性側にも影響力を持つ必要がある。将来の皇妃――もっと言えば皇后の側近を自分の家や派閥から出さなきゃいけねえのに、それまですり寄ってた皇妃候補は全滅。年代を五年も下げなきゃいけなくなった」
「ふーん」
「侯爵家に年頃の合う娘は存在してない。そこで白羽の矢が立ったのが、お前だ」
「侯爵夫人の姪だから?」
「ああ。だがそれだけじゃない」

 トムは一度言葉を区切ると、真剣な表情を浮かべた。

「お前は――ティリーは次期フェッツナー男爵だ。お前を取り込めば、男爵家を重宝しているハルティング辺境伯家も第二皇子を擁立するだろう」
「そう? 逆じゃないの? 辺境伯様が選んだほうを男爵家も推す。でしょ?」

 帝国の支配体型は皇帝をトップとしているが、皇家を真に崇め奉っているのは中央地域の貴族ばかりだ。東西南北の貴族は、それぞれの領地がある地の辺境伯へ向ける忠誠心のほうが厚い。

 これは帝国の成り立ちに起因している。

 元々帝国領は現在の中央だけで、東西南北の領地は別の国だった。つまるところ現在の四大辺境伯家は王家であり、その地の貴族は家臣だったのだ。併合されて悠久の時が過ぎたが、貴族は血と歴史に重きを置く生き物である。かつて先祖が誰に仕えていたのか、古くから脈絡と続く家ほど忘れていない。

 ティリーは紙箱の中からピンク色のマカロンを手に取り、ひと口で頬張った。マドレーヌといい、マカロンといい、口の中の水分を持っていかれる。飲み物のない馬車の中で食べるものではなかったなと思いつつも、ピスタチオの風味が豊かな二個目のマカロンを口に運んで咀嚼した。

「参ったぜ。本人が自分の家の価値を一番わかってねえんだからな」

 やれやれと、芝居がかった仕草でトムが大きく肩を竦める。自分はわかっていますよという態度にティリーは眉を寄せた。

「侯爵夫人にしてみれば、姪が次代の皇后の側近――もっと言えば護衛になってほしいんだろうぜ。フェッツナー男爵家は政治に興味がねえからな。現場はティリーに、政治のことは侯爵家で引き取ろうって算段だったんだろう」
「キゾクテキな考え方だね」
「もっと言えば、男爵家も手に入れようとしてたな、ありゃ」
「え?」
「婿を紹介してたろ?」

 ムコ――とティリーは目をまたたかせる。そんな話をした記憶はない。もっとも話を聞き流していた自覚はある。その中で婿――ティリーの伴侶を紹介する話があったのかもしれない。彼女が「そうだった?」とこてんと首を傾げれば、溜め息が返ってきた。

「忘れてんのか聞いてなかったのか……スミロ=ヴァルデって名前に聞き覚えは?」
「あ。なんか、聞いた気がする。でもそれ、婿の話だった? 気の合いそうな友だち候補を紹介するって話じゃ――」
「表面的にはそんな風に言ってたが、魂胆はそうじゃなかったぞ」
「エ、ホント?」
「お前や俺より一個上で、騎士科に在籍。由緒正しい家柄の伯爵家の三男で、将来有望な青年だから、学園で頼りにしろ――って、完全に男紹介してんじゃねえか」
「……あ。だから止めたの?」

 記憶を辿れば、その話をしていた時、空気を読む男にしては珍しく話に割って入ってきていた。もしかするとティリーがマズいことを言って言質を取られる前に、会話を終わらせようとしたのかもしれない。

「止めるに決まってるだろ。侯爵家――中央貴族の息がかかった男が、東部の辺境伯に寵愛されるフェッツナー男爵家に入り込んで、ひとり娘の婿なんて……乗っ取りまっしぐらじゃねえか」
「それは困る」
「だろ?」
「でも――」

 馬車が揺れる。少なくなった紙の箱の中身が、揺れに合わせて左右に滑った。

「いつかは誰かと結婚するんだよ。わたしは」

 男爵家の直系のひとり娘だ。東部を魔物や不埒者から守護する家の一粒種として、いずれ子を成さなくてはならない。父が神聖誓約で縛られている以上、それは決定事項だ。高齢の祖父が今さら子を成すのは難しく、何人かいる従兄弟たちは、ティリーよりもフェッツナーの血が薄い。

 フェッツナー男爵家を率いる代々の当主は、赤狼の名に相応しい、真っ赤な髪と獰猛な金の瞳を持っていた。血の近い従兄弟たちや叔父たち、傍系の者を全部合わせても、彼女がもっとも濃く色を――赤狼の性質を受け継いでいる。

 そんなことを、自分よりも頭のいいトムがわからないはずがない。彼はわずかに目を見開いたあと、困ったように、小さく笑った。

「お前に夫になる最高の男は、男爵閣下が見つけてくださる。それで、その男が本当にティリー=フェッツナーに相応しいのかどうかは、赤狼の騎士団とお前の悪友が、存分に見定めてくれるさ。特に三馬鹿はしつこいだろうぜ。あいつら、お前のこと好きで好きでしかたねえからな」
「わたしの夫になる男は大変だね」
「まったくだ」

 ティリーは焼菓子をひとつ頬張り、膝の上に乗せていた紙箱をトムのほうへ差し出した。

「その時はトムが厳しく見定めて」
「報酬は焼菓子で?」
「最高級の焼菓子だから」
「なるほど。それじゃあ引き受けないとな」

 少年を過ぎて青年になった彼の、骨張った指がマドレーヌを摘まんだ。長い指が焼菓子を運び、大きく開いた口の中へ消えて行く。トムは「美味いな、これ」と最高級の焼菓子を味わっている。ティリーは中身が残り少なくなった箱ごと、彼の膝に置いた。

 馬車の窓に肘をつき、足を組む。揺れに身を任せながら彼女は、どことなくあどけない表情で甘い物を食べる幼馴染みを、金の瞳で見つめていた。








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