令嬢は故郷を愛さない

そうみ

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 既婚者が王族のファーストダンスのパートナーを務めるのが異例のことだとわたしでもわかる。普通は配偶者、婚約者か一族が踊るものだ。いかに辺境伯が滅多に夜会に参加しないとはいえ、王族と高位貴族だけが参加する開幕のダンスだ。正式なパートナーがいるのに他と踊れとは。

「王陛下、これはわたしの妻にございます」

 わたしのことをこれ呼ばわりしたのは覚えておくけれど、クライブが苦言を呈するのももっともなことだ。

「控えなさい。発言を許しておらぬ」

 そのクライブを厳しい声で叱責したのは王妃。クライブは王の隣に座る王妃の方に視線を向けて、小さく唇を噛んだ。握りしめた拳が震えている。

 わたしに執着するとは意外だが、流石にプライドが傷つけられたことはわかったのだろう。

 現在王室には王子が三人いる。第一王子は二十七歳、既婚で子供もいる。第二王子は二十四歳で既婚。第三王子は未婚だが十六歳だ。

「シャガル夫人、良いな?」

 一応確認の形は取っているが、命令だ。クライブが叱責を受けた後なので猶更、わたしに拒否権などない。

「王陛下のお心のままに」

 ドレスをつまんで視線を下げる、その視界にこちらに向かってくる靴先が見えた。

「こちらへどうぞ、シャガル夫人」

 第一王子が差し伸べた手に触れた瞬間、怖気がした。クライブに感じる嫌悪とは違う、もっと本能的な拒否感。

 ハニーブロンドを額に一筋垂らしてあとは後ろに撫で付け、王族の色である緋色のピアスを揺らしながらわたしを見下ろす青い瞳は、溶けることのない氷を連想させた。貴公子然とした笑顔を浮かべているはずなのに、取り巻く空気がひどく冷たい。

 クライブは先に挨拶を終えた貴族たちのところへ戻らされ、わたしは一段高い王族席の端に案内された。第一王子の丁寧なエスコートなのに、かけられる声すら頭に入ってこない。促されるまま自動人形のように、長椅子にかける。ふと視線を感じて顔を上げると、斜め前に座る第一王子妃と目があった。

  王子妃は目が合うと柔らかく微笑んで、お願いね、と声に出さずに唇だけ動かして伝えてきた。本心からかどうかはわからない。高位貴族は感情を読ませない。わたしは頷くしかなかった。王子妃からはクライブのような怒りや嫉妬は感じられなかった。

 貴族たちの挨拶が終わり、王が立ち上がって建国の祝辞を述べる。今回は十年に一度の大式典の夜会だ。建国の王に感謝を述べ、この十年の功績を発表する。王族席の後ろから見る王はこちらから表情を伺うことはできない。

 わたしは緊張しているのだろうか。王族とのダンスなら経験があるはず。デビュタントではその日デビューの子息令嬢が、婚約者や家族とファーストダンスを踊る。高位貴族のデビュタントの場合はもう一曲、王族とも踊るのだ。この後にもその機会がある。わたしは父と踊り、そのあと王族の誰かと踊ったはずだ。

 十年も前のことだから忘れてしまったのだろうか。

 ダンスのステップは覚えている。今回子爵領でおさらいもしたし、母とも子爵とも義父とも問題なく踊れた。なのに十年前に父と踊った記憶がない。

 深く息を吐いて、呼吸を整える。緊張はしていない。忘れたことはいつか思い出せる。では、わたしは今どうしてこんなに動揺しているのか。動揺、驚き、不安。この焦燥感は何からきているのだろう。冷静になれ。呼吸を意識する。

祝辞が終わり、乾杯の合図とともにメイドに渡されたグラスに口をつけたが飲み込まなかった。

 母の言葉を思い出したのだ。

 王家との縁談。

 それはわたしが辺境伯の嫡子となったことで白紙になったはずのことだった。

 差し出された手に視線を上げると、第一王子がわたしを見下ろしていた。手にしていたグラスはいつの間にかメイドに回収されていた。

「ダンスは久しぶりかな?」

「はい。ですのでお手柔らかにお願いします」

 白い絹の手袋に手を乗せて立ち上がる。楽団が最後のチューニングをしている傍を通り、会場を見渡すと、ダンスフロアの脇ではクライブがこちらを凝視していた。

 一瞬の静寂ののち、滑らかに音楽がはじまる。位置についていた王と王妃や他の王族のペアが音に背中を押されるように踊り始める。

 第一王子のリードは最も易しいダンスをはじめたばかりの子ども用のステップだった。少々舐められているような気もするが、踊り慣れていないわたしへの気遣いと受け取っておく。少なくとも足を踏んだりすることはなさそうだ。

「夫人のファーストダンスのお相手は私がつとめたのを、覚えているかい?」

「多分緊張していたのでしょう。あまり記憶がないのです」

 正直に答えた。凍えた瞳で見下ろされると、どんなごまかしも通じない気がする。

「残念だ。あの頃は天使のように可愛らしいと思ったけれど、今の夫人はとても美しいよ」

「……ありがとうございます」

 お風呂のお湯を変えるほどの汚嬢様だったのだ。綺麗だと褒められたことを、子爵家には必ず伝えようと思った。
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