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Chapter 1
突然の辞令で彼の会社へ出向します ①
しおりを挟む週明けの月曜日、丸の内にある会社に出勤すると、わたしに辞令が出ていた。
【本社 総務部秘書課 朝比奈 彩乃殿
十二月一日付で、TOMITAホールディングス 本社 秘書室への出向を命じます。】
いくらなんでも、会ったのがたった一回で結婚させるなんて、戦前の封建社会か!?……と、さすがに両家の親たちも良心を痛めたのであろう。
——ま、うちの両親は、わたしがまさか承諾するとは思ってなかったようだが……
そもそも、父親も母親も、わたしをなにがなんでも政略結婚させようとは思っていない。
自分たちがそうで、たまたまうまくいったから良かったものの、周囲で冷え切った夫婦をよく見聞きしていたからだ。
だから、今回の件は、決して両親の無理強いではない。むしろ、本当にそれでいいのか?と何度も念を押された。
この婚約は、わたし自身が決めたことだ。
こうして、婚約が決まった以上、向こうが仕事が忙しくて時間が取れないというのなら、わたしを彼の仕事場に出向かせて、少しでも二人の時間をつくらせよう、ということらしい。
わたしたちの結婚は、双方のグループ会社の関係を将来にわたって密にできる、いわば「大型プロジェクト」だ。
なのに、いざ、結婚式!というときになって、「やっぱりダメでした、性格の不一致です。婚約破棄します」ってなったりなんかしたら、社会的に大ダメージを被る。
「……えーっ、彩乃さん、婚約者さんの会社へ出向ってことは、もうこの会社には戻ってこないってことですかぁ?」
秘書課の唯一の同僚である二期下の山本ちゃんが、わたしの辞令を知って、泣きそうな顔でやってきた。
結婚したら、仕事を辞めて相手のおうちへ入ることになるだろうから、
「たぶん、そうなるのかも。わかんないけど」
と答えたら、山本ちゃんが抱きついてきた。
「あたし、イヤですぅ。なんとかなんないんですかぁ?」
一五〇センチ台の山本ちゃんが上目遣いで訊く。
マロンブラウンのセミロングのくるりんとした内巻きカールは、今日も完璧だ。だけど、それももう、見られなくなる。なんともならないことなので、山本ちゃんの頭をぽんぽんするしかない。
「彩乃さんくらいなんです。あたしのこと『ぶりっこ』って陰口を言わないでくれるのは。……新しく配属された人がイジワルな人だったら、どうしよう」
山本ちゃんは青ざめている。
「大丈夫よ。山本ちゃんも、もう四年目じゃん。次にやってくるのはきっと後輩だよ。あなたが『教育係』になるのよ。しっかりして!」
山本ちゃんは、まだ、ううぅ…となっている。
「山本さん、朝比奈さんにとってはおめでたいことなんだから」
見かねた秘書課長が声をかけてきた。
三十代後半の木村課長は、家庭では二人の娘さんの良きパパだ。
「朝比奈さんの歓送会をやらないといけないね。山本さん、セッティングよろしくね」
ようやく、山本ちゃんは小さな声で「はい」と答えた。
その週の金曜日の夜、会社の最寄りの駅近くの居酒屋で、わたしのための歓送会が和やかに開かれた。
さすがに重役の方々はいらっしゃらないけれど、個人付きの秘書の人たちはボスの接待のスケジュールを調整して、秘書課の二人とともに全員参加してくれた。
そして、わたしは新卒後六年間勤務した、あさひJPNフィナンシャルグループを事実上、退社した。
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
「……朝比奈彩乃と申します。慣れないうちはなにかとご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします」
わたしは深々とお辞儀をして顔を上げた。
その瞬間——あぁ、ややこしそうな人がいる。
心の中でため息を吐いた。
今日は十二月一日。出向先の南青山にあるTOMITAホールディングスへの初出社の日だ。
今わたしは、個人付きではなく秘書室長の指示で動くグループ秘書の二人に挨拶していた。そのうちの片方の態度が、すこぶる挑発的だったのだ。
わたしと同じくらいだから、一七〇センチ近くはある上背に、制服を着ていてもわかるスタイルの良さ。スカートの丈が絶妙で、もともと長い脚がさらに長く見えた。ツヤッツヤの腰まであるロングの黒髪には「女の命」を賭けていそうだ。
和風な瓜実顔の彼女は、文句なく美人だ。完璧な形の眉と、くっきり引かれたボルドーのルージュに、意思の強さが現れている。
そして、その目は初対面にもかかわらず「ここで会ったが百年目、親の仇を討つぞっ」とばかりに、わたしの方を一直線に射抜いていた。
——この人はもしかしたら、わたしの婚約者のオンナなのかもしれない。
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