毒殺未遂三昧だった私が王子様の婚約者？ 申し訳ありませんが、その令嬢はもう死にました

公爵令嬢の死んだ日と、物語が動き出した日

「私、あの子が良いわ」



　……そう言ったセルディナに指を向けられた日から、ロキの生活は一変した。



　前の主人は機嫌が悪くなると、ロキの事を殴ったり蹴ったりと、暴力を振るうことが多かった。
　セルディナは、ロキの体に無数に付いた傷跡に気が付くと、治療を施してくれた。

　前の主人は魔物のロキに、「魔法で人を殺してこい」と命令をした。
　セルディナは、「自分の身を守るために魔法を使いなさい」と魔法の使用を許可した。

　前の主人は、ロキが失敗をすると酷く怒って。
　セルディナは、ロキが何かをすると、「ありがとう」と笑った。



『私が死んでしまう時。悲しまない人が良いわ』なんて理由でロキを従者に選んだセルディナの唯一の誤算は、絶望していたロキの心を、セルディナが癒してしまった事だろう。



　セルディナに優しくされる度、ロキの心は温かい気持ちでいっぱいになった。
　いつ死んでも良いと、生きている方が地獄だと思っていたロキは、セルディナと一緒に生きたいと思って。



　…………ロキに生きたいと、そう思わせたのは、セルディナだったのに。




　その日は、いつもよりも静かな朝だった。
　セシルは前日から仕事で遠方へ行っていて、グラシアは朝早くから出かけていた。
　何故か使用人もほとんど居なくて。妙だと思いながらセルディナの部屋に行ったロキは、そこで……血を吐いて倒れるセルディナの姿を見つけてしまった。

「セルディナ様！？」

　慌てて駆け寄ったロキに、セルディナは掠れた声で「毒よ」と告げた。

「ふふ、慣れてきたと思っていたのだけど……やっぱり、駄目みたい」
　
　こんな状態になってまで笑うセルディナは、解毒薬を持って来ようとするロキの腕を掴んで止めた。

「ねぇ、ロキ。一つ……命令をしても良い？」
「セルディナ様、今はそんな場合では……！「私が死んだら、自由になって」……セルディナ、様？」

　セルディナが死の間際に居る事なんて、医学の知識もないロキにだって分かっていた。
　セルディナもきっと、分かっている筈なのに。

「次の主人に捕まる前に、逃げてしまいなさい。この国から出て、魔物なんて呼ばれない国へ行くの。……きっとロキは、自由になれるから」

　「大丈夫よ」と笑うセルディナに、ロキは「セルディナ様は？」と尋ねた。
　ロキが自由になったとして、その先にセルディナが居ないなんて、セルディナによって幸福の意味を教えてもらったロキには、何の意味もないことなのに。

「私は良いの。……だって、私が生きる事を望む人なんて、居ないから」

　そう言うセルディナに、ロキは返事に詰まってしまって……。
　言葉を紡ぐ代わりに、ロキはセルディナの手を振り払って、部屋の外へと飛び出した。

　セルディナはロキが、セルディナの前から姿を消したのだと思った。
　少しだけ寂しかったけど、それでも良いと思って。ロキが上手く逃げることが出来れば良いと、本気でそう願っていた。






　逃げたのだと思っていたロキが、解毒薬を持って、セルディナの部屋に戻って来くるまでは。
　持ってきた解毒薬をセルディナの口に押し付けて、零れ落ちる薬に、ロキの顔が泣きだしそうに歪む。
　解毒薬を、ロキは自分の口に含んで……

「……！！」

　……口づけによって、ロキは解毒薬をセルディナの口の中へ流し込んだ。
　酷く苦い薬の味が、セルディナのファーストキスの味で。

「私は、セルディナ様に生きていて欲しいと願っています」

　そう、ロキが言ったから。

「…………ふふ。なら、生きないと駄目ね」

　誰にも望まれていなかったセルディナは、ロキに望まれて、生きることを選んだ。










　魔物以外に助けてもらったことが無く、人間として扱われない魔物に救われたあの日、貴族としてのセルディナ・マクバーレンは死んでしまった。

　今、生きているのは、ロキによって生かされた、ただのセルディナで。グラシアによって殺される日まで、ロキと一緒に居られるだけで、セルディナは幸せだったのに……









「セルディナ・マクバーレンを、アルシア殿下の婚約者に任命す」



　その知らせが公爵家に届いたのは、セルディナがロキから、そんな話が出ていると聞かされた三日後だった。
　拒否権など最初からない決定事項を、セルディナは諦めて受け入れて。


　……ひっそりと死んでいく筈だったセルディナの物語が、動き出す事になった。