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上司と急接近してます。
あやかし
しおりを挟む激しい突き上げに、六華はよろめいた。
「きゃああああ!」
続けて淑女たちの悲鳴と、美しい庭を一面に映すガラスが割れ床に落ちる音が響く。
「いったい何が!」
六華が大河を見た瞬間、彼はすでに無言で身をひるがえし、フロアの中央に向かって走り出していた。
突き上げる揺れはまだ収まらない。
「地震だっ!」
フロアにいた人々はみないっせいに出口に向かって走りだしている。
本当に地震なら、出入り口に殺到するのはまずい。パニックは二次災害を引き起こしていしまう。
「歩けないならいったんテーブルの下に避難して!」
六華は逃げられずに立ちすくむ女性の腕をつかむと、オードブルのテーブルの下へと押し込んでいく。そしてテーブルの下に隠していた珊瑚を取り出すと、皇太子夫妻のもとへ向かった。
「どいて! 通して!」
ぶつかってくる招待客をかわしながら、六華は加速する。
視界に皇太子の角が見えた。
「妃殿下はご無事ですか!」
六華が声をかけると、璃緋斗が振り返った。
腕に双葉を抱きかかえているが、なぜ彼がここにひとりで立っているのかわからない。
「なぜおひとりなのですか、SPは!?」
「避難誘導に回した」
「えっ……」
自信を護るためのSPをそばから離すなど、まったくもって理解できないが、璃緋斗はなんとも思っていないようだった。
「妻は、気を失ってはいるが、大丈夫だ」
答える璃緋斗の虹彩が赤く光っている。
人ならざる者。これが竜の血か。
緊急事態にもかかわらず、六華はぞくりとしながら息をのむ。
「ところで君は?」
璃緋斗がおっとりとした口調で問いかける。
「わっ、私は竜宮警備隊三番隊所属、矢野目六華です!」
「ああ……君が……そうなのか」
璃緋斗はかすかに目を見開いて、それからにっこりとほほ笑んだ。
「いつか会いたいと、話してみたいと思っていた」
「あっ、ありがとうございます、殿下。身に余る光栄です!」
六華は恐れおののきながらうなずいたが、落ち着き払っている皇太子に六華は逆に焦りが募る。
「殿下、はやくこの場から――」
お逃げくださいと、言いかけたのだが。
バリンッ!
金属がひび割れる音がして、六華は息をのんだ。
目に入ったものが信じられず、一瞬血の気が引いた。
割れたガラスの向こう、新たに出現した防護壁に張り付いているのは、もっと得体のしれない黒くドロドロした塊のようなもので、六華がこれまで見てきたどんなあやかしよりも、凶悪な気配を感じた。
びたん、びたん、どすん!
しかもびったりと透明な防護壁に張り付いて、身を震わせながら、中に入ってこようとしているではないか。
竜宮の壁には防弾の術壁が内蔵されている。チタンとセラミックを素材にしていて、戦車の砲撃に耐える防護能力があるのだが、かすかにヒビが入っている。
(戦車の砲撃に耐えるあれにヒビが……?)
信じられない光景に、六華の足は硬直してしまった。
「あっ……あれは、なんですか!」
「――鵺(ぬえ)だな」
璃緋斗が変わらず、落ち着いた声色で答える。
「あれが……ぬえ?」
鵺なら六華も聞いたことがある。
顔はサル、胴は狸で、足は虎。しっぽが蛇のあやかしだ。
竜宮は国の中心、竜がおわしますところ。陰謀渦巻く場所でもあり、あやかしが集まりやすい。それを『切る』のが六華たち、竜宮警備隊の役割だ。六華も、宮中を巡回中に何度かあやかしを見たし、切ったことはあるのだが、あくまでもそれは陰いんの気の集合体だった。このように物理的に、生き物としての存在を感じるものではなかった。
(久我大河……!)
防護壁の前には、皇太子夫妻を背後にして久我大河が立っていた。
「隊長!」
六華が呼びかけると、彼は軽く肩越しに振り返ってうなずいた。
「殿下たちをお守りしながら安全な場所に避難しろ。俺はここに残る」
「でっ、でも! あなたは!」
大河は武器を持っていない。
せいぜい暗器を隠し持っているだけのはずだ。
もしあれが防護壁を破って入ってきたら、大河が無事でいられるはずがない。
(彼が傷つけられたら――)
血に濡れて床に倒れた大河が脳裏によぎる。
(いやだ、絶対に嫌だ!)
六華は一歩足を前に踏み出した。
まださっきのキスの理由を聞いていない。
ごっこ遊びだと笑って、けれど目に情欲の炎を宿した彼の真意を聞いていない。
このままお別れになったら、一生後悔する。絶対に耐えられない。
「私も残ります!」
そう叫んだ瞬間、大河はカッと目を開いて、叫び返した。
「お前の仕事は何だ!!」
「……っ」
大河の一言は、六華の目を覚まさせるのに十分な威力があった。
(私はなんのためにここに存在するのか……)
危険な仕事だとわかってこの道を選んだ。
それでも守りたい存在があるからだ。
大河のことは心配でたまらない。
だがそれ以上に、自分にはやらなければならないことがある。
六華は珊瑚を持つ手に力を込めて、振り返る。
「隊長に代わり、私が殿下と妃殿下をお守りします!」
今は彼を信じるほかない。
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