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4、どこまでも馬鹿になさるのね
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「ほら、当座の生活費にはなるだろう?」
金貨を拾えよ、とばかりにデニスがわたしを一瞥します。嘲りの色、ここぞとばかりにお前を貶め、卑しめてやるとばかりのゆがんだ表情。
わたし、あなたの気に入らないことをしてきましたか?
モニカのように華やかではないから? モニカのように社交的ではないから?
わたしの存在そのものが、こんな地味な娘があなたの婚約者であることが気に入らなかったから?
もし、モニカが強引に結婚を決めたのではなかったとしても、わたしとあなたの結婚生活は惨めで暗いものになっていたでしょうね。
あなたは外に愛人をつくり、ともすればメイドとも恋仲になるかもしれないわ。
わたしは濁りよどんだ苔色の空気のなかで、ただ我慢しながら暮らすことになっていたに違いないわ。
「デニスさまはお優しいわね。『ありがとうございます』は? お姉さま」
「クリスタは質素だからね。しみったれた金の使いかたしかできないだろう? 十年くらいはもつんじゃないか?」
「よかったわねぇ。デニスさまがいい人で」
頭の芯がかぁっと熱くなるのを感じました。真夏の炎天下でも、風邪を引いて寝込んだ時でも、こんな熱を感じたことはありません。
燃えそう。頭のなかが沸騰しそう。
「そんなばかげた条件を、わたしが受けるとでも?」
「おっと。また本性を出したね。おとなしいふりをして、蛇のようにねっとりとした性格でモニカを追い詰めるのだろう? ぼくは騙されないよ」
背後に隠れるモニカをかばい、デニスはわたしへと一歩踏みだしました。
「ご覧、これを」
丸めた書状をデニスは取りだしました。右手で掲げた紙をはらりと広げます。朝の光はまぶしくて、青黒い色のインクの文字がはっきりとは見えません。
けれど目を凝らして見据えると、わたしは驚いて言葉を失いました。
それは婚姻届けでした。
デニスとモニカの。
これみよがしにあごを上げて、わたしを見下ろすデニス。彼の背後から顔を出し、ふふっと笑みを浮かべるモニカ。
知らなかった、知りませんでした。すでに二人は夫婦であることを。
確かに姉の婚約者と妹という関係ではとうてい考えられない密接さ、その距離の近さ。
「……この国の婚姻届けではないわ」
「やぁ、目ざといね。そうさ、我が国ではモニカとの結婚は認められない。ほら、君の親の遺志や親族が反対するからね。だけどさ、隣国でなら立会人がひとりでもいれば、どんなに反対されようが婚姻は成立する」
「そこまでしてモニカと結婚したかったなんて、存じあげませんでした」
嫌味ではありませんでした。
真実、ふたりが親しくつきあっているとは気づきもしなかったのです。うちにデニスが訪れた時も、モニカが秋波を送っているようには思えませんでした。
もしかして。
わたしはにやにやと口の端をあげているモニカに視線を向けました。十七歳のもう大人の彼女が、わたしのお人形を欲しいと泣きわめき、首尾よく手に入れた姿に重なったからです。
目に涙をためながらも、わたしのお人形を父からわたされると、楽しそうに笑ったものです。
父が「すまないな。クリスタはお姉さんなんだから、がまんしておくれ」と言ったのを覚えています。
もやもやした気持ちはどうにもならなかったのですが。
でも、妹のお気に入りの人形なら、わたしはお姉さんなのだからと、モニカにゆずったのですが。
彼女はすぐに飽きてしまって、次にはわたしのお気に入りのラベンダー色のリボンを欲しがりました。
もちろんお人形を返してはくれません。
モニカの欲望には果てがありません。主にわたしの所有物に対して。
「どなたに立会人を頼んだのですか?」
「さぁ? 農夫かな。ロバが麦わらをつんだ荷車を牽いていたからね」
「農夫……」
どこの誰とも知らぬ人じゃないですか。今後二度と会うこともない人じゃないですか。
「報酬をはずんだら、こころよく引き受けてくれた。服装はみずぼらしいものだったけれど、要は心だからね。教会の前にある花屋でブーケを買ったのさ、これも小さなものだったからモニカには申し訳なかったんだけどさ」
「華やかさなんて関係ないわ。だって心がこもっているんですもの、ね?」
でも、とモニカは身をよじらせました。
これもまたわたしのお人形やハンカチを欲しがる時に、くねくねとお父さまにねだった時と同じ。
「分かっているさ、ぼくの小鳥ちゃん。いずれ皆も分かってくれる。その時は盛大に結婚式を催そう」
「まぁ、素敵。さすがはデニスさまね」
モニカが、デニスにそそのかされていると一瞬でも思ったわたしが愚かでした。
妹は本人の意思で、わたしの婚約者を奪い、花嫁の座を奪ったのです。
ふっと力が抜けた気がしました。
東の空の太陽が、花びらや浅緑の葉の露にやどり、庭のあちこちで小さな虹の珠がきらめいています。
もう、何もかもどうでもよくなりました。
ねぇ、モニカ。あなたは覚えていて? わたしから奪った物はすぐに飽きてしまっていたのよ。奪いとるほんの一瞬、それだけがあなたの楽しみであり快楽なのよ。
デニスは人形ではないわ。
婚約を破棄する前に、すでに結婚していたその決断と行動の速さ。でも、半面それは考えなしともいえる。
国は違えど、婚姻届けは有効。
いまさらわたしが何を言っても、守られるのはモニカ、妹なのです。ただの元婚約者では、どうにもならないのです。
金貨を拾えよ、とばかりにデニスがわたしを一瞥します。嘲りの色、ここぞとばかりにお前を貶め、卑しめてやるとばかりのゆがんだ表情。
わたし、あなたの気に入らないことをしてきましたか?
モニカのように華やかではないから? モニカのように社交的ではないから?
わたしの存在そのものが、こんな地味な娘があなたの婚約者であることが気に入らなかったから?
もし、モニカが強引に結婚を決めたのではなかったとしても、わたしとあなたの結婚生活は惨めで暗いものになっていたでしょうね。
あなたは外に愛人をつくり、ともすればメイドとも恋仲になるかもしれないわ。
わたしは濁りよどんだ苔色の空気のなかで、ただ我慢しながら暮らすことになっていたに違いないわ。
「デニスさまはお優しいわね。『ありがとうございます』は? お姉さま」
「クリスタは質素だからね。しみったれた金の使いかたしかできないだろう? 十年くらいはもつんじゃないか?」
「よかったわねぇ。デニスさまがいい人で」
頭の芯がかぁっと熱くなるのを感じました。真夏の炎天下でも、風邪を引いて寝込んだ時でも、こんな熱を感じたことはありません。
燃えそう。頭のなかが沸騰しそう。
「そんなばかげた条件を、わたしが受けるとでも?」
「おっと。また本性を出したね。おとなしいふりをして、蛇のようにねっとりとした性格でモニカを追い詰めるのだろう? ぼくは騙されないよ」
背後に隠れるモニカをかばい、デニスはわたしへと一歩踏みだしました。
「ご覧、これを」
丸めた書状をデニスは取りだしました。右手で掲げた紙をはらりと広げます。朝の光はまぶしくて、青黒い色のインクの文字がはっきりとは見えません。
けれど目を凝らして見据えると、わたしは驚いて言葉を失いました。
それは婚姻届けでした。
デニスとモニカの。
これみよがしにあごを上げて、わたしを見下ろすデニス。彼の背後から顔を出し、ふふっと笑みを浮かべるモニカ。
知らなかった、知りませんでした。すでに二人は夫婦であることを。
確かに姉の婚約者と妹という関係ではとうてい考えられない密接さ、その距離の近さ。
「……この国の婚姻届けではないわ」
「やぁ、目ざといね。そうさ、我が国ではモニカとの結婚は認められない。ほら、君の親の遺志や親族が反対するからね。だけどさ、隣国でなら立会人がひとりでもいれば、どんなに反対されようが婚姻は成立する」
「そこまでしてモニカと結婚したかったなんて、存じあげませんでした」
嫌味ではありませんでした。
真実、ふたりが親しくつきあっているとは気づきもしなかったのです。うちにデニスが訪れた時も、モニカが秋波を送っているようには思えませんでした。
もしかして。
わたしはにやにやと口の端をあげているモニカに視線を向けました。十七歳のもう大人の彼女が、わたしのお人形を欲しいと泣きわめき、首尾よく手に入れた姿に重なったからです。
目に涙をためながらも、わたしのお人形を父からわたされると、楽しそうに笑ったものです。
父が「すまないな。クリスタはお姉さんなんだから、がまんしておくれ」と言ったのを覚えています。
もやもやした気持ちはどうにもならなかったのですが。
でも、妹のお気に入りの人形なら、わたしはお姉さんなのだからと、モニカにゆずったのですが。
彼女はすぐに飽きてしまって、次にはわたしのお気に入りのラベンダー色のリボンを欲しがりました。
もちろんお人形を返してはくれません。
モニカの欲望には果てがありません。主にわたしの所有物に対して。
「どなたに立会人を頼んだのですか?」
「さぁ? 農夫かな。ロバが麦わらをつんだ荷車を牽いていたからね」
「農夫……」
どこの誰とも知らぬ人じゃないですか。今後二度と会うこともない人じゃないですか。
「報酬をはずんだら、こころよく引き受けてくれた。服装はみずぼらしいものだったけれど、要は心だからね。教会の前にある花屋でブーケを買ったのさ、これも小さなものだったからモニカには申し訳なかったんだけどさ」
「華やかさなんて関係ないわ。だって心がこもっているんですもの、ね?」
でも、とモニカは身をよじらせました。
これもまたわたしのお人形やハンカチを欲しがる時に、くねくねとお父さまにねだった時と同じ。
「分かっているさ、ぼくの小鳥ちゃん。いずれ皆も分かってくれる。その時は盛大に結婚式を催そう」
「まぁ、素敵。さすがはデニスさまね」
モニカが、デニスにそそのかされていると一瞬でも思ったわたしが愚かでした。
妹は本人の意思で、わたしの婚約者を奪い、花嫁の座を奪ったのです。
ふっと力が抜けた気がしました。
東の空の太陽が、花びらや浅緑の葉の露にやどり、庭のあちこちで小さな虹の珠がきらめいています。
もう、何もかもどうでもよくなりました。
ねぇ、モニカ。あなたは覚えていて? わたしから奪った物はすぐに飽きてしまっていたのよ。奪いとるほんの一瞬、それだけがあなたの楽しみであり快楽なのよ。
デニスは人形ではないわ。
婚約を破棄する前に、すでに結婚していたその決断と行動の速さ。でも、半面それは考えなしともいえる。
国は違えど、婚姻届けは有効。
いまさらわたしが何を言っても、守られるのはモニカ、妹なのです。ただの元婚約者では、どうにもならないのです。
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