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王覇の道編
第七十話「動乱の幕開け」―新政・天都原―(改訂版)
しおりを挟む第七十話「動乱の幕開け」―新政・天都原―
天都原国の領土である”耶摩代”は――
同じく自領である”尾宇美”南に隣接し、国境の東側は最強国”旺帝”と接する”暁”本州のほぼ中央に位置する城塞都市であった。
そしてこの地は旺帝へと侵攻する臨海軍の進路に最も近い天都原領土でもある。
「何故に尾宇美の奪還に動かぬのか!?」
「紫梗宮の兵は未だ少数、攻めるならこの機を逃してはなりませんっ!!」
口々に出兵を催促する部下の声に、耶摩代領、主城である淀夜城の主座にて……
男はウンザリだという表情をして、顔前でやる気なさ気に手を払う仕草をする。
「光友閣下からも捨て置けと言われてるだろうが?いらん、いらん……」
上官のその態度に、せっついていた一人の部下が立ち上がる。
「それはあくまで本軍としては動かぬという方針っ!!我らが地からは尾宇美城は目と鼻の先です!直ちに奪還して光友閣下に”耶摩代”には我ら”東方守備軍”在りと、高らかにアピール出来る好機ではありませんかっ!」
しかし、興奮気味に力説する部下の姿にも、この地の領主である男は変わらずやる気無い顔で、出兵を指示する気は毛頭無いようであった。
「……」
――出世欲かよ……確かにそれは俺にも大いに在る!……が、だ……
やる気無い領主は部下の意図に同意しながらも乗り気でない。
その男は基本的には締まりの無いニヤけ面で緊張感も無い。
だが戦場で時折見せる鋭い眼光は、それに反して戦士そのものでもあった。
「藤治朗様、ここが決断の時ですっ!」
部下は鼻息も露わに再度、出陣を迫って来る。
「ばぁか、なに焦ってやがんだ、お前?先日、尾宇美が落とされた時のあの紫梗宮の手並みを忘れたか?」
ひとつ前の大戦……
”尾宇美城大包囲網戦”が一応の終結をし、完全に油断していた藤桐・天都原陣営の虚を完璧に突いた、紫梗宮、京極 陽子陣営の突然の進軍。
寡兵であるにも拘わらず、果敢に城を攻めて僅か数時間で制圧に成功すると言う離れ業をやってのけた。
「藤桐軍が散々に苦労した尾宇美城を数時間で攻略……そんな化け物染みた策士相手に、数の有利のみで挑むなんざ、どういう危機管理能力だ?馬鹿らしい」
ニヤけ顔だが眼光の鋭い男、祇園 藤治朗は、逸る部下を制して面倒臭そうに頭をかく。
尾宇美城大包囲網戦の終盤で、ひょんな事から訪れた幸運。
天都原国王を奪還する大手柄を上げた藤治朗は、その功績から一国一城の主に……
つまり、この”耶摩代”の領主に任命されていたのだった。
既に天都原“十剣”という栄誉を所持していた祇園 藤治朗だが、”十剣”といえども階級は普通の将軍と差異は無い。
あくまでも軍の将校で、“十剣”という呼称は唯の名誉にすぎないのだ。
だが今回、本人も予期せぬ大手柄で領主という地位を新たに得た祇園 藤治朗は、同じ十剣でも、阿薙 忠隆や中冨 星志朗と同じ貴族階級に名を連ねたという事になる。
そういう大出世だった。
そして更には……
今回、部下が言うように尾宇美城奪還を成せれば……
「藤治朗様、ご再考をっ!!この機会を置いては……」
その手柄の大きさなら、貴族階級としても爵位が上がる可能性は高い。
――そうすれば、それこそ前述の二人との差も幾分縮むだろうが……
と、そんな邪念が湧かない男ではない。
つまり、欲深い祇園 藤治朗としては、無論、手柄は咽から手が出るほど欲しいのだ。
――だが、しかし……今回の紫梗宮の手並み……あれは……
如何に、敵が暫く動く事は無いと高をくくっていた藤桐 光友の虚を突いたとはいえ、尾宇美城は言わずと知れた堅城だ。
それはあの”尾宇美城大包囲網戦”で身を以て思い知らされた。
――ならやはり……仕込んでいたのだろう……な
黙り込む祇園 藤治朗の頭脳は、只今損得勘定に忙しい。
そうは言っても野心多き男は、未だ心のどこかで手柄を諦めきれずに付け入る隙を再確認してしまうのだ。
――いつ?
――我が藤桐軍が城を手に入れバタバタとした戦後処理時、その隙に尾宇美城に諜報員を送り込んだか?
――それとも……
――いいや、あの手並みの淀み無さなら、寧ろそれ以前……
――城を放棄した時……あの空城の計で一部を燃やした時からかもしれん……
その方法には到底考えが及ばないが、城攻略の見事さからそう考えるのが妥当で、そんな恐ろしく周到で狡猾な策士にあえて挑むなど……
そして、やはり何度思考しても、危険が報酬を上回る。
結果、なるべく楽をして出世するのが信条の祇園 藤治朗の思考は、出兵は問題外だという結論に至った。
「藤治朗様っ!!」
「尾宇美城に入った紫梗宮の兵数は三千程だという報告だが、その部隊長はあの一原 一枝だというではないか」
だから藤治朗は無難な言い訳を考えた。
「一原?……一枝?」
決断を迫っていた部下達は、一斉に誰だ?というように顔を見合わせる。
その光景に態と大袈裟に”ふぅ”と呆れた溜息を吐いた藤治朗は説明する。
「おいおい、お前らなぁ……戦場での情報の逐次更新は必須だろ?それを堂々と怠るってぇのは、揃いも揃って自殺志願者の集まりかよ」
藤治朗の言は尤もだが、とはいえこの時点で詳細な情報を持つ者は、軍でも上位者くらいであったから、それは無理も無いのだったのだが……
「一原 一枝っていうのはな、”尾宇美城大包囲網戦”で”王族特別親衛隊”が実在の部隊だと周知されたが、その精鋭の一人だっての」
「う!確かに、そういえば……」
薄っすらとだが軍内に流れる噂を覚えていた部下の一人が手を打つ。
「し、しかし、その王族特別親衛隊が噂通り手練れ揃いと言えど、”将”としての器はまた別の……」
藤治朗の馬鹿にした言葉に、部下は赤面しつつも、それでも未だ反論を試みる。
「ばぁか……はぁ……マジかよ……一原 一枝はなぁ、南の島、日向に以前あった”咲母里国”の元家臣、次花 千代理と同一人物だっての」
――っ!!
だがその一言で、見苦しくも未だ自らの意見に縋っていた者たちは黙り込んで息を呑む。
「た、確か、そ、そういえば、何年も前に……紫梗宮がそういう人物を傍に置いたという噂が……」
「次花 千代理……”雷刃”……”武者斬姫”……」
そしてようやっと、その真実に思考が追いついた藤治朗の部下達は、そこでやっと事の困難さに気づいていた。
「……」
――たく……無能者共め
藤治朗は心中でそう毒づきながらも駄目を押す事にする。
「それからなぁ、その次花 千代理には今回、参謀として同じ王族特別親衛隊の”十四枚目の男”とかいう、あの鈴木 燦太郎が従軍しているそうだぞ」
「なっ!!なんとっ!」
「あの……旺帝の八竜を二人も屠った、あの包帯男っ!?」
そして藤治朗の言うところの”無能者共”はその名に震撼し、顔面蒼白になる。
「……」
――無能者共でも、どうやらその名だけは”尾宇美城大包囲網戦”で刻んだらしい
それだけ”鈴木 燦太郎”なる誰もが初耳の人物があげた功績は扇情的な出来事だった。
尾宇美城東門で迫り来る旺帝軍を押し返し、一騎打ちで天都原国の”十剣”と並ぶと賞される”旺帝八竜”の一人、尾谷端 允茂を討ち取った。
更には西門で数倍の敵軍、天都原国きっての天才、中冨 星志朗の軍を退け、北塔では長州門の両砦が一角、菊河 基子を聞いたことが無い奇策で見事捕虜にした。
極めつけは旺帝領土”香賀美領”にて、またも旺帝八竜の伊武 兵衛を討ち取ったという。
最強国旺帝に在って、最強の双璧と賞賛される二人の武人のうちひとり……
あの”魔人”伊武 兵衛を一騎打ちで……
とんでもない手柄の数々だ。
一つの戦で成すには馬鹿げているほどの手柄。
これでは全くの無名だった”鈴木 燦太郎”の名が雑兵に至るまでに響き渡るのは無理もない。
――ドン
一斉に浮き足立つ部下達を前にして、祇園 藤治朗は行儀悪くテーブルに肘を投げ出し、頬杖を着いた。
――その名が畏怖され、ともすれば一人歩きしている現状では、それを相手にして真面な戦は適うまいなぁ……
「……たく、どうせこれでは、光友閣下の命令通りに暫くは様子見ってことだ」
祇園 藤治朗は自身が望んだ静観策であったが……
さも不満そうに、プイと横を向いたのだった。
――
―
「姫様、それで鈴原様はどのようなご様子でしたか?」
銀縁フレーム眼鏡をかけた、出来る秘書風美女の問いかけに、陽子の紅い唇はクスリと笑みを漏らす。
「そうね、なにが”私達もできる限りの支援は用意しましょう”だ、”今回は軍事的には役に立ちそうも無いけど”とか言って、”那古葉”攻略に兵を出し渋った意味がコレかよ……って、間際まで見苦しい愚痴を言っていたわね……クスクス」
問いかけた銀縁フレーム眼鏡の美女、十三院 十三子の主君は、華奢な肩を揺らせて笑い、大変に御満悦の様子であった。
「あの稀代の智将、鈴原 最嘉様にしても、我々の尾宇美攻略は予想外であったのですね」
「どうかしら?あの”喰わせ者”の本心なんて私にも分からないわ」
部下にそう答えながらも、京極 陽子の美しい双眸は綺羅煌と輝き、それが愉しくて仕方が無いと物語っているようである。
京極 陽子の本拠地、香賀美領の居城にて、見目麗しき女性達は”喰わせ者”なる男を語り合う。
「では、もしかして”鈴木 燦太郎の影”の件も?鈴原様はその件に対しても姫様に愚痴を言われていたのですよね?」
「そうね、そちらは完全に虚偽ね。あの男……後々こういうケースに私がその名を利用し易くする為に、予め包帯で顔を隠していたのよ。その上て恍けるなんて本当に周到で可愛げが無いわ」
鈴原 最嘉に対する不満を継続している陽子の顔は、言葉と裏腹に未だ十分に愉しそうである。
――彼女らの言う”鈴木 燦太郎の影”なる意味
抑も、鈴原 最嘉があの”尾宇美城大包囲網戦”で顔面を包帯で覆い隠し、”鈴木 燦太郎”という偽名を用いて別人を装ったのは……
天都原国相手に色々やらかした過去があり、評判が頗る悪い自分を、京極 陽子の部下達が防衛戦の臨時司令官として受け入れ易くするためである。
という事であったが、実のところそれは話半分だと陽子は読んでいた。
それは果たして彼女の読み通りで……
今回の尾宇美攻略後の敵の動き、つまり、藤桐軍の反撃の遅さに大きく貢献していたのだった。
――”鈴木 燦太郎”
敵がその”名”を過度に警戒するあまり反撃を躊躇し思考に偏り無駄に過ごす、逆に此方はその間に迎撃準備という”黄金の時”を稼げる。
”鈴木 燦太郎”という名を大いに活用した策。
名に怯えた敵が実際には無い脅威に無為な時間を費やして勝機を逃す。
それは件の”喰わせ者”による、その後の利用までをも考えた策の一環であったのだ。
「個人の名を以て行う”樹上開花”……もちろん、何時までも使える策じゃないけれど」
”樹上開花”……兵法三十六計のひとつで、小兵力を大兵力に見せ敵を欺く奇策だ。
そして、今回の”鈴木 燦太郎の影”は文字通り影武者だった。
あの大戦時に敵前では終始顔を包帯で覆っていた”鈴木 燦太郎”だからこそ、体格がよく似た人物なら影武者も容易である。
鈴原 最嘉が残したそう言った”置き土産”を、京極 陽子は絶妙なタイミングで利用したのだった。
――そして流石は”無垢なる深淵”と、鈴原 最嘉を実際に唸らせた手並みとは……
鈴原 最嘉が尾宇美城を捨てた時に用いた”空城の計”発動時に、自らの部下である”王族特別親衛隊”の二人を派遣し、その時に既に次手を仕込んでいたところだろう。
”空城”に二の足を踏まぬほどの愚者の存在の可能性……
それは彼の想定内で、そういう人物を予め仕込んだ火計にて撃退する。
しかしその火計は見た目の派手さとは逆に燃やすのは門の一部のみ。
急造で仕上げるには人材も資材も時間も足りなかったのであるからそれは仕方が無かったのだが、見事にそれを直撃で受けた七峰軍は崩壊した。
その派手さ故に、その時も、その後の藤桐軍による城制圧時にも、その他の箇所への注意は散漫になり、潜ませていた京極 陽子の手勢が行った隠し通路の隠蔽は見事なほどに上手くいった。
鈴原 最嘉が組み立てた”空城の計”に沿い、城に火を放ったのは、王族特別親衛隊の破壊娘、四栞 四織だ。
その後に混乱に乗じる形で七峰軍に紛れて城に入ったのも同じく王族特別親衛隊の二宮 二重の部隊で、城に元々備わっていた、陽子達の脱出時にも利用した隠し通路をこの時、瓦礫や木々で隠蔽した。
そして――
尾宇美城制圧後も、燃えた城門付近を突貫工事で修復する事に精一杯の藤桐軍が、その隠し通路に気づく前に、通路を活用し、内外から一気に決戦を仕掛けて制圧したのだ。
――紫梗宮 京極 陽子
”喰わせ者”鈴原 最嘉の奇策を自らの計算に組み込み、次手へと昇華する”神策”。
天都原国最高の策士、”無垢なる深淵”の神髄がそこにあった。
「だから鈴原様の姫様に対する献身に応える意味でも、今回はこの香賀美の軍港の使用許可を臨海軍に与えたばかりか、駐留艦の半分もの数を鈴原様にお借ししたのですか?」
十三子の確認に暗黒の美姫はゾクリとする程の美貌で薄く微笑う。
「尾宇美領を手中に収めた以上は、香賀美領は暫くは完全に防御に徹するわ、過度な海戦力は当分要らない」
そして陽子は既に先程手続きを済ませ、香賀美軍港を出たばかりの”喰わせ者”と臨海軍の行方に思考を巡らせるような遠い瞳をする。
「長州門が我々の撤退を助ける為の条件……それを履行するために長州門が七峰領の坂居湊を攻略する手助けをする、鈴原様の姫様に対する献身は誠に一途の一言ですね」
十三子は純粋に鈴原 最嘉が自身の主に対する献身に感心するが、
「ええ、最嘉は私の所有物だもの、当然よ」
陽子にとってそれは既に語るべき程の事でさえ無い。
「確かに坂居湊に攻め入るには海路から、それも東方からなら我が香賀美領からが最も適しています、そして西方からなら長州門の呉が適任。挟撃には最適かと」
更に臨海軍の展開する策を予測して、銀縁フレームの眼鏡を光らせた十三子の言に暗黒姫は静かに頷く。
「そうね、最嘉は私の為に”坂居湊”攻略へと……仕方無く、渋々、あの”花火女”に協力してあげるわけだけれど……」
”私の為”と”仕方無く”更には”渋々”を強調する所は、陽子の心情を解りやすく表しているといえるが……
十三院 十三子はそういう、鈴原 最嘉以外の対象には絶対に見せない主の乙女な態度に多少不遜なのかもしれないと思いつつも可愛いらしいと感じていたのだった。
「……けれど十三子、あの”喰わせ者”は、当初は”切るしか無かった交渉材料”も”想い人への献身”も……既に、新たなる展開への”一片”として組み込んでいるのかも知れないわ」
「……えっ」
そして、口調を変えた陽子の言葉に、十三子は驚く。
「ふふふ……”王覇の英雄”……鈴原 最嘉が最近、巷で噂される新たな呼び名らしいわ」
京極 陽子の紅い唇の端は意地悪く口角を上げ、その至宝の黒真珠は不敵に輝く。
「……ひめ……さま?」
ガラリと雰囲気が変質する”暗黒の美姫”
それは恋慕に浮かれる少女の熱い瞳では無く、また愛する者を包む穏やかな瞳でもない。
「……」
十三院 十三子は静かに息を呑む。
そう……それは……
”無垢なる深淵”という不世出の天才が、並び立つに値する”好敵手”を再確認する喜びの、冷たい深淵の瞳であったからであった。
第七十話「動乱の幕開け」―新政・天都原― END
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