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奈落の麗姫(うるわしひめ)編
第六話「至る道」後編
しおりを挟む第六話「至る道」後編
「領王閣下から赤目領に命令が発せられ、既に荷内 志朗様の部隊が那原城に入ったそうです」
隊列を組んだ騎馬群、疾走する馬上にて宮郷 弥代はその報告を聞いた。
王族特別親衛隊の十二枚目、十二支 十二歌が鷦鷯城戦に乱入し、臨海第三軍の司令官である熊谷 住吉を撃破、そのまま南下して臨海領土内を攻める動きを見せたため、臨海王、鈴原 最嘉は急遽対応に動いた。
本来なら赤目領を預かる宗三 壱が尾宇美攻略戦に将の一人として参戦している関係で、領主代理として赤目領都、小津に詰めていた荷内 志朗を赤目領土最北の那原まで出陣させて守備を固めさせたのだ。
これは臨海国の新首都である岐羽嶌領北部の烏峰城に対する援軍であり、旧首都である九郎江へと続く道を遮断するのが目的である。
ダダダッ!ダダダッ!
「これでぇ、あのツインテールちゃんの部隊は袋の鼠だけどぉ……」
黒髪の尻尾を靡かせて馬を駆る弥代は敵部隊との距離を急速に縮めていた。
「はい!九郎江の状況は未だ不明ですが、敵にさらなる先行部隊が在ったとしても岐羽嶌領土内で交戦があったとは報告が入っておりません、ならば……」
報告通り、新政・天都原と臨海の国境である岐羽嶌に敵軍が及んでいないのならば、その先の赤目、ひいては遙か先の九郎江に敵軍が侵攻しているというのはあり得ない。
兵士の言葉はそういう解釈である。
「…………そう、ご苦労様ぁ」
その時、宮郷 弥代は本能的な部分で少しばかり違和感を覚えつつも、部下の考えに異論が無かったので、結局はその報告をそのまま聞き入れた。
「はっ!」
兵士は敬礼し、そのまま弥代に併走していた馬を操って後方の隊列へと戻ってゆく。
「……」
――やはり取り越し苦労……
九郎江という、長年に渡り鈴原が治めていた土地を強襲して、鈴原 最嘉が後顧の憂いを絶つべく強引に支配下に置いた周辺の小国群を刺激する……
その実力に疑問を感じさせて反乱を誘発させるためだ。
敵部隊追跡中の彼女に届いた、本隊の鈴原 最嘉からの懸念。
出がけに聞いた、熊谷 住吉の”ヤバイ”という戦場での勘。
そして、今感じた宮郷 弥代の違和感も……
全てが杞憂であったと安堵した彼女は、取りあえず残った任務である敵部隊の追撃を続ける事のみに専念することにする。
――もう半日もすれば追いつけるはず……
そうすれば、如何に圧殺王を退けた強敵であっても、数で押しつぶして排除できる。
それが成れば、宮郷 弥代の本来の任務であった鷦鷯城攻略と、その後の尾宇美合流が実現する。
この戦はそれで臨海が優位に立てるはずだと……
「み、宮郷様っ!?」
そういう算段を巡らして疾走する馬上に在った彼女の耳に、先行していた兵士からの声が入る!
「て、敵部隊が進路を変えて……ひ、東へっ!」
――っ!?
先行していた斥候兵の連絡に、弥代は一旦、全軍をその場で一時停止させた!
「どういう……ことぉ?」
此処から臨海との国境は南……正確には南西方向だ。
しかし敵部隊は東へと進路を急転させたという。
「いえ、その方向は海しか……」
「……」
部下の言葉に弥代も頭を捻る。
海と言えば”船を利用するのでは”……
と考えるのが妥当だが、新政・天都原の海軍は領土の関係上、現在は本州北側の暁海側にしか展開していない。
かと言って、少数でも数百から成る軍隊を乗せるのに半端な民間船など役に立たないだろうし、相応の規模の商戦調達なども隠れて行うのは不可能だろう。
「どこかのぉ……他国が手引きしたしか考えられないわねぇ?」
――っ!?
ポツリと零した弥代の言葉に、その場の兵士達はギョッと目を見開いた。
「なっ!?」
「そ、それはどこの!?」
「この暁東部の大平海側に港を持つ国で、我らに敵対する国家なんてもう……」
言うまでも無く”暁”は島国だ。
列島最大の陸地である本州を囲む海、北側の”暁海”と南側の”大平海”
勿論、新政・天都原の港の動きは充分に警戒ししていた。
ならば――
「那古葉かしら?……ねぇ」
続く弥代の緊張感の感じられない声に、兵士達は再び目を見開いて騒ぎ出す。
「那古葉!?しかし彼の国は中立を保つと!!」
「そ、そうですっ!黄金龍姫様の側近である穂邑 鋼様が、わざわざ領王閣下に使者として訪れて確約されたと……」
兵士達の言うとおり、それが事実ならば――
臨海は正統・旺帝にまんまと一杯食わされたということになる。
そして”そうならば”この戦の相手は、新政・天都原に加え、正統・旺帝も加わるということに……
それは臨海が更なる窮地に陥る状況と言えた。
「……」
浮き足立つ兵士達の中でも弥代は無言で、見た目はいつも通りの表情であったが……
――だが、黄金龍姫と呼ばれる燐堂 雅彌は、清廉で公正な賢君と噂の人物だ
――その腹心の穂邑 鋼もまた、小狡い策略や陰謀などとは無縁の人物だと聞いている
「た、確かに考えてみれば……正統・旺帝の那古葉領は、大平海に巨大な軍港を持つ大都市で……この尾宇美にも岐羽嶌にも近く、そして有数の海軍を所持しています!」
「うっ!?」
「ああ……」
一人の兵士が放った言葉で、その場に居た全員の顔が絶望に染まる。
「……」
――”報告には私見が入ってはならない”
抑も情報とは、その善し悪しに関係無く、そこに”何かしら”の方向性が入ってしまうとそれは純粋な情報では無くなる。
誰かの意図、願望になってしまうのだ。
宮郷 弥代もまた、その愚を犯してしまった。
願望で、つい……追撃の手を緩めてしまっていたのではないか?
一連の敵の動きは、どうせ直ぐに対処できる唯の攪乱戦法だと……
自身の勝手な判断で胡座をかいていたのではないか?
一見して変わらない彼女の垂れ目気味の瞳に影が過る。
「直ぐに追うわ!」
ヒヒィィン!!
「み、宮郷様っ!?」
「お、おう!?」
言うが早く、そして今まで以上に馬を飛ばす彼女に、呆気に取られそうになった兵士達は慌てて着いて馬を駆るっ!
ドドドドドッ!
ドドドドドッ!
最早、後から来るという三千の兵など待っている暇も無い!
そんな鈍重な部隊などは唯の足枷だ!
敵の意図が想像通りなら、既に正統・旺帝の那古葉領の何処かしらの港を使い、恐れていた先行部隊が海路にて九郎江へと向かっているかもしれないのだから!
――結局……
その後も十二支 十二歌が率いる部隊は岐羽嶌領に入ったものの、北部に在る烏峰城に近寄ること無く素通りして、正統・旺帝領土である那古葉との国境付近に沿うように南東に……
「……」
ドドドドドッ!
ここまで来ると弥代の懸念は杞憂で済まなくなる!
ドドドドドッ!
「……」
一刻も早く追いついて――
そして、その先に在るだろう真偽を確かめなくてはならないっ!!
この時の弥代は、後発の三千だけでなく自らが率いた騎馬隊二千の中でも付いて来られない者達を置き去りにして追ったのだった。
――
日付が変わり、霞がかる早朝に――
岐羽嶌領と那古葉領国境付近にある海岸線へと出た新政・天都原軍、十二支 十二歌率いる部隊は……
うらぶれた漁村の港に停泊した数隻の軍艦に部隊を分散して搭乗作業を行っていた。
「ようやく全員乗り込んだみたいだなぁ。ふぅ、散々に尻をつっ突き回されてギリギリなんとかって……ったく、なんでこんな危ない仕事を俺が……」
文句タラタラだが、実際は大した仕事をしたわけでも無いその男の足下には大きな荷物がひとつ。
背丈の半分以上ある背負いの頭陀袋には何本もの”剣”が入っていた。
「て、まだ一人いたんだよなぁ……」
男が立ち止まっているのは――
人口もそう多くない外れの漁村で、そこに停泊した軍船に向け渡された簡易的な橋の上だった。
歩幅の倍程も幅の無い板の上で、男は後ろから来る最後の搭乗者に視線を向ける。
「サッサと乗り込んで、たちの悪い追跡軍どもを撒こうぜ!こっから俺達はロマン溢れる海の上って!なぁ?」
くだらない言い回しで調子に乗る男の名は”鉾木 盾也”という。
軟弱な風体と言動からは想像できないが、我流で少しばかり風変わりした刀剣を打つ、この若さで超一流の”刀鍛冶”であった。
「……って、おい、なんか言えよ!独りで恥ずかしいだろ……俺が」
全ての兵士を搭乗させ、残っているのはその鉾木 盾也と彼がさっきから話しかけている後ろの……
「……」
身体をスッポリと覆うマントと、それと一体のフードを深めに被っている人物。
一見して胡散臭い風体だが、そこから垣間見える整った輪郭の白い顎……
それだけでその人物がかなりの美形だと言うことが想像できてしまう。
「……」
そして簡易的な板橋の途中でふと足を止めたその少女は、さっきからずっと揺れる湖面の如き翠玉石の双瞳をあらぬ方向に向けていた。
「おい、羽咲?」
あくまで無反応な連れの少女に、鉾木 盾也は気まずさを含めた不思議そうな表情で聞き直す。
そして、その美しい瞳が見据える先を試しに自身も視線で追ってみるが……
「……」
――何も無い
というか、ここは片田舎の漁村だ。
遙か先に森……小高い丘が見えるくらいだろう。
「なんだよ、なにかあるのか?人とか?」
鉾木 盾也は言葉にして一応聞いてみるが、仮に人影があったとしても、そんな遙か先の人間なんて豆粒ほども無いはずで、とても肉眼で見えるわけも無い。
「だ・か・らぁ!羽咲!」
「…………ううん、大丈夫だよ、盾也君」
何度目かの問いで少女はやっと反応し、男に微笑んだ。
「お……おう」
フード下からチラリと見えるくらいの、そんな可憐な笑みに、彼は途端に頬を染めて思わず目を逸らす。
「………………へぇ」
その反応に少女はニヤリと、先ほどとは質の違う笑みを見せた。
パサッ
続いて彼女は、確信犯的に頭部のフードを背後にズラして落とす。
「うっ……羽咲」
朝の爽やかな日差しの中、海風を受けてサラサラとプラチナブロンドに輝く長い髪が二束零れ落ちた。
「はぁい、羽咲ですよ。なぁに?」
整った輪郭の白い顎下ぐらいの位置で左右に纏めてアレンジされたツインテールが白金の光糸として目映く輝く。
彼で無くても目を奪われても仕方が無い美少女は、すっかりからかう気満々の悪い笑顔になっていた。
「くっ!この……あのな……いや、何を見ていたのか、さっきから聞いてたんだよっ!」
そんな少女の行動に、鉾木 盾也は耳まで真っ赤になりながらも……
その手は食うかと!話を脱線させまいと会話内容を本題へと戻す。
「ちぇっ…………ええとね、ちょっと”殺気”を受けてたんだけど」
涙ぐましい努力で”デレない”様に抵抗する男と、それがちょっとだけ不満そうな美少女は――
プラチナブロンドに輝くアレンジツインテールと、人形のように白い肌にほのかに桜色に染まった慎ましい唇と、澄んだ湖面に揺れる翠玉石の月の如き幻想的な双瞳が特徴的な剣士……
羽咲・ヨーコ=クイーゼル。
彼女は”この世界”では、寝子=クイゼルという偽名を名乗り、
そして就職先である新政・天都原で京極 陽子に貰った士官名は、王族特別親衛隊の十二支 十二歌であって……
「殺気!?なんだそりゃ?」
散々上の空だった彼女のサラリとした意味不明で物騒な答えに疑問を返す男。
「大丈夫だよ、ここまで届くほどの殺気じゃないから」
だが少女は、唯そう答えて再び微笑むだけだ。
――殺気?届く?
「……はぁ?そうか。なら良いけどな」
一応、そう返事したものの……
実際は彼女の言葉の意味が全然分からない鉾木 盾也であったが……
――わからない事は考えても仕方ない
鉾木 盾也は本業以外は結構、雑な性格で、
――羽咲・ヨーコ=クイーゼルは、言いたくないことは言わない可愛い小悪魔なのだ!
それ以上に、恋には盲目的な駄目男だった。
無理に彼をフォローするならば……
彼女を理解しているからこそ、気持ち良いほどに物騒な言葉を受け流す事が出来る、度量の大きい男……とも言えなくもない。
そして――
「じゃ、そろそろ行くか」
男は”よっこらせっ”と頭陀袋を背負った。
「そうだね、行こう!盾也君」
相手が自分のことを理解してくれている幸せに羽咲はニッコリと微笑んで、
彼女の名の響き通りに”ぴょん”と跳ねるように空いた男の左腕に自らの右手をスルリと差し込んだ。
「うおっ!?ちょ……うさぎ……おお……む、胸が当た……」
その軽やかな動きに”ふわり”と緩やかにプラチナのツインテールが踊って、良い香りが彼の鼻腔を心地良く擽った。
「ふふ、変わらずエッチだねぇ、盾也君は…………ばか」
直ぐに翠玉石の瞳がキラキラした視線で間近から見上げてくる。
言葉と裏腹にどこか楽しそうな美少女と、それに不満げな表情をしながらも決して彼女を引き離そうとしない駄目男は――
人目を憚らないバカップルぶりを披露しながら船内へと消えて行ったのだった。
「……」
ただ、最後に一度だけ振り返った件の美少女は……
湖面の如きに煌めく翠玉石の双瞳を遙か先の丘陵に向け、どこか挑発的な笑みを残して……
――――
―――
――
―
その漁村を見下ろす丘。
「…………」
殺気を込めた垂れ目気味の瞳の射手は――
構えていた矢を放つこと無く下ろす。
「宮郷様……」
背中越しにかけられる部下の言葉に、
「仕留め……損なったわ」
既にいつも通りの気怠げな瞳に戻った宮郷 弥代は、取り立てて起伏の無い口調でそう言うと弓を片付ける。
新政・天都原の別働隊、十二支 十二歌が率いる部隊を必死に追跡して来た弥代の部隊は、強行に強行を重ねてあと一歩というところで及ばなかった。
小さな港町に数隻の軍船の存在を確認し杞憂が現実になったと確信した弥代だったが、既に間に合わないと考え、手前の丘陵からの狙撃に切り替えたのだが……
高低差を利用した紅の射手の腕を以てしても、この距離での狙撃は不可能だった。
これが手にしている折り畳み式の簡易な短弓でなく、愛用している深紅の長弓であれば或いは……と考えるが、それも十二支 十二歌と同じ”王族特別親衛隊”所属の”雷刃”一原 一枝との戦いで破損したのだから仕方が無い。
「目が合った…………多分、気付いていたわ」
「は?い、いや、それは流石に……」
思いもかけない弥代の言葉に、部下はそういう負け惜しみなのかと苦笑いを返すのみだが……
「……」
弥代の言葉は大真面目で、そして紛れもない事実であった。
この距離の狙撃を、この距離の殺気を……
あのツインテール美少女は察知し、そればかりか弥代の武器が自身まで届かないとまで解っていたような、そんな余裕の瞳で確かに微笑んだのだ。
こんな距離でそんな事が有り得るのか甚だ疑問だが、相手が弥代と同じ猛禽類と同等の視力を持つとは思えない以上、殺気を察知したとしか説明のしようが無い。
恐るべき天賦の才!
それとも――
あの”魔眼の姫”とも見紛う彼女の翠玉石の双瞳がそういった類いの魔力を秘めたものだというのだろうか……
――否、それは流石に無いわね……
弥代は流石に心配性が悪化し過ぎている今の自分を心中で自嘲する。
「とにかく、戻るわよぉ!」
偽装はしていたが、確かに……
――正統・旺帝の軍艦を確認した!
その事実を早急に報告しなければならない……と。
第六話「至る道」後偏 END
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