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番外編 ウズ
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南西地方。
その昔々に、海の上を雄大に飛び回る大鷲がいた。
その姿は、人間に見られる事は一度として無かったが、早雲が走る時は、大鷲がその頭上を駆けていると人々は恐れ、大波が起きる時はその翼を羽ばたかせている時だと漁を諦めた。
「ウズ、大鷲様をお慰めしなさい」
「はい、長様」
数日続いた大雨が、その夏、海をうねる波で狂わせた。
磯浜は打ち付ける波で近づく事も許さず、それでも漁に出た勇敢な漁夫をもその波間に呆気なく引きずり込んだ。
そうして、腕のいい漁師を3人亡くし、村の長はついにウズを連れて、岩場の祠へと向った。
その奥は入り口からそう離れてはいない。
だがその奥は暗く、光の差さないこの天気では、ウズには恐ろしく長い洞穴に感じさせる。
ゴツゴツとした黒い溶岩石に覆われた壁を頼り無い蝋燭で照らす。
覚束ない足元に、壁へ手を伸ばした。
15歳だった。
その濡れた岩壁がウズを心底怯えさせ、ウズはその歳の子達より一回り小さな身体をもっと縮こめた。
焦るように腕を引く長の強い力。
引き摺られるように縺れる足を前へ出した。
その祠の奥。
僅かな砂地へとウズを立たせると、長は短くなった蝋燭を新しいモノに変え、ソコへ置いた。
「大鷲様の怒りが納まるまで、お前はここでお祈りをするのだよ、ウズ。お前はこの海で生まれた子だ。お前だけが大鷲様をお慰めできる。いいな?決してここから出てはいけない」
そう長はウズへ言い聞かせ、袖からもう一本蝋燭を出す。
その小さな火を守りながら長はウズを一瞥の後、来た道を戻って行ってしまう。
「長・・・」
とてもその湿った砂地などは、座れそうもなかった。
狭く、暗い洞穴の中で身動きすら取れず、ただただ、その身を硬く強張らせて、その時を待っていた。
「大鷲様・・早く来て・・」
涙が浮かびそうになる目を閉じ、何度も何度も大鷲を胸の中で呼び続けていた。
ウズにとって。
人々から恐ろしいと恐れられている大鷲は、この闇のように暗くなんの頼りも無い洞窟の中からウズを助け出してくれる唯一の存在だった。
潮流が満ち始める。
足元の砂地はいくばくもない。
泥と化して溶け出す砂に怯えながらウズは蝋燭の火を守る。
「怖い・・・」
今にも溢れ出しそうな涙を堪えながら、暗く開いた穴の入り口を見つめた。
そこからビュウビュウと風が差し込まれる。
勢いに乗って潮も吹き付けてくる。
「大鷲様・・・っ」
ついに足首までが水に浸かった。もう砂地は無い。
後は、あの穴の入り口に潮が打ち寄せるだけだ。
潮が満ちればこの穴倉は水で一杯になるだろう。
「ウズか?」
声にハッとする。ウズは慌てて水の中を岩穴の入り口へと歩き出した。
「大鷲様・・っ」
洞穴の入り口には、中を屈みこむように覗く長身の男が立っている。
ウズはザブザブと水を掻き、歩き、そこから伸ばされた腕にやっとで縋りついた。
「なにを泣いている?そんなに待たせたか?」
含むような大鷲の笑い声。
ウズはその顔を見上げた。
長い銀髪。ウズを片手で軽々と肩へ抱き上げる体躯。見た事も無い美しい羽織。
村の誰にもそんな者はいない。
やさしく笑いかける目は金で、その中心は鍵爪のような弧を描いている。
ヒトではないその姿に、ウズは目を離せなくなる。
「大鷲様」
その顎を軽く捉えられ、ウズは目を閉じた。
「また美しくなった・・ウズ」
唇を離すと、大鷲の羽織が大きく膨らむ。
みるみるその形を変え、大鷲の背中へと張り付くとソレは銀と黒と白とで、羽になった。
そして飛び立った。
なぜ、自分なのかと。
ウズは考えていた。
自分は、長老の子ではない。でも、長老の家に住み、事あればこうして祭事を勤める。
神を知り。神に仕え。しかし、巫女では無い。そんな自分の存在がなんであるのかを、ウズはずっと考えていた。
大鷲にこうして連れていかれ、大鷲の住みかで、ウズは指を動かす必要も無い程の待遇を受けて、自らが大鷲を慰労する任を言い付かっているだけに居心地が悪くなった。
「そうだ、綺麗にしてやろう」
「大鷲様、やめてください」
慌てて、足を引いたが、ニヤリと大鷲は悠然とウズの足を掬い取る。
大鷲はその足の指の間、細かな砂までを丁寧に洗い落としていく。
その丁寧な扱いに、頬が火照った。
なぜ私の前に、彼の神が跪いているのだろう・・?
こんなに優しく丁寧に扱われた事なんか無い。
訳の分からない気持ちが胸の奥から這い上がる。
胸を締め付け、目の奥で痛みが弾ける。
「や・・やさしくしないでください」
やっとで言えた抵抗。
それも、大鷲の鼻唄に消し飛ばされてしまう。
「次は手だ」
口元を緩く歪めた大鷲に両手を奪われる。
「こんな事・・・」
「こんな事?」
大鷲がウズの目に視線を合わせた。
途端に弱気になる。
強さを当然のように携えた神に、何かを言う。その恐れ多さにウズの気持ちは縮こまる。
「困ります・・。どうか・・やめて、ください」
震える声で言うのがやっとで、ウズはついに涙を零してしまった。
その昔々に、海の上を雄大に飛び回る大鷲がいた。
その姿は、人間に見られる事は一度として無かったが、早雲が走る時は、大鷲がその頭上を駆けていると人々は恐れ、大波が起きる時はその翼を羽ばたかせている時だと漁を諦めた。
「ウズ、大鷲様をお慰めしなさい」
「はい、長様」
数日続いた大雨が、その夏、海をうねる波で狂わせた。
磯浜は打ち付ける波で近づく事も許さず、それでも漁に出た勇敢な漁夫をもその波間に呆気なく引きずり込んだ。
そうして、腕のいい漁師を3人亡くし、村の長はついにウズを連れて、岩場の祠へと向った。
その奥は入り口からそう離れてはいない。
だがその奥は暗く、光の差さないこの天気では、ウズには恐ろしく長い洞穴に感じさせる。
ゴツゴツとした黒い溶岩石に覆われた壁を頼り無い蝋燭で照らす。
覚束ない足元に、壁へ手を伸ばした。
15歳だった。
その濡れた岩壁がウズを心底怯えさせ、ウズはその歳の子達より一回り小さな身体をもっと縮こめた。
焦るように腕を引く長の強い力。
引き摺られるように縺れる足を前へ出した。
その祠の奥。
僅かな砂地へとウズを立たせると、長は短くなった蝋燭を新しいモノに変え、ソコへ置いた。
「大鷲様の怒りが納まるまで、お前はここでお祈りをするのだよ、ウズ。お前はこの海で生まれた子だ。お前だけが大鷲様をお慰めできる。いいな?決してここから出てはいけない」
そう長はウズへ言い聞かせ、袖からもう一本蝋燭を出す。
その小さな火を守りながら長はウズを一瞥の後、来た道を戻って行ってしまう。
「長・・・」
とてもその湿った砂地などは、座れそうもなかった。
狭く、暗い洞穴の中で身動きすら取れず、ただただ、その身を硬く強張らせて、その時を待っていた。
「大鷲様・・早く来て・・」
涙が浮かびそうになる目を閉じ、何度も何度も大鷲を胸の中で呼び続けていた。
ウズにとって。
人々から恐ろしいと恐れられている大鷲は、この闇のように暗くなんの頼りも無い洞窟の中からウズを助け出してくれる唯一の存在だった。
潮流が満ち始める。
足元の砂地はいくばくもない。
泥と化して溶け出す砂に怯えながらウズは蝋燭の火を守る。
「怖い・・・」
今にも溢れ出しそうな涙を堪えながら、暗く開いた穴の入り口を見つめた。
そこからビュウビュウと風が差し込まれる。
勢いに乗って潮も吹き付けてくる。
「大鷲様・・・っ」
ついに足首までが水に浸かった。もう砂地は無い。
後は、あの穴の入り口に潮が打ち寄せるだけだ。
潮が満ちればこの穴倉は水で一杯になるだろう。
「ウズか?」
声にハッとする。ウズは慌てて水の中を岩穴の入り口へと歩き出した。
「大鷲様・・っ」
洞穴の入り口には、中を屈みこむように覗く長身の男が立っている。
ウズはザブザブと水を掻き、歩き、そこから伸ばされた腕にやっとで縋りついた。
「なにを泣いている?そんなに待たせたか?」
含むような大鷲の笑い声。
ウズはその顔を見上げた。
長い銀髪。ウズを片手で軽々と肩へ抱き上げる体躯。見た事も無い美しい羽織。
村の誰にもそんな者はいない。
やさしく笑いかける目は金で、その中心は鍵爪のような弧を描いている。
ヒトではないその姿に、ウズは目を離せなくなる。
「大鷲様」
その顎を軽く捉えられ、ウズは目を閉じた。
「また美しくなった・・ウズ」
唇を離すと、大鷲の羽織が大きく膨らむ。
みるみるその形を変え、大鷲の背中へと張り付くとソレは銀と黒と白とで、羽になった。
そして飛び立った。
なぜ、自分なのかと。
ウズは考えていた。
自分は、長老の子ではない。でも、長老の家に住み、事あればこうして祭事を勤める。
神を知り。神に仕え。しかし、巫女では無い。そんな自分の存在がなんであるのかを、ウズはずっと考えていた。
大鷲にこうして連れていかれ、大鷲の住みかで、ウズは指を動かす必要も無い程の待遇を受けて、自らが大鷲を慰労する任を言い付かっているだけに居心地が悪くなった。
「そうだ、綺麗にしてやろう」
「大鷲様、やめてください」
慌てて、足を引いたが、ニヤリと大鷲は悠然とウズの足を掬い取る。
大鷲はその足の指の間、細かな砂までを丁寧に洗い落としていく。
その丁寧な扱いに、頬が火照った。
なぜ私の前に、彼の神が跪いているのだろう・・?
こんなに優しく丁寧に扱われた事なんか無い。
訳の分からない気持ちが胸の奥から這い上がる。
胸を締め付け、目の奥で痛みが弾ける。
「や・・やさしくしないでください」
やっとで言えた抵抗。
それも、大鷲の鼻唄に消し飛ばされてしまう。
「次は手だ」
口元を緩く歪めた大鷲に両手を奪われる。
「こんな事・・・」
「こんな事?」
大鷲がウズの目に視線を合わせた。
途端に弱気になる。
強さを当然のように携えた神に、何かを言う。その恐れ多さにウズの気持ちは縮こまる。
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震える声で言うのがやっとで、ウズはついに涙を零してしまった。
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