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72.手に入れた幸せ

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 今回は前回よりもずっと早く帰国することができたが、リアンにはやはり前回同様――いや、あの時よりももっと長い時を感じた。早く会いたいと思う人がいたからだと思う。自分の帰りを待ってくれている人がいるから。

 ジョナスと国王に手短に挨拶を済ませると、彼はジョナスに呼び止められるより早く謁見の間を退出し、とある部屋へ足を運んだ。そこに目当ての人物がいないと知ると、あちこち探し回る。きっと中庭だろうと侍女に聞くと、走るように向かった。

(――ああ、いた)

 彼女はしゃがんで、花を摘んでいた。おそらく孤児院の子に花の冠を作って欲しいとねだられたのだ。かつて彼女が暮らしていた故郷の子どもたちを思い出して、ついつい甘やかしてしまうと困った顔で零していた。

「ナタリー」

 もう人目を憚ることなく、愛しい人の名を呼べる。振り返って目を見開く様。呟いた名前は己のもの。考えるより先に立ち上がったせいか、摘んでいた花が指から零れ落ち、それが風に巻き上げられて、彼女の柔らかな髪と一緒にくすぐる光景。まるで絵画のとある一場面のようだとリアンは思った。

「ただいま、ナタリー」

 駆け寄ってくる彼女をリアンは腕を広げて抱きとめた。首に回された腕の力は彼女にしては強く、しがみついて離れまいという意思が感じられた。リアンもそれに応えるよう彼女の身体を抱きしめ返す。

「お帰りなさい、リアン」
「うん。ただいま」

 胸に広がる温かい気持ち。幸福をリアンは噛みしめた。

「――大丈夫だった?」

 王宮の中庭には噴水もあり、ふちに二人で腰かけると、ナタリーはそっと伺うようにたずねてきた。

「ああ。何とかわかって下さった。……心配させてごめんな」

 そばにいると誓ったばかりなのに、リアンはさっそくナタリーを置き去りしてしまった。むろん一緒に連れていくなどは危険すぎるので待っていてもらうしか他になかったのだが、それでも離れている間は心細かったと思う。

「ううん。いいの。無事に帰ってきてくれて、よかった」

 はにかむナタリーの姿に、リアンはそっと腰を引き寄せて頬に口づけた。彼女はくすぐったそうに身をよじり、周りの目があるからと頬を赤く染めた。

「誰もいないよ。ここはきみがよく来る所だからって、護衛も気を遣って遠巻きにしかいないだろうし、俺が帰ってきたから今日はもう仕事から外れているさ」
「そういえば、ずいぶんと早かったね」

 知らせでは数日後の予定であったから、彼女が驚くのも無理はない。

「国境を越えた辺りから、待てずに馬を飛ばして帰ってきた」
「まぁ、そうだったの?」

 身体の方は大丈夫なのかと心配するので、笑って平気さと答える。

「それよりも早くナタリーに会いたかったから」
「もう、リアンったら……」

 ナタリーは困ったような、恥ずかしそうな、でも嬉しそうな顔をして、リアンの胸に顔を寄せた。彼女の髪を優しく撫でながら、リアンはあることに気づいた。

「それ、……以前より薄くなっていないか?」

 ナタリーの右の掌にあった、刃物で切られたような赤い傷痕。聖女の証である聖痕が、以前見た時より薄くなっている気がした。

「ええ。以前から少しずつ」

 赤くなった線を、そっとなぞる。この傷が消えた時、彼女の力も消えたりするのだろうか。早くなくなればいいと思う。けれどリアンはその考えを口にすることはしなかった。

「俺が留守の間、変わりはなかった?」
「特になかったけれど……ジョナス様からお話を頂いたの。また地方に出向いて力を貸してほしいと」

 そう言えば退出する際に何か言いかけていたような……このことだったのかもしれない。

「そうか。わかった。ならいろいろと準備しないとな」

 あっさり承諾したリアンにナタリーはちょっと不安そうな顔をした。

「身体の方は大丈夫?」
「平気だよ。むしろナタリーと離れている方が健康に良くない」

 それまで重職に就いていた貴族たちが処刑され、空いた空席を埋めるべく今一度適切な人間を決める話し合いが行われた。そこでリアンは聖女の――というかナタリーの専属護衛を願い出た。他の役職に就くべきだと勧められたが、リアンの意志は固く、ジョナスも「彼より相応しい者は他にいないでしょう」と認めてくれた。

「出立まではまだ時間があるだろうし、十分休めるよ」

 久しぶりにきみの手料理が食べたいと零せば、ナタリーはわかったわと笑って了承してくれた。今二人は王宮からさほど離れていない場所に屋敷を貰い受けて暮らしている。ナタリーには王家という後ろ盾がある。それは以前のように監視して従わせるのとは違う。彼女の意思を尊重し、聖女としての最低限の務めを果たせば後は好きにしていい。

 だから以前は何時間も王宮の教会で祈りを捧げていたナタリーであるが、今は敷地内に建てられた礼拝堂で済ませているし、日中は孤児院や救貧院を支援する活動をしており、国内でもさらに普及していけるよう王家と話を進めているそうだ。

(前よりずっと生き生きしている)

「なぁに? 人の顔じっと見て」

 あまりにもじっと見ていたからだろう。ナタリーがちょっと怒ったようにリアンを見上げる。可愛いなとリアンは思いながら彼女の手を取って指を絡めた。左手の薬指。銀色の指輪が彼女だけではなく自分の指にもはめられている。

 ユグリットへ旅立つ前にリアンはナタリーに結婚を申し込んだ。そういう状況ではなかったが、もう待てなかった。籍だけ入れて式は落ち着いてからしようと話していたが、ジョナスとオーウェンにユグリットへ行く前に挙げろと言われて、結局教会でみんなに祝福されることとなった。

「幸せだなぁって思って」

 純白のドレスに身を包んだナタリーはとても美しく、嬉しそうに涙ぐむのでリアンもつられて泣いてしまった。ジョナスに呆れられ、オーウェンに揶揄われたのは恥ずかしかったが、良い思い出でもある。

「わたしも……とても幸せ」

 怖いくらいに、と零す彼女の気持ちは痛いほどわかった。またすぐに引き裂かれてしまうのではないかと思うと怖くてたまらない。

(でも、もう絶対に離れない)

「何があっても、ナタリーのそばにいる。きみが国の端まで人を助けに行くというのならば、俺は喜んでお供するさ」

 お道化て言えば、ナタリーは笑ってありがとうと答えた。

 二人はそのまま何も言わず、互いの温もりを感じあった。今日はもう休んでいいと言われているので、先に屋敷に帰ってナタリーを待っているのもいいかもしれない。手料理はまた作ってもらうとして、今日は街の食堂へ食べに行くのもいい。でもやっぱり一緒に同じ場所へ帰りたいなと思った。

「あのね、リアン」
「うん?」
「わたしはね、神から与えられたこの治癒力はいつかなくなるべきだと思うの」

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