幻のスロー

道端之小石

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変化の兆し

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7月上旬。野球男児には悲しい季節である。
何せ梅雨、雪月高校野球部の撥水性のいいグラウンドといえど多少のぬかるみは残り、そもそも晴れないので外で練習ができないのだ。
そして雪月高校といえど全員が練習できる広さの室内練習場など完備していない。
仕方ないので筋トレをする。体幹を鍛える。フォームチェックをする。
だがそれくらいしかすることがなく野球男児達は暇を持て余していた。

彼らは体育館の利用申請をするが通らなかった。
他の部活も強豪揃いなのだ。
流石に校舎の中でボールを投げるわけにもバットを振るわけにもいかず筋トレや体力づくりがメインになっていた。
ボールを使えないことに上級生には焦りが見え始め一年はつまらなさそうにしている。

だからかノルマを終えると皆そそくさと帰っていく。
やることがないのだから仕方ない。

純も特にすることもないのでそのまま帰る準備をしていた。
そんな時、将也が純に話しかけてきた。

「純、カラオケ行かね?」
「遠慮しとく」
「付き合い悪いなぁ……つれないこと言わずに一回行こう?な?頼むって」

純としては帰ってのんびりしたいのだが今回の将也は折れる気配が微塵もない。

『このままだと家まで付いてきそうだ。そうなったらめんどくさいな』

そう思った純は渋々了承することにした。
苦々しい顔を見せることなく普通に会話を続ける。
純からすれば別にカラオケ自体は行っても行かなくてもいいのだ。

「6時に帰るぞ」
「げ、門限あるのか」
「ないのか?」
「いや、そんなに厳しい家庭じゃないから」
「で他は?」

これで2人だけなら帰ってもいいかなと純は考えていた。

「光希と新野だな」
「なんだ、いつものか」
「いつものメンバーで何が悪い」
「特に何も」
「じゃあ文句はないな」

純は人生初カラオケに挑むことになった。
実のところは趣味が読書くらいしかない純はこういうことが初めてである。
前世では野球一筋だった純は初めて野球以外に手を出した。

雨が降る中、カラオケの手続きを将也が手慣れた様子でこなしていく。

「3時間でお願いします。ドリンクは……」

将也が3人の方を見る。
飲み物は自分で勝手に注いで飲むシステムだ。

「いる」
「欲しい」
「じゃあ俺も」
「4人全員でお願いします」

受付を済ませた純たちは借りた部屋の中に入る。
途中ドリンクサーバーから好きな飲み物をコップに注ぐのは忘れない。

カラオケボックスに野球部の男4人で入るという絵面はなかなかにむさ苦しいものがあるが当人たちは気にしていないので問題はない。
各々が適当に自分の荷物を置く。

「ちょっと冷房強目にしておくぞ」
「なんか暗いな」
「じゃあ明るくしておくわ」
「俺、歌いまーす!」

部屋に入ってから1分と経たない内に将也がアップテンポな曲を歌い始める。
音程はあっているし抑揚もしっかりしているが、腕をブンブン振って歌っている。
気分は歌手なのだろう……3人はなんともいえない顔で次に誰が歌うかを決めていた。

「新野、先歌っていいよ」

光希がそう言いメロンソーダの入ったコップを傾ける。
一気に飲んだ光希であったが氷がたくさん入っていて相当冷えていたらしくこめかみを抑え痛がっている。

「あー、歌下手だからあんまりなぁ……純、先に歌っていいぞ」
「んーじゃあお言葉に甘えて」

そして画面の右上に『君が代』という文字が出現する。

「~♪ブッ?!ゲホッゴホッ……」」
「え、まじ」
「うーん、予想外」

将也が吹き出しながら咽せて、新野と光希は驚いていた。
純はなんだかいたたまれない気持ちになっていた。

「いや、歌える曲がこれくらいしかなくて……」
「他のレパートリーは?」
「そんなものは無い」

部屋に少し沈黙が続く。
将也の歌が採点され89点という点数が表示される。

「えっと純カラオケって何回目?」
「初めてだな」
「へぇ~」

君が代のイントロが流れ純が歌い始める。
響くバリトンボイスであるが音程はさほど合っていない。

「純って完璧超人だと思ってたけどそうでも無い感じか?」
「野球に関係ないことはほとんどダメっぽいな」
「テストで主席なのは?」
「多分……趣味じゃない?」

BGMに君が代を流しながら雑談が始まる。そして雑談が始まると野球についての話題が飛び出し始める。ちょうど君が代を歌い終わった純もそれに混ざっていく。

「オールスターって誰が選ばれるかな?」
「ところで昨日のトラーズ対ロットマリン戦見た?」

10-1でトラーズのコールド負けだった試合である。

「プロでコールドは初めて見たかも」
「初めてとは言わないけどたまには見るよね」

ここで純が全然関係ない話題を持ってくる。

「そういえば家から今シーズンの動画持ってきたんだけど見る?」
「いつの?」
「交流戦。録画してもらったんだ」
「見る見る」

幸いなことにDVDプレイヤーが備え付けられているカラオケだったこともありそこからは野球観戦に切り替わっていった。

「ここでアウトローのスライダーじゃなきゃ配球の意味がわからない」
「はいインハイのストレート、ボール球」
「うがぁああ?!なんでぇええ?!」

将也が配球当てをし始めてそこそこ当ててはいるもののたまに外している。

「わからないってことは勉強するべきなんじゃね?」
「むぅ、確かに。教えてくれ純!」
「俺ピッチャーなんだけど」
「配球論くらいわかるだろ」
「本職には劣る。先輩に聞いて」
「わかった……っていうか結局野球見るならカラオケ来る意味なくね?」

将也が突然思い立ったように言った。
なぜなら部室に大きめのテレビとDVDプレイヤーがあるからである。
ピッチャー3人がなるほどという顔をしてからまた画面の方を見た。
純がちらっと時計を見る、そしてDVDプレイヤーからディスクを抜き取った。

「あっ!?8回表の1-1なんて燃える場面で!」
「5回の時も燃えるとか言ってなかったか?」
「……そろそろ帰るわ、もうすぐ6時だからな」
「えー!もうちょっと居たって大丈夫だろ!」

光希が不満そうな顔をしている。

「いや、帰る。続きは明日でいいだろ。部室でも見れる訳だし」
「まぁそうだけどさぁ……続きが知りたい!」
「ていうかそろそろ3時間経つし俺らも帰らないとな」

4人は手早く荷物をまとめると部屋を出た。

「ところで光希は財布の中身大丈夫か?」
「いや……問題ない!」
「なんかすごい問題ありそうな顔をしているのだが?」
「まぁ大丈夫っていうなら大丈夫なんだろ」

将也がそう言って受付で全員が支払いを済ませた。

「学割でギリギリとか、家に貯金残ってるの?」
「うぐっ……」
「光希は買い食いしすぎなんだよ」
「気をつけます……」


「じゃまた明日!」
「またな!」

そして翌日は雨。だが部室に一年生が集まっていた。
もちろん野球鑑賞である。

「すっげー!俺もあんな風にやりたい!」
「今のところもう一回見たい!」

そうしてガヤガヤ騒いでいると部室のドアがそっと開く。
山本コーチがそろりそろりと入ってきて一年生の後ろのパイプ椅子に腰かける。

「お前ら、何見てるんだ?」

その時純以外の全員が振り返る。純はトイレに行っているためそこには居ない。

「プロ野球です!」
「敵の偵察じゃないのか」
「そういうのってマネージャーの仕事なのでは?」
「ならお前らがスカウトしてこい。いないからな」

雪説高校野球部。実はマネージャーがいないのである。
一年前まではマネージャーが3人ほどいたのだが全員3年生で卒業してしまった。

「コーチも一緒に考えてくださいよ」
「あぁいいぞ。で、どうするんだ?」

誰からも意見が出ない。見かねたコーチが適当に意見を言う。

「お前らなんかないのか?帰宅部の奴らに声かけるとか求人のポスター貼るとか」
「それです!それ!そうしましょう!」
「俺の意見そのままかよ」

純がトイレから帰ってくるとパソコンを前にああでもないこうでもないと騒ぐ一年とコーチの姿があり、直感的に巻き込まれる面倒くささを感じた純は2年と3年を呼ぶことにした。

「先輩方、申し訳ないのですがちょっといいですか?」
「ん?伊藤か。珍しいな、どうした?」
「いや、コーチと一年生で色々やってるので先輩方も一緒に手伝ってもらえたらと思いまして」
「何やってるんだ?」
「来て貰えばわかるかと」
「わかった。行こう」

ちなみに先輩方はドッキリを準備している時に空気を読めない純がバラしてしまったと思っている。
純はそう言うことから遠ざけられがちなのだ。

そして先輩達を連れてきた純が一言。

「コーチ、助っ人を連れてきました」
「伊藤か。いいところに来てくれた。あと3年と2年のお前達も早く入ってきて案を出せ」
「……伊藤、話が違うぞ!」
「話がちがうと言われても困ります」

そして三日後マネージャーが現れた。

「近藤 希 です。よろしくお願いします!」
「金木 紗凪です。宜しくお願いします」
「佐々木です」
「「「宜しくお願いします!」」」

将也がナンパまがいのことをして連れてきた人たちの中でマネージャーの業務を知った上でやりたいと言ってくれた貴重な人材がこの3人である。
3人の女子が入ったことによって、男子達のモチベーションが少し上がった。
そんな男子達にコーチが話しかけていく。

「お前ら張り切り過ぎるなよ」
「いえ、いつもこのくらい平気でやって……すいませんやっぱり張り切っています」
「ほどほどにな……池上お前も大会が近いんだからちゃんと調整しろよ」

平気やら楽勝などというワードを使った男子がグラウンドを走っているのを見た彼は発言を撤回した。

ちなみに監督達が考えたチラシの効果はほとんどなかった。
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