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「モリアちゃん、お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
おかえりと出迎えてくれるお義母様に、新たな真相を知ってしまった私はその心を覆い隠すように笑みを浮かべた。そんな私を変に思ったのか一瞬、眉間に皺を寄せたお義母様だったが、すぐにその視線は私の顔から腕の中のブーケへと移る。
「あら! 綺麗ねぇ……」
「ありがとうございます」
皮肉にも作った後に役目を果たすことが出来なくなってしまった腕の中のブーケは、自分で言うのもなんだがとても綺麗でよく出来ていると思う。いや、役目を果たせないからこそ余計に私の目には眩しく見えているのかもしれない。
これ以上、強張った笑顔を向け続ければ心の中に隠したものがバレてしまいそうな気がして、お義母様との話を切り上げて、早々と逃げるようにして部屋へと戻った。そしてグスタフが身体を滑り込ませるのを確認すると私はゆっくりとドアを閉めた。
「はぁ……」
力が抜けた背をドアに預けながらため息を吐くと、グスタフは私の足にちょこんと手を乗せた。そして彼は私の視線を独り占めすると、見てろよと言わんばかりに鼻をふんと鳴らしてから部屋の中心まで移動するとその場でクルクルと回り始めた。
ダンスステップである。
グスタフがいつのまにステップを習得したのかは分からないが、彼の言いたいことは伝わった。
とりあえず身体でも動かして気を落ち着かせろと、ここにはいないお兄様の代わりに私を激励しているのだろう。
「踊ろうか、グスタフ」
唐突に降り出した、窓の外から叩きつけるような雨に身を委ね、私は踊り出した。
観客はグスタフただ1匹。それもステップを間違えた時には「ぶにぁ」と鳴いて指摘するようなスパルタなお客さんである。だがその鳴き声はグスタフだけはずっと側にいてくれているのだと証明してくれているようで心地いいのだ。
落ち着いてくるとふと頭によぎるのは週末の夜会のこと。このままラウス様と共に出席してもいいのだろうかと考えてしまう。だがその時にもグスタフはぶにぁと鳴く。
本当に何から何まで気の利く相棒である。
雨音が遠ざかるまで踊り続けた時にはもう疲れ切っていて、そのままベッドへと倒れ込んだ。
私がサンドレア家から帰ってきて数日、ラウス様の顔を一度も見ていない。正確にはお義父様も、だ。
仕事が立て込んでいるらしく、お屋敷には帰って来れていないのだ。2人の身体を心配しながらも、私は心の中で少しだけホッとしていた。ラウス様にはあの事実を伝えなければいけないと思いながら、それまでの時間を少しでも引き伸ばしたい自分がいるのだ。
私はとてもズルイ人間だから、悪いと思っていてもなお、隠し通せればいいのにと願ってしまっている。
今日も今日とて部屋に閉じこもっては身体を動かす――それが私にとってのつかの間の心の休息時間だった。
「お義姉様。今日、お時間よろしいでしょうか?」
腕立て伏せの回数を数えるのが面倒になった頃、アンジェリカは私の部屋へとやって来た。最近はご飯の時くらいしか顔を合わせることがなくなっていたアンジェリカは申し訳なさそうに顔を強張らせていた。
そんな彼女に大丈夫だと告げると、その表情はほのかに赤く色付いて、そしてアンジェリカは後ろめたいことがあるのか目を伏せた。
「実は、その……今日は王子とお会いする日でして、よければお義姉様にも一緒に行っていただければ、と……」
「ええ、もちろん」
申し訳なさそうな感じを全面に押し出していたため、なんの相談かと思えばそれは以前交わした約束のことだった。
ラウス様の思い人ではないと分かった今、その事実をアンジェリカに打ち明けたとして、それでも彼女がお義姉様と慕ってくれるかはわからない。だが彼女と約束をしたのは他でもない私である。
いつアンジェリカの義姉ではなくなるかはわからないとはいえ、彼女との約束を果たしたところでバチは当たらないだろう。
相棒のグスタフに「行ってくるわ」と私のいない間の留守を頼み、嬉しそうにテディベアの首を力強く締めつけるアンジェリカと共に馬車へと向かう。
道中、コロコロと笑っては楽しそうに私のいなかった日々の出来事を話すアンジェリカの姿を、私はこの目に焼き付けた。
アンジェリカは城へ着くなり、慣れた道筋を私の手を引いて先導する。そしてとある一室の前へと辿り着くと、ほんの少しだけ表情を曇らせ弱々しくドアをノックした。
「誰だ」
「アンジェリカ=カリバーンでございます。本日はモリア=サンドレアと共に参りました」
「入れ」
初めの一言よりも固くなった言葉で入室を許された私達は、ピリピリと空気の張り詰めたマクベス王子の自室へと足を踏み入れた。
すぐにお茶とお菓子が用意され、一見すると歓迎されているようにも見える。けれどそれは未だ緩むことのない空気を肌で感じれば、お茶のカップにすら手を伸ばすことは許されていないことがわかる。
「モリア=サンドレア」
「は、はい!」
「お前はなぜ今日、この場にいる」
その問いかけで私は選択を間違っていたことに気づく。身体中から汗がにじみ出るのに、返すべき正解の言葉は一切浮かばない。
「王子が以前、お義姉様を連れてくるようにと言ったのではありませんか」
アンジェリカはこんな不甲斐ない私に絶好の助け舟を出してくれた。だがその舟はマクベス王子の手で呆気なく沈められた。
「あんなのは戯言に決まっているだろう。本当に来るなんて、その女はどれだけ愚かなのだ。第一アンジェリカ、お前もお前だ。俺が自室に男爵家の娘の入室などを許すわけがないとなぜ気づかない」
「……っ」
身分差があるとはこういうことだと、カリバーン家での対応が異例だっただけだと王子の言葉に納得する私に対し、アンジェリカは悔しそうにその大きな目いっぱいに涙を溜めた。
「アンジェリカ、そこの下級貴族の娘は放っておいて遠駆けに出かけないか? 今日はよく晴れていて、気持ちいいだろう」
「……」
「おいアンジェリカ、聞いているのか!」
「…………帰ります」
幼く柔い肌に爪を食い込ませ、それ以外の言葉を我慢したアンジェリカは利き手とは逆の手で私の手を引いた。行きよりも大股で歩くアンジェリカは一刻も早くこの城を去りたいのだと背中で語っていた。
「アンジェリカ!」
遠くで叫ぶマクベス王子の声など耳にも入っていない様子で、カリバーン家の馬車まで着くと「早く出して!」と御者を叱責するように声を荒げて急かした。
御者は何が何だか分からず、ただ言われた通りにすぐに馬を走らせる。
怒りのせいでまだ震えを収めることの出来ないアンジェリカは馬車の中でもずっと私の手を離すことはなかった。
「……お義姉様。気分を害してしまい、本当に申し訳ありませんでした」
そしてポツリポツリと涙を零し、アンジェリカは頭を垂れた。彼女が謝ることなど何もないというのに。
「何も気にしなくていいのよ。マクベス王子がおっしゃったことは事実ですもの。男爵家の娘ということも弁えずにあの場所へ着いて行った私が悪いの」
いつからか狂い始めたその感覚を取り戻せなかった私が「ごめんなさい」と謝るとアンジェリカは「そんなことありません」と必死に抵抗してみせた。
「あの方は自分が大好きなのです。それなのに私はあの方の気持ちを察せず、お義姉様のお話ばかりしてしまって……」
「悪いのは私よ」
「いえ、私が」
そうして数十分にも渡る馬車の旅は結論を出させることなく終わりを告げた。
自ら責任を負おうとするアンジェリカに「この話題は終わり! ね?」と無理矢理納得をさせて、グスタフの待つ部屋へと戻る。そして私は一人、後回しにしていた考えを掘り起こした。
アンジェリカが私を慕うのは義姉であり、兄であるラウス様が惚れた女性だからである。だが私はラウス様の惚れた女性でなければ、マクベス王子がおっしゃった通りの下級貴族の、男爵家の娘なのだ。
愛よりお金をとった私と、地位の釣り合いよりも愛をとったラウス様。
ラウス様を思うのならば私が選ぶべき道はやはり身を引き、彼の幸せを願うことだろう。
そう自らの心に新たな結論を出した私ではあるが、どうやってラウス様を説得すればいいのだろうか? という新たな問題が立ちはだかった。
「ただいま帰りました」
おかえりと出迎えてくれるお義母様に、新たな真相を知ってしまった私はその心を覆い隠すように笑みを浮かべた。そんな私を変に思ったのか一瞬、眉間に皺を寄せたお義母様だったが、すぐにその視線は私の顔から腕の中のブーケへと移る。
「あら! 綺麗ねぇ……」
「ありがとうございます」
皮肉にも作った後に役目を果たすことが出来なくなってしまった腕の中のブーケは、自分で言うのもなんだがとても綺麗でよく出来ていると思う。いや、役目を果たせないからこそ余計に私の目には眩しく見えているのかもしれない。
これ以上、強張った笑顔を向け続ければ心の中に隠したものがバレてしまいそうな気がして、お義母様との話を切り上げて、早々と逃げるようにして部屋へと戻った。そしてグスタフが身体を滑り込ませるのを確認すると私はゆっくりとドアを閉めた。
「はぁ……」
力が抜けた背をドアに預けながらため息を吐くと、グスタフは私の足にちょこんと手を乗せた。そして彼は私の視線を独り占めすると、見てろよと言わんばかりに鼻をふんと鳴らしてから部屋の中心まで移動するとその場でクルクルと回り始めた。
ダンスステップである。
グスタフがいつのまにステップを習得したのかは分からないが、彼の言いたいことは伝わった。
とりあえず身体でも動かして気を落ち着かせろと、ここにはいないお兄様の代わりに私を激励しているのだろう。
「踊ろうか、グスタフ」
唐突に降り出した、窓の外から叩きつけるような雨に身を委ね、私は踊り出した。
観客はグスタフただ1匹。それもステップを間違えた時には「ぶにぁ」と鳴いて指摘するようなスパルタなお客さんである。だがその鳴き声はグスタフだけはずっと側にいてくれているのだと証明してくれているようで心地いいのだ。
落ち着いてくるとふと頭によぎるのは週末の夜会のこと。このままラウス様と共に出席してもいいのだろうかと考えてしまう。だがその時にもグスタフはぶにぁと鳴く。
本当に何から何まで気の利く相棒である。
雨音が遠ざかるまで踊り続けた時にはもう疲れ切っていて、そのままベッドへと倒れ込んだ。
私がサンドレア家から帰ってきて数日、ラウス様の顔を一度も見ていない。正確にはお義父様も、だ。
仕事が立て込んでいるらしく、お屋敷には帰って来れていないのだ。2人の身体を心配しながらも、私は心の中で少しだけホッとしていた。ラウス様にはあの事実を伝えなければいけないと思いながら、それまでの時間を少しでも引き伸ばしたい自分がいるのだ。
私はとてもズルイ人間だから、悪いと思っていてもなお、隠し通せればいいのにと願ってしまっている。
今日も今日とて部屋に閉じこもっては身体を動かす――それが私にとってのつかの間の心の休息時間だった。
「お義姉様。今日、お時間よろしいでしょうか?」
腕立て伏せの回数を数えるのが面倒になった頃、アンジェリカは私の部屋へとやって来た。最近はご飯の時くらいしか顔を合わせることがなくなっていたアンジェリカは申し訳なさそうに顔を強張らせていた。
そんな彼女に大丈夫だと告げると、その表情はほのかに赤く色付いて、そしてアンジェリカは後ろめたいことがあるのか目を伏せた。
「実は、その……今日は王子とお会いする日でして、よければお義姉様にも一緒に行っていただければ、と……」
「ええ、もちろん」
申し訳なさそうな感じを全面に押し出していたため、なんの相談かと思えばそれは以前交わした約束のことだった。
ラウス様の思い人ではないと分かった今、その事実をアンジェリカに打ち明けたとして、それでも彼女がお義姉様と慕ってくれるかはわからない。だが彼女と約束をしたのは他でもない私である。
いつアンジェリカの義姉ではなくなるかはわからないとはいえ、彼女との約束を果たしたところでバチは当たらないだろう。
相棒のグスタフに「行ってくるわ」と私のいない間の留守を頼み、嬉しそうにテディベアの首を力強く締めつけるアンジェリカと共に馬車へと向かう。
道中、コロコロと笑っては楽しそうに私のいなかった日々の出来事を話すアンジェリカの姿を、私はこの目に焼き付けた。
アンジェリカは城へ着くなり、慣れた道筋を私の手を引いて先導する。そしてとある一室の前へと辿り着くと、ほんの少しだけ表情を曇らせ弱々しくドアをノックした。
「誰だ」
「アンジェリカ=カリバーンでございます。本日はモリア=サンドレアと共に参りました」
「入れ」
初めの一言よりも固くなった言葉で入室を許された私達は、ピリピリと空気の張り詰めたマクベス王子の自室へと足を踏み入れた。
すぐにお茶とお菓子が用意され、一見すると歓迎されているようにも見える。けれどそれは未だ緩むことのない空気を肌で感じれば、お茶のカップにすら手を伸ばすことは許されていないことがわかる。
「モリア=サンドレア」
「は、はい!」
「お前はなぜ今日、この場にいる」
その問いかけで私は選択を間違っていたことに気づく。身体中から汗がにじみ出るのに、返すべき正解の言葉は一切浮かばない。
「王子が以前、お義姉様を連れてくるようにと言ったのではありませんか」
アンジェリカはこんな不甲斐ない私に絶好の助け舟を出してくれた。だがその舟はマクベス王子の手で呆気なく沈められた。
「あんなのは戯言に決まっているだろう。本当に来るなんて、その女はどれだけ愚かなのだ。第一アンジェリカ、お前もお前だ。俺が自室に男爵家の娘の入室などを許すわけがないとなぜ気づかない」
「……っ」
身分差があるとはこういうことだと、カリバーン家での対応が異例だっただけだと王子の言葉に納得する私に対し、アンジェリカは悔しそうにその大きな目いっぱいに涙を溜めた。
「アンジェリカ、そこの下級貴族の娘は放っておいて遠駆けに出かけないか? 今日はよく晴れていて、気持ちいいだろう」
「……」
「おいアンジェリカ、聞いているのか!」
「…………帰ります」
幼く柔い肌に爪を食い込ませ、それ以外の言葉を我慢したアンジェリカは利き手とは逆の手で私の手を引いた。行きよりも大股で歩くアンジェリカは一刻も早くこの城を去りたいのだと背中で語っていた。
「アンジェリカ!」
遠くで叫ぶマクベス王子の声など耳にも入っていない様子で、カリバーン家の馬車まで着くと「早く出して!」と御者を叱責するように声を荒げて急かした。
御者は何が何だか分からず、ただ言われた通りにすぐに馬を走らせる。
怒りのせいでまだ震えを収めることの出来ないアンジェリカは馬車の中でもずっと私の手を離すことはなかった。
「……お義姉様。気分を害してしまい、本当に申し訳ありませんでした」
そしてポツリポツリと涙を零し、アンジェリカは頭を垂れた。彼女が謝ることなど何もないというのに。
「何も気にしなくていいのよ。マクベス王子がおっしゃったことは事実ですもの。男爵家の娘ということも弁えずにあの場所へ着いて行った私が悪いの」
いつからか狂い始めたその感覚を取り戻せなかった私が「ごめんなさい」と謝るとアンジェリカは「そんなことありません」と必死に抵抗してみせた。
「あの方は自分が大好きなのです。それなのに私はあの方の気持ちを察せず、お義姉様のお話ばかりしてしまって……」
「悪いのは私よ」
「いえ、私が」
そうして数十分にも渡る馬車の旅は結論を出させることなく終わりを告げた。
自ら責任を負おうとするアンジェリカに「この話題は終わり! ね?」と無理矢理納得をさせて、グスタフの待つ部屋へと戻る。そして私は一人、後回しにしていた考えを掘り起こした。
アンジェリカが私を慕うのは義姉であり、兄であるラウス様が惚れた女性だからである。だが私はラウス様の惚れた女性でなければ、マクベス王子がおっしゃった通りの下級貴族の、男爵家の娘なのだ。
愛よりお金をとった私と、地位の釣り合いよりも愛をとったラウス様。
ラウス様を思うのならば私が選ぶべき道はやはり身を引き、彼の幸せを願うことだろう。
そう自らの心に新たな結論を出した私ではあるが、どうやってラウス様を説得すればいいのだろうか? という新たな問題が立ちはだかった。
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