烏珠の闇 追想花

晩霞

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本編 ─羽ばたき─

真鶸

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「何度狙われた」

 精神病棟の巡回が終わり、再び広い廊下に出た一行は窓からの陽を受けて佇んでいた。腕の拘束も首元の刃も外されることはなく、男は不自由な状態で真砂まさごと対峙する。

「五度」

 陽が白い壁を照らし、廊下の隅にわずかに影が残ったこの空間で、真砂の声が鈴の余韻のように後を引く。外の涼風は感じず、建物内には窓越しの暖かさだけが降り注ぎ、シンと静まった空気をほんのりと和ませている。

「これからも増えるでしょうね」

 残響は重苦しく空間を支配した。

「法なんて、法だけで犯罪は消えない。完全に危険が消えた訳ではないのです」

 真砂は力なく首を振り、溜め息を吐く。いつも、いつまでも脅威に晒されて、警戒なぞ解けるものではない。

「ここで見聞きしたことを漏らすなと言っても所詮は口約束。貴方が裏での繋がりは何も無いと主張しても、どうなるか分からないわね」

 二重にも三重にも含んだその物言いに、男は疑問を感じた。真砂は自分に施設を見せたことを後悔している様子なのだが、そこには本気の雰囲気は伝わってこない。冗談を言って茶化しているようにも聞こえる。

「さて、次よ」

 真砂の案内は施設の最上階にまで至る。何処までも歩く彼女の後を男は黙ってついていく。見られるものはなるべく見ておきたいという願いを、半分は警戒しながらも呑んでくれているようだった。

真鶸まひわ
「……!」

 きざはしを上りきった先に待ち構えていたのは一人の女性。一見、施設にいる他の女性達と同じだと思ったのだが、一つだけ人間とは決定的に違う部分がある。

「翼は……」

 真鶸の脚は鳥の脚。硬い皮膚に鋭い鉤爪のついた、立派な清御鳥しんみちょうのもの。しかし、彼女の背中には本来生えているはずの大きな翼は存在せず、脚だけが異様に目立ち、それが人ならざる証拠となっていた。
 男を見ても何も動じず、全て分かりきっていたことだと言うように、ただ一行を真っ直ぐに見つめている。

「真鶸は翼を落とされてしまった清御鳥で、ここで働く私達の仲間。人には慣れていますが、貴方からはあまり近づかない方がいいわ」

 真鶸は男から目を逸らさず、じっとして様子を窺っている。一挙手一投足を目に焼き付けんとばかりに注意深く観察し、目の前の狩人を見極めようとしていた。男も動かず、真鶸の瞳に己を晒し続ける。彼女に恐怖を抱かせてしまえば、ここは通してはもらえないだろう。なるべく身体の力を抜き、腕をだらりとして攻撃の意は無いと示した。

「…………」

 しばらく時間はそのままに流れ去る。真砂も警守も口を開かず、真鶸のしたいようにさせている。試されている男も何も言わず、全ては目の前の清御鳥の感じるがままに任せる。きっと、それが正解であり、認められようとして無駄口を叩くつもりもない。

「……清御鳥……」

 真鶸の結んだ唇がわずかに動き、ぽつりと言葉が吐き出された。単語を呟き歩を進め、男の近くにまで顔を寄せて夢中で何かを確かめようとしている。

「ここにはいない、清御鳥の感じ。とても強く濃い気配……ずっと、一緒……?」
「……一年以上経つ。寝床も、食事も共にする」

 再び黙り込んだ真鶸は少し首を傾げ、考えている素振りを見せた。口の中でブツブツと呟き、思っていることを整理しているのか、その目は虚空を彷徨っている。とても不思議な彼女は目の焦点をぱちりと合わせ、また男と向き直った。

「真砂から聞いた。貴方は狩人。でも、私を見下す感じじゃない。欲も見えない。清御鳥とただ一緒にいること……貴方にとって一体、何の得がある?」
「得……か。ただ手放せないだけだ。つがいとはそういうものだろう?」

 番……番……と、清御鳥の文化に合わせた言い方に真鶸は瞳を震わせて言葉を反芻し、瞼を閉じた。か細く息を吐き、自身の身体を抱き締める。
 そんな彼女に何事かと男は身構えた。ぼんやりとした表情しか見せなかった顔が苦しそうに歪められ、頬がピクピクとれて……明らかに真鶸の様子がおかしい。

「私は……人の子を産んだ。でも、抱かせてはもらえなかった。すぐに離されて連れていかれてしまった。父親は分からない」

 代わる代わるに犯された過去を思い出し、そうして産んだ赤子はどうしているのかと暗く湧き出る感情は止まらない。例えそれが人間との子供でも、自身の胎内で守り育て、痛めた末に誕生した我が子であることに変わりはない。母親としての立場に在れなかった真鶸は、清御鳥の番になろうとしている目の前の狩人を見上げた。

「貴方は何が違う。他の狩人と一緒ではないの」

 吸い込まれそうな黄色みがかかった瞳を、男は見つめ返す。その炯眼けいがんを拒まずに静寂として迎える様は、冬の木立にも、ただの真っ黒な影にも見える。

「……一緒だ。俺も何も変わらない。欲のまま捕え、今日まで放せずにいるだけの人間だ。だが……」

 共にいることが当たり前となり、手放せないほど執着している少女という存在。そんな少女が産む自分の子。
 そっと目を瞑り、ふわりと口角を緩めた男は、瞼の裏に母親となった少女の姿をぼんやりと描いて呟いた。

「母を放せないのであれば子も放せん。アレには器量も情も十分にある。良い母となろう」
「母……」
「見目だけではない。料理も文句なしだ。放したらもう現れない、二つと無い良い女だ」

 その言葉は真砂、真鶸、警守の三人を瞠若どうじゃくたらしめるのに十分な力を持っていた。幸せそうな顔で目を閉じている狩人にまじまじと目を向けた三人は、次いで揃って視線を合わせた。

「あの……烏京……殿」
「何だ」

 呼ばれた途端、フッと意識が引き戻された狩人は、その場の空気が変わっているのに気がついた。自分を見上げ、チラチラと互いに目を見合わせている女性達の様子に訝しげに目を細める。

「それは、その話は……」
「本気だが?」

 心外そうに言う男に対し、違う、そうではない。と瞳で訴える。彼女達の言わんとしていること、感じていること、それは……。

「ねぇ、それって……の」
「真鶸」

 ピシャリと真鶸の言葉を遮断した真砂は、今まで見せなかった微笑みを浮かべ、男を先へと促した。
 突然の反応に益々、訝しむ男だったが、彼女達から敵意は感じられないと分かれば黙って真砂の案内に従い、歩を進めた。すっかり取り残された真鶸と警守はハッとして後を追い、ほどなくして二人と合流する。

 これならば、と彼女達は思う。法で禁じていなくとも、この狩人が清御鳥の子を売ろうなんて……そんなことはしないだろうと確信出来る。だって……。

 ──……ここで惚気話のろけばなしを聞くことになるなんて……。

 三人の心は一つに、そう思った。
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