烏珠の闇 追想花

晩霞

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本編 ─羽ばたき─

心の名

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 そこは始めに案内された場所とさほど変わらないものだった。女性達も他と同様、看護服を身に付けていて、廊下を歩く一行に驚いた表情を向けている。清御鳥しんみちょう真鶸まひわが狩人である男の傍で平然としているなんて俄には信じられないのだろう。こそこそと通り過ぎる彼女達の視線を男は事も無しに受け流した。

「ここは他と何が違う。なぜ真鶸を立たせていた」
「それは後で分かります」

 きっと、ここは特別な場所。だからこそ真鶸の手を借りなければならない理由があって、自分を試すようなことをした。そう思えばあの時間の合点はいくが、どうしても腑に落ちないことがある。

「何故、俺は通された」

 自分の何がきっかけでここまで来れたのだろうと疑問を口にすれば、隣から真鶸がひょこりと顔を覗かせた。

「だって、あんな風に自覚無しで話されたら……その、の──」
「真鶸」

 またしてもピシャリと言葉を閉じられた真鶸はどうしてもそこから先を言いたいのか、非難がましく真砂まさごを見る。

「気にしなくて結構です。とにかく、貴方はこれからのことを考える為に見なければならないことがあります」

 気にするべき点は大いにあるが、決して話さない真砂の態度は崩れそうにない。きびきびとした調子の彼女に男は口を閉ざして付いていく。
 しばらく静かに歩いていた真砂は前を向いたまま声を落とし、そしてようやく振り返った。

「何故、真鶸が必要なのか……ここで分かります」

 とある部屋の前で足を止め、その目をより真剣なものに変えた真砂と真鶸は、揃って男を見上げた。ここに足を踏み入れることが、見てもらうことが彼女達にとってどれほど重大か。言われずとも瞳が全てを語っていた。

「他言無用か。承知した」

 二人の言わんとしていることを瞬時に理解した男は頷きながら同意を示す。
 部外者を寄せ付けなかった施設の中でも一番大切な場所を狩人に見せることに緊張を走らせつつ、二人は静かに扉を開いた。スーッと音も無く横に開いた扉の向こうは、真っ白で何も見えない。天井から下がった仕切りが部屋の内部を隠していた。

「どうぞ」

 手で避けて案内された仕切りの先。白い部屋に看護服の女性。その傍には小さな寝台が並んでいる。

「──……っ!」

 寝台の中を覗いた男は言葉を出せなかった。何故、大切な場所と言われ、真鶸が必要なのか。刹那、全てを悟った。

「可愛らしいでしょう」

 寝台から真鶸に抱き上げられたのは、目をきょろきょろとさせている赤子だった。丸くぽってりとした頬。むちむちとした小さな手は隣に立つ真砂の指をしっかりと掴んで離さない。彷徨う瞳は初めて見る男を捉え、じっと動かなくなった。

「清御鳥の子供か」

 布から覗く赤子の脚は鳥と同じ形をしていて、小さいながらも鉤爪が備わっている。

「人の血も混じっています。ここにいる子供達は人間によって強制的に産まれた子。薬物の使用をされていない、数少ない正常な子達です」

 薬物を打たれた母鳥と一緒で、産まれる子供も短命だ。「実験」と称し影響の少ない薬物を開発しようとしていた狩人達のせいで、何羽もの母子が死んでいった。

「人の子だけれど清御鳥でもある。だから真鶸がいます」

 真鶸自身、人間との子を産んだ過去を持っている。ここにいれば辛い記憶が甦ってしまうのではないだろうかと懸念するものの、本人は気にした風もなく赤子をあやしている。

「全員、私の子供として見ているの。本当の子供ではないけれど、それでも可愛いのよ」

 実子と同じ境遇の赤子に囲まれ真鶸は笑う。その頬にえくぼが浮かび、今の環境こそが真鶸の幸せなのだろうと男は感じた。真鶸と同じ気持ちの母鳥はいないのかと見渡すも、他の看護婦は全員、人間だった。

「ご覧なさい」

 四人の子供達はそれぞれに違いを持っている。脚だけ鳥の子。翼のみの子。片翼に……一見、人間に思えるが、背中からわずかに羽毛が生えている子。生後半年とまではいかないぐらいで「なぁぁ~」「うぅ~」と喃語なんごを話している。
 部屋にはその子達よりも大きい赤子はおらず、聞けば人間に対して硬直してしまう本能は五歳を過ぎた辺りから芽生えるという。産まれた時から傍にいる看護婦ならば良いが、初めての男と会わせれば子供達が怖がると、これ以上大きい子は見せてもらえなかった。

「もし貴方に子供が産まれたなら、こんな姿になります」

 完全に人間の姿も清御鳥の姿もいない。どこかしら両方の生き物の性質を引き継いでいる。一部が獣でも愛せるのかと真砂は問いかけ、男もまた是と応じた。

「元より想定していたことだ。何も問題は無い」
「誓えますか? 捨てないと」
小毬こまりが産む子を捨てる訳がない。俺のだ」
「……貴方は、本当に……」

 あぁ~、うぅ~と声を上げる赤子を抱きながら真砂は嘆息を洩らす。この狩人は本当に分かっていない。己の気持ちを理解出来ていない。清御鳥の娘へと抱く想いをだと本人は履き違えている。他者である真砂が焦れったく感じてしまうくらい……ここまで来ると、返って純粋な心の持ち主なのではとさえ思う。
  
「手放せない?」
「そう言っている」
「母子共々、大切?」
「あぁ」

 探るような真鶸の口ぶりに若干、違和感を感じつつ男は即答した。一体、次は何の試練だろうかと意識の端で身構える。

「放せない、離れたくない。大切……か。ねぇ、それってさ、なんかじゃないんだよ。からなんだよ」
「……何?」
。だって、そうでしょう?」

 隕石が当たったような衝撃が男の頭に広がった。言われた言葉をゆっくりと呑み下し、意味を理解しようと鈍った脳を稼働させる。徐々に思考が追い付いた時、男の表情は初めてのことに戸惑う幼子のようになっていた。

「……愛……」

 出会いからほぼ毎夜重ねた肌。襲撃され、一度離れた小さな身体。放すものかと狂った自分の心と感情。それらは単に『自分が見つけたモノだから、触れて良いのは自分だけ』。それが当たり前だと息をするように自然に思い込んでいたこと。だから、自分のモノが子を産むのなら、相手は自分しかいないと、至極当然だと信じて疑わなかった。その気持ちの名前さえ考えなかった。

「自覚せずに惚気話のろけばなしまで聞かせてくれて。本当に好きなのね。その娘のこと」
「…………」

 何故、甘やかしたいと思うのか。何故、突然口づけをしたくなったのか。格好良いと言われて嬉しくなったのか。子供を産んでほしいと思ったのか。この日、初めて会った他者から、その答えを目の前に突きつけられた。

「子供を産ませる理由が、清御鳥を増やす為だけだったらと心配していましたが……そう。本当にその娘のことが。そうなのね」

 わぁぅ~……きゃぁぁ~……。赤子が祝福をするように笑う中、男はずっと清御鳥のように硬直していた。こちらの様子を見守っていた看護婦達のクスクスという声も、真砂、真鶸、警守の温かい眼差しも、何も届かない。『愛』という言葉を身の内で反芻するのに精一杯だった。

「その愛しい娘を必ず連れてくるように。交流を図っておかなければ」

 ハッとして真砂を見れば、愉快そうに彼女は、ふふふ……と微笑んだ。

「出産を助けます。ここに入院すれば貴方も安心でしょう」
「……! いいのか」
「えぇ。えぇ。離すと何だか可哀想だもの」

 だから必ず会わせてねと、同族の少女に会いたい真鶸も念を押す。この狩人を骨抜きにした少女は一体どんな子なのだろうと、ウキウキと胸を高鳴らせたのだった。



 ────────────



 保護施設の入り口付近にて、時雨しぐれは主の帰りを待っていた。主が高い壁の向こうに消えてから時間は随分と進み、陽の傾きと陰の位置も大幅に変化した。暖かさは身を潜め、代わりに秋の夕焼けと涼しい空気が時雨の濡れ羽色の身体を撫でていく。羽毛の生えた身ならば、それはとても心地好く、もう少し微睡んでいようかと首を翼に埋めようとしたところ、ずっと待っていた気配を感じた。立ち上がり、羽を広げて飛ぶ準備を始めるが、現れた主の姿を見て動きをはたと止める。

 数人の女性に見送られて出てきた主は、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。いつもの大股で早足の主からは信じ難いくらいの歩み……深く、何かを考え込んでいる様子だ。
 迎えの鳴き声を上げても応じず、無言のまま背に乗られた。果たしてこのまま飛び立って良いものかと困ってしまったが、ずっと出口に並んだままの女性達のにこやかな顔を見て、どうやら悪いことではないようだと感じ、再び翼を広げた。

 空を羽ばたく間でも、主である男は何も話さない。元々口数は少ないが、それとこれとは雰囲気が別なのだ。獣の第六感が流れる空気を感じ取り、時雨は思わず『くぅぅ……』と声を洩らした。

「……時雨……」

 流れ去る風の中、ぽつんと主の声が降ってきた。切羽詰まったものではなく、呆然とした声音。やっと口を開いた主に何事かと続きを促すも、またもや沈黙の時間が訪れてしまう。一体、どうしたのだろうか……。 

「小毬は……母は好きか」

 勿論。と鳴けば、掌が頭を撫でてくる。

「そうか……俺は……」

 その先は強くなった風で聞けなかった。否、言わなかったのかもしれない。ただ、温かいものを時雨は感じていた。



「お帰りなさい」

 ふわりと微笑みを湛えた少女に迎えられた男は、そのまま小さな身体を腕に抱いた。困惑する少女をぎゅっと閉じ込め、花よりも甘い香りを胸いっぱいに満たす。
 少女だけだ。この少女だけが、自分の傍で……。

 ──あぁ……もう、放さない。
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