クズ男はもう御免

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18 狩りに行こう

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「準備できました! 小隊長殿!」
 
 翌朝、大張り切りで弓を背負ったレイズンが、身支度途中のハクラシスを急かした。
 自身はといえば、寒さをしのぎつつも動きやすい分厚いマントを羽織り、足元は滑り止めのついた雪用のブーツ。腰にはあのシースナイフもしっかり携えて、準備は万端だ。
 
 心配していた雪は夜には止み、今は少し積もってはいるものの、薄曇りではあるが悪天に変わる心配はなさそうだ。
 
 最初は、雪もまだ残っていることだし大型の獣は出ないだろうからやめようかという話をしてはいたが、昨日あんなことがあったレイズンを思ってか、小物でも気分転換になるなら行こうとハクラシスのほうから提案があった。
 
 昨晩はハクラシスの懐の中で寝たおかげで、レイズンはうなされずに朝までぐっすりだったのだが、それでもやはり心配だったらしい。
 レイズンが気晴らしに少しでも体を動かせればという、ハクラシスなりの気遣いだ。
 
「よし。俺も準備はできた。では行こうか」
 
 ハクラシスも長く使い古したブーツをきっちりと履き、腰にロープやナイフ、狩猟用の剣を携え、外套を羽織ると、獲物を入れるためのカゴを担いだ。
 
 外に出ると銀世界が広がる。ドアから一歩踏み出し、真新しい雪をサクッと踏む。それだけで、レイズンは憂さが晴れるような気がした。
 
 
「よし、レイズン! そっちに狐が行ったぞ!!」
 
 ハクラシスの声を合図に、レイズンは弓を構える。ピョンピョンと雪上を跳ねながら動く狐の軌道を思い描きながら狙いを定め、弓を鳴らす。
 キャンッという鳴き声とともに「獲った!」というハクラシスの声。だがまだ数匹逃げていくのが見える。レイズンは集中力を途切れさせないよう、続けて矢をつがえた。
 
(2匹目……よし。3匹目…………)
 
「ほう、なかなかやるな」
 
 3匹目を射抜いた直後だった。誰もいないはずの背後から急に声をかけられ、レイズンはビクッと動きが止まった。狐に夢中で、雪を踏む音などまったく気にしていなかったのだ。
 
 ハクラシスはまだ射た狐を取りに行っていて、ここには戻っていない。
 
 ハクラシスではない、だが聞き覚えのある、このよく通る低い声は。
 
「……アーヴァル様」
 
 なぜここに。
 レイズンはうんざりした。もう2度と会うことはないと思っていたのに。
 
「おい、余所見すると逃げてしまうぞ。気を抜くな。ほら、まだその茂みのところだ。雄だろう。デカいぞ」
 
 アーヴァルが指さす方向に、確かにまだ1匹いる。
 レイズンが見落としていた、木の陰でジッと動かないその狐を、アーヴァルはざっと見回しただけですぐに気付いたようだ。
 
 慌ててレイズンは弓を構えるが、勘のいい狐はピョンと逃げていく。小賢しくも矢に当たらぬよう木の陰を利用しながら逃げる狐に、レイズンは苦戦し、何本も矢を無駄にしてしまった。
 
「くそっ」
 
「……おい。焦るな。よく見ろ。あいつの逃げる軌道はもう分かってるだろう」
 
 突然現れた上、耳元で指示を出すアーヴァルのせいで、レイズンは矢に集中できない。
 
 焦ってさらに矢を無駄にしたところで、アーヴァルに「貸してみろ」と弓と矢を奪われてしまった。
 
「あっ俺の……!」
 
「こうだ。よく見ておけ」
 
 筋肉の塊のようなアーヴァルが持つと、レイズン仕様の弓が小さく見える。
 彼は気負いない慣れた手付きで弓を構えると、本当に狙いを定めたのかも分からぬほど素早く弓を鳴らした。
 
 アーヴァルの放った矢は、疾風のごとく正確に狐の首を射抜き、その勢いを失わぬまま矢の軌道に沿ってズドンッと狐の体ごと雪の残る地面に突き刺さった。
 
「ふむ、ちょっとこの弓では威力が弱いな」
 
 本人は納得いかない顔をしているが、アーヴァルの見事な腕前にレイズンは目を見張った。
 
 狐とはいえ結構な大きさの獣を矢の勢い失うことなく射抜くなど、そう簡単にできるものではない。しかもレイズンの持っている弓矢は威力が弱く、あんな風に狐の体を貫くほどの力などない筈だった。
 
「……すごい」
 
「そうか? まあこんなものだ」
 
 たいしたことはないという顔をしていたが、思わず出た素直なレイズンの賞賛に、アーヴァルはまんざらではない様子で胸を張った。
 
「おい! アーヴァル!!」
 
 先ほどの矢でアーヴァルの存在に気づいたのか、狐を手に持ったハクラシスが雪の上をザクザクと音を立てて走ってくる。
 
「なぜここにいるんだ!?」
 
「昨日お前が言っていただろ? 狩りに出ると。ちと興味があってな。さっき家まで行ったらもう出た後のようだったから、ここまで足跡を辿った」
 
「わざわざ狩りを見に、この雪の中をか?」
 
 訝しそうにハクラシスがアーヴァルを見ると、アーヴァルはレイズンの方にチラッと目をやった。
 当のレイズンはというと、ハクラシスから受け取った狐を見分し、手際よく血抜きを行っている。
 
「あいつに弓とナイフの使い方を教えたんだろ? お前が狩り連れて行くくらいだ。よほど腕が立つのかと思ってな」
 
 そのアーヴァルの言葉に、ハクラシスが睨んだ。
 
「……貴様、まさかレイズンに興味を持ったりなどしていないだろうな」
 
「ククッ、まさか。しかしまあ、弓の腕はまあまあといったところか。軌道を読む力もあるし狙いはいい。熊とかデカい獣を倒すことはあるのか」
 
「……何度かあるが……。そういう時は最終的に俺の剣とレイズンのナイフで仕留める。あの弓と矢ではさすがに仕留めきれないからな」
 
「なるほど、実践あり、か」
 
「……おい、何を企んでいる」
 
「お前のお気に入りがどれだけの腕か、知りたかっただけだ。ただの興味本位さ」
 
 含んだように笑うアーヴァルにハクラシスが詰め寄るが、しれっとかわされてしまう。
 
「ところであの狐はどうするんだ。矢など使ったら穴が開いて毛皮も使えんだろう」
 
「ああ、あれは食用だ」
 
「食用だって? 狐は臭くて食えたもんじゃないだろう。俺たちだって行軍中、飢えてもさすがに狐だけは手を出さなかったじゃないか」
 
「あれは狐に見えるが狐じゃない。顔を見ろ。嫌な顔つきをしてるだろう。あれはこの辺りに生息するホロキツネモドキという獣だ。顔はアレだが肉は美味い。だが時間が経つと臭みが出て、不味くなるがな。あとあの毛皮はゴワついて、売れないし使えない」
 
「そうなのか」
 
 そう言うとアーヴァルは興味深そうに、レイズンの手によって真っ白な雪を真っ赤に染める凶悪な顔のホロキツネモドキを見ていた。
 長く狩猟をやってきたが、まだまだ知らぬ獣もいるのだなと、感心したようにアーヴァルが呟いた。
 
 それからしばらくレイズンによる解体作業を見ていたアーヴァルだったが、はたと気がついたようにハクラシスに向き直った。
 
「ハクラシス、これを受け取れ」
 
 アーヴァルは懐から繻子織りの布を取り出し、ハクラシスに見えるよう広げ差し出すと、それを受け取るように促した。
 
 布の中身は、王家の紋章が地に施された封筒であった。
 
「……内容は言わなくても分かるな」
 
 アーヴァルはハクラシスが封筒を手に取ると、突き返される前に包んでいた布を素早く折り畳んで懐に仕舞った。
 
「何だかんだと言って、結局は国からの使いで来たんじゃないか」
 
「まあそういうな。昨日までは本当に休暇だったんだ。今日から仕事だ。わざわざ届けに来たんだぞ」
 
「……陛下は登城せよとご命令か」
 
 寒さでかじかむ手で封筒を開け内容を確認すると、眉間にシワを寄せ渋面を作った。
 
「今回はお願いではなく、強制だ。断れば俺たち王立騎士団が引きずってでも連れてこいとのお達しだ」
 
「俺のことなど隠遁者として、放っておかれれば宜しいのに」
 
「俺だけでは国は守れんと案じておられるのだろう」
 
 ハクラシスが白い溜息を吐くと、アーヴァルはハッと自虐的な笑みを口元に浮かべた。
 
「皆お前に戻ってほしいのさ」
 
「この国はお前が守っている。今も昔も。俺は補佐をしていただけに過ぎん。慕われているのはお前のほうだ。……これの返事はいつまで延ばせる」
 
「俺はしばらくふもとの街にいる予定だ。王都に戻るときにまたお前に声をかける。猶予はそれまでだ」
 
「しばらくいるだと? ……あの街で何かあったのか」 
 
 忙しいはずのアーヴァルが、こんな田舎の街にしばらく滞在すると聞いて、ハクラシスが訝しげな顔をした。
 
「詮索は無用だ。たいした用事ではない。かたがつけばすぐに王都に戻るさ」
 
 アーヴァルはしれっとしているが、国を守る騎士団のトップが王都を離れ、わざわざ滞在するのだ。何かあったとしか思えない。
 だがハクラシスの問いには、これ以上答えそうになかった。
 
「おっと、こうこんな時間か。長居しすぎたな。俺はもう行く」
 
「アーヴァル」
 
「ハクラシス、よく考えておくんだな。……レイズン! 後日お前には弓を贈ろう! 昨日の詫びだ!」
 
「アーヴァル!」
 
 ハクラシスの呼び止める声を無視し、アーヴァルは後ろ手で手を振りかえすと、そのまま雪の中を去っていった。
 
 
 
 それから10日ほど経った頃、アーヴァルが言った通り、レイズンの元に弓と矢が届いた。
 かなり値の張るものらしく、王都で店を構える武器商人が自ら運んできた。
 
 今使っているのはここに来てからハクラシスに買ってもらったもので、ここで手に入れられる中では一番良いものを選んで買ったのだが、贈られた弓矢はそれ以上の物で、見た目も素材も、そして性能も比にならないくらい素晴らしかった。
 
「……これはやけに高級なものを贈ってきたな」
 
「俺には分不相応ではないですか」
 
 最高級の木材に魔獣のツノが素材に使われたそれは、たしかに庶民が狩りをするだけに使うには、勿体なさすぎる。
 
「……何を考えているんだか、あいつは。まあ、せっかくだ。貰っておけ。礼状は俺のほうから送っておく。あとで鉉の調節をして、試し打ちをしてみよう」
 
「俺に使いこなせるでしょうか」
 
「あいつは目利きがいい。昨日お前が弓を引く姿を見てそれを選んだのだろう。まあ実際は口頭で説明したものを武器商人が用意をしたのだろうが、アーヴァルが言った通りのものを寄越したはずだ。奴の見立てなら間違いない。お前に合うはずだ」
 
 何だかんだと言いながらもハクラシスがアーヴァルのことを、それなりに認めていることが言葉の端々から見て取れる。
 
 ハクラシスが良いというならばそれでいい。それに本人の性格はどうあれ、国で一番強い王立騎士団の団長自ら見立てた物だ。使ってみたくないはずがない。
 
 レイズンはありがたく頂戴することに決めた。
 
 それにもう会うこともないような人だ。これまでのことはキレイさっぱり忘れて、この弓で思う存分遊んでやろうと、レイズンはウキウキと新しい弓を手に取った。
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