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Ⅲ
ニコラス先生
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それからしばらくの間、私たちは平和な日常を過ごした。
そう言えば最近クリフに絡んでいたエルマがクリフにはすっかり興味を失い、この前私に絡んできたオスカー・メイナードという上級生と仲良さげに歩いているのを見た。クリフと喧嘩して今度はまた別の上級生を捕まえたのだろうか。だとしたら懲りない人だ、と思ったけど私には関係ない。
最近の放課後は週のうち二回ほどは三人で勉強会、そして二回はニコラスとの個人勉強、残りは遊んだり、家の用事に使ったりという感じだ。
そして今日はニコラスとの個人勉強のため、先生の部屋を訪れる。
そこでいつものように向かい合って勉強を始めたのだが、ひと段落したところでニコラスがぽつりとつぶやく。
「やはりリアナは筋がいいな。こんなことを教師が言うのもなんだが、もしクリフの妻として一生を終えるのであればかなりもったいないだろう」
「あはは……」
否定も肯定もしづらいことなので、私は苦笑して返答を誤魔化す。
相変わらずこの先生は直接的な物言いをする人物だ。
「そんなに筋がいいですか?」
「ああ。例えば我が国は王国法や貴族法、各貴族の領地で作られた法律など様々なものがあるが、中には同じものや相反するものも多い」
「そうですね。例えば、有事の際に国王が貴族に兵力の動員を命じることに関してはどの法律にもそれぞれ記述があります」
「それは何でそのような差があるか分かるか?」
ニコラスが尋ねる。
「はい、王国法では王国を維持するために国王が貴族に命令を下す根拠がないといけません。そうでなければいざというときに命令を出しても、兵を出したくない貴族が適当な理由をつけて出兵を拒否するかもしれないからです。一方、貴族法ではもしも国王が明らかに無謀な出兵を命じた際に王国法により貴族たちは無条件で言うことを聞かなければならなくなる、ということを防ぐために歯止めをかける規定が設けられているのです。そのため似たようなことが書いてあっても法律の性格は全然違うのです。」
私が答えると、ニコラスは満足そうに頷いた。
「その通りだ。我が国の法律は似たようなものがたくさんあって煩雑だが、その全てを無駄だと思っている者も多い。だが、中には様々な事情があって似たような条文が違う法に存在しているケースもあるというのに。そのことをすんなりと理解してくれる者は少ない」
「確かにそうかもしれません」
イヴやカーティスに教える時も、そこのところを理解してもらうのは大変だった。
実際、無駄な重複が多いのも事実ではあるし。
「貴族の妻もそれはそれで色々役目があって大変ではあるのだが、そこで学識が問われることはあまりないからな。才能の持ち腐れになってしまう」
「そう言えば、先生は何で先生になろうと思ったんですか?」
個人的に勉強を教わり始めてから結構な時間が経つが、そのことについてまだ聞いたことがなかった。
ちょうど勉強も一区切りしていたところなので私は尋ねる。
「わしはしがない貴族の三男……いや、四男だったか? だったのだ」
「それも忘れてしまったのでしょうか?」
「いや、我が家は父上に正室と側室がいて複雑だったのだ」
「なるほど」
そういう場合、似たようなタイミングで生まれてくることはあるが、正室の子と側室の子が同じ病院で生まれてくることもないため、どちらが先なのかよく分からなくなったりする。仮に分かっていても、先に生まれた方が継承権が高いため、政治的な事情で正室の子を先にしたりすることもあるので結構面倒くさい。
「もっとも、長男の兄上以外は皆放っておかれていたから大した差はなかったが。そんな訳でわしは兄弟と一緒に将来どうするのかを考えた。皆で兄上に寄生する訳にもいかないからな。そこでわしは他の兄弟よりも体が弱かったから学問担当ということになった。それから一人が家臣として兄上に仕え、もう一人は腕っぷしが強かったから王国軍に志願した。そんな訳で学問の世界に入った訳だが、幸いわしには素質があった」
私も最近知ったことだが、ニコラスは若いころは国王に仕えて法律のアドバイスをすることもあったという。
「しかし今話したように、食い扶持がないからとか跡継ぎ争いに敗れたからといった理由でこちらの世界にやってくる者が多い。そのため、周りにいる者の半分は特に法律への理解が深い訳でもない者ばかりだ。だからわしは有望な生徒を見つけたら積極的に勧めてみることにしていた」
「なるほど」
確かに、言ってはなんだが学園の先生にも数人、明らかにお金のために仕方なく授業をしているような人もいる。一部の生徒にはさぼっても怒られないと好評ではあるが。
「本当は貴族以外でも、例えば平民でも頭がいい者は学問の世界に入ってくるようになればいいのだが」
「それは難しそうですね。平民に授業を受けるなんてことになれば大反対が怒るでしょう」
今でも、先生は基本的にニコラスのように下級貴族の三男や四男出身が多い。なぜなら上級貴族の一族であれば土地をもらって分家を立てたり、実家のコネでもっといい役職に就くことが出来るからだ。そのため上級貴族の中には先生を侮ってかかる者が多いらしい。
また、身分が低い出身の先生が生徒を怒ると実家からクレームが来ることもあるという。
恐らくだが、ニコラスもそういうクレームを受けたことがあるのだろう、と勝手に推察する。
「何にせよ、そういう訳でリアナには是非期待しているのだ」
「分かりました」
クリフとの婚約がどうなるのか、もしも婚約が破棄されたとして新たな婚約者が決まるのか決まらないのかなど分からないことは多かったが、勉強自体が苦ではなかったため私は引き続き頑張ることにしたのだった。
そう言えば最近クリフに絡んでいたエルマがクリフにはすっかり興味を失い、この前私に絡んできたオスカー・メイナードという上級生と仲良さげに歩いているのを見た。クリフと喧嘩して今度はまた別の上級生を捕まえたのだろうか。だとしたら懲りない人だ、と思ったけど私には関係ない。
最近の放課後は週のうち二回ほどは三人で勉強会、そして二回はニコラスとの個人勉強、残りは遊んだり、家の用事に使ったりという感じだ。
そして今日はニコラスとの個人勉強のため、先生の部屋を訪れる。
そこでいつものように向かい合って勉強を始めたのだが、ひと段落したところでニコラスがぽつりとつぶやく。
「やはりリアナは筋がいいな。こんなことを教師が言うのもなんだが、もしクリフの妻として一生を終えるのであればかなりもったいないだろう」
「あはは……」
否定も肯定もしづらいことなので、私は苦笑して返答を誤魔化す。
相変わらずこの先生は直接的な物言いをする人物だ。
「そんなに筋がいいですか?」
「ああ。例えば我が国は王国法や貴族法、各貴族の領地で作られた法律など様々なものがあるが、中には同じものや相反するものも多い」
「そうですね。例えば、有事の際に国王が貴族に兵力の動員を命じることに関してはどの法律にもそれぞれ記述があります」
「それは何でそのような差があるか分かるか?」
ニコラスが尋ねる。
「はい、王国法では王国を維持するために国王が貴族に命令を下す根拠がないといけません。そうでなければいざというときに命令を出しても、兵を出したくない貴族が適当な理由をつけて出兵を拒否するかもしれないからです。一方、貴族法ではもしも国王が明らかに無謀な出兵を命じた際に王国法により貴族たちは無条件で言うことを聞かなければならなくなる、ということを防ぐために歯止めをかける規定が設けられているのです。そのため似たようなことが書いてあっても法律の性格は全然違うのです。」
私が答えると、ニコラスは満足そうに頷いた。
「その通りだ。我が国の法律は似たようなものがたくさんあって煩雑だが、その全てを無駄だと思っている者も多い。だが、中には様々な事情があって似たような条文が違う法に存在しているケースもあるというのに。そのことをすんなりと理解してくれる者は少ない」
「確かにそうかもしれません」
イヴやカーティスに教える時も、そこのところを理解してもらうのは大変だった。
実際、無駄な重複が多いのも事実ではあるし。
「貴族の妻もそれはそれで色々役目があって大変ではあるのだが、そこで学識が問われることはあまりないからな。才能の持ち腐れになってしまう」
「そう言えば、先生は何で先生になろうと思ったんですか?」
個人的に勉強を教わり始めてから結構な時間が経つが、そのことについてまだ聞いたことがなかった。
ちょうど勉強も一区切りしていたところなので私は尋ねる。
「わしはしがない貴族の三男……いや、四男だったか? だったのだ」
「それも忘れてしまったのでしょうか?」
「いや、我が家は父上に正室と側室がいて複雑だったのだ」
「なるほど」
そういう場合、似たようなタイミングで生まれてくることはあるが、正室の子と側室の子が同じ病院で生まれてくることもないため、どちらが先なのかよく分からなくなったりする。仮に分かっていても、先に生まれた方が継承権が高いため、政治的な事情で正室の子を先にしたりすることもあるので結構面倒くさい。
「もっとも、長男の兄上以外は皆放っておかれていたから大した差はなかったが。そんな訳でわしは兄弟と一緒に将来どうするのかを考えた。皆で兄上に寄生する訳にもいかないからな。そこでわしは他の兄弟よりも体が弱かったから学問担当ということになった。それから一人が家臣として兄上に仕え、もう一人は腕っぷしが強かったから王国軍に志願した。そんな訳で学問の世界に入った訳だが、幸いわしには素質があった」
私も最近知ったことだが、ニコラスは若いころは国王に仕えて法律のアドバイスをすることもあったという。
「しかし今話したように、食い扶持がないからとか跡継ぎ争いに敗れたからといった理由でこちらの世界にやってくる者が多い。そのため、周りにいる者の半分は特に法律への理解が深い訳でもない者ばかりだ。だからわしは有望な生徒を見つけたら積極的に勧めてみることにしていた」
「なるほど」
確かに、言ってはなんだが学園の先生にも数人、明らかにお金のために仕方なく授業をしているような人もいる。一部の生徒にはさぼっても怒られないと好評ではあるが。
「本当は貴族以外でも、例えば平民でも頭がいい者は学問の世界に入ってくるようになればいいのだが」
「それは難しそうですね。平民に授業を受けるなんてことになれば大反対が怒るでしょう」
今でも、先生は基本的にニコラスのように下級貴族の三男や四男出身が多い。なぜなら上級貴族の一族であれば土地をもらって分家を立てたり、実家のコネでもっといい役職に就くことが出来るからだ。そのため上級貴族の中には先生を侮ってかかる者が多いらしい。
また、身分が低い出身の先生が生徒を怒ると実家からクレームが来ることもあるという。
恐らくだが、ニコラスもそういうクレームを受けたことがあるのだろう、と勝手に推察する。
「何にせよ、そういう訳でリアナには是非期待しているのだ」
「分かりました」
クリフとの婚約がどうなるのか、もしも婚約が破棄されたとして新たな婚約者が決まるのか決まらないのかなど分からないことは多かったが、勉強自体が苦ではなかったため私は引き続き頑張ることにしたのだった。
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