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36. 準備は万端に
しおりを挟む「ありがとうございます! アニエス様!」
「は? え? ありがとう……?」
話を聞き終えた私は満面の笑みでアニエス様にお礼を言う。
(まさか、こんなにも正確に出来事を覚えていてくれていたなんて! これは思っていた以上の収穫となったわ!)
「やはり、私のことを常に気にしてくださっていたのだと分かってとても嬉しいですわ!」
「だから何の話!? 違っ……! わたしはこれは後々の口撃に使える、と思っていただけで……」
「ええ! ですから、今回ばっちり攻撃に使わせてもらいますわ!!」
「は!? 何で!?」
アニエス様が驚きでいっぱいの顔になっている。
これは……自分の持っていた情報がまさか役に立つなんて! と感激と共に驚いているのね!
「アニエス様、もっとお話したいところなのですけど私、これから他の方の所にも回らないといけません」
「は? 他って……」
「それではまた、今度ゆっくりお茶でもしましょうね」
「え、あ……」
私が笑顔でそう言うとアニエス様は、ポカンとした顔で黙り込んだ。
さすが、究極の照れ屋さん!
嬉しくて言葉が出ないとはまさにこのこと!
(お兄様は絶対、アニエス様のこと誤解していると思うのよ……)
屋敷に戻ったら、アニエス様のいい所をたくさんお兄様に話さないといけないわ。
そう決心して私は一礼する。
「それでは、アニエス様。失礼しますわ。ありがとうございました」
私はもう一度お礼を言ってパンスロン伯爵家をあとにする。
「……やだ、もう。本当に怖い……モリエール伯爵令息も変な聞き込みに来たし、何なのよーー」
(え? 今……)
馬車に乗り込む寸前にアニエス様が発した言葉。
(今、ベルトラン様も聞き込みに来たと言った?)
私は馬車に乗り込み腰を下ろしてから考える。
───これは、ベルトラン様も私と同じことをしようとしている?
ここでようやく私の顔を見た時にアニエス様が発した言葉の意味が分かった。
あれは、ベルトラン様が先に“私について”聞き込みに来ていたからだったのね。
「なるほど……単なる浮気である“真実の愛”を正当化するには、“私の非”が必要だから」
でも……と思う。
「私は婚約期間中、特に疚しいことをした覚えは無いのよね……うーん」
ベルトラン様以外に求婚者なんていなかったから、他の男性とお近づきになる機会は無かったし、令嬢達との関係もこの通り友好な関係を築いて来たし……
アニエス様も特に話すことがなくて困ったのではないかしら?
「リシャール様とのお付き合いはまだ世間に秘密だし、そもそも婚約破棄が成立してからの関係だからとやかく言われる筋合いはないわ」
リシャール様は、本気で公爵の座を奪い取る為に水面下で動き出したけれど、表舞台に出るのは私の裁判の状況を見てからだと言ってくれている。
(本当は今すぐにでも奪い取りたいでしょうに……)
だけど、ベルトラン様側も何を使って揚げ足取りをしてくるかは分からない。
私たちの関係を知ったら何を言い出すか……
「私もますます気は抜けないわ!」
私の闘志に更にメラメラと火がつく。
「よーし、他の令嬢への聞き込みも頑張るわよーー!!」
こうして私は気合いいっぱいで、アニエス様以外の令嬢たちの元にも訪問して回った。
───
「戻りましたわ!」
「……フルール!」
「大丈夫だったか!? 変な口撃されていないか!?」
屋敷に戻ったら、リシャール様とお兄様が今回も慌てて駆け寄って来る。
「聞き込みに行っただけなのに攻撃する令嬢なんていませんわよ? お兄様」
「……そ、うか?」
私がチクリと言うとお兄様は、うーんと唸った。
その横でリシャール様が私に訊ねる。
「怪我もなさそうで元気いっぱいで安心した……それで、欲しい情報は手に入ったの?」
「ええ! ついでに公爵家の最新情報もさり気なく手に入れてきましたわ!」
「えっ? どうやって?」
これは予想していなかったのか、リシャール様が目を丸くして驚いている。
私はふふんと得意気に笑う。
「噂好きの令嬢というのはこちらが軽く話題を出すだけで、これでもかと聞いてもいない所まで喋ってくれるものなのですよ」
「そ、そうなんだ……」
リシャール様は凄いんだね……と呟いて頭を搔いていた。
「──アニエス様を始めとした令嬢たちからは、パーティーの日の様子の証言が色々と取れましたわ!」
私が本日の聞き込みの成果を語り出すと、二人は感心しながらも不思議そうな顔をした。
「確かに強く印象に残ってはいただろうけど……よくそんな前のパーティーでのことを細かく覚えているものだよね?」
「リシャール様、それがですね。アニエス様もそうでしたけど、皆さん、頭の中であのパーティーに参加していなかった私のことを思い浮かべてくれていたそうなのです」
「え?」
ちなみに、他の令嬢たちもアニエス様と同様に私の顔を見て怯えていたわ。
きっと彼女たちの元にもベルトラン様が突撃したからに違いないと私は睨んでいる。
「本当に皆さん、優しいです。そしてよく見ていて感心してしまいましたわ」
「そう……だな、うん」
「ああ……」
私が満面の笑みでそう言うと、リシャール様とお兄様が何か言いたそうに視線を合わせる。
「やはり、ベルトラン様と王女殿下の雰囲気は誰が見ても怪しかった、恋人のよう……これは全員が口にしていましたわ」
「リシャール様も思わず口を挟んでいたくらいだからな……」
「……あの場で僕が止めていなかったら、あの二人何回ダンスを踊っただろう」
リシャール様が遠い目をする。
とても苦そうな思い出ね……苦労が偲ばれる。
「それから、これはアニエス様の口から聞いたのが初めてでしたが、二人はこっそり会場も抜け出していた時間もあったようですわ」
「え?」
「俺もそれは知らないぞ?」
どうやらこれは二人とも知らない話だったらしい。
「抜け出していたのはそんなに長い時間ではないそうですが、リシャール様が他の方に囲まれている隙を狙ってコソコソ……とのことなので、これはもう疚しさしかありません」
「ベルトラン……」
お兄様が呆れた声を出した。
その呆れ返る気持ちはとても分かるわ。
「集めた話はこれくらいですわ」
ベルトラン様の浮気の証拠はもうこれで充分。
これくらいあれば、真実の愛は浮気を正当化したものだと主張出来る。
さらにあの気持ち悪い手紙も添えれば……ベルトラン様自身がそもそも浮気者だという主張も出来る。
(よし! 浮気男の話はここまでにして、次……)
私は真っ直ぐリシャール様の顔を見た。
「それで、リシャール様。公爵家の方の話ですが、社交界に噂が広がり始めたことで現在、公爵は屋敷内で暴れ散らかし、夫人は寝込んでしまい、部屋に引きこもり。弟さんは憔悴しきっているそうです」
「……まだ僕は何もしていないのに既にボロボロじゃないか」
「はい。普段から偉そうにしすぎていたせいで、公爵家の人々はいざという時に打たれ弱いのかもしれませんね!」
「それは……」
打たれ弱いという私の言葉にリシャール様は耳が痛いと苦笑した。
「また、公爵家からは今、使用人がかなり逃げ出しているそうなので、今後もこういった内部事情がどんどん漏れてくる可能性はありそうです」
「それは、これからますます追い詰められていくだろうな」
そう口にするリシャール様の表情は少し固い。
きっと攻め時を考えているのだと思う。
(そして、リシャール様はこういう真剣な顔も素敵……)
ついつい、うっとり見惚れてしまう。
そして、改めてどこまでも彼に着いていこうと思った。
───さぁ、こちらの準備は万端よ! ベルトラン様。
どこからでもかかっていらっしゃい!!
たくさんお金をむしり取って差し上げますわ!!!!
(よく分からないけれど、“悪役”ってこんな感じなのかしら?)
私はちょっとだけ自分が、なり損ねたはずの“悪役令嬢”になった気分で心の中で大きく宣言した。
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