僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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 東側道路とグラウンドを結ぶ階段の中で最も大きな中央階段は、二年生校舎と横並びの場所にある。よって二年生はグラウンドに向かって歩くだけで広々とした中央階段を利用でき、通常ならそれは便利なことのはずなのだけど、今の僕らに限っては、それは東側道路に着くなり離れ離れになることを意味していた。智樹と那須さんが階段を下り、猛と真山に合流したのを見届けた僕と香取さんは、後ろ髪を引かれる想いでその場から離れてゆく。あまり馴染みのない沈んだ音調の、香取さんの声が届いた。
「なんだか、ちょっぴり寂しいな」
 頬にかかった髪を、香取さんは指でそっと梳く。香取さんは細く真っ白な非常に綺麗な指をしていて、そのことが話題に上るたび「原稿用紙と万年筆で作家活動をしていた時代に生まれなくて良かった」とおどけるのが、一年十組ではお約束の一つになっていた。それを知る元クラスメイトは僕だけだったから新しいクラスでもそれを流行らせるべく手ぐすね引いていたのだけど、それが最初に訪れたのは今という、僕と香取さんの二人だけしかいない状況だった。一瞬それを残念に思うも、これは寂しげにしている香取さんを元気づける好機なのではないかと閃いた僕は、あの頃の空気を思い出し同じノリで指の美しさを褒めようとした。
 のだけど、
「ねえ猫将軍君。福井君は、私のどこを好きになってくれたのかな?」
 真顔のド直球で不意打ちされたため、
「あっ、えっと、少なくとも指が綺麗って理由だけではないと思うよ」
 などと、トンチンカン極まる返答を僕はしてしまった。呼吸一回分の間を置き自分の馬鹿さ加減に頭を抱えた僕を見て、香取さんはお腹を抱えて笑ってくれたから、まあ結果オーライだったんじゃないかな。その証拠に、
「猫将軍君、インタビューさせて」
 香取さんは気配を一新し、活力みなぎる作家の瞳で僕にマイクを向けてきた。アナウンサーが街ゆく人々にマイクを向ける場面をテレビで見たことのない、というかテレビという電化製品があったことを映画等の中でのみ知っている僕らの世代でも、「インタビューさせて」というセリフとともに何も握ってない手を香取さんから向けられると、みんなそこにマイクを幻視するのだから不思議だ。僕は特にそうらしく、マイクが声を拾いやすいよう必ず半歩距離を詰めるのが素晴らしいと、香取さんはいつも僕を褒めていた。何が素晴らしいのやらチンプンカンプンだったが、仲の良い女の子がにこにこ楽しげにしているのだから、それで充分。イスタンブール出身の母方の祖母から受け継いだ栗色の髪を肩に届かない長さで切りそろえた、目鼻立ちのとても整った香取さんは、自分を綺麗に見せようとしないだけで本当はトップクラスの美少女であることを、正確にはあと数年でそうなるに違いない事を、僕は密かに確信していたのだった。
 なんて無関係のあれこれを考えていたせいで受諾の返事を一拍遅れて伝えてしまった僕に、ショッピングモールの花屋さんで一度だけ見たことのある、トルコキキョウの笑みを浮かべて香取さんは問うた。
「体育系部活に所属している生徒と、文科系部活に所属している生徒は、ノリが若干異なるというのが通説です。入学から二か月を経て運動系サークルの一員になった猫将軍君は、それについてどう思いますか?」
 マイクだけでなく特派員の腕章まで幻視したのはさて置き、僕はハキハキ答えた。  
「僕が誰かにそういう印象を持ったのではなく、僕がそういう印象を持たれていたかもしれない経験を、話してみるね」
 去年の体育祭で100メートル走の予選を走り終えた直後、猛が僕に強烈なヘッドロックをした。その時は「今は汗を沢山かいているから男同士でも恥ずかしいなあ」と思ったものだが、新忍道サークルと陸上部とサッカー部で過ごすにつれ、そんな事はどうでもよくなって行った。よって初めからそれをどうでもよいと考えていた猛と真山にしてみたら、体育祭の頃の僕より夏休みの頃の僕の方が、取っ付きやすかったのかもしれない。そんな感じのことを、香取さんに話してみたのである。
「う~む、相手の立場になって考えることを当たり前にこなす、猫将軍君らしい意見ね。それに、とても深い示唆を含んでいるわ。自分が変われば他者が自分に抱く印象も変わるのは、何の変哲もないことのように感じるけど、それは大いなる間違い。間違いの第一は、服装や髪形で外見を一時的に変えるのと、自分の内面を根本的に変えるのを、きちんと区別していない事。具体的に言うと、外見ばかりを重視する人や一方的な決めつけで他者を見ることに疑問を覚えない人は、身近な人が内面的成長を遂げても、それに気づくことができないの。だから今私が猫将軍君から聴いたのは、自助努力によって自分の内面を変えた人が素晴らしい友人達に囲まれていて、初めて成り立つ話なのね。うん、やっぱり猫将軍君に尋ねて、正解だったよ」
 今日のお昼休みに初めて知ったのだけど、香取さんの母親は、民俗学者の祖父と言語学者の祖母と共に幼少期をイスタンブールで過ごしたという。ギリシャ系トルコ人の祖母は哲学者の家系の生まれで、母親はよちよち歩きもできない頃から、親族一同の薫陶を受けて育ったらしい。その思い出を大切にしている母親は、よちよち歩きもおぼつかない香取さんへ、就寝前の読み聞かせを毎晩必ずしてくれたそうだ。「母さんが読み聞かせてくれた世界中のおとぎ話が、私は大好きだった。小説家を目指すようになったきっかけはそれだって、私は感じているの」 自分の生い立ちをそう締めく打った香取さんへ僕ら三人は惜しみない拍手を贈ったが、あの程度の拍手では到底足りなかったのだと僕は今やっと気づくことができた。「自助努力によって自分の内面を変えた人が素晴らしい友人達に囲まれていて初めて成り立つ話」という、僕には過分でも友人達へは完璧としか言いようのない論評は、香取家の精神的財産の賜物だったからである。しかもその論評を、会話の速度で返してくれるのだから凄まじい。香取さんの卓越した頭脳と、そして何よりその豊かな人柄へ、僕は今一度盛大な拍手を捧げようとした。
 のだけど、
「あっ、そろそろ新忍道部の練習場ね。一年生の頃はそうじゃなかったけど二年生になったら、体育系部活に所属している人達と文芸部の私には、隔たりがあるんじゃないかって感じるようになったの。さっきのちょっぴり寂しいも、その一端ね。だから今年は選択授業を、体育系にしてみようかなって考えているんだ。明日のお昼休みの話題にそれを取り上げるつもりだから、猫将軍君、頭の隅に置いててね~~」
 香取さんはマシンガントークで一気にそう告げ、両手を振り振り北側道路に去ってしまった。数秒後、僕はハッとして中央図書館の方角へ顔を向け、問いかける。
「撫子部の芹沢さんも、香取さんと同じように感じていたのかな」
 もしそうだったらどうしようという想いが首をもたげるも、今それに囚われたら、新忍道部への非礼になるだろう。胸の中で芹沢さんに詫び、両手で頬を叩き気合いを入れてから、新忍道部の部室へ僕は向かったのだった。
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