僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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 周囲の3D映像が消え、体育館の現在の様子が目に入ってきた。円柱形をした直径3メートルほどの蜃気楼壁が、等間隔でびっしり聳え立っている。あの中で今も仲間達は、怪我をした湖校生に応急処置を施しているのだろう。自然と拳を握りしめた僕の耳に、ピコンピコンという音が届く。続いて、眼前に2D表示が映し出された。
『体育館の反対側へ移動し、休憩を取るように』
 指定された場所へ目を向けると、ほんの数秒前までは無かった、3Dカーテンで仕切られた一角が出現していた。僕は深呼吸を一つして、フラつく足に力をこめて立ち上がる。そして休憩所に背を向け、トイレを目指し歩を進めた。

 用を足し体育館に戻る途中、
「眠留くん、お疲れ様」
 凛々しさと優しさの融合した銀鈴の声が背中に掛けられた。振り返るとそこに、僕と同じく疲労を少々にじませた輝夜さんがいた。けど輝夜さんの姿が視野に入るや、
「輝夜さんも、お疲れ様」
 晴れやかな声が出て来るのだから不思議で仕方ない。いや本音は、不思議じゃ全然ないんだけどね。
 体育館のトイレは、校舎と体育館を繋ぐ廊下に出たすぐの場所にある。だがすぐ近くであろうと僕と輝夜さんは疲れており、また湖校の体育館は大学の体育館並みに広かった事もあって、僕らは休憩所へ二人並んでとぼとぼ歩いて行った。僕らが最後の二人なら速足になっただろうが、最初の二人だったから、急ぐ必要はなかったのである。
 と言っても、誤解の無いようはっきりさせておかねばならないが、実習を最初に終えたのは僕ではない。一番乗りは輝夜さんだったのだけど、輝夜さんはトイレで身だしなみを整えていたため、背後から僕を呼び止める形になっただけなのである。トイレにいる自分を察知されトイレ出口で待たれるより、先行く僕の背中に声を掛ける方を、輝夜さんも望んでいたはずだしね。
 とまあそういう次第で、休憩所としてあてがわれた場所に着いた僕らは、黙って床に腰を下ろした。そしてその直後、顔を見合わせ一緒にクスクス笑った。疲れていたので言葉を交わさず腰を下ろすも、それでも僕らは当然のように、最前列中央の場所に隣り合って座っていた。二年の進級に伴いクラスは離れても、誰もいない場所にこうして足を踏み入れると、何の疑いもなく一年時と同じ位置になるよう腰を下ろしてしまう。僕らはそれを、とても幸せなこととして感じたのだ。だから、
「よし、疲れを一気に吹き飛ばそう!」
「賛成、吹き飛ばしましょう!」
 僕と輝夜さんは翔人の技を使い疲労を一掃した。一秒でも早く元気になり、二人っきりでいられる時間を満喫したかったのである。だが、その過程で貴重なことに気付いた僕らは、心身を回復させるなりそれについて議論を始めた。すると一分も経たぬ間に、3Dカーテンを開け放った出入口の向こうに北斗が現れた。北斗がいるのといないのとでは議論の質に天と地ほどの差が付くことを実体験として知っている僕らは、なぜか出入口をまたごうとしない北斗へ、
「早く来いよ北斗」
「議論に早く加わって北斗君」
 そう呼びかけた。そんな僕らへ、やれやれと肩をすくめて北斗が応える。
「お邪魔虫になりやしないかとビクビクしながらここまで歩いて来たが、これ以上ないレベルの徒労だったようだな」
 僕と輝夜さんは北斗がすぐ後ろの場所に居を定めるまで、ただただ顔を赤くし、俯いているしかなかった。
 それは脇に置くとして、北斗は僕らと違い、あまり疲れていないようだった。翔化視力を用いても疲労の様子がほぼ見られない北斗にこの話題を振って良いか少し悩んだが、北斗にとってはその差異も、きっと価値ある情報なのだろう。ならば善は急げと、僕は議論の口火を切ろうとした。
 のだけど、
「ひえ~、疲れた~」
「俺もう、フラフラだ~」
 カーテン越しに届いた猛と京馬の疲れ切った声に気持ちを持っていかれ、僕は出入り口へ素早く体を向けた。その耳を、
「はいはい二人とも、気持ちは分かるけど、しっかり歩いてね」
 爽やかさの見本たる真山の声がくすぐる。三人はその声と会話から窺えるように、よろめく猛と京馬を真山が後ろから苦笑しつつ支えるという、見栄や遠慮をすべて取り払った格好で出入口をまたいだものだから、僕は嬉しくてたまらなくなってしまった。そんな僕を目にするや、
「なに幸せそうにしてやがるんだ眠留」
「聞くまでもないが一応聞いてやるぞ眠留」
 フラフラ状態だった二人がとたんに元気を取り戻したと来れば、嬉しさが限界突破して当然。心身を休めるための場所としてあてがわれた休憩所は、トリオ漫才師を迎え入れたお笑い劇場さながらの空気になったのだった。
 とは言え、今はれっきとした授業中。
「なごやかな歓談は優れた疲労回復手段として教育AIも認めてくれるはずだけど、度を過ぎてはしゃぐのは、避けるに越した事はないだろうね」
 まとのど真ん中を射た真山の忠告に従い、僕と猛と京馬は慌てて口をつぐんだ。けどその直後、忠告したはずの真山が身をよじって笑い始めた。僕ら三人が素早く口をつぐんだように見えたのは引っかけに過ぎず、掌で口を塞いでいるのは実のところ一人だけで、残り二人はそれぞれ目と耳を塞ぎ、見ざる言わざる聞かざるの三猿を披露していたからである。これには北斗と輝夜さんも堪えられなかったらしく、休憩所は笑い一色に染め上げられた。そんな僕らの目の前に、
 ポン ポン ポン
 体高30センチほどの三体の仏像が、突如3Dで映し出される。頭部が少し大きめに作られたその仏像はとても柔和な表情をしていて、僕らは腹を抱えて笑いつつも三体の仏像を目を細めて見つめていた。すると前触れなく、右端の仏像の顔に「消費」という文字が現れ、柔和な表情をかき消してしまった。僕は訳が分からなかったけど、ハッとした輝夜さんが声を潜め恐る恐る言った。
「ひょっとしてこれ、仏の顔も三度までの、一度目が消費されましたって描写なんじゃないかな・・・」
 僕ら六人は全員、今度こそ両手で口を塞ぎ、この場所を本来あるべき姿に戻したのだった。

 呼吸二回分ほどの時間が過ぎたのち、
「コホン・・・」
 北斗の極々控えめな咳払いが休憩所を覆った。濃密な静寂が降りていたせいで、教室二つ分の広さがあるにもかかわらず、控えめな咳払いすら隅々に行き渡ったのである。けどそれは逆に、こうも委縮した状態は心身の回復に適さないことを訴えているようにも感じられたので、
「あ~、とりあえず眠留お前、さっき俺に何か言いかけてなかったか?」
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