僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

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 それから丁度一週間後の十一月二十七日は、美鈴の十三歳の誕生日だった。その前日が土曜恒例の夕食会だった事もあり、皆は夕食会を誕生会に変更してくれて、僕は感涙にむせた。だいたい月に一度は誰かの誕生会を開いていようと、妹のために感激するのは、兄として当然の権利なのである。
 久保田の彫った牛若丸の木像は、大好評という言葉では足りぬほどの好評を得た。美鈴は誕生会の間中それを手元に置き、食事の手が休まるごとに両手で握り、顔をほころばせていたのだ。そんな妹を視界に収めるだけで僕は幸せだったけど、その僕と牛若丸の木像を見る皆の眼差しには、閉口したというのが正直なとこだった。
 ただ久保田については、残念なことが起きた。それは久保田が牛若丸の完成品を学校に持ってきた日の、放課後の出来事だった。

 誕生日の二日前の金曜日、牛若丸の完成品を学校に持ってきた久保田が、「放課後の予定はある?」と僕に問うた。その日は小春日和を絵に描いたような温かな日で、風もまったく無い絶好の散歩日和だったから、僕は失意の演技を過度にして答えた。
「スマン。夕方の散歩を久保田と一緒に、西所沢駅まで楽しむ予定が入ってるんだ」
 こういう場面で久保田は、なんとも可愛い反応をする。木彫り八人衆との友情を介し、男子ならではの交友を急速に習得していても、こんなふうに素の自分を素直に晒すことは残して欲しいなあと、照れまくる久保田に僕はつくづく思った。
 小春日和を用いる季節は、釣瓶落つるべおとしを用いる季節でもある。日中は春のように温かくとも驚くほど早く日が傾き、そしてひとたび日が沈めば冬と変わらぬ寒さになるのが、この時期の特徴なのだ。よって放課後、神社に立ち寄ったさい久保田を僕の部屋に招き、使い捨てカイロをお腹に二枚張ってもらった。こういう時はお腹を冷やさないのが、コツだからね。
 オレンジ色の光を強めた日差しが、紅葉の錯覚を人々に抱かせる午後三時過ぎ。小春日和の温もりをまだ留めた南斜面の坂道を、当たり障りのない話をしながら僕と久保田はゆっくり上っていた。その四本の脚が、申し合わせたかの如くそろって歩みを止める。ここは、山の峰。この峰を境に、道は上り坂から下り坂に替わる。日陰と枯れ木ばかりの北斜面の下り坂が、立ち止まった場所のすぐ先から伸びていた。その寒々とした景色に、時間は有限なのだと否応なしに気づかされた僕らは、避けていた本命の話題に取り掛かった。道を覆うカラカラに乾いた落ち葉を、意識して賑やかに踏みしめながら久保田が切り出した。
「秋吉さんが、猫将軍の夕食会の一員になりたがっていたのを、気づいてた?」
 ――ああやはり、この分岐に入ってしまったか。美鈴の誕生会をきっかけに久保田を夕食会のメンバーに誘うのは、諦めなきゃいけないんだな――
 そう悟った僕の背が、丸みをみるみる帯びてゆく。その背を景気よく叩き、久保田は僕の返事を待たず先を続けた。
 久保田によると、秋吉さんは一年生の頃から、夕食会の一員になりたいと願っていたらしい。進級に伴うクラス替えで僕と同じ組になり、また文化祭実行委員の同僚にもなってその願いに一歩近づいたと途中までは考えていたが、文化祭の準備が進むにつれ、今の自分には無理と秋吉さんは思うようになって行ったと言う。それが決定的になったのは、久保田の多大な貢献によって「文化に触れて文化祭を楽しむ」が、二十組の全体目標になった瞬間。あの日から秋吉さんは久保田と一緒に帰宅しなくなり、久保田が思い切って理由を尋ねたところ、一年時からの願いを泣きながら明かされたのだそうだ。さっき久保田に景気よく叩いてもらったお陰で丸みの消えていた背が、再び丸みを帯びてゆく。なら再度試みるまでだと久保田は僕の背を前にも増して景気よく叩き、背筋を強引に伸ばさせ、そして僕の目を真っすぐ見つめて言った。
「この件についての猫将軍の気持ちを、僕は理解していると思う。僕自身、秋吉さんはまだ早いって考えているからね」
 だが久保田はここで力尽きた。言葉を紡ぐことが、どうしてもできなくなったのだ。唇を懸命に動かすも声帯をそれに連動させられず、久保田は背中を丸めた。それは久保田が、僕の気持ちを理解している証拠。ならばその丸みを排除するのは、今度は僕の役目なのである。僕は久保田の背中を軽快に叩き顔を上げさせ、目を見つめながら首肯した。久保田も頷き返し、そして命を振り絞るように話を再開した。
「猫将軍は前に言ったよね。カレーに譬えるなら秋吉さんはルーで、僕はご飯だって。巧い譬えだなあって今も感心してるし、実際僕は様々な面で秋吉さんに及ばないと思う。でも序列意識を捨てることに限っては、僕は秋吉さんの手を引いてあげられる。猫将軍の夕食会に僕一人で参加することは、その手を離すことと同義なんだ。僕は、その手を離さない。ただいつまでもそうしていたらストーカーになっちゃうから、僕の方から手を握るのは、湖校在学中だけにする。秋吉さんに特定の誰かができたら、もちろん諦めるよ。その時は、僕の愚痴に付き合ってくれるかな」 
「付き合うに決まってるじゃないか。一晩中だって愚痴を聞くよ!」
「うん、その時はよろしくね。と言いたいところだけど、その決まっているって、よもやそうなる未来が確定しているって意味じゃないよね」
「そんなの決まってないに決まってるじゃないか。そんな決まりきったことを聞いて、男のバカ話を決めてるつもりなの?」
「むむっ、やっぱ猫将軍には一日の長がある。僕はまだ、そんなふうにポンポン出てこないよ」「うん、バカになることは自身があるんだ!」「そうそれ、バカになれる男ってカッコイイよね」「そうそう、カッコイイよね」「オオさすがは、麗男子コンテストの三位様じゃ」「ヒエエ、お願いだからそれだけは止めて~~」
 なんてワイワイやりながら、晩秋の夕暮れの道を僕らは肩を並べて歩いてゆく。
 そしてそのノリのまま、久保田は西所沢駅の改札の向こうに消えていったのだった。

 その二日後の、日曜日。
 午前十一時四十四分の、新忍道部の練習場。
 部活をしている最中、僕はこれまでで最も大きな太陽の音を聞いた。三ヵ月前に武蔵野姫の仮宮を初めて訪れたのを機に、この音を毎日必ず聞けるようになったが、それは翔化聴力を微かに震わせるだけに留まり、これほど大きな音で鳴った事はかつて一度もなかった。また音量のみならず、ある思念が音に添えられていたのもこれが初めてと言えた。その思念は、
 ――美鈴の兄に送られた謝意
 だった。美鈴の兄として日々を生きる僕に、何らかの存在が太陽の音に添えて、謝意を送ってくれたのである。僕は直感に従い、それがやって来た方角へ顔を向けた。それははたから見たら、訓練の締めとなる最後の射撃訓練中に、ふと太陽へ目をやったように見えただろう。雲一つない晴天の真南に登った太陽を、無意識に仰いだように見えたはずだ。けれどもそれは、二重の意味で違った。僕は確たる意思を胸に空へ顔を向け、そしてその視線の先にあったのは太陽の直下にある、アンタレスだったのである。一等星といえどこうも太陽に近いと僕でも見定めるのは難しいが、今回は翔化視力を使い、太陽と同時刻に南中したアンタレスを凝視した。しかし幾ら見つめても、太陽の七百倍以上の直径を誇る赤色巨星は、それ以上なにも語らなかった。僕は返礼代わりの瞬きをして、射撃訓練に戻る。ただ語り掛けられずとも、十全に理解した事ならあった。
 十三年前の今日、所沢市の空に太陽と並んでアンタレスが南中した瞬間、美鈴はかの星から地球へ降り、今の体に入ったのだと。
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