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002 どう交渉するかだな
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「あのクソ姉がっ!」
十五歳となったシルフィスカは、思わずというように暴言を吐いていた。
「何が『私には求められるべき立場とお相手がいるのです』だ……婚約者を妹に押し付けるとかマジで腐ってやがるっ」
そう。シルフィスカはなぜか侯爵家に嫁に来ていた。
あれから順調だった。静かに密かに確実に力を蓄えることに成功したのだ。
空間魔法の最高峰、転移魔法をも早々に会得し、夜には屋敷を抜け出して剣術や魔術を極めた。もう怖いものはない。神でもなんでも『さあ来い!』という所まで仕上げていた。
お金も貯まった。軽く実家の屋敷を三つ買えるくらい貯めた。ちょっと貯めすぎた感はある。
これでいつでも家を破壊……もとい、脱走……ではなく、独立できると決行日を考えていた矢先のことだった。
「マズったなあ……」
失敗した。まさかこんなことになるとは思わなかった。
「あの旦那さん、めちゃくちゃ怒ってるし、しょっぱなから幽閉する気満々じゃん」
当たり前だ。聖女となると目されていた人を婚約者にしていたのだ。それなのに、いざ嫁に来たのはなんの能力もないと思われているその妹。詐欺行為で訴えて良いレベルだ。
「これ、良いのか? 確かに発表されてたのは、うちの伯爵家の娘だけども……気の毒過ぎる……何より、格上の侯爵家に喧嘩を売るとか、マジでクソでクズではないかっ」
思わず自分の境遇を忘れて旦那となった人に同情してしまう。
やはり早いところ灰塵と帰すべきだった。人様にこれほど迷惑をかけるとは。
鏡の前で身なりを整えながら呟いていたシルフィスカは、少々乱暴なノックの音で立ち上がる。この音は、生家である伯爵家から連れてきたクズメイドだ。まったくなっていない。
「どうぞ」
「旦那様がお会いになるそうです」
「どちらで?」
「……確認して参ります」
確認しとけよと叫びたくなるのを我慢し、部屋を出るべく今一度姿見で身なりをチェックしてから歩き出す。
これでもどこに出ても問題がないように礼儀作法などの令嬢が出来て当たり前のことは一通りできる。寧ろ、王女の教育係にもなれるくらい極めた。
当然だが、ゴミのようにシルフィスカを扱う生家で教育を受けたわけではない。これは外で活動する上で必要に迫られてだったのだが、役に立ちまくっていた。
言葉遣いもいつものキレ気味なものばかりではなく、きちんと出来るのだ。
「私が行きます。あなた方は荷解きを続けてください」
「……承知しました」
『このクソガキが』と言いたい顔をしていた。彼女達とはお互い様だ。こちらはクズメイドと見下すし、あちらはクソガキと陰で罵る。ある意味対等な関係だ。
「さて……どう交渉するかだな……」
潔く慰謝料を払って出て行くか。
それとも、バカにしたと怒るのならば、伯爵家を取り潰すのに協力し、一時手を組むか。
侯爵家のメイドに案内された本館。その執務室らしき部屋に入ると、そこでは仕事中の三十代頃の男性がいた。彼が夫となったレイル・ゼスタートだ。
一目でわかる。剣の腕はかなりのものだろう。
冷徹で頑固者。そんな印象の整った美貌。鍛えていても大きくなり過ぎることのない体。均一の取れた筋肉。
さぞかしモテるだろう。
姉はこの顔を見なかったのだろうか。きっと見ていない。絶対に好きそうな見た目だ。
もちろん、間違いなく中身は合わないだろう。真面目で堅実そうなのだから。
「お連れしました」
「ああ」
控える使用人を下げるつもりはないようだ。
男は手元の書類に目を落としたまま顔を上げなかった。仕事の手を止めることなく、補佐なのだろうか。その書類を運び出したり、本棚から新たな資料を出したりと動く者も手を止めない。
補佐達は主人と違い、若干どころかあからさまにこちらを睨み付けてきてはいるが、手は動いていた。
「あなたには、離れで過ごしてもらう。死ぬまで何不自由なく暮らしていける環境は整えるつもりだ。伯爵家に何か言うつもりもない」
「……」
残念なことに、突き返すつもりはないようだ。
「それと、子を作る必要もない。私は、愛せない女とはそういうことはしたくないのでな」
そっちも真面目な方らしい。大変結構なことだ。
「他に妻を迎え入れることを了承してもらおう。その間に子が生まれた場合は、後継と認めてもらう。その代わりに、過剰な散財をしない限りは何をしても構わない。以上だ。異論はあるか? なければこの誓約書にサインをしてくれ」
これに、ようやくシルフィスカは口を開く。目を伏せ、静かに頭を下げた。
「承知しました。ご温情痛み入ります。我が生家の礼を失する対応をお許しいただき、感謝いたします。その上に自由もお約束いただいたのです。これ以上は望みません。ただ一つだけお許しいただきたいことがございます」
「お前っ。これ以上なにも望まないと言っておいてっ……」
「お前たちは黙っていろ」
「はっ……」
そうそう。外野は口を出さないでもらおう。
「申し訳ございません。ご迷惑をお掛けすることではありません。ただ、伯爵家から連れて参りましたメイド達を帰すことをお許しいただきたいのです」
まだ顔は上げない。
「なぜだ?」
男がようやくこちらを見たらしいが、そのままだ。頭のてっぺんだけ見せておく。
「お恥ずかながら、伯爵家のメイド達はこちらのメイドの方々に数十段劣ります。ご迷惑をお掛けする前にこちらから引き上げさせていただきたいのです」
「……」
これには、補佐達や控えていた使用人達も絶句していた。
「面白い冗談だ」
「いえ、真実です」
「……そうか……だが、君は一人でどうするのだ? 迷惑をかけないと言った以上、こちらから使用人を当てがうということも期待してはいまい」
「当然でございます。一人でも一通り以上のことが出来ると自負しております。お構いなく」
「……」
無言な内に畳み掛けてしまえと続ける。
「こちらをご了承いただけましたら、お相手が見つかるまで旦那様の妻として完璧に演じてご覧に入れます。これは契約……あの離れをご提供いただけるのでしたら、一切の援助は無用にございます」
離れの屋敷は、一人で住むには広いが欲しいと思っていた理想の一軒家だ。
いずれ、生家を出たら買おうと思って予定していたベストな大きさだった。
これで使用人も誰もいなければ、家も脱け出し放題。外でやりたい放題だ。食事だって外で問題ないし、作るのも好きだ。寝に帰る場所が約束されればいい。
寧ろ、離れを買い取っても良いと思っていた。
こうして今後の楽しい人生計画を考えている間、誰も何も発しなかった。
危うく完全にトリップするところだ。
どうしたのかと様子を気配察知で感じ取る。どうやらあちらがトリップ中らしい。戻ってきてもらわないと困る。
「お聞き届けいただけますでしょうか」
「あ……ああ……では、誓約書を書き換えさせてもらおう。明日には届ける。使用人達は……好きな時に帰せばいい」
「寛大なお心に感謝を。ありがとうございます」
「っ……!」
そこで初めてシルフィスカは頭を上げ、聖女の微笑みと絶賛された笑みで答えたのだ。
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読んでくださりありがとうございます◎
次回、10日投稿です。
よろしくお願いします◎
十五歳となったシルフィスカは、思わずというように暴言を吐いていた。
「何が『私には求められるべき立場とお相手がいるのです』だ……婚約者を妹に押し付けるとかマジで腐ってやがるっ」
そう。シルフィスカはなぜか侯爵家に嫁に来ていた。
あれから順調だった。静かに密かに確実に力を蓄えることに成功したのだ。
空間魔法の最高峰、転移魔法をも早々に会得し、夜には屋敷を抜け出して剣術や魔術を極めた。もう怖いものはない。神でもなんでも『さあ来い!』という所まで仕上げていた。
お金も貯まった。軽く実家の屋敷を三つ買えるくらい貯めた。ちょっと貯めすぎた感はある。
これでいつでも家を破壊……もとい、脱走……ではなく、独立できると決行日を考えていた矢先のことだった。
「マズったなあ……」
失敗した。まさかこんなことになるとは思わなかった。
「あの旦那さん、めちゃくちゃ怒ってるし、しょっぱなから幽閉する気満々じゃん」
当たり前だ。聖女となると目されていた人を婚約者にしていたのだ。それなのに、いざ嫁に来たのはなんの能力もないと思われているその妹。詐欺行為で訴えて良いレベルだ。
「これ、良いのか? 確かに発表されてたのは、うちの伯爵家の娘だけども……気の毒過ぎる……何より、格上の侯爵家に喧嘩を売るとか、マジでクソでクズではないかっ」
思わず自分の境遇を忘れて旦那となった人に同情してしまう。
やはり早いところ灰塵と帰すべきだった。人様にこれほど迷惑をかけるとは。
鏡の前で身なりを整えながら呟いていたシルフィスカは、少々乱暴なノックの音で立ち上がる。この音は、生家である伯爵家から連れてきたクズメイドだ。まったくなっていない。
「どうぞ」
「旦那様がお会いになるそうです」
「どちらで?」
「……確認して参ります」
確認しとけよと叫びたくなるのを我慢し、部屋を出るべく今一度姿見で身なりをチェックしてから歩き出す。
これでもどこに出ても問題がないように礼儀作法などの令嬢が出来て当たり前のことは一通りできる。寧ろ、王女の教育係にもなれるくらい極めた。
当然だが、ゴミのようにシルフィスカを扱う生家で教育を受けたわけではない。これは外で活動する上で必要に迫られてだったのだが、役に立ちまくっていた。
言葉遣いもいつものキレ気味なものばかりではなく、きちんと出来るのだ。
「私が行きます。あなた方は荷解きを続けてください」
「……承知しました」
『このクソガキが』と言いたい顔をしていた。彼女達とはお互い様だ。こちらはクズメイドと見下すし、あちらはクソガキと陰で罵る。ある意味対等な関係だ。
「さて……どう交渉するかだな……」
潔く慰謝料を払って出て行くか。
それとも、バカにしたと怒るのならば、伯爵家を取り潰すのに協力し、一時手を組むか。
侯爵家のメイドに案内された本館。その執務室らしき部屋に入ると、そこでは仕事中の三十代頃の男性がいた。彼が夫となったレイル・ゼスタートだ。
一目でわかる。剣の腕はかなりのものだろう。
冷徹で頑固者。そんな印象の整った美貌。鍛えていても大きくなり過ぎることのない体。均一の取れた筋肉。
さぞかしモテるだろう。
姉はこの顔を見なかったのだろうか。きっと見ていない。絶対に好きそうな見た目だ。
もちろん、間違いなく中身は合わないだろう。真面目で堅実そうなのだから。
「お連れしました」
「ああ」
控える使用人を下げるつもりはないようだ。
男は手元の書類に目を落としたまま顔を上げなかった。仕事の手を止めることなく、補佐なのだろうか。その書類を運び出したり、本棚から新たな資料を出したりと動く者も手を止めない。
補佐達は主人と違い、若干どころかあからさまにこちらを睨み付けてきてはいるが、手は動いていた。
「あなたには、離れで過ごしてもらう。死ぬまで何不自由なく暮らしていける環境は整えるつもりだ。伯爵家に何か言うつもりもない」
「……」
残念なことに、突き返すつもりはないようだ。
「それと、子を作る必要もない。私は、愛せない女とはそういうことはしたくないのでな」
そっちも真面目な方らしい。大変結構なことだ。
「他に妻を迎え入れることを了承してもらおう。その間に子が生まれた場合は、後継と認めてもらう。その代わりに、過剰な散財をしない限りは何をしても構わない。以上だ。異論はあるか? なければこの誓約書にサインをしてくれ」
これに、ようやくシルフィスカは口を開く。目を伏せ、静かに頭を下げた。
「承知しました。ご温情痛み入ります。我が生家の礼を失する対応をお許しいただき、感謝いたします。その上に自由もお約束いただいたのです。これ以上は望みません。ただ一つだけお許しいただきたいことがございます」
「お前っ。これ以上なにも望まないと言っておいてっ……」
「お前たちは黙っていろ」
「はっ……」
そうそう。外野は口を出さないでもらおう。
「申し訳ございません。ご迷惑をお掛けすることではありません。ただ、伯爵家から連れて参りましたメイド達を帰すことをお許しいただきたいのです」
まだ顔は上げない。
「なぜだ?」
男がようやくこちらを見たらしいが、そのままだ。頭のてっぺんだけ見せておく。
「お恥ずかながら、伯爵家のメイド達はこちらのメイドの方々に数十段劣ります。ご迷惑をお掛けする前にこちらから引き上げさせていただきたいのです」
「……」
これには、補佐達や控えていた使用人達も絶句していた。
「面白い冗談だ」
「いえ、真実です」
「……そうか……だが、君は一人でどうするのだ? 迷惑をかけないと言った以上、こちらから使用人を当てがうということも期待してはいまい」
「当然でございます。一人でも一通り以上のことが出来ると自負しております。お構いなく」
「……」
無言な内に畳み掛けてしまえと続ける。
「こちらをご了承いただけましたら、お相手が見つかるまで旦那様の妻として完璧に演じてご覧に入れます。これは契約……あの離れをご提供いただけるのでしたら、一切の援助は無用にございます」
離れの屋敷は、一人で住むには広いが欲しいと思っていた理想の一軒家だ。
いずれ、生家を出たら買おうと思って予定していたベストな大きさだった。
これで使用人も誰もいなければ、家も脱け出し放題。外でやりたい放題だ。食事だって外で問題ないし、作るのも好きだ。寝に帰る場所が約束されればいい。
寧ろ、離れを買い取っても良いと思っていた。
こうして今後の楽しい人生計画を考えている間、誰も何も発しなかった。
危うく完全にトリップするところだ。
どうしたのかと様子を気配察知で感じ取る。どうやらあちらがトリップ中らしい。戻ってきてもらわないと困る。
「お聞き届けいただけますでしょうか」
「あ……ああ……では、誓約書を書き換えさせてもらおう。明日には届ける。使用人達は……好きな時に帰せばいい」
「寛大なお心に感謝を。ありがとうございます」
「っ……!」
そこで初めてシルフィスカは頭を上げ、聖女の微笑みと絶賛された笑みで答えたのだ。
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読んでくださりありがとうございます◎
次回、10日投稿です。
よろしくお願いします◎
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