未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -火の陽月1-

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必死に首を持ち上げる運動をし続けた1・2ヶ月目、どうにか首を上げられるようになりました。寝返りを打つ練習にあけくれた3・4ヶ月目、苦労はしたもののどうにか成功し……。

そして季節は夏。この谷底で暮らすようになって早数か月。
最近は誰も見ていないところで匍匐前進の練習をしています。まだハイハイができないんですよねぇ、腕力が無さ過ぎる……。

その間にいろんな事がありました。その中で一番つらかった事は私に名前が付けられた時。あれはもう地獄でしたね。沙羅さんが私に名前を……そう「櫻」と名付けてくれたのです、あの出会った日に。

えぇ……。櫻ですよ、櫻。
未来樹の主人公確定です。ただその時はそれどころではなくて。

名付けられた途端に心が引きちぎられるような……肉体的には何の痛みもないのに心がズタボロになるような衝撃があり、私は心の中で絶叫をあげました。いえ、心の中だけじゃなく実際に「おぎゃー!!」と声を上げました。

自分という存在が消えていく、削り取られていくような感覚に精神世界で高校の制服を着た私はのたうち回り、慌てた三太郎が私を抱え込んでくれて守ろうとしてくれたのですが、彼らにしてもこんな事態は初めての事らしく、ただただ抱きしめる事しかできず……。

永遠に続くと思ったその衝撃がようやく落ち着いた時には、私は前世の記憶の一部を失っていました。一部とはいうものの、私個人に関する記憶はほぼ全てと言って良い程に消えてしまい、自分の名前や両親や祖父母の事はもう思い出せません。
もちろん祖父母・両親が居た事は覚えているんだけど、名前も顔も思い出せなくなっていました。

他にも例えば両親が亡くなった事は覚えているけれど、その時どう思ったかが私には思い出せないのです。他にも色んな楽しかったこと、悲しかったこと様々な事があったはずなのだけど、それらが全て記憶というよりは記録といった感じで、自分の事なのに自分の事じゃないような気分です。

それでも前世の知識が残っていたのは助かります。
現状の生活は問題山積みだから。

ただ、ぽっかりと心の中に大きな穴が開いてしまったのです。
見ない振りをしようとしても、目の端に必ず入るほどに大きな穴が……。




さて、気を取り直して……。
今は夏の昼下がり。大人組の鬱金、山吹、橡さんは山や川へ食料の採取に行っています。男性陣は雁によく似た鳥を良く取ってきてくれます。個人的にあれを「ガンモドキ」と呼ぶことにしています。なにせサイズがかなり大きくて体長1m越えしているのです。あれは雁じゃない。
狩りもですが、羽根をむしったり解体するのも男性陣の役目のようです。女性陣は交代で岩屋での子供の世話をする人と山菜や木の実の採取をする人とに別れます。天気が良く、かつ近場での採取なら一緒に連れて行ってくれることもあります。

大人4人(実質3人かな?)が一日の大半を食料の確保に費やさなければならないのですよね。主食となる米や塩などは、この山の中においては貴重品です。できるだけ節約して少しずつ食べるようにしているようです。

どうしても足りなくなったら山吹さんが町に買いに行くつもりのようだけど、小さい里に行けば敵の目に付きづらいですが、どうしたって他所者は目立ちます。大きい町に行けば目立たなくはなりますが、どこに敵の目があるかわかりません。だから買い出しは必要最低限に抑えたいようです。

その買い出しのお金は冬の間に大きな町や都に出稼ぎに行って稼いだようです。
ざっと大まかにこの世界の一年の流れを金・浦・桃の三太郎さんたちに教えてもらいました。

水の月:
  元の世界でいうところの春から初夏。
  雪が解けて水となる事があらわすように水の力が増え、
  一番水の力が強くなる頃には雨が降りっぱなしになるらしいので梅雨っぽい。

火の月:
  元の世界でいうところの夏から初秋。
  気温がどんどん上がって相性の悪い水をガンガン蒸発させる。
  一番火の力が強くなる頃にはミズホ国以外では渇水の危険があるほど。

地の月:
  元の世界でいうところの秋から初冬。大地の実りが徐々に増えていく。
  一番大地の力が強くなるころは大地は黄金色の穂がたなびき、
  山の木々すらも地の神をあらわす黄金色に染まる。

其々の月に陽と陰があって、その間に極日があります。
この極日は当日を含め前後数日あって、その期間には神を称えるお祭りが盛大に行われるんだとか。

例えば今日は火の陽月12日で、火の陽月の後は極日と呼ばれる期間が十日間程。
その極日期間が終われば火の陰月が始まって、その次は地の陽月になります。

そして地の月が終わった後は無の月。またの名を死の月。
全ての神の力が限りなく弱く、人々の命が一番消える月です。元の世界の気候的には冬から初春。畑や野山から食べ物が消え、ヤマト国と天都は雪に覆われます。ヒノモト国は暑い国なので雪は降らないけど、砂漠地帯なので農作物が元々乏しく海流の変化で漁獲量が落ちます。ミズホ国は霧に沈み、漁業が盛んな国なのに濃霧の所為で船が出せなくなります。

そんな感じで無の月は天都も各国も「神の守護」が無い月とされています。
でも人は食べなきゃ生きていけない。地の月に採れた食料を国でも個人でも極力保存してはいるけど、冷凍技術もなければ長期保存の技術も乏しく、基本は干すか塩漬け。その塩が高価とあれば、どうやって生きていけるんだろう?と首を傾げたくなる世界です。まぁ、実際に生きていけなくて死亡者が多発するので「死の月」なんて別称がある訳だけども。

勿論、各国や天都もそれを指を咥えて見ている訳はなく、無の月は「公共事業の月」でもあります。公共機関の建物や道路、華族の御屋敷の新築や増改築は緊急時の例外を除けば全てこの時期に行われます。

地方の里にいる人々、特に男衆はこの時期に各国の主要都市や天都に出稼ぎに行くのです。そして自分が持つ技能に合わせて扶助組合である「座」に入って仕事を得ます。座というのは元々は油商人や材木商人が同業者との情報交換や様々な話し合いをする為に作られた組織だったのですが、いつの間にかそれが他職業でも適用され始め、庭師の庭座や漁師の漁座といったメジャーどころの座から、蒟蒻座なんていうかなりピンポイントな座まで作られるようになり、あらゆる職業の座が出来ました。そうなると今度は多すぎて「解りづらい」だとか「不便だ」という声が上がり、最終的には大まかな職業別の「座」とその中に専門性で分けた「組」を作るという仕組みになりました。先程の油商人で例えれば「商人座」の中に「油組」があるような感じですね。

また座が作られて実績を積みだすと、公共機関や華族からの依頼を各座がまとめて受け付けるようになり、技能の習熟度に合わせて登録者に仕事を割り振ったり、初心者への講習も格安で請け負ったりといった仕事の斡旋や訓練機関の性質も持つようになっていきました。

出稼ぎにきた人たちは自分の特技に合わせて座、或は組に登録し、仕事をこなしてお金を手に入れます。そのお金で食料品や日用雑貨などといった生活に必要なものを買って、無の月が終わる頃に故郷に帰るというのがこの世界の大きなサイクルです。私を拾った時の鬱金は、まさにその初めての出稼ぎの帰り道だったようです。

なので先程、この世界に来て数か月経ったなぁなんて思ったけれど、それは私の感覚で……。この世界的には水の陽月から火の陽月に変わっただけです。
ちなみに各月が何日あるかは年毎に違って、毎年地の陰月に次の年の暦が売りにだされて華族は勿論、庶民でもある程度の稼ぎがある家はその暦を買って日々の生活の目安にしています。買えない家庭は神社かむやしろの掲示板で確認です。

まぁ、そんなことを思い返しながらも

あぅ!そいや!」ごろりん

あーうーうーえーいっーせーのーでーあぅ!!てい!!」 ゆらゆらごろりん

と反動を付けながら何とか寝返りと匍匐前進を駆使して移動を開始します。
沙羅さんや槐君とお昼寝の為に一緒に横になっていたのだけど、どうにものっぴきならない事情が! 目指すは岩屋の外、川の岸辺です。


何故って?


それは岩屋の中が強烈に臭いんですよ!!!


赤ん坊は匂いで母親を嗅ぎ分けられるなんて話があるぐらい嗅覚があるのに、岩屋の中は正直眩暈とか吐き気がするレベルの臭さ。しかも今日は気温が高いのでなおさら。とりあえず川辺に行けば風が通るので臭いは少しマシになるはず。岩や土の上を転がるのは痛いのですが、それぐらいは我慢しましょう。

この世界の人はどうも入浴の習慣がないようで……。一応毎晩、濡れた布巾で体を拭いたりはしてくれるのですが、それじゃぁ私には耐えられません。

この世界の文明レベルはモノによってまちまちではあるのですが、だいたい飛鳥・奈良時代から室町時代前後あたりです。だから古代~中世日本という感じ。そんな世界で生きていくにあたり特大サイズの問題が食料と衛生面の問題です。21世紀の日本育ちだと生きていく事が苦痛に感じるレベルです。

細々とした問題は後回しにできても、この二つはどうにかしないと病気になります。えぇ、家族と自分の健康の為にも早急に!!!


さて、考え事しながら寝返りうちまくって、ずりずりと匍匐前進してどうにか川べりまでやってきました。体のあちこちがズキズキだったりヒリヒリだったりしますが、気にしたら負けです。現在の私の恰好は赤ちゃん用の丈の短い肌着で、お祖父ちゃんが着ていた甚平の上だけのような格好です。

それだけです。えぇ、それだけなんです。
お尻丸見えです……。
この世界の赤ちゃんの基本スタイルのようで、夜寝るときだけ布おむつをします。

辺りを見渡して一番水深が浅く出入りが楽そうな場所を見つけると、そろりそろりと注意深く川の中に足を入れていきます。お尻のあたりまで水につかって、タオルはないので仕方なく手でゴシゴシと自分の足やら腕をさすります。

「ふぅ……」

一通り擦ってからようやくといった感じで一息つきます。

(はぁ、やっと洗えた……)

髪も洗いたいけれど頭が重い乳幼児が顔を水につけるのは自殺行為な気がして踏ん切りがつきません。毎日お風呂に入るのが贅沢だというのならば、せめて隔日くらいで……。なんなら夏の間は水浴びでも構わないからとすら思います。本当にお風呂の問題は切実です。

後、実はお風呂と同じかそれ以上に問題なのが……トイレです。
他の人たちがしているところをマジマジと見る事は当然ながら無いのですが、どうもトイレというモノが無いらしく、どこかの岩陰で……

いやーーーーーーー!!!!

しかもですよ、しかも!! 木べらでこそげとるとか……何を?なんて想像したくない。ほんと、早急にどうにかしたい!!

でもこの世界、製紙技術が低いから紙は分厚いうえに高級品。一般的な記録媒体は木簡や竹簡です。とてもじゃないけどトイレで使うなんてできそうにありません。
他には一説によると名前の語源らしいフキの葉なんかも候補にあがりますが、フキの葉が毎回都合よく手に入る訳がない!

今のところ食料に関しては、ぎりぎりではありますがどうにかなっています。といっても赤ん坊の私が取れる食事は重湯です。

たぶん重湯……だと思う。

なぜ「たぶん」なのかといえばお粥の色がまっ黒だから……。アレのインパクトはなかなかで、口を開けるのを躊躇うレベルです。古代米とか黒米って言われてるやつなのかなぁ??

そんな中、鬱金が極稀に何処からか手に入れてくるミルクのような液体は地獄に仏のような存在です。まぁ何のミルクかは考えないようにしていますが……。何にしても私の日々の食事の基本は重湯です。いきなり離乳食です。ここで暮らすようになった数か月前は毎日お腹が大変なことに……いえ、思い出したくありません。思い出しませんとも!!

何にしても私を含め皆の食料も、冬の分の貯蔵を考えると不安が残りますが現状はどうにかなっています。なので優先順位を下げて、まずはお風呂とトイレをどうにかするために三太郎さんたちと相談しなくては……。
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