未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -火の陽月2-

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川の水に下半身を浸しながらトイレをどうやって作るかなんて事を考えていたら、後ろから「ひっ!」と息を飲むかのような短い悲鳴が聞こえました。なんだ?と思って振り返ったら真っ青になった沙羅さんが慌てて駆け寄ってきました。

「なんてこと!! 大丈夫?! あぁぁ、そんな!!」

大慌てて私を抱き上げて自分の着ていた服で私の体を拭きだします。確かに生後半年ぐらいの乳幼児が一人で川に入っていたら慌てるのも仕方がありません。驚かせてしまって申し訳ない事をしました。

「ぁーーう!」

大丈夫だよと沙羅さんの頬をぽんぽんとしますが、沙羅さんの目には涙が……。
えぇぇぇ、そこまでの事なの? と思った私に衝撃の言葉が。

「お水に入ってはいけません!! 溶けたらどうするのですか!!」

……

………………

はい? 溶ける???

「お水に長く入っていると体が溶けるんですよ!!
 あぁ、本当に大丈夫かしら?」

涙の浮かんだ目で私に“めっ!”とばかりに怒りながら、沙羅さんは私の足の裏を見たりお尻を見たりせわしなく全身をチェックします。

いやいやいやいや……。
待って、何、えっ?
水に入ると体が溶けるってどういうことなの?


異世界怖い!!!!


この慌てっぷりからして、雷様におヘソをとられる的な子供への戒めではなく本気で溶けるっぽい?
お風呂が無い理由はそれですか……。
そんな感じでドタバタしていたら流石に槐君も起きてしまったらしく、
「ははうえ?」と可愛らしい声で沙羅さんを呼びながらこちらに向かってきました。

「ちょうど良いわ、槐も櫻もよーーく聞いてね?
 お水やお湯に長い間触れていると体が少しずつ溶けてしまうの。
 たいへんでしょ?
 だから絶対に川に近づいてはいけませんよ、良いですね?」

沙羅さんはしゃがんで槐君と視線の高さを揃えると、真剣な表情で教えます。
確かに身体が溶けるって生死に関わる事だから、しっかりと教えておかないとダメな事ではあります。

しかし次の瞬間、私の中に芽生えた水への恐怖心は一気に疑惑へと変わりました。

「お水に長い間触れていると、皮膚がシワシワになる程に身体が溶けてしまうの。
 皮膚に小さい穴があるでしょ? そこから溶けて出て行ってしまうのよ。」

……いや、まって。それって単に皮膚がふやけてるだけなんじゃ……。
それともこの世界だと本当に溶けて肉流出なんていう恐ろしい事がおこるのかな?

確か平安時代の日本人も毛穴から悪いものが入るからといって、縁起の悪い日には入浴しなかったと何かで聞いた事があります。まぁ当時の入浴はサウナのような蒸し風呂だったと思うけど……。毛穴から出ると入るという違いはありますが、何かしら体に悪影響が生じるという部分が同じです。今晩にでも碧宮の人たちが眠った後で浦さんにしっかりと確認したいと思います。


あっ、転生初日にやった精神世界での四者会合は基本的に毎日短時間だけですが行っています。赤ん坊にとって眠るという事はとても重要な事なので、成長阻害になってはいけないと余程の緊急事態を除いて長時間の会合はしないと最初の頃に決めました。

だいたい夜寝てから熟睡するまでの30分ぐらい、前世の知識でいうところのレム睡眠の間に言葉を教えてもらったり、疑問に思った事を尋ねたり、あとは少々作業を行ったりしています。精神世界だと三太郎さんたちと普通に話しができるので楽なんですよね。

普通に話しとはいうものの、「心話」を一対多で行っているだけなんだけど、
それでも一対一を何回もこなすよりずっと楽。ちなみにあえてこの世界の言語でのみの「会話」をして言葉の練習も少しずつですがやっています。


そうそう最初は真っ白で何もない空間だった精神世界も、無限に続く空間というのが精神的に負担だったので、壁で区切ってそこそこの大きさの部屋へと作り変えました。そこに快適に話し合う事ができるように大きなローテーブルという名のちゃぶ台(大)とその周りにふかふかクッションが4つ。リラックスできる空間へと変更しています。飲食ができないので(しても意味がない)そういった設備や道具はないんですけどね。

ちなみにこの壁の向う側には真っ黒い大穴がいくつも開いています。
例の記憶が消えた時にできた大穴です。それを視界に入れたくなくて壁を作ったともいえます。その壁の手前には無数の一見ジグソーパズルにも見えるフレームが並べて収納された棚があります。フレームのサイズは1万ピースのジグソーパズルのフレームよりも少し大きくて分厚い感じ。


実はこのフレームが私の今持っている前世の記憶の全て。


不思議な事に前世の記憶があのフレームの中に動画として保存されているんです。
毎晩少しずつやっている作業というのは、この記憶のフレームの整理と状態確認。
まっ黒に塗りつぶされていて何も見えない記憶映像も多々あるのですが、それらは最初のうちに全て別室を作ってそちらに仕舞ってしまいました。

思い出せない事を思い出したくない……、そんな気持ちだったから。

そして黒塗りじゃない記憶映像も最初は何故か曇っていて良く見えなくて、息を吹きかけて手でこすっていくうちにどんどん鮮明になっていくという不思議さ。

比較的簡単に曇りが取れるモノもあれば、かなりの時間と労力を費やしてようやくとれる曇りもあり、それらは私の記憶の強さ?に比例しているみたい。何度も見たり行った場所は簡単に綺麗にできるけれど一度しか見たことが無いようなモノは超頑固な油汚れを落とすよりも大変かもってレベルだし。

だから通っていた高校の校舎は鮮明なのにその前を通る見知らぬ通行人は曇ったまま、しかも動画だからその曇りが移動していくという……。本当に摩訶不思議なフレームなのです。

しかもこれ、私にしか反応しなくて三太郎さんたちには手伝ってもらえない。
結構な数のフレームを一人で綺麗にしなくちゃいけないのかと思うと、少し溜息が出てしまいそう。

そういえば最初にこのフレームの存在&機能に気づいた時、フレームに映る景色に胸が締め付けられるような思いになってしまって……。なのに三太郎さんたちは好奇心わくわくといった感じの雰囲気で。その温度差に不意に沙羅さんの言葉が身に染みて

(あぁ、私は一人になってしまったんだ。
 誰とも思い出を共有できない所にきてしまったんだな……)

と思ったとたんに不意に鼻の奥……目の奥がギューと熱く痛くなって、でもそれを認めたくなくて……。たぶん私は変な顔をしていたんだと思う。

ポフ

と頭に何かが乗せられて、ふと見上げてみたら横からのぞき込んでいた桃さんが
大きなテーブルに身を乗り出すようにして私の頭を撫でていました。

「なんですか?」

「いや、なんかおまえが泣いているような顔してたから。」

そう言いながら撫で続ける桃さんに苦笑しながら

「私は泣いてませんし、泣きませんよ。変な桃さん。」

ヘラリといった感じに笑って桃さんの言葉を流します。
昔から泣く事が苦手というか……、涙を他人に見せる事がとても苦手でした。
もう記憶が朧げだけど、最後に人前で泣いたのは父母を亡くした時よりも前だったと思います。なにせ両親の葬儀は私が入院中に終わってしまっていて、気づいたら両親が居なかったという感じだったから。入院中も退院してからも、無くしてしまったモノが大きすぎて実感が無くて、涙すら出なかった……と思う。たぶん。

……この辺りですら記憶がぼやけていて本当に悔しい。

ただ泣いてしまうと父母がいなくなってしまった事が確定してしまいそうで、怖くて……。絶対に泣かないって心に決めた事だけは覚えています。それ以来、私は泣いたことがありません。玉ねぎ切った時とかの涙は別だけどもね。

「たまには泣いて良いのではないか? そなたは今赤ん坊なのだし」

なんて言われながら優しい眼差しを向けられても

「涙は人が作り出せる一番綺麗な水だと思いますよ。」

なんて言われながら手を握られても私は泣かない。……いや、泣けない……。
そんな私を見て困ったように顔になる三太郎さんに、なんだか申し訳ない気分になるのでした。




そんな昔の、この世界に来たばかりの頃の事を思い出していたその日の夜のこと。
人体が水に解けるのかという私の質問に対し

「気にしたことがありません。」

という浦さんの答えにガックリと肩を落としてしまいました。
この世界の人も精霊も物事に頓着しないというか、疑問を抱くという概念が薄いというか……。「そういうものだからそうなのだ」と深く考えない人が多いように思います。小説を読む限り、人間同士の疑心暗鬼は結構あったように思うのですが、これがひとたび神や精霊が関わると「そういうもの」で片付いてしまうのですよ。

仕方なく肩を落としつつも今日もフレームを掃除します。
ちゃぶ台に乗せたフレームをはじから順番に綺麗にしていくのですが、三太郎さんたちも興味津々といった感じで覗き込んできます。これだけ好奇心があるのに、なぜ自分の世界には好奇心が湧かないのか不思議で仕方がありません。


そういえば出会った直後にやらかして、とんでもない格好をさせてしまった三太郎さんたちですが、その後は各々好みと思われる服装をしています。

アマツ三国はそれぞれ衣服や食器などにも文化に差があるのですが、あれは精霊の好みが反映されているのかな?と思う程に三太郎さんたちはそれぞれ自分の所属する神を崇めている国の衣装を身に着けています。

金さんはヤマト国で主流の鎌倉~室町ぐらいの服装です。ヤマト国は男性も女性も技術集団なので腕周りや足回りがすっきりとした衣装が多いです。脛巾(はばき)と言えば良いのか脚絆(きゃはん)と言えば良いのか……詳しくないから解らないのだけど、足元はそれでシュッと絞めてあって、腕も肘下は布の篭手?で邪魔にならないようにまとめてあります。小説の挿絵で見たイメージだと山伏から梵天ボンボン飾りを抜いた感じでした。正装は別なんですけどね。金さんはその正装の方で、お祖母ちゃんが見ていた時代劇で時々見かけた直垂(ひたたれ)に近い感じ。

浦さんはミズホ国で主流の飛鳥・奈良時代の服装です。史実と違うのはこの世界では領巾(ひれ)は水の流れを表すとかで男女ともに身に着ける事と、その長さが身分で明確に分かれている事でしょうか。王族ともなれば後ろを持ってもらう程に長い領巾を付けるんですよ。挿絵で見ただけで邪魔だろうなぁと思うレベルの。まぁ精霊である浦さんには長さは問題ではないみたいで、不思議な力でふよふよと領巾が浮いています。時々桃さんに「鬱陶しい!」と言われてますが。

その桃さんはヒノモト国で主流の古墳時代の服装です。ヒノモト国は砂漠の国でとにかく暑いので、衣類は基本白色で空気を含むようにダポッとした服です。地球世界でも砂漠の国の伝統衣装ってそんな感じですよね。ただヒノモト国は同時に戦闘国家でもあるので戦いやすさが重視され、ダボッとした服を手首や肘、膝、足首などを紐で締めているので、結果的に見た目が古墳時代の衣装になるようです。その白い衣装に刺繍を施したり、袖や裾を締める紐に飾りを通したりしてお洒落をするようです。私個人の感想としては実は三国一のお洒落さんたちじゃないかとすら思います。

そして天都は一言でいって「カオス」です。
宮家などはそれぞれのルーツの服を着る事が一番多いらしいのですが、三国の文化が混じる事もあるらしく。またそれとは別に天都が出来てしばらく経った頃に、アマツ三国よりも格式をある装いをと願った(と言われている)帝の発案で、平安時代の貴族の正装である束帯や十二単っぽいものが導入されたりと統一性があまりありません。


まぁ何にしてもゴシゴシゴシとフレーム磨きです。

うすらぼんやりと見えてきた風景は自分が通っていた小学校でした。
その光景を見た瞬間、私は「あっ!」と大声を上げ、浦さんは小さな声で「あ……」と呟きました。きょとんとした顔の桃さんが私と浦さんの顔を交互に見比べています。

「どうしたんだ、二人して?」

「あっ、うん。ちょっと桃さんに協力してほしい事を思い出したの。
 で、浦さんはどうしたの?」

私の話はそうそうに切り上げます。もっと早くに思い出したかった。でも今は何より私の過去の記憶を見た浦さんの反応が気になります。

「いえね、先ほど水に人体が溶けるか……と聞かれた話なのですが。
 それに関しては全く関知していないのですが、
 似たような事例ならば知っています。この澱んだ水を見て思い出しました。」

そう言って浦さんが指さしたのは秋の風景の中にある小学校のプールでした。

「この辺りでは滅多に見る事はないのですが、
 水の妖の一種が確かそのような技を持っていたかと。
 澱んだ水に潜み、近くを通る人や動物を水に引きずり込み……
 まぁ、その、大変言い辛いとある場所から命を奪うんですよ。
 その結果シワシワになって死亡します」

「怖っっっ!!!」

そういえばこの世界ってば妖が存在するんです。いわゆるモンスターですね。
精霊もモンスターもいるのに、人間は魔法が使えないというのが納得できないのですが、この世界の人は身体能力が半端ないので、ある程度の妖なら力技でどうにかしてしまいます。

だって街中で普通に歩いている高齢者ですらオリンピックの金メダリスト以上の身体能力の持ち主なんですよ。この世界の人たちの最低レベルが地球のトップレベルのアスリートと同等かそれ以上ってどうなってるの?!
50m走12秒2の私は赤ん坊レベルかもしれないと小説読んだ時に遠い目をした覚えがあります。私、持久力はある方だとは思うんだけど、瞬発力が皆無なんですよね……。

それにしてもこの世界の人が水に入る事を恐れるのは、そういった事例があったからなんですねぇ。

「この辺りはどうして平気なの?」

念の為もう一度確認しておきます。水浴びや洗濯をしていたら命吸い取られたなんて怖すぎますし。

「アレらは特殊な場合を除いて澱んだ水を好みます。
 この近辺のように澄んだ水の場所ではまず遭遇する事はないでしょう。」

じゃぁ、大丈夫……かなぁ。お風呂には絶対に入りたい!!

「それでも心配だというのであれば、金太郎の力を借りれば良いのです。」

そう浦さんは金さんへと視線を移しました。それに金さんは溜息をついてから答えます。

「いや、我に妖除けの技はないぞ。だがアレ程度ならばどうとでもなろう。」

二人の話が良く分からず思わず首を傾げます。

「あぁ、アレは金気を嫌うのだ。簡単に言えば鉄を嫌う。
 ゆえに水中に鉄柱などを立てておけば余程の事が無い限りアレは近づいてこぬ」

なるほど、対処法はあるんですね。それに鉄を水に浸しておけば良いのならば、精霊の技に頼らずともどうにかできそうです。

「それにしても水の妖で鉄が嫌いだなんて、ガタロみたいですね。」

まぁガタロ……いわゆる河童は綺麗な水に住んでいるような気がしないでもないですが、その他の条件だけをみればガタロとよく似た妖に思えます。

だとすると浦さんが口ごもった「とある場所から命を奪う」とは尻子玉……。
シワシワになるぐらいお尻から命吸い取られるなんて死に方は絶対に嫌!!
お風呂を作るなら常に清潔にしつつも(当然かつ重要)、鉄をどこかしらに仕込む必要がありそうです。
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