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3章
16歳 -火の極日11-
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今までの呼び太鼓とは明らかに違う、ひときわ勇壮なリズムが辺りに響き渡り始めます。これは王族限定の呼び太鼓で、ゆっくり300を数えるぐらいの長さがあるのだと教えてもらいました。王族の会場入りが早すぎると準備を終えていない華族の顔を潰すことになり、逆に遅くて待たせすぎても良くないので、この長さがベストなんだそうです。王族も色々と気を使っているんですね。
そんな訳で私達は今、王族の控室になっている北対を出て渡殿と呼ばれる廊下を通り、寝殿に差し掛かる辺りで待機しています。
寝殿造りの庭園全てが小火宴の会場なのですが、私達は寝殿から庭園に降りて池に架かった橋を渡り、池の中央にある島に向かうことになります。そこが王族専用のスペースになっているんだそうです。庭園では若い華族の男女が思い思いに会話を楽しみ、西と東にある透廊《すきろう》や透渡殿と呼ばれる壁の無い廊下では、既婚者や婚約中の女性が几帳を立て、その後ろで社交に励むことになります。このような配置になるのは、戦時を除いて既婚・婚約中の女性が家族以外に顔を晒す事を良しとしない為です。
ヒノモト国の人は情熱的な反面少々嫉妬深く、自分の伴侶や婚約者を異性の目に晒したくないと思う人が多いんだそうです。なので男女ともに明らかに既婚・婚約者持ちと解るようなアイテムを身に着けます。それが帯で、白い帯に自分を表す紋と婚約者を表す紋を赤い糸で刺繍するのだとか。ヒノモト国の女性は機織りを習うよりも剣や弓を習う女性が多いのですが、その関係からか刺繍だけは上手って人が多いそうです。
対し未婚かつ婚約者の居ない人は男女は、最低限のドレスコードさえ守ればかなり自由です。帯も既婚者のような固いものではなく、兵児帯のような柔らかい布を巻いてふわっと締めたり、組紐と合わせたりとオシャレを楽しみます。
眼の前に居る皐月姫殿下のように。
皐月姫殿下は膝下から腰にかけて真っ赤な花の刺繍が艶やかな上衣を身にまとい、肘や手首といった関節部を留めている紐には幾つもの宝石らしき石がキラキラと輝いています。帯は何度も染めたのか赤系のグラデーションが美しい兵児帯のような柔らかい帯を背中側で花のように結わえ、髪は下美豆良と呼ばれる下側が輪になっていないタイプの美豆良を結っています。その結び目など髪のあちこちに何種類もの赤い生花が飾られていて、とてもとても艶やかです。
この国では生花を潤沢に用意できるのは本当に限られた人だけなので、下手をすれば宝石を飾るよりも人目を引くんですよね。
ちなみに私は艶糸で織られた白い布を使ったアオザイ風の衣装を身にまとい、膝丈の上衣の裾15cm程は母上渾身のレース編み、その少し上には控えめに黄色い小花の刺繍がしてあります。この国では黄色を差し色に使うことはあってもメインで使う事はないので、小さな花であってもインパクトはあると思います。
それじゃなくてもレース編みは初公開ですしね。
私自身がレース編みをしたことがあるわけじゃなく、前世の祖母がやっていたのを記憶フレームから探し出し、それを金さん経由で母上に伝えてもらって再現したレース編み。機織りを使わずに糸を編むというのが母上たちにとっては新鮮かつ難解で、色々と試行錯誤してもらった成果です。
そして帯は皐月姫殿下と同様に兵児帯のような柔らかい布なのですが、超がつくレベルでシンプルに締めています。その代わり前面中央には金色の石で花をかたどった飾りがついた組紐を使用してワンポイントとしています。髪はサイドを後ろでまとめて叔父上から貰った組紐の髪飾りを使い、後髪はそのまま背中へ流しているので風が吹く度になびく感じです。全体的に衣装こそヒノモト国風ですが、髪型や使用している色なんかがヒノモト国では見ないスタイルになっています。なので会場内でも目立つでしょうが、目立つからこそ滅多なことは起きないだろうという算段です。
「櫻、私と一緒に入場しましょ」
「却下! 俺の同伴者なんだから俺と一緒に決まっているだろ」
覚悟は決めたものの緊張感は消えてくれない私の横で、宴に慣れている王族の二人は余裕たっぷりでじゃれ合っています。
この小火宴は若い華族が経験を積む場でもあるのですが、同時に出会いの場でもあります。なので既婚者や婚約者は当然その相手と、そういった相手が居ない場合は兄弟姉妹や近しい血縁者と男女ペアで参加する決まりです。男女が片寄る事なく、できるだけたくさん集める為の方法なんだそうです。
唯一の例外は主催者の若い王族で、色々と主催として動かなくてはならないので一人での参加になります。今回でいえば皐月姫殿下がソレにあたります。
にも関わらず皐月姫殿下は私と一緒に入場したいらしく、私の腕を抱え込むようにして緋桐殿下を牽制しています。緋桐殿下は頭を抱えつつも
「俺の隣は櫻嬢で確定だ、これは絶対に譲れん。
だが俺の横、櫻嬢とは反対側に並んで3人一緒に入るなら良いぞ?」
という妥協案を示したのですが、
「兄様の横ではなく、櫻の隣が良いのに……。
では、私が真ん中で左右に兄様と櫻が並ぶと良いのでは??」
と皐月姫殿下も譲りません。
(何でこんな事で揉めてるんだろう??)
先程まであった緊張感も忘れて、思わず首を傾げたくなってしまいます。
「いっそ櫻嬢を真ん中にすれば良いんじゃないか?」
「それです!!」
「駄目に決まっているでしょう!」
思わずツッコミを入れてしまいました。皐月姫殿下はどうやら初めて出来た対等な友達を披露したいという気持ちのようですが、絶対にトラブルの元なので止めてください。
そんな感じでじゃれていた皐月姫殿下が、ピタリと動きを止めました。そして私の腕を抱えたまま
「気になっていたんだけど……」
と神妙な顔つきで切り出しました。
「室内では分からなかったんだけど、外だと櫻から良い匂いがするのは何故??
香を焚きしめているような強い香りじゃない、ほのかに香るコレは何なの?
それに髪用の油を譲ろうかと思ってたのに、油無しでどうしてこんなに艶が?
キラキラと篝火に輝くし、風にはサラサラとなびくし、
何もかもがもおかしいわ!!!」
怒涛の質問攻めに思わず仰け反りそうになります。
「香りは自分で作った練り香を使っているのですが、細かい説明はまた今度。
皐月姫殿下のご質問全てにお答えしたいのはやまやまなのですが、
そろそろ時間が押し迫っておりますから……」
進行を任されているらしい官吏が(そろそろ会場入りしてほしいんだけど)という視線をこちらにチラチラと向けています。
「仕方がないわね。約束よっ。
今度じゃなくて明日、必ず説明してよね!」
これ以上出発が遅れると寝殿の廊下を走る羽目になるので、流石に皐月姫殿下も口をとがらせながらも諦めたようです。
「では、行こうか」
広大な庭園の寝殿から池の中にある中島に向かうルートの両脇に、たくさんの華族が片膝をついて頭を下げて平伏していました。寝殿付近に居るのは下位華族で、奥に行けば奥に行くほど高位華族が居るんだそうです。また東と西に見える透廊でも几帳の陰で頭を下げている女性がたくさんいる……のだとは思いますが、流石にここからは見えません。庭園にいた華族たちも私達が会場入りしたのに気づいたようで、「ざわり」という耳に聞こえる音と雰囲気、2種類の波が一気に庭園を駆け抜けました。
先頭にいる皐月姫殿下が主催なのは事前通告されていたので、通常通り華族たちは膝をついて頭を下げようとしたところ、こういった公式行事にはなかなか顔を出さない緋桐殿下の姿を見かけて驚き、更にその横に見知らぬ女が居た事で驚きを抑えきれなくなったようです。
「櫻嬢、足元に気をつけて」
ヒノモトの靴は爪先を固い革で保護した短めのサンダルブーツのような靴なので、他国に比べると動きやすいものの玉砂利を敷き詰めてある庭園は足元を取られやすく、それを心配した緋桐殿下が手を差し伸べてくれました。
ただ華族たちの意識が平伏しつつもこちらに向いている事がありありとわかる中、緋桐殿下の手をとるのは勇気が必要です。一瞬悩んでしまいましたが、ここで転んで大失態を犯すよりはマシです。左手でしっかりと扇を持って顔を隠しつつも
「誠にありがとうございます」
と返事をして緋桐殿下の手に自分の手を重ねました。それを満足そうに見ていた緋桐殿下でしたが、何を思ったのか顔を近づけると
「できれば君を抱き上げて行きたいぐらいだが、
流石にそれは許してはくれないのだろう?」
と、決して声を張り上げている訳でもないのに周囲に控えている人たちにはしっかりと聞こえる良い声で、とんでもない事を言いだしました。思わず緋桐殿下に「当たり前でしょうが!!」と言いながら顔面を鷲掴みして遠ざけたい気持ちになってしまいますが、それをグッと堪えて
「お戯れはお止めくださいませ、緋桐殿下」
と心底困ったように言って精一杯の抵抗を伝えておきます。おそらくこの会場内に居るはずの火箭家の苧環姫に見せるためのパフォーマンスなのでしょうが、いきなりやられると焦ってしまうのが男女交際初心者というもの。
……なんか悲しくなってきたよ。
篝火を映す池に架かった橋を渡ると、まず野点のときに使うような真っ赤な巨大傘が2張りが見えてきました。夜の宴に野点傘は必要なのかちょっと疑問ですが、格式とか伝統とかの関係なのだと思います。それぞれの巨大傘の下にはベンチのような椅子が置かれてあり、一つは中央にあって橋の方を見るように、もう一つはその斜め後ろにありました。どうやら中央のベンチに主催者の皐月姫殿下が座り、背後の椅子に緋桐殿下と私が並んで座るようになっているようです。
手を引かれるままにベンチに腰をおろし、その横に緋桐殿下が座ります。そして皐月姫殿下も同様に座ると、待っていたかのように次々と華族の方々が挨拶をするために橋を渡ってきました。入場とは違って挨拶は高位華族からのようで、最初は殿下たちの従兄弟にあたる人物でした。
「皐月姫殿下、ならび緋桐殿下にお会いすることができ、誠に嬉しく思います」
従兄弟という間柄や仁家という家柄もあって、敬語も一応使いますが重ねて使う程ではありません。これがどんどん下位になればなるほど、多重敬語になっていく訳です。
そして当然ながら、華族たちは主催者の皐月姫殿下や第2王子の緋桐殿下には挨拶をしますが、私は視界にすら入れてもらえませんし、「あちらの方は?」なんて気にかけてももらえません。完全に居ないものとして扱われているので、ある意味気楽です。もちろん気を抜く訳には行きませんが、お人形のように緋桐殿下の横に座っているだけで終わってくれたら良いなーなんて思ってしまいます。
まぁ……。当然そんな訳にはいかないのですが……
「緋桐殿下、そちらの女性はどちらの姫君ですの?」
数組の挨拶が済んだところで此方に向かってかけられた声に、急に現実に引き戻されてしまいます。楽しいことや明日以降の予定を考えて現実逃避している間に宴が終わって欲しいと切実に願っていましたが、どうやらそうはいかないようです。
声のする方を見れば、敵意をコレでもかと感じる視線とぶつかりました。姫君と発言した口元は扇で隠れているものの、その侮蔑の色が滲んだ視線は隠しようがありません。
「やぁ、苧環姫。息災そうで何よりだ。
彼女は俺が何年もの間、求愛を続けている櫻嬢だ。
俺だけの姫と呼びたいところだが、彼女が嫌がってなぁ」
緋桐殿下はそう言いながら、私の方を見るとニコッと微笑みました。
「当然に御座いましょう……」
そう返事をしてからスッと緋桐殿下を視界から外します。こういうのに慣れていないから、絶対に顔が赤くなっていると思います。
その途端バキッという音がしたかと思うと、苧環姫は骨の折れた扇を私に投げつけてきました。その扇は緋桐殿下が庇ってくれたので当たらなかったのですが、それが余計に苧環姫の怒りを煽ったようで、玉砂利を荒く踏みしめながら近づいてきます。
「其処をおどきなさい!! お前如きが居て良い場所ではありません!!」
苧環姫の怒りに満ちた大音声が辺りに響いて雅楽の音がブツンと途切れると、痛い程の静寂と大量の突き刺さりそうな視線が私に襲いかかってきたのでした。
そんな訳で私達は今、王族の控室になっている北対を出て渡殿と呼ばれる廊下を通り、寝殿に差し掛かる辺りで待機しています。
寝殿造りの庭園全てが小火宴の会場なのですが、私達は寝殿から庭園に降りて池に架かった橋を渡り、池の中央にある島に向かうことになります。そこが王族専用のスペースになっているんだそうです。庭園では若い華族の男女が思い思いに会話を楽しみ、西と東にある透廊《すきろう》や透渡殿と呼ばれる壁の無い廊下では、既婚者や婚約中の女性が几帳を立て、その後ろで社交に励むことになります。このような配置になるのは、戦時を除いて既婚・婚約中の女性が家族以外に顔を晒す事を良しとしない為です。
ヒノモト国の人は情熱的な反面少々嫉妬深く、自分の伴侶や婚約者を異性の目に晒したくないと思う人が多いんだそうです。なので男女ともに明らかに既婚・婚約者持ちと解るようなアイテムを身に着けます。それが帯で、白い帯に自分を表す紋と婚約者を表す紋を赤い糸で刺繍するのだとか。ヒノモト国の女性は機織りを習うよりも剣や弓を習う女性が多いのですが、その関係からか刺繍だけは上手って人が多いそうです。
対し未婚かつ婚約者の居ない人は男女は、最低限のドレスコードさえ守ればかなり自由です。帯も既婚者のような固いものではなく、兵児帯のような柔らかい布を巻いてふわっと締めたり、組紐と合わせたりとオシャレを楽しみます。
眼の前に居る皐月姫殿下のように。
皐月姫殿下は膝下から腰にかけて真っ赤な花の刺繍が艶やかな上衣を身にまとい、肘や手首といった関節部を留めている紐には幾つもの宝石らしき石がキラキラと輝いています。帯は何度も染めたのか赤系のグラデーションが美しい兵児帯のような柔らかい帯を背中側で花のように結わえ、髪は下美豆良と呼ばれる下側が輪になっていないタイプの美豆良を結っています。その結び目など髪のあちこちに何種類もの赤い生花が飾られていて、とてもとても艶やかです。
この国では生花を潤沢に用意できるのは本当に限られた人だけなので、下手をすれば宝石を飾るよりも人目を引くんですよね。
ちなみに私は艶糸で織られた白い布を使ったアオザイ風の衣装を身にまとい、膝丈の上衣の裾15cm程は母上渾身のレース編み、その少し上には控えめに黄色い小花の刺繍がしてあります。この国では黄色を差し色に使うことはあってもメインで使う事はないので、小さな花であってもインパクトはあると思います。
それじゃなくてもレース編みは初公開ですしね。
私自身がレース編みをしたことがあるわけじゃなく、前世の祖母がやっていたのを記憶フレームから探し出し、それを金さん経由で母上に伝えてもらって再現したレース編み。機織りを使わずに糸を編むというのが母上たちにとっては新鮮かつ難解で、色々と試行錯誤してもらった成果です。
そして帯は皐月姫殿下と同様に兵児帯のような柔らかい布なのですが、超がつくレベルでシンプルに締めています。その代わり前面中央には金色の石で花をかたどった飾りがついた組紐を使用してワンポイントとしています。髪はサイドを後ろでまとめて叔父上から貰った組紐の髪飾りを使い、後髪はそのまま背中へ流しているので風が吹く度になびく感じです。全体的に衣装こそヒノモト国風ですが、髪型や使用している色なんかがヒノモト国では見ないスタイルになっています。なので会場内でも目立つでしょうが、目立つからこそ滅多なことは起きないだろうという算段です。
「櫻、私と一緒に入場しましょ」
「却下! 俺の同伴者なんだから俺と一緒に決まっているだろ」
覚悟は決めたものの緊張感は消えてくれない私の横で、宴に慣れている王族の二人は余裕たっぷりでじゃれ合っています。
この小火宴は若い華族が経験を積む場でもあるのですが、同時に出会いの場でもあります。なので既婚者や婚約者は当然その相手と、そういった相手が居ない場合は兄弟姉妹や近しい血縁者と男女ペアで参加する決まりです。男女が片寄る事なく、できるだけたくさん集める為の方法なんだそうです。
唯一の例外は主催者の若い王族で、色々と主催として動かなくてはならないので一人での参加になります。今回でいえば皐月姫殿下がソレにあたります。
にも関わらず皐月姫殿下は私と一緒に入場したいらしく、私の腕を抱え込むようにして緋桐殿下を牽制しています。緋桐殿下は頭を抱えつつも
「俺の隣は櫻嬢で確定だ、これは絶対に譲れん。
だが俺の横、櫻嬢とは反対側に並んで3人一緒に入るなら良いぞ?」
という妥協案を示したのですが、
「兄様の横ではなく、櫻の隣が良いのに……。
では、私が真ん中で左右に兄様と櫻が並ぶと良いのでは??」
と皐月姫殿下も譲りません。
(何でこんな事で揉めてるんだろう??)
先程まであった緊張感も忘れて、思わず首を傾げたくなってしまいます。
「いっそ櫻嬢を真ん中にすれば良いんじゃないか?」
「それです!!」
「駄目に決まっているでしょう!」
思わずツッコミを入れてしまいました。皐月姫殿下はどうやら初めて出来た対等な友達を披露したいという気持ちのようですが、絶対にトラブルの元なので止めてください。
そんな感じでじゃれていた皐月姫殿下が、ピタリと動きを止めました。そして私の腕を抱えたまま
「気になっていたんだけど……」
と神妙な顔つきで切り出しました。
「室内では分からなかったんだけど、外だと櫻から良い匂いがするのは何故??
香を焚きしめているような強い香りじゃない、ほのかに香るコレは何なの?
それに髪用の油を譲ろうかと思ってたのに、油無しでどうしてこんなに艶が?
キラキラと篝火に輝くし、風にはサラサラとなびくし、
何もかもがもおかしいわ!!!」
怒涛の質問攻めに思わず仰け反りそうになります。
「香りは自分で作った練り香を使っているのですが、細かい説明はまた今度。
皐月姫殿下のご質問全てにお答えしたいのはやまやまなのですが、
そろそろ時間が押し迫っておりますから……」
進行を任されているらしい官吏が(そろそろ会場入りしてほしいんだけど)という視線をこちらにチラチラと向けています。
「仕方がないわね。約束よっ。
今度じゃなくて明日、必ず説明してよね!」
これ以上出発が遅れると寝殿の廊下を走る羽目になるので、流石に皐月姫殿下も口をとがらせながらも諦めたようです。
「では、行こうか」
広大な庭園の寝殿から池の中にある中島に向かうルートの両脇に、たくさんの華族が片膝をついて頭を下げて平伏していました。寝殿付近に居るのは下位華族で、奥に行けば奥に行くほど高位華族が居るんだそうです。また東と西に見える透廊でも几帳の陰で頭を下げている女性がたくさんいる……のだとは思いますが、流石にここからは見えません。庭園にいた華族たちも私達が会場入りしたのに気づいたようで、「ざわり」という耳に聞こえる音と雰囲気、2種類の波が一気に庭園を駆け抜けました。
先頭にいる皐月姫殿下が主催なのは事前通告されていたので、通常通り華族たちは膝をついて頭を下げようとしたところ、こういった公式行事にはなかなか顔を出さない緋桐殿下の姿を見かけて驚き、更にその横に見知らぬ女が居た事で驚きを抑えきれなくなったようです。
「櫻嬢、足元に気をつけて」
ヒノモトの靴は爪先を固い革で保護した短めのサンダルブーツのような靴なので、他国に比べると動きやすいものの玉砂利を敷き詰めてある庭園は足元を取られやすく、それを心配した緋桐殿下が手を差し伸べてくれました。
ただ華族たちの意識が平伏しつつもこちらに向いている事がありありとわかる中、緋桐殿下の手をとるのは勇気が必要です。一瞬悩んでしまいましたが、ここで転んで大失態を犯すよりはマシです。左手でしっかりと扇を持って顔を隠しつつも
「誠にありがとうございます」
と返事をして緋桐殿下の手に自分の手を重ねました。それを満足そうに見ていた緋桐殿下でしたが、何を思ったのか顔を近づけると
「できれば君を抱き上げて行きたいぐらいだが、
流石にそれは許してはくれないのだろう?」
と、決して声を張り上げている訳でもないのに周囲に控えている人たちにはしっかりと聞こえる良い声で、とんでもない事を言いだしました。思わず緋桐殿下に「当たり前でしょうが!!」と言いながら顔面を鷲掴みして遠ざけたい気持ちになってしまいますが、それをグッと堪えて
「お戯れはお止めくださいませ、緋桐殿下」
と心底困ったように言って精一杯の抵抗を伝えておきます。おそらくこの会場内に居るはずの火箭家の苧環姫に見せるためのパフォーマンスなのでしょうが、いきなりやられると焦ってしまうのが男女交際初心者というもの。
……なんか悲しくなってきたよ。
篝火を映す池に架かった橋を渡ると、まず野点のときに使うような真っ赤な巨大傘が2張りが見えてきました。夜の宴に野点傘は必要なのかちょっと疑問ですが、格式とか伝統とかの関係なのだと思います。それぞれの巨大傘の下にはベンチのような椅子が置かれてあり、一つは中央にあって橋の方を見るように、もう一つはその斜め後ろにありました。どうやら中央のベンチに主催者の皐月姫殿下が座り、背後の椅子に緋桐殿下と私が並んで座るようになっているようです。
手を引かれるままにベンチに腰をおろし、その横に緋桐殿下が座ります。そして皐月姫殿下も同様に座ると、待っていたかのように次々と華族の方々が挨拶をするために橋を渡ってきました。入場とは違って挨拶は高位華族からのようで、最初は殿下たちの従兄弟にあたる人物でした。
「皐月姫殿下、ならび緋桐殿下にお会いすることができ、誠に嬉しく思います」
従兄弟という間柄や仁家という家柄もあって、敬語も一応使いますが重ねて使う程ではありません。これがどんどん下位になればなるほど、多重敬語になっていく訳です。
そして当然ながら、華族たちは主催者の皐月姫殿下や第2王子の緋桐殿下には挨拶をしますが、私は視界にすら入れてもらえませんし、「あちらの方は?」なんて気にかけてももらえません。完全に居ないものとして扱われているので、ある意味気楽です。もちろん気を抜く訳には行きませんが、お人形のように緋桐殿下の横に座っているだけで終わってくれたら良いなーなんて思ってしまいます。
まぁ……。当然そんな訳にはいかないのですが……
「緋桐殿下、そちらの女性はどちらの姫君ですの?」
数組の挨拶が済んだところで此方に向かってかけられた声に、急に現実に引き戻されてしまいます。楽しいことや明日以降の予定を考えて現実逃避している間に宴が終わって欲しいと切実に願っていましたが、どうやらそうはいかないようです。
声のする方を見れば、敵意をコレでもかと感じる視線とぶつかりました。姫君と発言した口元は扇で隠れているものの、その侮蔑の色が滲んだ視線は隠しようがありません。
「やぁ、苧環姫。息災そうで何よりだ。
彼女は俺が何年もの間、求愛を続けている櫻嬢だ。
俺だけの姫と呼びたいところだが、彼女が嫌がってなぁ」
緋桐殿下はそう言いながら、私の方を見るとニコッと微笑みました。
「当然に御座いましょう……」
そう返事をしてからスッと緋桐殿下を視界から外します。こういうのに慣れていないから、絶対に顔が赤くなっていると思います。
その途端バキッという音がしたかと思うと、苧環姫は骨の折れた扇を私に投げつけてきました。その扇は緋桐殿下が庇ってくれたので当たらなかったのですが、それが余計に苧環姫の怒りを煽ったようで、玉砂利を荒く踏みしめながら近づいてきます。
「其処をおどきなさい!! お前如きが居て良い場所ではありません!!」
苧環姫の怒りに満ちた大音声が辺りに響いて雅楽の音がブツンと途切れると、痛い程の静寂と大量の突き刺さりそうな視線が私に襲いかかってきたのでした。
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