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07 逆らえない人
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――なんで大臣たちまで来ているの?
唇を軽く食み、私は挙動不審に視線を彷徨わせた。目に映るのは普段は決して関わることの無い国の重鎮たちばかり。思わず、怖くて身体が強張ってしまう。
「オーロラのおかげで、余の命は助かったと聞いたぞ! そなたは実に素晴らしい才女なのだな! なあ、お前もそう思うだろう?」
空気を読まない陛下の無邪気にはしゃいだ声が、目配せとともに彼の隣に立つ宮廷医に向けられる。
「はい、陛下。左様でございますね」
言わされている。
誰もがそう思うほど、陛下の言葉に同意を示した宮廷医の表情は死んでいた。口角こそ僅かに上がっているが、目が笑っていないのだ。
――可哀想に付き合わされちゃって……。
医者も楽ではないのね。
なんて思ったそのとき、陽気さとは一転した陛下の低い声が部屋に響いた。
「あ……? もっと他に言うことがあるんじゃないのか?」
宮廷医の反応が気に食わなかった。余程のことが無い限り、誰もがそうと察せるほど、陛下は射殺さんとばかりのガンを宮廷医に飛ばした。
自身の大事な主治医かつ、自分よりも四十は上であろう人に取る態度とは思えない。年功序列という訳ではないが、少なくとも私の周りにそんな人はいないから、何だか嫌に心がゾワゾワする。
でも、宮廷医本人は慣れているのだろう。陛下の不遜な態度自体を気にする様子はない。その代わり、必死の形相で口を開いた。
「も、申し訳ございません! 言葉が足りておりませんでしたっ……」
病人顔負けなほど真っ青になった宮廷医が頭を下げる。陛下はその姿を捉えると、眼光を和らげゆっくりとした口調で言った。
「そうだろうな。人間、誰しも間違うことはあろう」
陛下はポツリと告げると、念押しの視線を宮廷医に送った。
「……最後の機会をやる。今度は間違えるなよ?」
「はいっ、ありがとうございます!」
首の皮一つ繋がったとはこういう状況を言うのだろう。
そんな怖いことを考えながら、私は目尻にほんのりと涙を溜めた宮廷医に憂いの目を向ける。すると宮廷医は、先ほどの同意に続く言葉を語り始めた。
「げ、現在の陛下の体調に問題は無く、後遺症もございません。すべて、オーロラ様の完璧な処置があったおかげでしょう。止まった心臓を再び動かすとは、まさに神のごとき御業でございますっ!」
なんて茶番だろうか。こんな大袈裟に並べ立てられただけの褒め言葉を、誰が真に受けるというのか。
陛下だってきっと――
「だそうだぞ、オーロラ!」
予想に反し、陛下はそう言って、自分事のように嬉しそうな笑みを私に向けてきた。
いや、あなたはこれで納得したの? 思わず、そんな突っ込みを心の中で入れたくなる。
こんな風に過度に褒められても、喜ぶどころか私の心は不安で冷めるだけ。それなのに、陛下は「良かったな!」なんて言って、こちらに笑いかけてくる。
本気で私が喜んでいるとでも思っているのだろうか? 勘違いにもほどがあるだろう。
でも――
――もうどうだっていいから、早く帰らせてよ……。
感情の酷い温度差と居心地の悪さが相まって、私の心は限界の悲鳴を上げる。こうなった今、もう我慢の限界だと思い、私は微笑みかけてくる陛下に顔を向けた。
「あの、陛下……」
「ん? どうした、オーロラ?」
ルンルンと跳ねるような声を出し、見目麗しい顔に愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべる陛下。私はそんな彼に対し、丹念に考えた当たり障りのない台詞を口にした。
「過分のお言葉をありがとう存じます。それに何より、陛下の御無事が確認できて安心いたしました。では、私は仕事の続きがございますので、これにて失礼いたしま――」
「まあ待て」
せっかく勢いで円満に出て行こうとしたのに、陛下が私の手を掴んで退室を制止した。そして、下手に逆らえない私の手を軽く引っ張ると、強制的に近くの椅子へ座らせた。
「陛下? あの、わた――」
「あーん」
「っ……」
好き勝手に振る舞う陛下は、机の上の皿に載せていたブドウの実を私の口元へと運ぶ。だが、当然私が口を開けるはずもない。
「どうしたオーロラ。甘いぞ? 早く食べると良い」
「美味しいものは私でなく、すべて陛下がお食べに――」
「いいから口を開けないか」
素直に開けるしかなかった。開けなかったら、後が怖いと思ったのだ。
陛下はこの絶対王政のヒストリッド帝国の長。一方の私は、ただの雇われメイド。
逆らえるはずがなかった。
「美味いだろう?」
「はい……。甘酸っぱくて美味しいです」
無理やり食べさせられた果物なのに、ちょっと美味しくてなんだか悔しい。このレベルの美味しさを持つ果物は、前世以来かもしれない。
だからこそ、これで満足。美味しい思いをさせてもらったんだということにして、さっさと退散しようと椅子から立ち上がった。
「貴重な果物までありがとうございました。それでは、仕事がございますので――」
「好きなだけ休むと良い」
人の言葉を遮って好き勝手なことを言うこの男に、苛立ちが募る。だが、それを表に出してはいけない。
「っ……仕事をしていないと落ち着きませんので――」
「それなら、余と過ごすことを仕事としよう」
絶対に嫌だ。そう叫びたくなる気持ちをグッと堪え、陛下の機嫌を損ねないよう言葉を尽くした。
「陛下。私のような者が、陛下とともに居続けるなどあってはならぬことです。本日はありがとうございました。私はこれにて失礼いたします」
このまま勢いで行くしかない。強行突破だ。
そんな気持ちで一方的に言い切った私は、一目散に扉の方へ大股で歩みを進めた。
そして、とうとうドアノブに手をかけた。
――やっと抜け出せるっ……!
触れたドアノブの冷たさを感じると同時に、解放的な気持ちが一気に込み上げてくる。
だが、そんな私の密かな高揚感は一瞬にして霧散した。
唇を軽く食み、私は挙動不審に視線を彷徨わせた。目に映るのは普段は決して関わることの無い国の重鎮たちばかり。思わず、怖くて身体が強張ってしまう。
「オーロラのおかげで、余の命は助かったと聞いたぞ! そなたは実に素晴らしい才女なのだな! なあ、お前もそう思うだろう?」
空気を読まない陛下の無邪気にはしゃいだ声が、目配せとともに彼の隣に立つ宮廷医に向けられる。
「はい、陛下。左様でございますね」
言わされている。
誰もがそう思うほど、陛下の言葉に同意を示した宮廷医の表情は死んでいた。口角こそ僅かに上がっているが、目が笑っていないのだ。
――可哀想に付き合わされちゃって……。
医者も楽ではないのね。
なんて思ったそのとき、陽気さとは一転した陛下の低い声が部屋に響いた。
「あ……? もっと他に言うことがあるんじゃないのか?」
宮廷医の反応が気に食わなかった。余程のことが無い限り、誰もがそうと察せるほど、陛下は射殺さんとばかりのガンを宮廷医に飛ばした。
自身の大事な主治医かつ、自分よりも四十は上であろう人に取る態度とは思えない。年功序列という訳ではないが、少なくとも私の周りにそんな人はいないから、何だか嫌に心がゾワゾワする。
でも、宮廷医本人は慣れているのだろう。陛下の不遜な態度自体を気にする様子はない。その代わり、必死の形相で口を開いた。
「も、申し訳ございません! 言葉が足りておりませんでしたっ……」
病人顔負けなほど真っ青になった宮廷医が頭を下げる。陛下はその姿を捉えると、眼光を和らげゆっくりとした口調で言った。
「そうだろうな。人間、誰しも間違うことはあろう」
陛下はポツリと告げると、念押しの視線を宮廷医に送った。
「……最後の機会をやる。今度は間違えるなよ?」
「はいっ、ありがとうございます!」
首の皮一つ繋がったとはこういう状況を言うのだろう。
そんな怖いことを考えながら、私は目尻にほんのりと涙を溜めた宮廷医に憂いの目を向ける。すると宮廷医は、先ほどの同意に続く言葉を語り始めた。
「げ、現在の陛下の体調に問題は無く、後遺症もございません。すべて、オーロラ様の完璧な処置があったおかげでしょう。止まった心臓を再び動かすとは、まさに神のごとき御業でございますっ!」
なんて茶番だろうか。こんな大袈裟に並べ立てられただけの褒め言葉を、誰が真に受けるというのか。
陛下だってきっと――
「だそうだぞ、オーロラ!」
予想に反し、陛下はそう言って、自分事のように嬉しそうな笑みを私に向けてきた。
いや、あなたはこれで納得したの? 思わず、そんな突っ込みを心の中で入れたくなる。
こんな風に過度に褒められても、喜ぶどころか私の心は不安で冷めるだけ。それなのに、陛下は「良かったな!」なんて言って、こちらに笑いかけてくる。
本気で私が喜んでいるとでも思っているのだろうか? 勘違いにもほどがあるだろう。
でも――
――もうどうだっていいから、早く帰らせてよ……。
感情の酷い温度差と居心地の悪さが相まって、私の心は限界の悲鳴を上げる。こうなった今、もう我慢の限界だと思い、私は微笑みかけてくる陛下に顔を向けた。
「あの、陛下……」
「ん? どうした、オーロラ?」
ルンルンと跳ねるような声を出し、見目麗しい顔に愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべる陛下。私はそんな彼に対し、丹念に考えた当たり障りのない台詞を口にした。
「過分のお言葉をありがとう存じます。それに何より、陛下の御無事が確認できて安心いたしました。では、私は仕事の続きがございますので、これにて失礼いたしま――」
「まあ待て」
せっかく勢いで円満に出て行こうとしたのに、陛下が私の手を掴んで退室を制止した。そして、下手に逆らえない私の手を軽く引っ張ると、強制的に近くの椅子へ座らせた。
「陛下? あの、わた――」
「あーん」
「っ……」
好き勝手に振る舞う陛下は、机の上の皿に載せていたブドウの実を私の口元へと運ぶ。だが、当然私が口を開けるはずもない。
「どうしたオーロラ。甘いぞ? 早く食べると良い」
「美味しいものは私でなく、すべて陛下がお食べに――」
「いいから口を開けないか」
素直に開けるしかなかった。開けなかったら、後が怖いと思ったのだ。
陛下はこの絶対王政のヒストリッド帝国の長。一方の私は、ただの雇われメイド。
逆らえるはずがなかった。
「美味いだろう?」
「はい……。甘酸っぱくて美味しいです」
無理やり食べさせられた果物なのに、ちょっと美味しくてなんだか悔しい。このレベルの美味しさを持つ果物は、前世以来かもしれない。
だからこそ、これで満足。美味しい思いをさせてもらったんだということにして、さっさと退散しようと椅子から立ち上がった。
「貴重な果物までありがとうございました。それでは、仕事がございますので――」
「好きなだけ休むと良い」
人の言葉を遮って好き勝手なことを言うこの男に、苛立ちが募る。だが、それを表に出してはいけない。
「っ……仕事をしていないと落ち着きませんので――」
「それなら、余と過ごすことを仕事としよう」
絶対に嫌だ。そう叫びたくなる気持ちをグッと堪え、陛下の機嫌を損ねないよう言葉を尽くした。
「陛下。私のような者が、陛下とともに居続けるなどあってはならぬことです。本日はありがとうございました。私はこれにて失礼いたします」
このまま勢いで行くしかない。強行突破だ。
そんな気持ちで一方的に言い切った私は、一目散に扉の方へ大股で歩みを進めた。
そして、とうとうドアノブに手をかけた。
――やっと抜け出せるっ……!
触れたドアノブの冷たさを感じると同時に、解放的な気持ちが一気に込み上げてくる。
だが、そんな私の密かな高揚感は一瞬にして霧散した。
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