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第11章 ふたりのルイスと魔王2
灰色から白が生まれる 1565年 堺
しおりを挟む〈ルイス・デ・アルメイダ、ルイス・フロイス、日比屋了珪、雪沙〉
一五六五年の春を待つ頃、宣教師ふたりは京と堺に分かれている。ルイス・フロイスは京へ、ルイス・デ・アルメイダは体調を崩し堺で静養している。フロイスには信徒や案内の人も付いて行った。
2週間ほど経って、アルメイダはようやく起き上がれるようになり、日比屋の家人それぞれと話ができるようになった。体調の悪いときは痛みで意識ももうろうとして、各人を認識するのも難しかったのである。
主の日比屋了珪は日に何度もアルメイダの部屋を訪れて様子伺いやキリスト教の話をする。はじめて京のフロイスから手紙が届いたときは、それを主みずから持参した。
畿内の移動はもとより慎重にしなければならないものだった。京には御所があり、将軍も本拠としている首府であることはいうまでもないが、そこは同時に仏教の都でもあった。天台宗の比叡山延暦寺、いにしえの都大和(奈良)の古寺の数々、真言宗の高野山金剛峯寺などの総本山がどびえているし、京に入れば曹洞宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などの本山が目白押しの状態になっている。そのような仏教の牙城でキリスト教を布教する。信徒は唯一の神を信じる。仏教勢力がそのような宗教を外敵とみなすのも仕方のないことだった。
もちろん、宣教師たちは仏教を凌駕するつもりはない。それがどのような事態を招くか分かっているからである。特に日本は戦乱の世になっていて国主まで倒されるようなことが珍しくない。異国人だからといって安全が保証されることはない。敵と見なされていればなおさらだ。
彼らはイエスの教えを説きながら宣教の許可を得て、貿易商とも連携しながら少しずつ基盤を築こうとしていた。
それは後年、「適応主義」と言われるようになる。
フロイスの一行は慎重に京への道を進んでいた。人目の多いところでは仏教僧・信徒に襲撃されるのを怖れて夜間に移動することもある。大坂でもそうだった。彼らは首尾よく信徒の伝手で泊めてくれる家を見つけたが、その夜に町全体が大変な災いに見舞われた。
火事である。
火は家から野へ、また家へ野へと広がり大火となった。フロイスらの滞在先まで火の手は伸びてこないようだったが、逗留先の主が「避難する人々がやってきたときにあなたがたがいると面倒なので」と告げ、一行は全員退去を余儀なくされた。
フロイスは外に連れ出され、闇を赤黒く染める空を見て言葉を失った。すでにきな臭い匂いが一帯に充満している。
それはこれまで見たことのない異様な風景だった。焼き討ちは見たことがあっても、町一つを焼いてしまうような大火ではない。フロイスは自身らと同じように、着の身着のままで走って逃げてくる人々を見てことの重大さに震えた。
あの火がいつこちらに襲いかかってくるかわからない。
恐れは五感を鈍くさせるのか。同行していた同宿が、「早くあちらに逃げましょう」と何度も呼んでいる声にようやく気づく。フロイスは早足でその場を立ち去るが、何度も振り返り火の勢いを確かめる。
もし火元の家にいて逃げ遅れていたら。
それは杞憂に終わったものの、一行は再び寒空の宿探しに勤しまねばならなかった。結局その後無事に京に到着したので手紙も寄越せるわけだが、堺の人々は旅の困難について十分に伺い知ることができた。
「フロイスさまは難儀なことでしたが、アルメイダさまはこちらに逗留してはって幸いでしたな。こないな出来事に遭いはったら、お身体をどれほど悪うされていたことか……」
日比屋了珪の慰めの言葉に、アルメイダはうつむく。
「彼だけにそのような思いをさせたのを、心苦しく思います。私も早く本調子になって、京に向かわなければ」
日比屋了珪は慌てて手を横に振る。
「お役目をまっとうしはるんなら、身体を健やかにしておかなあきません。そうですな、フロイスさまも文に書かれておりますが、少しずつでよろしいですので堺の衆にお話をしてやって下さいませ」
確かに文には、「体調が回復するまで、可能な範囲で堺の人々への宣教につとめてください」と書かれていた。
アルメイダはフロイスの心遣いをありがたいと思うと同時に、自分が情けなく思えて仕方なかった。しかし今の自分にできることはそれしかないという悲しい自覚もあった。
「それでは、最近はようやく歩けるようにもなりましたし、明日からお話をさせていただけたらと思います。日比屋さま、どなたかご紹介下さいますでしょうか」
日比屋はうん、うんとうなずいた。
「もちろんです。ただ、その前に……」
「その前に?」
「私どもの家人にお話してくださいませんやろか。私も娘も息子も、でうす様、じぇず様のことをもっとよう知りたい思うてますのんや。何人かの使用人にも」
アルメイダはそこでようやく笑顔を見せた。
「はい、ぜひよろしくお願いします」
少し後で日比屋了珪は離れの部屋を訪れた。
室内では雪沙が文机に向かい、何かを紙に書き付けていた。その背後に日比屋が座り話をする。
「そうか、皆で話を聞くのか」
「はい、明日は都合のつく家人が揃いますよって、雪沙さまもぜひにと思いまして……」
雪沙はしばらく考えている。
「私はもう南蛮人には会わないということ、よくご存じかと思いますが」
日比屋は深くうなずく。
「確かに承知しております。ただ、思うのでございます。そろそろよいのではないかと。あなたさまは、かれこれ何年になるのでしょう……身を隠すようになられて」
「五十年になります」と雪沙は静かに言う。
「さようですか……五十年も経てば世の中はすっかり変わってしまいますよって、もうあなたさまを捕らえてどうこうしようという人はおらんのんと違いますか。私はぽるとがるの商人に地図を見せてもらったことがあります。何と遥かな道筋……若者ならば戻ることはできるでしょうが、そうでないのなら……もうそろそろ頃合いやないでしょうか」
「私もそう長くはないから、故国と地続きの人と話をしてみろと、そのようなことでしょうか」と雪沙は先回りをする。
「さようです」と日比屋了珪はうなずく。
雪沙はしばらく考えてから言った。
「そうですな、日比屋さまのおっしゃられることはよく分かります。アルメイダ修士とじかに話すかはともかく、彼の説教を聞いてみましょう。実は、彼の話をトーレス司祭やフェルナンデス修士に前から知らされています。この国で初めて病院を開いた人を実際にこの目で見てみたいと正直思っています」
日比屋はそれを聞いてほっとしたように、「ほな、明日お呼びしますよって」と立ち上がり、部屋を出ていった。
ずいぶんとあっさり、
永年の言を撤回したものだ。
最近つくづく思うのは、
これほど故国から離れても、
まだ私には知りたいと思っていることがあるということだ。
それは今やどう足掻いても知り得ないようなことだ。
ルクレツィアはどのような人生を送ったのだろう。
ミケーレ・ダ・コレーリアはどのような人生を送ったのだろう。
私がかつて生きていた世界の人々は
どのような人生を送ったのだろう。
私はこのように生きて、ここまで来た。
自分の人生なので、
振り返ってみずからを賛美することもない。
賛美?
否。
私の血筋のフランシスコ・ボルハは、
私のことを恨んでいるのだろうか。
彼の祖父を、私の弟を殺したことを。
雪沙は考えている時いつもたどり着く問いにぶつかって思考を止める。そして、明日対面するポルトガル人の容貌を想像することにした。
外にはちらちらと雪が降っている。うっすらと積もり始めているようだ。離れから見える庭園は小さいが、植栽もよく手入れされている。そこもあっという間に白く染められていく。
雪沙は障子戸を開けて、灰色の空から白い雪が間断なく降りてくるさまを見上げる。
「暗い灰色から、これほど真っ白な雪が生まれてくるのだな」
雪沙はまぶたを伏せて、戸を静かに閉めた。
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