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気弱なハムチュターンの覚悟④

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「……チィ」

 俺は、家のリビングで呆然と座っているエミリアに力なく声をかけていた。

 幸い、大切で愛しい唯一の番が、ライバルの男にキスされてしまうと思った時、エミリアが我に返ってくれた。ほっと安堵する間も無く、彼女は顔を真っ赤にして俺をわしづかむと家に転移したのである。

「……はぁ……」

 リビングで、お茶すら淹れず俺の事もほったらかしで、ぼんやりしてはため息をついて、時々顔中を真っ赤にして瞳を潤ませていた。

「……チ、……チ……チィ……」

 恐らく、こうして家に帰った事すらまともに覚えていないだろう。完全にライノの言葉とさっきの行動に心を奪われてしまっている。

──……エミリア…………エミリア……。どうか、俺を見て……。俺だってエミリアを愛している。あいつなんかよりもずっと……

 俺は、物語のヒロインのように、完全に恋に落ちたような乙女の表情をしているエミリアに、祈るように懇請する。
  だが、ぼんやりしつつも俺をケージに戻してエサをくれたあと、そのまま服を着替えずにベッドに行ってしまった。



※※※※



 ライノは、いい青年だと思う。エミリアと10才から一緒で気心も知れている。何よりもエミリアだけをずっとこの10年想っていたって告白していた。
 運か奇跡か、女神の祝福か。
 貴族令嬢らしいエミリアに釣り合う侯爵位を手に入れるために、彼ならどんな困難も乗り越えるそんな気がする。だって、俺だってエミリアを得るためなら自分で出来る事全てで成し遂げてみせるから。

「チ……」

 俺は、ケージからのそのそ起き出した。エミリアが、去年俺のために準備した俺の体型を尋ねながら選んでくれた服の場所に移動した。

 ふと、巨大なベッドのシーツの高さを見上げる。俺が人化する時にすぐに着用できるように準備された服の側で俺は目を閉じた。

 体中に魔力が駆け巡る。徐々に回復していった魔力は、すでに人化に必要な量を蓄えていた。


──エミリア……


 人化すれば、君を抱きしめる事が出来ると思っていたんだ。

 君に愛を囁いて、君の心を乞うて。

 人化できなければ、君とずっと側にいられると思っていたんだ。

 愛らしい姿で、愛玩対象でもいいからこのささやかな幸せな日々を送って。


──エミリア……


 君の心が欲しい。体ごと、その全てが欲しくて仕方がないと思う。


──エミリア……


 本能のまま君の心に、君の体に俺を刻みつけたくてたまらない。


──エミリア……


 君の心が、俺にない今、無理やりは絶対にしたくないんだ。


──エミリア……


 君が、俺を好きになって、愛してくれて、その上で体を重ねたい。


──エミリア……


 俺は、どうしたらいい? あいつじゃなくて、俺を選んでくれるならなんだってするから。


 暴れ出す魔力が、体中の細胞ひとつひとつに熱を送り込んでいく。痛みはない。体に纏う体毛がどんどんなくなっていくと同時に、手足がのび、体幹が大きくなって、顔の造形すら変えていく。



※※※※




 俺は、彼女が用意してくれいた服を着る。あんなに見上げていても見えなかったベッドの上で眠る愛しい人の顔をじっと見下ろした。ぼんやりとした温かみのある灯りが、俺と彼女を暗闇の中で照らす。

「エミリア……」

──ああ、君はこんな顔をしていたんだね……。

 滑らかで真っ直ぐな黒髪をひと房掬い上げて指に絡ませた。今は瞼が閉じているけれど、小さな体でぼんやり見ていたその色は恐らくは黒というより濃い茶色だろう。
 真っ白な肌が、ぷるんと弾けそうなほど頬の丸みを強調している。髪の毛と同じまつ毛は長くて、一本一本が瞼に影を作っていた。

 シーツの下にある体の曲線はとても華奢で女性らしい。上向きなのに、ツンと向いた双丘は、静かに呼吸と共に上下している。

「……俺の、番。俺の、魂。俺の、命よりも大切で愛しい人。ねえ、君はこの俺を見てどんな風に思ってくれるんだい?」

 擦れた声は、彼女の耳の中に入っていくのか、それとも虚しく部屋の空気に霧散するのか。

 南国育ちの日に焼けた大きな手はごつごつしていている。手入れは怠っていないけれど、ライノの指先よりも荒れている。
  魔力よりも肉体を使った近距離戦に長けた俺の姿は、ライノのように優しそうで格好いいとは言えない。
  俺がモテるのは、国内限定だ。それも、俺の容姿によるところではない。

 番というものへのあこがれもあった。けれど、番探しの旅に出た理由は、俺に言い寄る少女たちの本心が透けて見えて、女の子というものに辟易していたからだ。

 こうして、まさか会えるなんて思ってなかった番の美しく愛らしい唇にそっと人差し指でその輪郭をなぞった。

 まだ、愚かしくも思い描いていた幸せな夢のような妄想の一コマのように、俺のかさついた唇をそこに当てたいと思う。
 君の唇は俺の想像よりも小さくて、俺が口をつけてしまえば隠れてしまいそうだ。
 どんな感触なんだろう。どんな味なんだろう。そして、どれほど俺は幸せになれるのだろうか。

 眠っている君が、その存在が奇跡のようで、女神がもたらした幸せの欠片の中でも一番輝いているようで。どんな細かな部分もしっかり見たいのに、目が熱くなって視界が潤んでしまう。

「エミリア、愛している……」

 俺は、胸に渦巻く感情を必死に抑えながら、そっと人差し指を彼女の唇から離した。

──エミリア、君がひょっとしたら他の男の夢を見ていると思うだけで、苦しいんだ……

 ふと、窓から入り込む月光に誘われるように窓を見た。

   そこには、図体だけが大きく、肝心の彼女の前で、その時にあるかもしれない別れが怖すぎて堂々と人化すらできない、矮小で情けない男の姿がぼんやりうつっていた。








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