上 下
20 / 84

16

しおりを挟む
 入ってきた執事は、フェルミに対して恭しく頭を下げた。

「若奥様、改めましてご挨拶に伺いました。私の名は、トラム。主に執事をしております。そして、ここにいるのが」
「カロナと申します。メイド全般の業務と、料理長、そして、カヴァネスのようなものをしております。恐れ多いことながら、ラート様の乳母もしておりました」
「レドと申します。カロナの息子で、庭師です。たまに、料理長をしています」

 フェルミは、彼らもまた、子爵夫妻の厳重な命令を受けて、機嫌を損ねないように丁寧な対応をしてくれているのだろうかと思った。どう見ても、普通に挨拶しているようには思えるのだが、いかんせん、今まで出会った人たちが偏りすぎて、人数も非常に少ない。
 色々考えてみたものの、判断がつきにくいため、彼らが内心どうであれ、自分は自分なりに対応しようと決めた。

「私はフェルミと申します。えーと、ここの若奥様をしております? そして、ここにいるのが」
「ファーリと申します。……ん? ちょっと待って下さい。お嬢様、お嬢様は座ったままで良いんです。敬語もいりません! そして、変なことをおっしゃらないでください!」

 流れるようなフェルミの対応につられて、ファーリも頭を下げてしまった。一瞬でおかしいと理解して、フェルミに意見と言う名のツッコミをする。

「え? だってファーリ、目上の方には礼を尽くすべしって本に書いて……」
「この部屋では、お嬢様が一番目上なんです。あんたたち、お嬢様が世間知らずでお優しいからって、調子に乗らないように! あと、他の使用人は? 全く、お嬢様が来たっていうのに、本来なら、玄関先で全員が迎えるべきでしょう?」

 フェルミは、ファーリのほうがよっぽど若奥様らしいなと思った。なんだか、彼女といるととても心強く、気分が沈み込まなくてすむ。

「恐れながら、これで全員でございます」

 執事のトラムが、更に頭を下げてそう言った。ファーリはあんぐりと大きな口をあけた。

「えっと、お嬢様についてくれる直属の使用人がってこと?」

 まさかと思った。いくら伯爵家に劣る子爵家でも、使用人の10人や20人はいるだろう、と。

「バスタ子爵家に使える、全職員でございます」

 メイド長のカロナが、ダメ押しでそう言うと、フェルミが喜んで、小さく手を叩く。

「そうなのね。ファーリ、良かったわね。今までの3倍よ。ファーリを入れたら4倍ね」
「それはそうですけど、そーですけどっ!」

 ぶちぶち文句を言い続けるファーリをよそに、フェルミは3人の前に移動して彼らの手を取った。

「ファーリが先程言ったように、何も知らないの。至らないところがたくさんあると思いますが、どうぞ、よろしくお願いします」

「そんな、若奥様。我々などに……頭をお上げください」
「トラムの言う通りでございます。知らないことがあるのなら、今から知ればよろしいかと。私自身、上流階級のマナーの細かなところはわかりませんが、奥様から、若奥様の教育をするように申し使っております」
「俺は、新たに若奥様の護衛を命じられましたので、外出の際は俺も連れて行ってくださいね」

 フェルミは、三人の目をじーっと見た。嘘やごまかしを言っているようには、やっぱり見えない。

(たとえ、騙されていても良い。ここで過ごすのなら、表面上でも仲良くしてくれるなら……それに、カロナが教えてくれるのはありがたいわ。ファーリはああ言ってくれたけれど、何もできない、なんにもしらない今、無防備に出ていくのは危ないわよね。色々身につけてから、それからのことを考えても遅くはないもの)

 フェルミは、世界を見て回るには、本で見てきた主人公たちのように、様々な苦難を乗り越えるための強い心と技と知識が必要だと、彼らのことを受け入れようと思った。

(それに、もしかしたら、料理長さんたちのように……ううん、だいそれた期待は持っちゃダメ。私はどこにいっても嫌われる外見とスキルしかないんだもの……)

 いくら、期待したくないと決めても、僅かな優しさにふれるとむくりと起き上がるそれを、何度も何度も押さえつけた。

 三人が出ていった後、フェルミはとある疑問をファーリに投げかけた。

「ねぇ、ファーリ。あの人達に、さっきの話聞かれちゃったかな?」
「ここの息子がマザコンだっていう話ですか?」
「ファーリ、まだマザコンって決めつけるのは早いわよ。ふふふ、そうじゃなくて、出ていこうっていう話」
「聞いてたんじゃないですか? だって、ほら」

 ファーリは、扉の蝶番と壁の大きすぎる隙間を指さした。

「子爵夫妻がいた、良さそうな作りであるはずの部屋ですら、声がダダ漏れだったんですよ? 若奥様が住む部屋だってそうに決まってますって」

 彼女が、あまりにも平然とそういうものだから、フェルミは首を傾げた。

「もしかして、わざと聞かせていたの?」
「ふふふ、そうかもしれませんね。ま、とりあえず、衣食住は保証されそうですし、外出だって許可されてるっぽいじゃないですか。準備が出来たら世界中を旅しましょう」
「ふふふ、それもいいかもね」
「ですです。マザコンとは別れたほうが良いんです。こっちから捨ててやりましょう」
「もう、ファーリったら。ラート様が、マザコンじゃなかったら? 本当に、お仕事でいそがしかっただけかも?」
「あのですね。男は女に会うためには、時間なんて作るもんなんですよ。そもそも、今まで会ったことも手紙すら交換したこともないんですよ? 今日いないだなんて、極悪マザコンに決まってます。借金まみれは確定ですし、その時点でアウトですけど。もしかしたら、酒にも女にもだらしないろくでなしかもですよ!」
「もしも、ファーリの言う通りだったら、一緒に世界中を回りましょうね」
「はい、世界中のいい男を見つけましょう!」

 フェルミは、ファーリらしい激励に、気持ちがかなり軽くなった。いつか世界を旅する夢は、胸の片隅に大切にしまって置こうと思ったのである。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

会社を辞めて騎士団長を拾う

BL / 完結 24h.ポイント:584pt お気に入り:34

あなたに愛や恋は求めません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:105,581pt お気に入り:8,842

屋烏の愛

BL / 完結 24h.ポイント:78pt お気に入り:11

断罪の果てに

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:938pt お気に入り:41

【R18】貴方の想いなど知りません

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,150pt お気に入り:4,622

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:22,259pt お気に入り:1,367

処理中です...