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76 決闘の申し込み

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 きちんと服を着て、俺の相棒である双剣も帯びた。

 ごくりと唾を呑み込むと、屋敷の外へと続く扉に両手を添える。

 うう、怖え。

 ロイクに対する俺の苦手意識は計り知れないものがある。あいつにだけは勝てた試しがないのがその理由だった。

 だけど、クロイス曰く「今はビイの方が基礎能力は上だよ」と言ってくれたから、俺はその言葉を信じることにしたんだ。

 それに、クロイスはロイクより強い。年齢通りの経験しかなかったら経験の差で勝てない可能性はあったけど、クロイスの中には厄災を倒した英傑、賢者クロードの経験が蓄積されている。

 だから万が一俺が失敗しても、クロイスはロイクに殺られる心配はきっとない。後方に憂いがなければ、俺は全力を出せる。

「ビイ?」

 屋敷の広間で待機しろと伝えてあるクロイスが、言いつけ通り階段の手前から俺を呼んだ。

 開けようとしていた俺の手は止まり、クロイスを振り返る。

「どうした?」

 腕を組んだクロイスが、真顔にやや心配そうな表情を浮かべていた。……俺、師匠なんだけどな。ああでも、クロードとクロイスの年齢を足したら俺と同い年くらいなのかもしれない。精神年齢は。
 
「ロイクには、オレがクロードだって言っちゃ駄目だよ。切り札だからね」
「……ん」

 言われなかったら、ポロッと喋っていたかもしれない。やっぱり俺には頭脳戦は向いてないんだろう。危なかった。

 改めて扉に向き直り、背後のクロイスにここはビシッと指示を下す。

「いいか! 俺が扉を閉めてから結界を解除するんだぞ!」
「一緒に行ってもいいのに」
「馬鹿! お前今丸腰だろ!」

 ロイクは障壁の上から、俺がどこぞの男とよろしくやっていたところをしっかりと目撃している。今ここでクロイスと一緒に出てきたら、今だってギイインッ! ギイインッ! と結界を震わせているのに、すぐ斬りつけられない保証はない。

 あいつのことだから、相手がクロイスだと分かっても躊躇なく殺そうとするんじゃないか。で、殺したら後で涙ながらに言うんだ。「まさかクロイスだと思わなかった」って。

 ありありと思い浮かぶだけに、危険は避けるべきだと思った。

「……ビイに結界は張らせてもらうからね」
「おう、頼んだ」

 ロイクは心理的に俺を揺さぶるのを大の得意としているから、何をネタに脅してくるか分かったもんじゃない。

 俺はどうも単純なのかすぐに動揺するらしいので(とさっきクロイスにはっきりと言われた)、動揺させられた隙に気絶させられて連れ去られて、というのをクロイスは一番心配していた。

 ヤラれる心配はないだろと言ったけど、「この間強制的に触らされたんでしょ」と言われて、黙った。言うことを聞きます。

「よし!」

 改めて気合いを入れ直すと、扉を開けた。どうせ今は結界があってあいつは入って来られない。

「いってらっしゃい」
「おう!」

 勇ましく出ていくと、扉をぴっちりと閉めた。よし!

 中庭の中程まで進むと、上空を見上げて双剣の柄に手をかける。ロイクは俺が出てきたのに即座に気付いたらしく、剣を納めるとなんと笑った。……うげえ。

 ――そろそろかな。

 俺がそう考えた直後、唐突に結界の青い障壁が掻き消える。ロイクは一瞬焦ったようだったけど、すぐさま器用に回転しつつ俺の前の地面に軽やかに降り立った。本当こいつ、身体能力高いな。ま、俺ももう全盛期に近いから負けないけど。

 片膝をついていたロイクがすっくと立ち上がると、上等そうな下履きの膝についた砂をパッパッと払う。

 笑顔なのに目が一切笑っていない、多少老いても未だ端正な顔を真っ直ぐに向けられた。

「ファビアン、私は幻を見たのかな」
「あ?」

 ロイクを前にすると、俺の態度は一気に悪くなる。この演技がかった仕草や話し方が鼻につくんだよな。

 ロイクが悲しそうな笑顔を作った。

「窓に裸の君が立っていて、誰かに後ろから犯されている幻を見た気がするんだが」
「……」

 俺は口をぎゅっと閉じ、沈黙を守る。こいつは話術を得意としている。かたや俺はころっと言いくるめられる方だ。

 クロイスに言われた。そういう時は、何も会話しないのが一番だと。

 もう俺が師匠であいつが弟子だとか、この際どうでもいい。俺は絶対ロイクのやりたいようにはさせるつもりはなかった。

「ファビアン? どうして何も言わないんだ?」

 ロイクが一歩近付いてくる。もう一歩近付けば俺の剣が届く範囲まで。

 俺は腰を落として構えると、握った柄を少しだけ抜いてみせた。

 ロイクはむかつく薄い笑いを浮かべたまま、ピタリと足を止める。

「お前に決闘を申し込みたい」
「……決闘? どういうこと?」

 訳が分からないといった様子で、ロイクは大仰に肩を竦めた。仕草のひとつひとつがむかつくな。

「俺はお前と決別したい。俺が勝ったら、二度と俺に関わるな。勿論俺の周りの人間にも、だ」

 ロイクの笑顔が凍りつく。ピク、ピク、と片眉が動いていた。うわ、すっげえ怒ってる。

「……新しい恋人ができた? だから私から離れようとしてるのかな?」

 答えようかどうしようか、一瞬迷った。でも、ここで引いたら男がすたるぞ、ファビアン!

「恋人がいてもいなくても、お前なんか大っ嫌いだ、バーカ!」

 俺の言葉に、ロイクが例の悲しそうな笑顔に変わる。

「大嫌いだなんて酷いなあ。私はこんなにもファビアンのことを愛してるのに?」
「てめえのそれは愛じゃねえよ、ただの執着だ」
「私の愛を疑えと、その恋人に言われたのかな? 嘆かわしいことだ」

 何を言っても通じない、自分が正しいと訴えるこの感じ。本当、大嫌いだ。

「決闘から逃げるのか」

 再びロイクの眉がピクリと動いた。こいつは弱虫扱いされるのは嫌いだから、きっとこれなら乗ってくるだろう。のらりくらりと躱された場合の、クロイスからの忠告だった。

「……じゃあ私が勝ったら、ファビアンは死ぬその時まで私のもの、でいいのかな」
「俺だけだ。周りの人間に危害を加えた瞬間、俺は死んでやる」

 言った瞬間、ロイクの表情が一変した。

「――駄目だ! 死ぬなんて許せない!」
「危害加えなきゃいいだけだろ。そもそもなんでお前が勝つ気でいるんだよ」
「……」

 ロイクの頬が、ひく、と引きつる。

 よし、ここで締め括ろう。

「場所は明日の正午。城の鍛錬場にて行なう」
「……分かった」

 日頃はいつもロイクが先手を打っていた。だから今回は俺が先に次々切り出すことで、ロイクに余計なことを考えさせないようにした。勿論これもクロイスの入れ知恵だ。

「俺が屋敷に入ったら、再び結界を施す。それまでに出ていかないと、結界に押し潰されるからな。俺は知らねえぞ」
「――!」
「じゃあ明日。来いよ」

 俺はくるりと背を向けると、内心心臓がバックバクしながらも駆け足にならないよう努力した。

「ファビアン! 待っ」
「もうすぐ結界を張るぞ」
「――くっ」

 ロイクが走り去る音が聞こえる。うわーよかった。

 振り向かずにそのまま屋敷に入ると、中にいるクロイスが見えないよう急いで閉めた。

「ビイ、お疲れ様」
「ん……」

 ふわりとクロイスに抱き締められ、俺は恐怖で竦みそうになっていた身体をクロイスに預けたのだった。
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