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20. 本の森に隠れて 前編 ◆
しおりを挟む「セシルは本を読むスピードが速いな」
レオンの感心したような声を聞いて、そっと顔を上げる。本棚から目ぼしい書物を引き抜いてテーブルに積み上げ、それらに片っ端から目を通していく様子が面白かったらしい。
「全部を読んでいるわけじゃないんですよ。目次や索引で当たりをつけたり必要な情報が書かれてそうなページだけを流し読みして、じっくり読むか、もう一回流し読みするか、読まないかを決めるんです」
「へえ」
「小説や詩集や画集は最初から読みますけど、急いでるときは情報の選別が必要なので」
レオンの提案を受けたセシルは、王城の資料庫に入って中の情報を閲覧するという貴重な機会を得た。
ここには街の図書館や研究所の図書室には置かれていない珍しい本たちで溢れている。セシルの身長の三倍以上もある大きな棚は本でぎっしりと埋め尽くされ、それが資料庫の四面にそびえたつ。さらにその本棚の一部をくり抜いて作られた通路をくぐると、奥にまったく同じような空間がもう一つある。
本が劣化しないよう窓が設けられていない部屋は、灯りがなければ真っ暗だ。しかし棚のところどころに設置されたライトのすべてに光が宿ると、本の森は幻想的な光の空間に変化する。
だがセシルには本棚が煌めく光景に感動している時間はない。
「別に急がなくていいぞ」
「そういうわけには参りません。レオン様の大事な時間を頂いてるんですから」
今週は朝のうちに一度研究室に出勤すれば、そこから夕方までは自由に過ごしていいことになっている。外出の申請をすれば外に出ることも可能だが、退勤の時間には再度研究室に戻って業務報告をしなければならない。
という自分の都合もあるが、それよりも公務で忙しいレオンを占有している方が気がかりだ。
レオンの厚意をありがたく受け取ったセシルだが、王城の資料庫に入るには王族の許可と立ち会いが必要となる。つまりこの場所で書物や記録を閲覧する時間は、レオンの時間を犠牲にすることで成り立っているのだ。急がなくていい、と言われても悠長に構えてのんびりと読書はしていられない。
「とりあえず、これとこれは一度ちゃんと読みたいです。あとこっちの三冊も熟読したいので、もう少しお時間を頂いてもいいですか?」
「ああ、いいぞ」
最初に持ってきた本の山の中から気になる情報が多かった五冊を選別し、これらをもう一度読むことにする。とはいえ計八つある巨大な本棚のうち、一つ目の本棚からたった五冊抜粋しただけで、まだ残りの本棚は確認していない。
とにかく時間がないので早く目を通したい、と選んだうちの一つを手に取ると同時に、レオンの腕が腰に絡まってきた。
「ただし、ここでな」
「!?」
驚く間もなく次の驚きに襲われる。
気付けばセシルは手前の部屋の中央に設置された、応接ソファの上に座らされていた。ただし後ろからレオンに抱きしめられるような格好で、彼の脚の間にすっぽりと収まるような体勢になっている。
「レオン様……!?」
「俺は暇なんだからいいだろう、別に」
一応ソファに腰を落ち着けているので、この状態でも本が読めないわけではない。
だがレオンに身体を抱かれ、ぴったりと密着した体勢で、耳元に彼の吐息を感じる状況で、どうやって本に集中しろというのだ。
「良くないです。離れてください」
「どうして離れる必要がある?」
「……集中できないです」
「セシルなら出来る」
「無理です」
一応文句を言ってみるが、レオンにセシルを解放してくれる様子はない。お腹に回った腕に力が込められるとそのまま静かになったので、これ以上は反抗しても無駄なのだと理解する。
一度は抗議を試みたが、仕方がない。背中にくっついたまま離れてくれないレオンを引き剥がすことは諦め、今はとにかく目の前の本に集中することにする。
王城の資料庫に入るという貴重な機会を棒に振るわけにはいかない。こんなチャンスは生きている間に、もう二度と訪れないかもしれないのだから。
* * *
「セシル」
いつの間にか活字を追うことに没入してしまったセシルは、レオンから声を掛けられていることにしばらく経っても気がつけなかった。
もう一度名前を呼ばれたことで本の世界から意識だけは戻ってきたが、目は文字列を追い続ける。
「……。はい……?」
レオンにはそれが面白くなかったらしい。少し遅れて生返事をすると、お腹に回っていたレオンの手がモゾモゾと動いた。
「なんです……ふぁ!?」
シャツの上から乳首をきゅ、と摘ままれたセシルは、驚きから一気に現実世界へ引き戻された。
肩から振り返ってレオンの姿を確認してみると、淡い光に照らされた端正な顔がつまらなさそうな表情に変わっている。
眉を中央に寄せて口をへの字に曲げたレオンが、
「俺に構え」
と駄々っ子のような台詞を呟いた。
レオンがのそりと動くと彼の少し高い鼻がセシルの耳の後ろを掠める。さらに首筋にレオンの吐息を感じると、なぜか身体が勝手に反応する。
「む、無茶言わないでください」
薄暗い中で淡い光を浴びると、ハニーブロンドの髪色はより濃く深い蜜色に変化する。短く整えられた髪の長さやアイスブルーの瞳はいつもと同じ鋭利な印象なのに、温かみのある光源の下でじっと見つめられると、その印象も様変わりする。
「セシルと一緒に過ごせると思って、ここ数日休日返上で仕事してきたんだぞ」
「そ、それは……申し訳ありません」
「別に怒ってるわけじゃない。むしろいつもより仕事が進んだから、それはいい。……ただ、俺にもセシルの時間が欲しい」
「~~っ……!」
甘さを含んだ視線と誘惑に、体温が急激に上昇する。顔が自然と火照っていく。
セシルを見つめるレオンの眼は褒美を欲しがる大型犬のようだ。否、彼の本質は『犬』ではなく『狼』だろう。
だから絆されて受け入れると自分が疲労するとわかっているのに、彼の指に頬を撫でられると吸い寄せられるように目を閉じてしまう。
そんなことをしている場合じゃないと頭ではわかっているのに、肩を抱かれて顎先を持ち上げられると一瞬で白旗をあげてしまう。
それまで追っていた文字列が、思考の端から砂糖菓子のようにほろほろと崩れていく。
「ん……ん……っ」
唇が重なると緊張で身体が強張る。レオンに与えられる温度と快楽を知るセシルは、歯列の隙間をこじ開けて侵入してくる舌の感触にさえ敏感に反応して感じてしまう。
「ふ……ぁ……あっ」
舌の裏や輪郭を確かめるようにねっとりと熱塊同士が絡み合う。セシルの口内のすべてを味わうように溢れる寸前の唾液を啜られて、何度も舌を甘噛みされて息を奪うほど強く激しく吸い上げられる。
濃厚なキスに溺れて身体から力が抜ける。ソファの下に身体がずり落ちて、床に座り込みそうになる。
するとセシルの身体が完全に脱力する直前で、お尻をぐいっと持ち上げられて座り直すよう誘導された。
ただし今度はレオンの股の間ではなく、レオンの太腿の上に後ろ向きに乗り上げるような体勢で。
「ちょ……レオンさま……っ!」
「本はもういいのか、セシル?」
「!?」
レオンの問いかけに思わず息を詰まらせる。
まさかこの体勢で読めと言うのか。こんな気分にさせておいて、こんな無礼かつ不埒な体勢に誘導しておいて、このまま読書を続けろと言うのか。
ぶんぶんと首を振りながら後ろを振り返る。
しかし本を持ったままバランスを取りつつレオンの表情を確認しようとすると、どうしても彼にお尻を突き出す姿勢になってしまう。
「ああ、俺のセシルが可愛い」
「えっ……な、っ……ふぁ!?」
レオンがふと感動したように呟く。『本が読めない』と抗議する直前にお尻を強く掴まれたので、身体がビクンと跳ね上がる。
「敏感だな、可愛い」
「っぁ……ぅ」
左右のお尻を大胆に掴まれると、肌が彼の指の感覚を敏感に感じ取る。そのままゆっくりと撫で揉まれると、中央の蜜穴まで勝手にひくっと反応してしまう。
数日前のことを鮮明に思い出してしまうこの身体が怖い。彼を受け入れて貫かれることを無意識のうちに望んでいるようで恥ずかしい……と思うのに。
「あ……や、……ぁ」
こんなことをしていいのだろうか。時間や場所ももちろんだが、自分とレオンの関係がよくわからないままで――王族と平民という決定的な立場の違い、また同性同士という壁を乗り越えていないうちに、これほど深い関係になってしまっていいのだろうか。
「そ、そういえば! 僕たちいつから……恋人同士になった、んっ……です、か……?」
数日前に研究所の廊下でレオンとローランドに会ったとき、ローランドはセシルとレオンの関係を『恋人』だと表現した。確かに熱烈な告白は受けたが、二人の関係性に名前をつける決定的な言葉はなかったはずなのに。
セシルの感情を察知したのだろう。
レオンがフッと表情を緩める。
「俺を受け入れた時点で、セシルは俺のものだ」
「な……そん、な……っぁ」
レオンが明確な口調で宣言する。たった一言でセシルの心を掴まえて縛ろうとする。
絶対に離さないとでも言いたげな力強さに、ひ弱な身体では――本音ではそうなることを望んでいるセシルには、抗うことなど出来るはずがない。
「っ……っひぁっ!?」
セシルが何も言わなくても、内心『嬉しい』と思っている感情が伝わったようだ。ソファの背もたれに身体を預けていたレオンが上体を起こすと、彼の胸とセシルの背中がっぴたりと密着する。
肌と肌の間にはお互いの服があるはずのに、二人の温度が溶け合うように重なる。
強く抱きしめられるとそれだけでセシルは安心できる。全身からほっと力が抜けて、いつの間にかレオンに身体を預けてしまうことまで、彼は熟知しているらしい。
耳元に唇を寄せられると、ぞくぞくっと背中に甘い痺れが走る。新たな刺激に怯えておそるおそる振り返ると、目が合ったレオンがにこりと意地悪な笑顔を浮かべた。
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