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23. 本音を閉じ込めたら
しおりを挟む「まあまあ、レオン殿下。そう気を落とさずに」
「……別に気を落としてるわけじゃない。なんの冗談かと思ってるだけだ」
側近のローランドが注いだ紅茶を口にしながら、レオンが憮然とした様子で文句を言う。その反応を見ていたローランドも、インクペンを走らせながら二人のやりとりを聞くセシルも、つい乾いた笑いを零してしまう。
確かに笑えない冗談だと思うだろう。眠った人間を覚醒させる薬の材料として精液を使うだなんて。
本から得た知識によると、薬の完成にはそれを飲む本人に近しい遺伝情報が必要なようだ。レオンは嫌かもしれないが、これで長年眠ったままのアレックスを目覚めさせることができる。王位継承権を放棄して自由になることを望むレオンも、早くアレックスに目覚めて欲しいはず。
もちろん精液を直に飲むわけではないし、改めて薬のレシピを確認してみると必要な分量はほんの数滴のみ。口にしても問題のないよう適切な処理を施す工程も含まれている。
「しかし不思議ですね。どうしてセシル様だけ読めるのでしょう?」
ローランドに声をかけられ、ペン先から視線を外して顔を上げる。レオンとローランドの二人がこちらを見ていると気付いて一瞬たじろぐセシルだが、聞かれた本人も首を傾げるしかない。
「わかりません……」
ぽつりと呟いたのち、ほう、と息を零す。
この本に書かれている言語は、結局レオンにもローランドにも把握できなかった。たまたますれ違ったレオンの義妹である王女や資料庫の管理を担う司書、城に勤める有識者にも訊ねてみたが、この本に書いてあることはセシル以外誰一人として読み取れなかった。使われている言語さえ把握できなかったのだ。
つまり現状、アレックスを起こす魔法薬の製作方法はセシルにしか理解できない。しかしセシル一人が製作作業のすべてを担うのは大変なので、とりあえずここに書いてあること――必要な材料を国語に翻訳して別紙に書き写すことが、今セシルが取り組んでいる作業である。
「他にどんなことが書いてあるんだ?」
「え、えっと……」
レオンに訊ねられたので、ページを数枚めくってみる。
「色んな薬のレシピ……ですね」
「薬科辞典のようなものですか?」
「そ、そうですね。そんな感じです」
セシルの報告をわかりやすい形へ導いてくれたローランドに感謝しながら、曖昧に頷く。
もちろん嘘は言っていない。確かにこの本にはアレックスを目覚めさせるための薬以外にも、万の病を癒す薬や強力な惚れ薬の製作方法が記載されている。
だがこの書物の本質はただの薬科辞典などではない。それでも今のセシルはまだ、ローランドの追及を適当に受け流しておかなければならない。
「……」
セシルの返答にレオンが訝しげな表情を見せる。
レオンに向けられた仕草から、セシルが隠した事実を察されたかもしれないと感じたが、今はそれもやり過ごす。レオンから視線を外すと、ペン先にインクを染み込ませてまた材料を別紙に書き写す作業へ戻った。
必要な材料を記入し終えると、ローランドがにこりと朗らかな笑顔を見せた。ティータイム中のレオンと一仕事終えたセシルに紅茶のおかわりを注ぐと、受け取った紙きれを手にしてサッとその場を離れる。
「ではこちらの材料を集めてきますね。状況によってはすべて揃うまで数日かかるかもしれませんので、準備が出来次第セシル様をお呼びします。研究所には王命という形でセシル様をお借りしますと通達しますので、もう少しだけご協力頂けますと幸いです」
「あ、はい。それは全然、構わないんですけど……」
ローランドの説明に頷きつつ、ひとつ気になっていることを確認する。
「あの、本当に僕が作っていいんですか?」
幸い今週は研究室の仕事に余裕があるので、魔法薬を作製する時間自体は捻出できるはずだ。だがそれほど重要な魔法薬を、一介の研究者が作っていいのだろうか。塗布薬や貼付薬ならともかく、毒見もなしに王族が経口摂取する薬の製作を、ただの平民であるセシルが請け負ってもいいのだろうか、と思う。
「他の者はその本を読めませんからね。別の者が作るとなればセシル様が傍で翻訳して指導する必要があります。その際に遅延やミスが生じて失敗してはいけませんし」
「まあ……」
ローランドの説得には納得せざるを得ない。
実は材料の一部を書き写すことは可能なのだが、本に書かれている製作手順や薬の概要を別の紙に書き写そうとすると、何故か失敗してしまう。書き写した直後からインクが蒸発して、内容がすべて消えてしまうのだ。
これもやはり、特殊な魔法がかけられているからなのだろう。確かに書いている内容を好き放題に複写できるのであれば、王家が秘匿してきた魔法が不特定多数に拡散する恐れがある。
そのせいで危険な状況を生みかねないとなれば、簡単に複写が出来ないよう特殊な魔法がかけられているのは当然と言えば当然である。
「それに何より、一番大事な材料はセシル様がお持ちのようなので」
「!」
考え込んでいるところにローランドににこりと笑われ、表情が凍り付く。
レオンを取り巻く環境をすべて把握していると聞いていたが、本当に、この人はどこまで事情を知っているのだろうと冷や汗をかく。もしや先ほど資料庫でしてしまった淫らなアレコレも把握しているのだろうか。
(あれは僕じゃないですよ! レオン様のせいですから!)
のほほんと笑顔を向けてくるローランドに心の中で訴えてみるが、もちろん伝わるはずがない。レオンの事情はすべて把握し、互いに以心伝心の関係を築いているようだが、セシルと会うのはまだ二度目だ。
「それでは失礼いたします」
「ああ、頼んだ」
恭しく頭を垂れたローランドの背中を見送ると、はぁ、と短く息をつく。彼はレオンとセシルの関係を正確に把握しているらしいが、かといっていつどこで何をしているのかまで把握されるのはあまりに恥ずかしい。
熱を含んだ吐息を漏らすセシルの顔を覗き込み、レオンがにやりと笑う。照れるセシルの反応を楽しんでいるかのような表情だ。
「セシルに子種を預けておいてよかったな。まさかこんな形で役に立つとは思わなかったが」
レオンの笑顔に、セシルも笑顔を返そうと思った。これはレオンなりの冗談で、セシルが照れるか文句を言うことを見越した台詞なのだと予想できたから。
だがセシルには冗談めかした返答が出来なかった。つい表情が引きつる。
「そう、ですね……お役に立てて光栄です」
「……」
セシルの表情を見たレオンが動きを止める。
見つめ合ったまま、お互いに沈黙してしまう。
確かにレオンの言う通りだ。レオンはすでに『この先二度と子を成せない処置』を自身の身体に施している。性的興奮と射精により精液は放出されるが、その中に子種は含まれないため、相手が誰であっても子を成すことは不可能な状態にある。
しかし魔法薬を作るために必要なのは『遺伝の情報』――すなわち精液の中に含まれる『子種』である。
眠り続けるアレックス本人から子種を得ることは困難だというのに、王もあっさり拒否したという。否、拒否したというよりも、年齢が年齢なので材料が揃ったタイミングに合わせて子種が用意できる保証がないのだろう。偉大な王の自尊心を欠かないために、本人も周囲もやんわりとレオンに押し付けたというのが正しい状況のようだ。
レオンの身体の状態はローランド以外の者は誰も把握していないらしい。だからアレックスの異母弟であるレオンの方が若い精気に満ち溢れていて子種の採取に適任だと考え、周囲は簡単に丸投げしてきたのだ。
レオンの境遇を思えば同情する他ないが、あまり彼に入れ込みすぎるわけにもいかない。――そう決断せざる得ない状況が、セシルにも差し迫っていた。
「あの、レオン様……この本少しの間お借りしてはいけませんか?」
ストレートティーをしっかりと味わってティーカップをソーサーに置くと、本の表紙を指先で撫でる。先ほどの沈黙から続く重い空気を打ち破るその提案に、レオンがパッと顔を上げた。
「ああ、いいぞ。セシルも、ちゃんと読みたいんだろう?」
レオンの返答にこくこくと頷く。
もちろん国家機密級の強力な魔法ばかりが並ぶ書物を安易に他の者に見せることはしない。情報の漏洩がないよう厳重に取り扱うし、汚したり破損したりすることがないよう丁寧に閲覧するつもりだ。
そう固く約束しても許可は下りないかもしれないと駄目元で訊ねてみたが、対するレオンの返答はごくあっさりとしたものだった。
「薬を作るために必要だと言えば、数日なら構わないだろ。まあ、どうせ誰も読めないしな」
「ありがとうございます」
レオンがセシルの希望を聞き入れてくれるので、ほっと胸を撫で下ろしながら微笑む。
この本を借りてしっかり読み込むことが出来るのなら、魔法薬を作るまでに詳細な手順を把握して製作の細かいシミュレーションもしておけるだろう。
安堵して息をつく。すると用意されていたクッキーを齧っていたレオンが、手と口の動きを止めてセシルの顔をじっと見つめてきた。
ふと顔を上げて視線が合うと、また少し沈黙が降りる。
「どうした?」
「え……?」
「ずっと表情が暗い。何かあったのか?」
静かな声で訊ねられ、言葉に詰まる。呼吸を忘れる。心音だけが、大きく響く。
その動揺を一生懸命に胸の奥に仕舞い込み、どうにか笑顔を作る。かなり無理矢理な表情だったが、今度は先ほどより少しは笑えているはずだ。
「いいえ、大丈夫です。なんでもありません」
本当は、なんでもなくはない。テーブルの上に置きっぱなしになっている本には、セシルが衝撃を受ける驚きの内容が記されている。
だからそれをちゃんと把握したくて、本を借りてもう少し丁寧に読み込んでみることにした。だがおそらく二度三度と読み返してみても状況は変わらない。
それは、わかっているけれど。
「……」
レオンの整った顔がわずかに歪む。まだセシルしか知らない秘密を察知したのか、アイスブルーの瞳が静かに揺れ動く。
しかしセシルの頑なな態度からまだその秘密を暴くことが困難だと察したのか、彼は静かに身を引いてくれた。
そのすうっと冷めていく温度にほっとしたセシルは、レオンがテーブルの下で拳を握りしめていることには気付けないままだった。
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