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第四十四章

『私のこと嫌いじゃないよね?』

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 バーハムはシアトル国際空港に車を停め、その日の午後、ニューメキシコ州アルバカーキ国際空港行きの飛行機に搭乗した。
 飛行時間は8時間、今夜、遅くにはサンタフェに着く予定であった。

 バーハムは目を閉じて考えていた。

『慌しく向かうものの、私はジョンに会って何と言えば良いのか。

『風の谷』の赤子を連れ戻すのと訳が違う。

 さて、ジョンに何と言うか…』

 しかし、その答えはなかなか思いつかなかった。

『遅かれ早かれジョンがイエズス会を退会し神父を辞める事は自明の理だった。

 そんな事はどうでも良いのだ。

 そう、浩子…、

 浩子の元に戻ってくれか…

 それは言えない。私が言う台詞ではない。浩子の言う台詞だ…』

 バーハムは深くため息を吐くと、目を開け、窓から空を見、飛行機の下をゆっくりと泳ぐ雲を見遣った。

 そして、こう感じた。

『雲も流れに身を任せ泳いでいる。

 『心の言うとおり』か…

 ジョンも心の欲するとおり、自己のアイデンティティを探し始めようとしている。

 それは特段不思議な事ではなく、至って普通の感情だ。

 私が心配し過ぎているのか…』と

 少し冷静さを取り戻したバーハムはコーヒーを飲もうとカップを口に運ぼうとした。

 しかし、途中でコーヒーを飲むのをやめて、カップをテーブルにそっと置くと、また、目を閉じて、心の中で呟いた。

『ジョン…、君はそれだけでは終わりとしないよな。

 君は全てを知った上で何を求める。

 今の君は死も怖くないだろう。

 そして、走るように頂上を目指しているだろう。

 その後、君はどうするつもりなんだ。

 死んではならない!

 ジョン、死んではならない!』

 バーハムは今あるジョンの心裏をそう悟ると、

『私も欲張らないよ。

 今回は君の顔を見るだけだ。

 敢えて言うならば、『先を急ぐな』、そう、そう言おう。』

 バーハムは今回の目的を決めると、26年前、『風の谷』で赤子のジョンを太陽に翳し、誓った言葉を唱えた。

 そう、あの聖アウグスティヌスの言葉を。

『過去はすべて神のあわれみにまかせ、

 現在はすべて神の深い愛情にゆだね、

 未来は神の偉大なる摂理、

 神の君に対する計画にすべてをゆだねるのだ。』と

 丁度その頃、浩子と祖母は神学校の入寮手続きを済ませ、寮の部屋で荷物の整理をしていた。

 祖母もバーハムの計らいで、バーハムがシアトルに戻るまでの間、寮のゲストルームに滞在する運びとなっていた。

 祖母はこのバーハムの計らいが有り難かった。

 こんなに想い悩んでいる浩子を1人にさせるなど到底出来なかったからだ。

 明日の開校式の準備も終わり、祖母は浩子に『1人で大丈夫かい?』と声を掛けた。

 浩子は頷きはしたものの、やはり表情は固かった。

 祖母は浩子の溜め込んでいる苦悩を和らげてあげようとし、

「何でも良いから言ってごらん。」と声を掛けた。

 浩子は何も言わず顔を横に振ったが、祖母は優しく浩子に言った。

「解決出来ないと思っていることほど、口に出せば楽になるものよ。そのために私が居るのよ。」と

 浩子は蚊の鳴くような声でこう言った。

「口に出せば泣きそうだから…」と

 祖母はにっこり笑ってこう言った。

「泣いて良いのよ。さあ、私に話してごらん。」と

 浩子はそっと頷き、ぼちぼちと語り始めた。

「おばあちゃん、私、本当に何がどうなったのか分からなくなったの。」

「ブラッシュ神父様の気持ちかい?」

「うん。ジョンも私も同じ気持ちだったのよ。

『離れては生きていけない』

 そう何度も何度もお互い確認しあったの。

 それが…、急に…」

 浩子は泣くのを堪えて、一つため息を吐くと、また、話し続けた。

「病院で意識が戻ってから、ジョンは人が変わったように、私を寄せ付けないような、私が立ち入ることが出来ないような、私を遠ざけるような、そんな話ばかり始め出して…」

 祖母は構わず問うた。

「どんな話をしたんだい?」と

 浩子は堰を切ったように話し始めた。

「急にね!『僕と浩子は違う』とか、『浩子を幸せに出来ない』とか、『僕と一緒に居ると不幸になる』とか、急に全て後ろ向きな事ばっかり言い始めて…」

「浩子は何て言ったのかい?」

「私ね、『そんな事聞きたくない!』って言ったの。
『どうして急にそんな事言うの?』って言ったの。」

「ブラッシュ神父様は何て答えたのかい?」

「理由は言わないの…」

「そうなのかい。」

「うん。でも、私、次の日、ジョンが心配になってね。ジョンを助けたいと思って、会いに行ったの、病室へ」

「話したのかい?」

「会わなかったの。」

「どうして?」

 浩子はギュッと唇を噛み締め、声を絞り出すように言った。

「私じゃなかったの。ジョンを助ける人は…、私じゃなかったのよ。」

「マリアさんかい?」

「うん…、私には見せなかった笑顔をマリアさんには見せていたの。楽しそうに話していたの。

 私…、踏み込めなかった…

 2人だけの世界

 私は入れないの。」

 祖母は何も言わず、浩子の肩を優しく撫でた。

 浩子は祖母の優しい愛撫に安心したのか、初めて自分の考えをこう述べた。

「私ね。きっと何か理由があると思っているの!

 ジョンは私を嫌いにはなってはいないと思ってるの!

 私…、ついついジョンに甘えて…、私が甘えるのをジョンも喜ぶかと思って…、

 でも、そんな事でジョンは私を嫌いになったりはしない!

 だから…、ジョンに聞きたいの。

 会って、目を見て、聞きたいの。

『私のこと嫌いじゃないよね?』って」

 祖母は『うんうん』と頷き、浩子の話を最後まで聞いてあげた。

 そして、浩子にこう言った。

「バーハム神父様が必ずブラッシュ神父様を見つけてくださるよ。

 そしたら、会いに行きましょう。

 会って、そう聞いてみるのよ。

 その時、分かるはずだわ。

 ブラッシュ神父様の浩子に対する気持ちがね。」と

 浩子も大きく頷き、こう言った。

「うん!会わないと!ジョンの瞳を見て聞かないと、私、一生後悔する。

 たとえ別れても構わない!

 ただ、聞きたいの!

『私のこと嫌いじゃないよね?」って

 それだけ聞きたいの!」と

 この時、浩子には自信があった。

『ジョンが愛してるのは私だけ』

『私以外の女性をジョンは決して愛したりはしない。』

 浩子は確固たる自信を抱いていた。

 


 
 
  

 


 
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