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第2部 『華胥の国の願い姫』
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しおりを挟む今朝はディノの体温が心地よくて二度寝の誘惑を断ち切るのが辛かった。だけど動き始めれば久しぶりにクラウスと逢えたのとディノを抱きしめてぐっすり眠れたせいか体が軽い。
時間の流れも掴めてきたから張り切って掃除を済ますとなんと今朝はお茶を飲む時間も出来た。
立ったまま流し台に腰を少しもたせ掛けながら誰もない台所はちょっとつまらない。
「前はこの時間にカイやリトナとお喋りしてたのにな。」
ふたりに代わり来てくれる見習い治癒士は食事を運んでくるのが時間通り。それは子供達を起こす時間に重なってしまう。
「私じゃ不足かな?」
「ノートンさん、おはようございます。」
「おはようトウヤくん。」
ノートンさんは珈琲を入れようとした俺を軽く手をあげて制すると自分で棚からカップを出し珈琲を入れて俺の横に並んで立った。
「朝の一杯をゆっくり一緒に飲むのはなんだか久しぶりだね。」
「本当ですね。マリーとレインに頼れない朝にようやく慣れたみたいです。」
それはちょっぴり切なくてノートンさんも黙って珈琲カップを傾けた。
「……そう言えばクラウスくんは夜のうちに戻ってしまったんだね。」
「あ、はい。来てると知らなかったんでびっくりしました。」
気にかけてもらえるのは嬉しいけれどノートンさんとクラウスの話をするのはやっぱりまだ照れ臭い。
「まだ忙しいみたいです、あ、でもまた今夜来てくれるって言ってました。」
「なんだ、一緒に来ないのかい?」
「一緒に?」
お互い首をかしげた結果ノートンさんの口から今日お客さんが来る事を知った。
クラウスが伝言を言付かった相手はルシウスさんだったらしく、正門前に馬車が着いたのはお昼ご飯の届く少し前だった。
「やあ、小鳥ちゃん久しぶり。」
宙を泳ぐ魚を生み出す長身の王国魔法士の登場に子供達は大はしゃぎだ。
「遊んでおいで」と指で作った輪っかから今回は沢山の蝶々を出す。でもその輪っかが必要ないと俺は知っている。
ルシウスさんの足元に寄っていた子供達が嬉しい悲鳴をあげながらギリギリ手の届かない高さで舞う蝶をそれぞれに追いかけ走り出すとルシウスさんはもうひとりのお客さんが降りるのを手伝いに馬車へ戻る。それはルシウスさんと同じワインレッドのローブを纏った王国魔法士長のハインツさんだった。
「まさか王国魔法士長までおいでになるとは思いませんでした。」
「すいません先生、爺様強引に付いてきちゃって……。」
ハインツさんに深く頭を下げ挨拶をするノートンさんにルシウスさんが申し訳無さそうに言う。
「トウヤ様にお会いするには来訪を待つより『桜の庭』に出向いた方が早いと言うので便乗させてもらったんじゃ。しかしノートン、しばらく見ないうちにすっかりじじいになったのう。」
「先生に失礼な物言いはやめてください。あなたのほうがずっとじいさんですよ。」
「失礼なのはお前のほうじゃろうが、まったくわしをじじい呼ばわりするくせになんでノートンが『先生』なんじゃ。」
ルシウスさんがこの国で一番偉い魔法士のハインツさんよりもノートンさんを敬うせいで妙な人間関係だけど仲の良いのは見て取れた。
「ふふっ。」
なんとも和やかな三人に思わず笑ってしまったらハインツさんと目が合ってしまった。
「ご無沙汰しておりますトウヤ様。お披露目式では大変ご立派でございました。この爺、感服いたしました。」
「そんな……いえ、ありがとうございます。」
ハインツさんはお披露目式に出席していたけれどこうして話すのは教会へ行った日以来だ。『立派だった』と褒めてくれたのは事実を受け止められず泣いた俺を知っているからかな。
杖に体を預けているせいで少しだけ俺を見上げるその瞳はとても優しい色をしていた。
「しかし実に美しい桜ですな。少し花見などさせて頂いてもよろしいでしょうか。」
「はいぜひ、あ、じゃあこちらへどうぞ。」
ベンチへ案内するとその隣に座るようノートンさんに勧められてしまった。でも座るならノートンさんでは?
「そうしてやって、小鳥ちゃんが立ってたらじいさんの首がもげちゃうから。」
ルシウスさんにもそう言われ慌てて隣に座らせてもらった。
「あの後お倒れになったと聞き及びましたがもうお体はよろしいのですか?」
ノートンさん達と話していたのとは違う話し方に少し緊張してしまう。
「はい平気です。それに倒れたと言ってもあの…『休眠症』だそうです。魔法士長様もご存知ですか?」
「左様でございましたか。」
ハインツさんは一瞬目を丸くしたけれどすぐにひとり納得したように頷いた。
「それにしてもあの様な大魔法をお使いになられる方にそう呼ばれるのはいささか面映ゆいものですな。ふむ、私の事は『じいじ』とでも呼んでくだされ。」
それは流石にどうだろう。
「魔法士長。うちのトウヤ君に無茶なことは言わないで下さい。」
「そうです図々しい。兄である私を差し置いて『じいじ』だなんて認められません。」
「なんじゃ二人共感じ悪いの。どう呼ぶか決めるのはトウヤ様じゃ。」
威厳のある老爺がふたりを相手にするととたんに好々爺に変わるのが面白くてまた笑ってしまった。
「ふふっじゃあハインツさんとお呼びしてもいいですか?」
「名前を覚えていただけていたとは光栄にございます。」
出来るならその輪に加わりたいと思いながら提案すると同じ笑顔を向けてくれたハインツさんはお昼ご飯の準備が整いみんなを呼びに行く頃にはすっかり子供達から『じいじ』呼ばわりされていた。
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