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037魔法と魔術

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 ミュリカがぽつりとつぶやく。
 そして、上品さのかけらもない足音を響かせてどこかに駆けていった。
 俺とアルメリーは顔を見合わせた。

「どうしたんでしょうね」
「やっぱりナギを弟子にすることにしたんじゃない?」
「それはないでしょう。俺みたいなやつは何人もいるみたいだし、靴を作ってもらったら逃げるつもりですし」
「逃げられないように毒でももられたりして」
「どこからそういう危ない想像が出て――」
「待たせたな!」

 乱暴に扉を蹴飛ばし、ミュリカが瞳を輝かせて戻ってきた。
 その手には小さなガラスの瓶が握られている。
 中身は黒い液体――まあ漆黒の闇だ。

「ナギと言ったな。これを飲め」
「え?」

 ミュリカはさっとコルクの栓を抜くと、俺に無理やり瓶を押しつけるように渡した。
 足をつけるのとは意味が違う。
 ジュースじゃないのだから。

「こう、くいっといけ。一息で」
「……は?」

 俺は目を点にした。


 ◆◆◆

 
   飲み物なのか?
 違うでしょ。どう見ても闇だ。
 だというのにミュリカは無言で見つめるだけだ。

「本当に大丈夫なんですか?」
「死ぬようなことはない」

 ミュリカの目が威圧してくる。
 すごく不安だけど、腹をくくって瓶を呷った。
 喉奥を何かが落ちていく感覚がほぼない。
 液体なのか気体なのか謎だ。

「どうだ?」
「……楽しそうですね」
「楽しそう? そんなことはない。どんな結果が出るのか本当に楽しみだ」

 ミュリカはまったく悪びれる様子もなくニコニコ笑う。
 そのまま数分。

「どうだ?」
「どうもこうも、見ての通りです」

 立ち上がって両手を広げる。
 何も変化はない。

「本当に大丈夫そうだな」
「ナギ、体痛いとかは?」

 アルメリーの問いにかぶりを振った。
 まったく何も変化はない。
 ミュリカが一度頷き、さらっと告げる。

「これは本当に適性があるな」
「いや、だからそう言っ――」
「今のは強烈な魔力溶存液だ」
「魔力ようぞん液?」
「平たく言えば下剤みたいなものだ。飲めば三日はまともに飯も食えない」
「えぇっ!? なんてもの飲ますんですか!」
「安心しろ。闇適性がある者なら、そよ風くらいの効果しかない。そして、そのおかげで貴様の闇適性が図抜けていることがわかった。いいだろう。特別に弟子にしてやる」

 ミュリカはさも当然のようにそんなことをのたまった。
 話が速いうえに、突拍子すぎる。

「いや、いいです、いいです! 俺、弟子とかは……自由に冒険ができたら十分で……」
「自分で言うのも何だが、靴作りは不器用だが、闇魔術は得意だ」

 うん、人の話聞いてませんね。

「ナギ、教えてくれるって言ってるし、弟子入りしたら? ミュリカ、ほんとにすごい人だよ」

 アルメリーは軽い口調で勧めるだけだ。
 それに気を良くしたのか、ミュリカがどこからともなく取り出した黒いマントのようなものを羽織った。
 いや、これも闇の塊っぽい。
 なんだあの物体は。

「これでも私は《無戦》の魔術師だ」
「……何ですかそれ?」
「ナギ、《無戦》知らないの!?」
「ナユラさんも言ってましたけど、それってすごいんですか?」
「魔術師の最高位だ」

 ミュリカが平坦な声で言った。

「最高位?」
「《無戦》とは、大会などで一切戦わずともその力を証明できると認められた魔術師の称号だ」
「……それは確かにすごいですね」
「別に私は称号なんぞどうでもいいがな。ただ、弟子は欲しい」
「さっきいらないって言ってませんでした?」
「そんな昔の話は忘れたな」

 ミュリカはにやりと笑い、しゃあしゃあと嘘を吐いた。
 自分勝手でマイペースだ。
 だが、どうもこの人の雰囲気が嫌いじゃない自分もいる。
 言葉に嘘や偽りがまったく感じられないからだ。
 押し問答を繰り返してもたぶん変わらないと思うし――

「あんまり厳しいのは望んでないんですけど……あと変なもの飲ませないで……」
「私のことは師匠と呼べ」
「……はい……師匠」
「声が小さい!」
「よろしくお願いします、師匠」
「よろしい。ついてこい」

 ミュリカは踵を返して部屋を出る。
 ただの口約束なのに、ついてくるのが当然と疑っていないのがひしひし伝わってくる。
 溢れるパワーと勢いに吞まれている気がする。
 
 でも――
 心のどこかがわくわくしている。
 だって、初めて『誰かが自分の才能を認めてくれた』瞬間だから。


 ◆◆◆


 たどり着いた部屋は長く使われていない広い地下室だった。
 うっすら積もった埃がすごい。
 けれど、師匠はまったく気にかけることなくずかずか進み、さっと振り返った。

「最初に言っておくが、いくら適性があっても《闇魔術》は難しい。まともに使えるようになるまで三年はかかるだろう」
「えぇっ……三年も……」
「だが、私の指導でそれを一年半まで縮めてやる」
「一年半……何がそんなに難しいんですか? ギルドで覚えられる魔法はすぐですよね?」

 師匠が「まったく違う」と首を振った。

「ナギ、《魔術》と《魔法》は別物だ」
「別物?」
「魔法は決まりきった簡単な理を動かすもの。魔術は自在に理を作るものだ」

 俺は素直によくわからない顔を浮かべた。
 この師匠は知ったかぶりを嫌う人だと思ったから。
 案の定、師匠は満足そうに頷くと、指を立てた。
 その指先にテニスボールサイズの黒い玉が浮かんだ。
 話の流れからすると、たぶん闇の塊だろう。

「説明する。見ていろ」

 師匠は胸の前で軽く振って、指先を俺の方に向けた。
 闇の塊がすーっと飛んできた。
 そして途中で粉々に霧散した。
 師匠はそれを見届けると、今度は反対の手を天井に向けて伸ばした。
 足下から黒い闇がじわりと溢れ、身長ほどの高さにまで伸びていく。
 ぴたりと止まったそれは、砂上の楼閣のように、さぁっと砕けて消えた。

「今のが魔法だ」
「……飛ばして、立てる?」

 ミュリカ師匠は「正解」と口にした。
 何が正解なのかさっぱりわからないけれど。

「魔法は、『飛ばす』、『維持する』しかできない。逆にこれ以外は全部オリジナルの術――《魔術》だ」
「……じゃあ、ギルドで覚えられるのは?」
「教えたとおり、飛ばすか維持するかのどちらかだけだ」

 俺は首を回してアルメリーの方に視線を向けた。

「そう言えば、私も火を出すことしかできないかも」
「それは、維持する《火魔法》であって、《火魔術》ではない」

 師匠が瞳を細めた。

「ナギ、お前、子供のころは闇適性がなかっただろ?」

 ぐっと言葉に詰まった。
 そんなもの当然ないに決まっている。
 闇なんてものがない、非現実的な世界にいたのだから。

「お前の闇は、『後天的』に発現したものだ。違うか?」
「……たぶん、そうです」
「後天的に適性が発現するのは珍しい。それこそ妖精や神のギフトを得たときくらいのはずだ。あとは……相当強力な魔術を受けたときに、ショックでその適性に目ざめることがたまにある」
「へぇ……そうなんですね。じゃあ運が良かったのか」
「良かったのか悪かったのかわからない。目ざめたのが闇じゃなかったら、もっと早く使いこなせただろうしな」
「……闇って難しいんですか?」

 師匠が眉を寄せて腕を組んだ。
 そうだと言わんばかりの顔だ。

「応用は利くが、実戦で使えるレベルになるにはかなり時間がかかる。とりあえず《魔法》から徐々に慣らしていくが――はっきり言って、闇の魔法はほとんど役に立たない。魔法レベルではぶつけても大した攻撃力はないし、盾にするにも強度が低い」
「がんばります……」
「だが、感覚は大事だ。とりあえずやってみるぞ」
「……え? やってみる?」
「さっき飲ませたモノに魔法の刻印を打ち込んでおいた。今のナギでも魔法が少しは使えるはずだ」
「ほんとうに?」
「つべこべ言わずやってみろ」

 師匠が「さあこい」と両手を広げる。
 勇者を待ち受ける魔王のように生き生きした表情だ。
 靴作りの店員顔より、よほどこっちが素らしい。
 けど、俺に本当にできるのか?
 そんなに簡単に?

「……じゃあ、いきますけど……どうやれば?」
「手の平に力を込めるだけだ。人間は自然に力を込めたところに魔力が集まる」
「なるほど……」

 俺は言われたとおり手の平の力を込めた。
 心の中では「でるわけないわー」と思っているけれど、達人が言うならできるのだろうの精神で。

「やっ! ――あっ……出た」

 ビー玉のような色の薄い黒い玉が。
 ふわふわ飛んでさっと消えた。

「ナギの魔法、カぁワイイ!」
「くっ……」

 背後のギャラリーの言葉になぜか心を抉られる。
 別にアルメリーはバカにしているわけじゃない。
 俺の被害妄想だ。
 でもイメージはもっとこう、すごい魔法を期待していたんだけど。

「小さいな……」

 師匠までがっかりした顔で、さらに傷ついた。

「ナギの適性ならもっとうまく使えるかと期待したが」
「さ、最初ですから。これから伸びるタイプで……たぶん……」
「これは過密スケジュールで鍛えないとな」

 ひぇっ――
 いや、待て!
 俺には必殺の技があるじゃないか。

「師匠、もう一度、いいですか?」
「そんなに焦らなくてもいいぞ。一日二日ではどうにもならない」
「お願いします……」
「まあ、構わないが……」

 よし、師匠の許可は得た。
 行くぞ――
 
 《共感力》《瞬間再現》《黒蛇》――

 賊と一戦交えたときに、黒髪の少年が使っていた術だ。
 師匠の足下から這い上がるように黒い靄の縄が巻きつき、体を完全に拘束した。
 師匠が驚きに目を見張る。

「これはっ――」

 《瞬間再現》《絶界》――

 すぐさま術を断ち切ると、ばさっと縄が落ちた。
 大成功だ。

「師匠、どうでしたか? たぶん《闇魔術》ですよね?」

 俺は嬉々として訪ねた。
 だが、いつの間にか師匠は目の前に鬼の形相で立っていた。

「バカか、お前はっ! 死ぬぞ!」

 わけのわからないまま、俺の頭に強烈な拳骨が振り下ろされた。
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