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「おはよう。我が妃」

「おはようございます。王太子殿下」

夜が明け、朝から颯爽と王太子は執務室に顔を見せた。
既に、そこにいたエクノリアに微笑んで挨拶を交わす。

「二人きりなのだから、そんな他人行儀に振る舞わないで欲しいな」

「殿下。護衛騎士も侍女も側におります。お戯れはお控えください」

口を尖らせる王太子の姿を、周りは微笑ましく見守っているが、エクノリアは貼り付けた笑顔で気づかれないように舌打ちした。

入室のノックがあり、側近のロシナンテがやってくる。

「おはようございます。王太子殿下」
「あぁ、ロシナンテ、どうしたその頭は」

「あ、いえ、どうやら寝台から落ちたようで」

ロシナンテの後頭部に大きなガーゼを貼っていた。

「寝ている間はお前も油断しているのだな」
「お恥ずかしい限りで、おはようございます。エクノリア様は今朝もお美しい」

「どうもありがとう」

「おいおい、私の妃を口説くのは止めてくれ」

王太子と側近の会話を、エクノリアは面にみせぬよう白けた顔で聞いている。



日中の彼らは、夜とは違う。

エクノリアは昔からの王太子の婚約者で、お互いに想い合って結ばれた。
そういう記憶にすり替わっている。

夜にだけ正気に戻すのは、エクノリアが彼らを甚振る為。
肉体ではなく、精神的な苦痛を味あわせたいのだ。


エクノリアにの能力はない。
あるのは記憶を差し替える能力だ。

日のある内は、王太子とロシナンテから、婚約者だった女の記憶は無い。
ニリアーナに関わる記憶も無いので、もちろんあの夜の記憶もない。
そうすることで公務も国も円滑に回る。


学園に通う頃に使っていた能力は魅了ではなくこの能力ちからだった。

記憶を差し替え、ニリアーナを婚約者と認識していなかったから在学中は彼女を蔑ろにしていた。
エクノリアの見目に傾倒して、すり寄ってきたのは王太子の方だった。

エクノリアはそうなると知っていた。


入学するより前から知っていた。

学園で声を掛けて来た王太子に熱を上げ、身も心も差し出して、裏切られた未来を。



婚約者ニリアーナではない、君を愛してる』などと囁き、周囲に見せつけ優越感を覚えさせ、エクノリアの心を奪った男。

側近や、政敵にエクノリアの身体を使わせ、周囲を取り込み、不要になった途端に罪人にされた。

『この女は、の能力を持ち、我々を操っていた!』

罪人の烙印を押されてようやくエクノリアは盲愛から目が覚めた。

王太子への憎悪が、エクノリアを魔女にした。



そんな、夢をエクノリアは繰り返し見ていた。

ただの夢だった。とても恐ろしい夢だった。
最初はそう思っていたが、まだ顔も知らなかった王太子を学園で見つけ、声をかけられた途端にエクノリアは憎悪を

あれはただの夢ではない。
起こった未来だと直感した。

復讐の機会を与えられたのだと、歓喜し、エクノリアは男を苦しめる為の下準備を始めた。

あの時には持ち得なかった能力を手にしている。
記憶を差し替えるこの能力で、どう対象を地獄に堕としていくか。

エクノリアは信頼たる人物だと言う記憶を少しずつ差し込んでいく。
王太子の周囲の人間から少しずつ此方の味方につけていった。
最終的には、国王陛下や宰相とも面会し、記憶を差し替えた。
彼らは王太子やロシナンテの訴えを聞いて、エクノリアに魅了の能力があるかの確認の為に呼びつけた。
エクノリアは診断を受け、結果的に魅了の能力など無いことが証明されている。

国王や宰相がエクノリアを警戒しなかったのはそういうことだ。

ただ、ルカナドの存在は想定外だった。
夢の中に平民の存在はなかった。
触れるだけで解術する彼の能力は大きな障害だったが、それを逆に利用しようと思いつき、あの夜の出来事につながる。

さすがにニリアーナと平民が恋仲になる事までは意図しなかった。

媚薬を仕込むだろうことは想定できても、まさか惚れ薬だとは思わないだろう。

エクノリアは恩を売るために、魔力なしの解術スキル持ちのルカナドを、数十年前に異界から召喚した伝説の勇者の子孫ではないかと訴えた。
実際、勇者は魔力の持たぬ人間で、魔術を撥ね退けた。

共通点を上げ、それらしい証拠を提出して首を斬られる予定だったルカナドを、『侯爵令嬢を穢した罪人』ではなく、責任を取らせる形で侯爵家に婿入りさせて国内に囲う利点を並べる。
他国に彼の存在を気づかれたら、稀有な解術スキル持ちを引き抜かれる可能性がある。
彼の存在は魔術師には脅威になる。
他国が動くが先か。
此方が宝を処分するのか。

考える時間を奪い、エクノリアは国王と宰相に結論を迫った。
エクノリアの言葉に疑問を持たぬ国王も宰相もあっさりルカナドを囲いこむことを選んだ。

侯爵への説得もエクノリアが担い、円満にニリアーナとルカナドの婚約は成った。

それが、一番王太子に痛みを与えた。

ニリアーナの幸せな現状を報告してやれば王太子は狂う。

あの夜がフラッシュバックするようだ。

あの時、幻惑でニリアーナはエクノリアの容姿で乱れていたが、今はもうニリアーナの姿で記憶は再生される。

止めてと抵抗するニリアーナに追い打ちを浴びせ、心が辟易し次第に平民に縋るニリアーナを、蔑み嗤う。

そんな自分の声まで再現されるのだ。

狂う王太子の姿を見て、エクノリアは少し溜飲が下がる。

それを間近で見たいがために、エクノリアは妃になった。

未来で夢見たその王太子妃の地位は、それ以外の楽しみはない。

着飾る宝石やドレスを美しいとは思わない。

エクノリアが美しいとは感じるのは、後悔に苛まれ、淀み暗い色をした王太子の瞳だと、今日もまた、日が落ちるのを楽しみにつまらぬ公務と向き合うのだった。

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