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一、廻(かい)
しおりを挟む俺には変な癖がある。
話をしている時とか段々相手の顔が小さく遠退く感覚になる。しょっちゅうじゃないけど、たまにそんな感覚に入ってしまう。視力が弱くなっているんだろうか、疲れているのだろうか、色々考えてみるけど現在の視力は両眼とも1.0は保持しているから大丈夫な範囲だと思う。眼鏡もコンタクトも今のところ必要ない。
講義室の後ろの席からもボードに書かれた文字は読めるくらいだし、講師の顔もはっきりと見える。普通に生活できてるから何の問題もないと思ったけど、最近、症状?てのかな、自分でも把握できないことがある。
「――…た…惠太!」
「‥‥あ?ん?」
「講義、終わったけど?」
友人に呼ばれて我に返る。
自分ではほんの一時にしか感じていないのに、意識がだいぶ前から飛んでるらしい。
「昼メシどうする?」
「‥‥あぁ―‥‥俺、次の講義の単位取れてるから、今日はバイトも入ってるし…帰るわ―」
「了解。じゃ、また明日な」
軽く手をあげて友人と別れる。
「ふ――…」
一息吐いて、広げていた教科書やらを片付けて講義室を出た。
この大学の理工学部三年『福元 惠太』
諸事情により奨学金を借りて大学に通わせてもらっている。奨学金の返済もあって、空いた時間はほとんどバイトに時間を費やしてる。全く自由な時間がないわけじゃない。講義やバイトの合間で週一、二回程度のジム通い。中高とも陸上やってたから…だけじゃないけど、元々身体を動かすことが好きな方だ。
(バイトの時間までまだあるか――)
腕時計を見て時間配分する。
(ちょっと体動かして行こう)
大学ももうすぐ春休みに入る。
実際は論文作成や研究資料作りやらでそう長くも休みはとれないけど、
(春休みも婆ちゃんち行こう――)
両親が離婚して小さい頃から母方の祖父母に引き取られ育ててもらった。年老いた身体で学費を何とか工面して義務教育の九年間を親宛らに卒業させてくれた。
高校は祖父母のことを想い辞退したが、せめて高校までは――と祖父母の深い愛に恵まれ、奨学金制度を受けて高校も無事卒業。大好きな祖父母を悲しませたくない想いで努力してきた。割と成績は良かった方だった。そのため、大学からの指定校推薦で入試を受け、今現在に至っている。
毎年、長期休暇は田舎の実家とも言えるだろう――祖父母宅へ帰省している。と言っても、祖父は三年前に他界し今はさらに年老いた祖母が一人で暮らしている。
(そうだ…お土産は婆ちゃんの好きな餡蜜を持ってってやろう)
婆ちゃんの喜ぶ顔が浮かんできそうで俺は何となく心が躍った。
夏の夕暮れ――
あれはまだまだ幼くて――五歳の頃だったかな。
既に両親は離婚していて母と二人アパート暮らし。
アパートの近くの公園で夢中になって砂遊びをしていた。それでもブランコを漕ぐ音や同い年くらいの子どもたちが戯れている声が耳に届いていた。
それに、蜩の声と。
飽きもしないのか――と思うくらい砂遊びに夢中になりながらもそのうち少しずつ少しずつ公園に響く子どもたちの声が届かなくなっていた。
照りつける暑さもようやく和らいで風が心地良くなる。
夕刻を告げる時報が聴こえていたけど「まだもうちょっと」遊びたい一心で回りも気にせず砂山を作っていた。
薄暗くなってきてやっと我に返って辺りを見回す。
「おかぁさん‥‥?」
確かに自分の近くに居たであろう母の姿を探す。
砂場に立ち上がり四方を見回すけれど人の影さえない。
「おかぁさん!」
少し力を入れて呼ぶ。
身体の内から不安と何か分からない恐怖が込み上げてきて俺の身体は微かに震え始めた。
――どうしよう‥‥
幼い自分には為す術もなく、小刻みに鳴る心臓の音を抱え込むようにまた砂場へしゃがみ込んだ。
真っ暗い闇と不安と恐怖が小さな身体に襲いかかってくる。
(‥‥心配しないで――)
砂場に蹲って震えている俺の耳元に確かに聴こえた。
「‥‥え?」
真っ暗な不安と恐怖、そして言いようもない寂しさの中で俺は固く埋めていた顔を上げた。
そこには――
見知らない人。
「…だ…れ?」
俺のすぐ後ろで声もなく、言葉もなく、ただその人は静かに微笑んでいた。
ほっそりとした白い肌――透けて見えそうなくらい。
「知らない人に声をかけられてもついて行ったりしちゃだめよ」と――言い聞かされていた母の言葉を思い出し、俺はぎゅっと瞼を閉じていた。
幼いながらに不審者の存在は理解できていたようだった。
でも何故だろう――
(――大丈夫‥‥)
その人は俺の心に声をかける。
優しい声だった。
その声に俺は固く瞑っていた瞼を開いた。
だけど、もうそこには誰も居なかった。
その人の影すらも‥‥
ただ――
今でもその人の透き通るような肌、瑠璃色の髪と瞳が脳裏に蘇ってくる―――
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