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5.鬼は燃費が悪い
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「食ったな」
満足気にショウタが見下ろした鍋には何も残っていない。三人で六人前の牛鍋を完食してしまった。
鬼は人ではありえないほどの強い力を持っているが、多量の食物を必要とする燃費の悪い生物でもあった。
牛鍋の半分以上はショウタが食べたのだが、ミホもミノルも満腹になっていた。
「こんなうまいもの初めて食った。力がついたような気がするよ」
ミノルは細い腕を袖から出して力こぶを作ってみせた。
「気に入ったなら、また来ような。次は寿司にするか? 駅前にできた洋食レストランのカレーライスも美味いぞ」
ショウタは嬉しそうに笑っていた。
ミホもミノルも食べたことがない料理なので、味が想像できなかった。それでも高価なのだろうということは想像できた。
「とりあえず、晩飯でも買って帰ろう。俺、昨日夜勤で寝ていないから、ちょっと眠たい」
そう言って立ち上がるショウタを、ミホは驚いて見ていた。
「夜勤明けなの? それなら早く帰って寝ないと」
最近増えてきた工場の勤務者などに夜勤は多い。ミホが勤めていた風呂屋も朝風呂をやっていて、夜勤明けの労働者たちが入りに来ていたが、皆疲れて眠そうにしていた。
もう昼も過ぎているのに、起きているのは辛いのではないかと、ミホはショウタを心配する。
「俺、鬼だから丈夫だし、そんなに心配いらないから」
久し振りに心配してもらえたショウタは、内心の嬉しさを隠して照れくさそうに笑った。
肉鍋六人前の金額は十二エンだった。ミホが風呂屋からもらっていた給金が月五エン、住み込みのお手伝いの相場が二十エン。それらを考えると、肉鍋はかなり高価である。
「あの、お昼に贅沢をし過ぎではないですか?」
さっさと支払いを済ませたショウタにおずおずとミホが訊いた。夜勤のある仕事は昼間だけより高給かもしれないが、こんな生活をしていればいつかは破綻するとミホは心配になる。
「大丈夫。俺、結構高給取りだから」
軽く答えるショウタにミホは職業を訊くことができなかった。
月に二十エンも払ってお手伝いを雇い、一食に十二エンをかけられるほど収入がある仕事がミホには思い浮かばない。
極道の親分を脅していたショウタ。悪いことをしてお金儲けをしているのかもしれないとミホは思ったが、本当のことを知ってしまえばショウタの家に置いてもらうのが後ろめたくなる。
幼い弟を抱えて行くところもないミホは、何も気が付かない振りをしてショウタの家で世話になることにした。
汚い考えかもしれないが、一日で色々ありすぎて、ミホには弟をかかえて無一文の状態で職を探す気力がなくなっていた。
そして、鬼だから住み込みで働いてくれる人がないと、荒れた豪邸で一人住まいをしているショウタを見捨てることができなかったこともある。
帰りに市場に寄ったショウタは、卵や干し魚などの食材を大量に買い、最後にミノルのために飴玉を買った。まるでビー玉のような色とりどりの飴玉を見て、ミホは幸せだった幼い頃を思い出す。あの頃の父は優しくてミホに飴玉を買ってくれた。
「飴なんか食ったことがない。本当に僕が食べてもいいの?」
ショウタが袋から取り出した飴玉を見たミノルは、期待を込めてショウタに訊く。
「当然だろう」
ショウタは飴玉をミノルの口に入れる。そして、もう一つ飴玉を取り出しミホの口にも入れた。
びっくりするミホ。
「欲しそうにしていたから」
ショウタは悪戯が成功した子供のように笑う。
「そ、そんなことないわよ。子どもじゃないんだから」
飴玉で一方の頬を膨らませたミホは、もう片方の頬も膨らませていた。それでも懐かしい飴の甘さに癒やされるような気がしていた。
「ミホ姉ちゃんとショウタさん、仲いいんだな」
ミノルが嬉しそうに二人を見ていた。
「そ、そんなことないわよ」
今日初めて会ったのに、仲がいいはずはないとミホは思っていた。
家へ帰り着くと、ショウタは布団を物干し台から降ろす。
自分で運ぶとミホは言ったが、力仕事は得意だからとショウタがさっさと部屋に運んでしまった。
「ふっかふかだ!」
長屋で寝ていた煎餅布団とは違って、良い綿が入った高級な布団で、ミノルは寝るのが楽しみになった。
ミノルの部屋の押し入れを開けたショウタは、ミホに説明する。
「敷布と掛布、枕は押入れに入っているから、自分で用意してくれるかな。蚊帳もあるからな」
「本当に何なら何までありがとうございます」
お手伝いとして勤めたはずなのに、雇い主に自分の布団を干させるなどあり得ないと、ミホは恐縮して頭を下げる。
「気にするなよ。同居人なんだから」
ショウタは同居人ができたことが嬉しい。鬼は繊細で寂しがり屋の生き物である。人を恋しく思うが、人に恐れられるのは悲しいので、距離を置かざるを得なかった。
「ショウタさん、角を見せてくれるって約束だぞ」
牛鍋屋でも山高帽をかぶったままだったショウタは、ゆっくりと帽子を取り、ミノルの手が届くように畳にあぐらを組んで座った。
「これでいいか」
「角には細かい毛が生えているんだな。髪がたんぽぽみたいに黄色い」
興味深そうに見つめるミノル。
頭に二本生えたショウタの角は、五スンほどの長さで黒と黄色の縞になっている。先はそれほど鋭くなく短い毛がびっしりと生えていた。鮮やかな黄色の髪の毛は、サラサラしていて気持ちよさそうだ。
「触ってもいい?」
ミノルが訊いてみると、
「ああ」
ショウタが許可を出した途端、ミノルは角を触る。
「結構硬いんだな。でも温かい。ミホ姉ちゃんも触らせてもらえば」
無邪気にミノルは言うが、ミホは鬼とはいえ男性の頭に触れるのに抵抗がある。
「わ、私は別にいいわよ」
手を振って断るミホ。
「ミノル、大人はこんなものを触りたいと思わないんだ」
ショウタが寂しそうに頷くから、ミホは罪悪感にかられてしまった。別に鬼の角を嫌悪したわけではなく、単に男性に触れるのが恥ずかしかっただけなのに、ショウタに誤解されたらしい。
「それでは少しだけ」
ミホはショウタの角にそっと手を伸ばす。ミノルが言うようにショウタの角は硬いけれど、短い毛が生えていて暖かかった。
「ちょっと仮眠を取るから、夜の七時頃に起こしてくれるか。素麺があったから、起きたら茹でて食べようぜ」
玄関の板間には大きな柱時計があって、午後四時前を指していた。あと三時間しかない。
「わかりました。めんつゆを作っておきます。おやすみなさいませ」
「馴れない台所だから、無理しなくていいからな。駄目なら俺が作るから」
「大丈夫です。私は賄いの手伝いもしていたから。簡単な料理ならできます」
「そうか。それじゃお願いする」
ショウタはそう言って、自分の部屋に戻っていった。
大柄なショウタが部屋を出ていったので、二人だけになった六畳の部屋はかなり広く感じた。
「ミホ姉ちゃん。鬼って怖くないよ。近所に親切な鬼が住んでいたんだ。喧嘩して暴れる父ちゃんと母ちゃんが怖くて外の出ていたら、家に入れてくれるんだ。そこのおばちゃんは、鬼は強い力と一緒に優しい心を持って生まれてくるって言っていた。僕は鬼の子に生まれたかったよ」
「ミノル、家で辛い目に遭っていた?」
高価な牛鍋はともかく、ミノルは飴玉の味も知らなかった。幸せな家庭ではなかったのかもしれない。
母が死んだから、父は逃げた女と正式に結婚をして、子どももできていた。彼らは幸せに暮らしていたと思い、ミホは少し悔しかったけれど、ミノルも不幸だったかもしれないとミホは心配する。
「父さんと母さんは喧嘩ばかりしていた。父さんは博打に手を出しいて、借金取りが来るんだよ。その度に夜逃げをしたんだ。母さんは夜に飲み屋で働いてたので、生活はできていたけど、文句ばかり言っていた。鬼の家はとても仲良くて幸せそうだった。僕もあんな家に生まれたかった。僕が鬼なら殴られてもそんなに痛くなかったのに」
ミホは言葉が出なかった。慰めの言葉も見当たらない。自分だけが不幸だと思っていたけれど、ミノルも同じように不幸だった。
「二人で幸せになろう」
ミホはミノルをそっと抱きしめた。
満足気にショウタが見下ろした鍋には何も残っていない。三人で六人前の牛鍋を完食してしまった。
鬼は人ではありえないほどの強い力を持っているが、多量の食物を必要とする燃費の悪い生物でもあった。
牛鍋の半分以上はショウタが食べたのだが、ミホもミノルも満腹になっていた。
「こんなうまいもの初めて食った。力がついたような気がするよ」
ミノルは細い腕を袖から出して力こぶを作ってみせた。
「気に入ったなら、また来ような。次は寿司にするか? 駅前にできた洋食レストランのカレーライスも美味いぞ」
ショウタは嬉しそうに笑っていた。
ミホもミノルも食べたことがない料理なので、味が想像できなかった。それでも高価なのだろうということは想像できた。
「とりあえず、晩飯でも買って帰ろう。俺、昨日夜勤で寝ていないから、ちょっと眠たい」
そう言って立ち上がるショウタを、ミホは驚いて見ていた。
「夜勤明けなの? それなら早く帰って寝ないと」
最近増えてきた工場の勤務者などに夜勤は多い。ミホが勤めていた風呂屋も朝風呂をやっていて、夜勤明けの労働者たちが入りに来ていたが、皆疲れて眠そうにしていた。
もう昼も過ぎているのに、起きているのは辛いのではないかと、ミホはショウタを心配する。
「俺、鬼だから丈夫だし、そんなに心配いらないから」
久し振りに心配してもらえたショウタは、内心の嬉しさを隠して照れくさそうに笑った。
肉鍋六人前の金額は十二エンだった。ミホが風呂屋からもらっていた給金が月五エン、住み込みのお手伝いの相場が二十エン。それらを考えると、肉鍋はかなり高価である。
「あの、お昼に贅沢をし過ぎではないですか?」
さっさと支払いを済ませたショウタにおずおずとミホが訊いた。夜勤のある仕事は昼間だけより高給かもしれないが、こんな生活をしていればいつかは破綻するとミホは心配になる。
「大丈夫。俺、結構高給取りだから」
軽く答えるショウタにミホは職業を訊くことができなかった。
月に二十エンも払ってお手伝いを雇い、一食に十二エンをかけられるほど収入がある仕事がミホには思い浮かばない。
極道の親分を脅していたショウタ。悪いことをしてお金儲けをしているのかもしれないとミホは思ったが、本当のことを知ってしまえばショウタの家に置いてもらうのが後ろめたくなる。
幼い弟を抱えて行くところもないミホは、何も気が付かない振りをしてショウタの家で世話になることにした。
汚い考えかもしれないが、一日で色々ありすぎて、ミホには弟をかかえて無一文の状態で職を探す気力がなくなっていた。
そして、鬼だから住み込みで働いてくれる人がないと、荒れた豪邸で一人住まいをしているショウタを見捨てることができなかったこともある。
帰りに市場に寄ったショウタは、卵や干し魚などの食材を大量に買い、最後にミノルのために飴玉を買った。まるでビー玉のような色とりどりの飴玉を見て、ミホは幸せだった幼い頃を思い出す。あの頃の父は優しくてミホに飴玉を買ってくれた。
「飴なんか食ったことがない。本当に僕が食べてもいいの?」
ショウタが袋から取り出した飴玉を見たミノルは、期待を込めてショウタに訊く。
「当然だろう」
ショウタは飴玉をミノルの口に入れる。そして、もう一つ飴玉を取り出しミホの口にも入れた。
びっくりするミホ。
「欲しそうにしていたから」
ショウタは悪戯が成功した子供のように笑う。
「そ、そんなことないわよ。子どもじゃないんだから」
飴玉で一方の頬を膨らませたミホは、もう片方の頬も膨らませていた。それでも懐かしい飴の甘さに癒やされるような気がしていた。
「ミホ姉ちゃんとショウタさん、仲いいんだな」
ミノルが嬉しそうに二人を見ていた。
「そ、そんなことないわよ」
今日初めて会ったのに、仲がいいはずはないとミホは思っていた。
家へ帰り着くと、ショウタは布団を物干し台から降ろす。
自分で運ぶとミホは言ったが、力仕事は得意だからとショウタがさっさと部屋に運んでしまった。
「ふっかふかだ!」
長屋で寝ていた煎餅布団とは違って、良い綿が入った高級な布団で、ミノルは寝るのが楽しみになった。
ミノルの部屋の押し入れを開けたショウタは、ミホに説明する。
「敷布と掛布、枕は押入れに入っているから、自分で用意してくれるかな。蚊帳もあるからな」
「本当に何なら何までありがとうございます」
お手伝いとして勤めたはずなのに、雇い主に自分の布団を干させるなどあり得ないと、ミホは恐縮して頭を下げる。
「気にするなよ。同居人なんだから」
ショウタは同居人ができたことが嬉しい。鬼は繊細で寂しがり屋の生き物である。人を恋しく思うが、人に恐れられるのは悲しいので、距離を置かざるを得なかった。
「ショウタさん、角を見せてくれるって約束だぞ」
牛鍋屋でも山高帽をかぶったままだったショウタは、ゆっくりと帽子を取り、ミノルの手が届くように畳にあぐらを組んで座った。
「これでいいか」
「角には細かい毛が生えているんだな。髪がたんぽぽみたいに黄色い」
興味深そうに見つめるミノル。
頭に二本生えたショウタの角は、五スンほどの長さで黒と黄色の縞になっている。先はそれほど鋭くなく短い毛がびっしりと生えていた。鮮やかな黄色の髪の毛は、サラサラしていて気持ちよさそうだ。
「触ってもいい?」
ミノルが訊いてみると、
「ああ」
ショウタが許可を出した途端、ミノルは角を触る。
「結構硬いんだな。でも温かい。ミホ姉ちゃんも触らせてもらえば」
無邪気にミノルは言うが、ミホは鬼とはいえ男性の頭に触れるのに抵抗がある。
「わ、私は別にいいわよ」
手を振って断るミホ。
「ミノル、大人はこんなものを触りたいと思わないんだ」
ショウタが寂しそうに頷くから、ミホは罪悪感にかられてしまった。別に鬼の角を嫌悪したわけではなく、単に男性に触れるのが恥ずかしかっただけなのに、ショウタに誤解されたらしい。
「それでは少しだけ」
ミホはショウタの角にそっと手を伸ばす。ミノルが言うようにショウタの角は硬いけれど、短い毛が生えていて暖かかった。
「ちょっと仮眠を取るから、夜の七時頃に起こしてくれるか。素麺があったから、起きたら茹でて食べようぜ」
玄関の板間には大きな柱時計があって、午後四時前を指していた。あと三時間しかない。
「わかりました。めんつゆを作っておきます。おやすみなさいませ」
「馴れない台所だから、無理しなくていいからな。駄目なら俺が作るから」
「大丈夫です。私は賄いの手伝いもしていたから。簡単な料理ならできます」
「そうか。それじゃお願いする」
ショウタはそう言って、自分の部屋に戻っていった。
大柄なショウタが部屋を出ていったので、二人だけになった六畳の部屋はかなり広く感じた。
「ミホ姉ちゃん。鬼って怖くないよ。近所に親切な鬼が住んでいたんだ。喧嘩して暴れる父ちゃんと母ちゃんが怖くて外の出ていたら、家に入れてくれるんだ。そこのおばちゃんは、鬼は強い力と一緒に優しい心を持って生まれてくるって言っていた。僕は鬼の子に生まれたかったよ」
「ミノル、家で辛い目に遭っていた?」
高価な牛鍋はともかく、ミノルは飴玉の味も知らなかった。幸せな家庭ではなかったのかもしれない。
母が死んだから、父は逃げた女と正式に結婚をして、子どももできていた。彼らは幸せに暮らしていたと思い、ミホは少し悔しかったけれど、ミノルも不幸だったかもしれないとミホは心配する。
「父さんと母さんは喧嘩ばかりしていた。父さんは博打に手を出しいて、借金取りが来るんだよ。その度に夜逃げをしたんだ。母さんは夜に飲み屋で働いてたので、生活はできていたけど、文句ばかり言っていた。鬼の家はとても仲良くて幸せそうだった。僕もあんな家に生まれたかった。僕が鬼なら殴られてもそんなに痛くなかったのに」
ミホは言葉が出なかった。慰めの言葉も見当たらない。自分だけが不幸だと思っていたけれど、ミノルも同じように不幸だった。
「二人で幸せになろう」
ミホはミノルをそっと抱きしめた。
応援ありがとうございます!
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