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17.婚約の報告

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 夏も終わりに近づき、来週から尋常小学校が始まる時期になった。
「盆の勤務の代わりに、木曜日から三日間休みを貰ったんだ。婚約の報告をするため義父のところへ行きたいんだが、一緒に行ってくれるか?」 
 月曜日に帰宅したショウタはミホとミノルに訊いた。
「旅行なんて初めてです。とても楽しみですね」
「僕も旅行なんて行ったことがない」
 ミホが喜んでいるのでショウタは安堵の深呼吸をした。カナエに押し切られた形で正式に婚約をしたショウタとミホだったが、やはり嫌だとミホが言い出すのではないかとショウタは心配で息を止めていた。


「汽車に乗って行くんだぞ。海沿いを走るので景色がとてもいいし、長いトンネルもある。木曜日朝の切符を買っておくからな。必要なものがあったらこれで買って準備しておいてくれ」
 ショウタは財布から拾エン札を三枚取り出した。
「ちょっと待ってください。先日お給金をいただきましたし、氷代も残っています。無駄遣いはよくありません」
 最初の約束通り、ミホの二十エンとミノルの三エンを合わせて二十三エンの給金をミホはショウタから手渡されていた。部屋代も食費も引かれてはいない。
 ショウタと同じ料理を食べて、六畳の部屋を一部屋づつ使わせてもらっているので、本気で部屋代と食費を引かれてしまうと、給金は手許に残らないだろうとミホは恐れていたが、一センたりとも引かれていなかった。

 しかも、借金の百五十エンを三年の分割払いにしてもらおうと思い、三円をショウタに返そうとしたミホだが、 元来のミホの給金は二十三エンなので、既に三エン引いてあるとショウタが言い張り金を受け取らなかった。
 ショウタがいくら高給取りでも、経済観念がなさすぎてミホは不安になる。

「でも、ミホは俺のつ、妻になるのだから、俺の金はミホのものだし」
 人より少し赤みを帯びたショウタの肌が更に赤くなる。
「そ、それはそうだけど、でも、計画的に使わないと」
 ミホも頬を真っ赤に染めていた。
『大丈夫かな。ショウタさん。こんなんで本当に夫婦としてやっていけるのか?』
 妻と言うだけで照れているショウタを見て、ミノルは少し不安になっていた。

 結局、ミホは拾エン札を一枚だけ受け取ることにした。そのお金でセイスケへの手土産と大きめの鞄を用意し、残りは旅先での費用に当てようと考える。


 そして木曜日がやって来る。
 今夜はセイスケの家に泊まり、金曜日の朝にセイスケの自動車で隣の村へ行き、有名な温泉宿に二泊する予定だ。もちろんショウタとミホはまだ結婚前なので、セイスケとショウタ、ミホとミノルが一緒の部屋を使うことになっていた。

 ナルカ中央駅に着くと既に汽車が止まっていた。
「格好良い!」
 ミノルが黒光りする蒸気機関車を見て思わず声を上げた。彼の予想より随分と大きい。
「石炭を燃やして、こんな大きな客車を引っ張って走るんだ。凄いだろう」
 客車に乗り込み指定された座席の上の網棚に荷物を置きながらショウタが言う。
「本当に凄い」
 ミノルは四人がけの向かい合わせになった座席の窓際に陣取った。ミホはショウタに促されてその向かいに座る。ショウタはミホの隣に腰掛けた。
 
 ゆっくりと動き出す汽車。南側には海が見え始めた。
 開け放たれた窓から、ようやく涼しくなってきた風が入り込んでくる。
「ミノル、顔や手を窓から出したら危ないからな。気をつけろ」
 動く風景に夢中になっているミノルをショウタは心配した。外をよく見ようとした子どもが窓から乗り出し、線路脇の木や壁にぶつかる事故が何件が起きている。
「わかっているって」
 そんなに子どもではないとミノルは口を尖らせた。


「トンネルに入る前に窓を閉めるんだ。でないと、煙で車内が黒くなってしまう」
 白く見える機関車の煙だが煤が含まれている。狹いトンネルで窓を開けていると煙が車内に入ってきてとても煙たく、顔が煤で黒くなってしまうことがある。
 汽車に乗っているとトンネルに入る度に窓を閉めなければならない。

「長いトンネルだな」
 薄暗くなった車内にミノルが驚く。
「力が強い鬼がこのトンネルを掘ったんだぞ。彼らたちは金棒の一振りで大岩も砕くことができるんだ」
 どの鬼も人よりはずっと力が強いが、個別の能力として更に強力な力を持つ鬼が存在する。彼らはとても重用されていて、各地の土木工事現場や建設工事現場で働いている。筋肉で膨れ上がった立派な肉体を持つそのような鬼は、当然大量の食料を必要とするが、それに見合う給金を得ていた。
「すげー、ショウタさんもそんな事できるの?」
 ショウタは背が高いので一見細身に見えるが、一緒に風呂に入っているミノルはショウタがかなり筋肉質であることを知っている。

「俺はそんなに力はない。あのガス灯の鉄柱ぐらいなら曲げられそうだけど」
 汽車はトンネルから出て車内が明るくなり、窓から見えるガス灯をショウタは指差した。
「えっ? あれって鉄の棒だよね」
 ミノルはさすがに冗談だろうと思いショウタを見たが、ショウタは至って真面目だ。
 前のめり気味に座っていたミノルは、思わず深く座り直してショウタと距離をとった。

 ショウタはミノルに恐れられたと感じ、ミホも自分を怖がっているのではないかと心配して彼女を見る。
「大丈夫だから。俺、力はちゃんと制御できるから、傷つけたりしない」
 必死に言い訳を始めるショウタにミホは微笑みかける。そして、ショウタの手を握った。
「知っているわ。ショウタさんの手は、人を傷つけるためではなくて、人を助けるためにあるのだもの」

「あ、ありがとう」
 ミホに手を握られてショウタの顔が真っ赤に染まる。
 それを見たミホは、思わず手を握ってしまったことが恥ずかしくて、慌てて手を離した。
『手ぐらい小学生でも握るぞ。大人なのに大丈夫か?』
 正式に婚約したショウタとミホだったが、やはり八歳児に心配されていた。

 
「海がキラキラして綺麗だ。遠くに見えるのは大きな船だな。あんな大きな船は見たことないや」
 ミノルが海を指差した。少し海が荒れている。
「外国から来た船かもしれないな」
 ショウタも大型船を眺めていた。
「外国の船! すげー」
 ミノルには見るもの全てが興味深かった。
 ミホもあまりはしゃいでは大人げないと思いつつ、初めて乗った汽車はとても楽しく、窓から見える風景に見入っていた。


 一行は二時間の鉄道の旅を大いに楽しみ、目的地のクシウラに着いた。人口が三千人ほどの漁港が有名な村である。
 汽車を降り改札口を出ると、セイスケが自動車で迎えに来ていた。
 元々クシウラに別荘を持っていたセイスケは、そのまま山手の別荘に住んでいる。中央病院の別院は港の近くにあるので少し離れている。

「海が荒れてきている。台風が来ているかもしれん。港の方へ行ってみよう」
 セイスケが少し心配そうに南の空を見上げていた。
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