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36.鬼の親子

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 初詣に訪れた人々で賑わう神社でその事件は起きた。
 普段から素行が良くないと警察に目をつけられていた若者たちが、酒に酔って神社にたむろしており、参道を歩いていた若い女性にぶつかりいちゃもんを付けて、無理やり連れて行こうとした。それをたまたま近くにいた鬼の子が止めに入った。
 鬼の子に止められた若者の一人が激怒して、腰に差していた刀を抜いた。その若者の親は質屋を経営していて、正月の準備に困った元武士が質入れした刀を勝手に持ち出していたのだった。

 鬼の体は強い。成人した鬼ならば刀で深手を負うことはないが、斬りつけられた鬼の子はたった七歳だったことと、その刀が良く手入れされた業物だったので、鬼の子の腕は肘の上で切断されてしまった。
 その知らせを受けて父親の鬼がやってくる。

 その鬼は旅をしながら大規模な土木事業を請け負う業者の一員だった。その卓越した力を活かしてトンネルを掘ったり、道路整備の邪魔となる大岩を砕いたりするのだ。
 ナルカから県庁所在地のキイコクまで自動車が通行できる道路を新設するために彼らは呼ばれ、ここナルカに来ていた。


 参道で呻き声を上げながら血だらけで横たわる鬼の子を見た途端、鬼は我を忘れた。金色の虹彩が怪しく光る。瞳孔は開き、その目からは理性が失われていった。
 鬼は参道に立ち並ぶガス灯の中の一つをへし折り振り回す。
 幸い、刃傷沙汰を見た一般の参拝者は既に逃げ出しており、その場には与太った若者が数人いるだけだった。
 若者たちは鬼の驚異的な力を目の当たりにして逃げ出そうとした。それを追う鬼。
 警官が集まってきて神社を封鎖したが、鉄の棒を持って暴れている鬼を止められずにいた。

「痛いよ!」
 鬼の子はまだ意識を保っていた。それだからこそ父鬼はいくばくかの理性を残しているようだ。無意識に手加減したらしく、鉄柱で殴られたのにも拘らず、刀を手にしていた若い男はまだ息をしていた。右手は明らかに骨が折れて変な方向に曲がっているし、顔はかなり腫れて口から血を流しているが、うめき声を上げている。そして、彼らの仲間たちもまた重傷であるが生きていた。

 鬼は暴れながらも警官には手を出していない。しかし、鬼の子が死んでしまったらどうなるかわからない。
 普段はサーベルを装備している警察官だが、鬼が暴れるという事件のため今日は後装式小銃を装備していた。
 鬼に銃口を向けて構える警察官たち。
「撃て!」
 射殺命令が下った。
 二発が鬼の肩と太ももに命中するも、勢いは全く衰えない。


「やめろー!」
 そんな中、ショウタが物凄い勢いで走り寄ってきた。腕に抱えていた診察鞄を下に置くと、警察官をかき分けて鬼に近づく。
「ショウタ先生。危ない!」
 警察官は止めようとするが、ショウタの速さに全くついていけない。ショウタはあっという間に警察官の間を突破して、父鬼と対峙していた。
 
「鬼の子どもは絶対に俺が助けるから、落ち着いてくれ」
 ショウタは片腕を切り落とされた鬼の子を確認した。そして、体の強い鬼の子ならば十分助けることができると見積もる。しかし、時間との戦いだ。

 父鬼は同じ鬼のショウタを見た途端にたがが外れた。鬼の本能が人を殺してしまうのをためらわせていたが、鬼同士ではその本能が効かない。
 息子を傷つけられた悲しみや怒りを本気でぶつける相手がやってきたのだ。

 父鬼は一旦動きを止めて微かに笑った。それは理性を全て手放した合図だったようだ。
 叩き折ったガス灯の支柱をもう一度しっかりと持ち直した父鬼は、それをショウタに向かって振り回した。
 ショウタはその鉄柱をぎりぎりでかわしていたが、避けきれずに二の腕で受け止める。
 吹っ飛ぶショウタ。
 ショウタは鬼なので骨折はしなかっが、かなりの痛みを感じて立ち上がるのが遅れた。
 そこへ父鬼がショウタの頭をめがけて鉄柱を振り下ろす。それを両手で受け止めるショウタ。
 
 二人の鬼の動きの速さに、警察官は銃を撃つことができずにただ見守っていた。
 
 二人の鬼の力比べが始まった。鉄柱には物凄い力がかかる。
 ショウタは鬼なので信じられないほどの力持ちであるが、やはり建設業に従事している鬼ほど力は強くない。押し負けそうになる。

 ポキッ!

 物凄い音がして鉄柱が折れ飛んだ。その勢いで父鬼がよろめく。その隙きに立ち上がったショウタが父鬼の後ろへ回って羽交い締めにする。
「俺があんたの子を絶対に助けてやる。腕もつなげるから。少し短くなるが元通り動くようにしてやる。だから、落ち着け」
 それでも暴れてショウタの腕から逃れようとする父鬼。

「父ちゃん、やめて。お願い」
 片腕になった鬼の子が立ち上がり、父を止めようとした。

 父鬼の目に理性が戻り、折れて短くなった鉄柱を投げ捨てた。そして激しく頭を振る。
「俺は、何をしていた」
「父ちゃん!」
 鬼の子が駆け寄る。ショウタは父鬼の羽交い締めを解いた。

「診察鞄を頼む!」
 ショウタが警察官に声をかけると、一人の警察官が素早く診察鞄を拾ってショウタに渡した。
 診察鞄から包帯を取り出したショウタは鬼の子の傷口の上を縛り血を止める。そして、落ちていた鬼の子の腕と業物の刀を持ってを走り出した。
「その子を抱えてついてこい。病院へ走るぞ」
 
 理性を取り戻した父鬼の動きは早かった。鬼の子を横抱きにしてショウタの後を追う。
 二人の鬼は、蒸気エンジンを積んだ最新式の自動車よりかなり早く走り去った。



 ナルカ中央病院では既に手術の用意が調っていた。ショウタの結婚式に参列していた医師や看護婦も病院にやって来ている。
 手術室の寝台に寝かされた鬼の子はガス麻酔をかけられて、消毒液で傷口を洗われた。
 ショウタは刀を水洗いして沸騰した湯の中につける。
「何をするつもりだ?」
 手術の補助を務める医師が不思議そうにショウタに訊いた。
「腕の傷口を薄く切り落とします。この刀はとても切れそうだから」
 セイスケはショウタを居合道場に通わせていたことがあった。大切な人を傷つけられた時に理性を失ってしまう鬼の性質を知っているからこそ、セイスケは少しでも冷静さを保つ訓練としてショウタに居合を習わせたのだ。それが今役に立つ。

 ショウタが刀を構える。
 血の気を失っていく切り落とされた腕の傷口を一刀のもとに薄く切り落とした。そして、鬼の子の傷口も同じように切り落とす。
「寒い時期だから、傷口はあまり傷んでいないので助かりました。接合手術を始めます」
 丁寧に血管と神経を縫い合わせていくショウタ。
 また、ショウタの長い戦いが始まる。



 待合室の長椅子には父鬼がうなだれて腰かけていた。父鬼の横にはふくよかな体のセイスケが座っている。その反対側にはナルカ中央署の署長がいて、父鬼の両手首を縛った縄の端を持っていた。
 父鬼はセイスケの手で銃弾を体から取り除かれていた。驚くことに、銃弾は筋肉の浅いところで止まっていて、ピンセットで取り去ることができた。

「君の子どもは大丈夫だ。私の自慢の息子が絶対に治してみせる。安心しろ」
 穏やかにセイスケが父鬼に声ををかけた。
「ショウタ先生なら大丈夫だな」
 署長も頷いている。

「だが、腕は完全に切り落とされていた。あの状態から治るなんて聞いたことがない」
 父親だからこそ、希望を持ってしまってから打ち砕かれた時の悲しみを思って、予め覚悟を決めておこうとしていた。
「ショウタならできるさ」
 セイスケは誇らしそうに胸を張る。
「あんたの息子は鬼なのか?」
「そうだ。誰よりも努力家で優しい自慢の息子なんだ」
 そんなセイスケを父鬼は不思議そうに見つめていた。

「万が一息子の腕が元通りになったとしても、俺のせいで息子の人生はろくでもないものになってしまった。故郷には身重の妻もいるのに、彼女にも苦労をかけてしまう」
 父鬼は理性を手放したことを後悔しているが、今更遅かった。
「腕のいい弁護士を雇おう。そして、君が人と同じように裁かれるよう要求する。これは君のためだけではなく、私の息子のショウタのためでもある。ショウタは今日結婚式で、愛する家族を得ることができたから」
 もしミホが傷つけられるようなことがあれば、やはりショウタは理性を失ってしまうだろうとセイスケは考えている。
「結婚式を邪魔したみたいで、悪いことをしたな」
 父鬼は大きな体を縮こめてセイスケに謝った。

「幸いあの与太った若者たちは死んではいないし、一般人には手を出していない。器物を随分と破損しているので無罪になることはないが、それほどの罪にはならないだろう」
 署長は人と同じように裁判を受けられるよう検察に進言すると約束した。


 冬は日が暮れるのが早い。すっかり暗くなった頃にショウタが待合室に現れた。
「手術は成功した。切り落とされた腕は無事につながって血が通っている。腕が動くかどうかはもうしばらく観察してからだが、おそらく大丈夫だろう」
 目を見開いて驚く父鬼。
「本当なのか?」
 ショウタは大きく頷いた。

「それでは署まで行こうか?」
 署長は父鬼を立たせた。
「ショウタ先生。本当にありがとうございました。もし俺が娑婆に出てくることができたら、ショウタ先生が理性を失った時、俺が絶対に止めてみせる。だから、安心して新妻を愛してやれ。妻に溺れて溺れて、溺れまくればいい」
 こう言い残して父鬼は素直に署長についていった。
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