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 日高と私は午前中に男性誌の取材、お昼にワイドショーを経て午後から稽古場に入った。部活のように賑やかなカンパニーも、大会直前となると空気が変わる。みんなピリピリしていた。今夜、ポルトノフ氏が到着する。

 鬼気迫るパフォーマンスは評価されるべき。でも、こんなときは怪我が怖い。それとなく日高に伝えると、彼は着替えて輪に入る際に一言添えてくれた。大きなツアーを何年も背負った彼の言葉だから、みんな少し、熱を解いた。

 ひとりを除いて。

 マクシモーヴィッチはいつもとまるで人相が違った。恐ろしいほどの緊迫感を漂わせ、振付に細かい修正を入れどんどん難しくしていく。ダンサーは必死だ。怒ったり理不尽な要求をしたりということはないけれど、いくら踊っても彼が納得することはなかった。疲労がステップを乱す。彼の目は不安そうに泳ぎ、何度も口元をおさえた。
 彼は不安なのだ。

 怖い顔で人差し指を立てる。

「イッショー ラース」
「にぇっと!!」

 長谷が膝に手をついて叫んだ。
 あまりの剣幕に、彼が頷いて引き下がる。
 ダンサーのみんなは明らかにほっとして、息を整え体を休めた。日高の到着から、レッスンはひたすら最後の群舞を繰り返していた。まるで赤い靴のように。血を流して死ぬまで踊り続ける、呪いの舞い。終盤は、昨日まではダイナミックなワルツだった。今日は、死のタンゴだ。

「朝からこんな?」

 汗をふきつつ日高が訊ね、長谷が頷き、雲田はマクシモーヴィッチを指差して唸った。

「殺す気だ」

 目が本気。
 確かに、朝からこの調子なら一人くらい酸欠で倒れてもおかしくない。そう思うと、みんな体が丈夫なのだと羨ましくなった。
 マクシモーヴィッチは鏡の前を行ったり来たりしている。台風を怖がる犬みたい。

「酸素!」

 ダンサーから上がった声に誰かが窓をあける。冷たい風と共に霧雨が舞い込んできた。予報があたれば、夜にかけて雪になる。急に体を冷やしてはだめ。私の口から言うのもと思い日高を見て、どきりとなった。陰鬱な目で彼を睨んでいる。
 違う、観察している。
 その冷静さがなぜか、怖かった。この目には、まるで、知らない人のように映った。

「窓、離れて。冷えるよ」

 長谷が声をかける。
 彼女を見てまた心臓がはねた。日高と同じとまではいかないけれど、深く探る瞳で彼を見つめていた。責めているというより、あまりに真剣で怖い。

 気持ちがざわつく。無性にマクシモーヴィッチを庇いたくなった。彼は、演出家の到着を前に、少し神経質になっているだけ。確かにレッスンは厳しいけれど、そういうものだ。
 日高のメンタル面も気になる。

 私は一階の休憩フロアに下りて、スポーツドリンクを抱えきれる限界まで買った。けれど人数分にはとても足りない。そこへ雲田がスタッフを数人つれて合流した。私たちは手分けしてドリンクを抱え、うち二人が外へ買出しに出た。

 長谷にスポーツドリンク、日高には疲れた時に好んで飲んでいるいちごミルクのパックも渡し、私はマクシモーヴィッチの傍へ急いだ。彼は怖がられ、ひとりだった。

 鏡に肩をつけ、思いつめた表情でうつむいている。死を悟った兵士のようにも、ただの怯える子どものようにも見えた。私は彼の視界に入り込み、日高に渡したのと同じ二種類のドリンクを顔の下で掲げた。

 目が合う。
 どろりと溶ける鉄が、重く、私を焼いた。

「大丈夫よ」

 小さく告げ、私は笑った。
 言葉が伝わらないのは知っている。けれど、気持ちが伝わればいい。彼は、不安なのだから。

 ふりそそぐ熱、熱に浮かされる気持ちを無視して、私は続けた。

「あなたのダンスは素晴らしい。みんなの誇り。みんなが、あなたの誇り。だから大丈夫。自信を持って、威張って待ってればいいの」

 ぴくりと眉が動いた。

「……まりえ」

 ぼんやりとした呟きが耳をくすぐる。

「はい、どうぞ」

 私が押しつけるドリンクを片手ずつ受け取って、彼は少し表情を和らげた。これが限界。充分。

「これ、美味しいのよ」

 いちごミルクを指差し、私は彼に背を向けた。
 瞬間、日高が目をそらした。ずっと見られていたのだ。
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