12 / 63
執事ネイサンの驚愕~執事視点~
しおりを挟む
その日は、テイラー夫人は夜からの出勤。メイドのミリーも子供が夏風邪をひき、午前中の清掃のみで帰宅してしまった。だからお嬢様の朝食とランチは俺が作った。
後片付けをしていると、坊ちゃまが婚約者のご令嬢を連れてサプライズ訪問してきた。
そろそろ王都に到着する頃だと思っていたが、よりによって今日か……。おもてなしをするお菓子があっただろうか。
なるほど、式が近づいてきている。もうリハーサルなども済ませないといけない時期だ。
さすがに実妹が式に出ないのは、体裁が悪いものな。
お嬢様が頑固だから、アポなしで婚約者と対面させることにしたらしい。
里帰りをお互い済ませ、さまざまな手続きを終えて王都に戻ってこられたのだ、あとの障害はメイベルお嬢様だけ。
お嬢様がラスボス、と言うわけか。
幸い昨日テイラー夫人が作っていったガトーショコラが保冷庫にあったので、それを温めてお出しすることにした。
トレイにお茶とケーキを乗せて、応接室の扉を開けた時、俺は危うくトレイをぶちまけるところだった。
「ルシールに謝りなさい!」
「絶対に嫌──きゃぁあ!」
パシンッ!
お嬢様をハムのように縛りあげて膝の上に乗せ、そのお尻を叩いているエイベル坊ちゃま。ものすごい笑顔だけど、前に見た時の優しいそれではない。
婚約者のルシール様が、もうそれくらいで、と止めに入るも、ルシールは少し黙っていてくれるか、とにべもない。
「その女がいけないのよっ、お兄様をたぶらかすから、何よ、鯖みたいな髪の色っ! しかも鉄面皮!」
「まだ言うかっ!」
パシンッ!
音だけ聞くと、けっこう容赦ない力のように思える平手打ち。
そういえば昔「いいかい、優しい人間を怒らせるのだけはやめなさい。ものすごく怖いからね」と祖母が言っていたな、なんてぼんやり思い出しながら、俺はその不思議な光景に見入っていた。
「バカバカバカッ、お兄様なんて嫌いっ、ホクロ星人っ! 頬っぺに風穴男!」
お嬢様は顔を真っ赤にしながら坊ちゃまを振り返り、罵詈雑言を投げつけている。エイベル坊ちゃまのあのサイコパスな顔を見ても負けていない。
ただホクロ星人と、めったに笑わないとは言え頬っぺに風穴はブーメランだぞ、お嬢様。
あれ……もしかしてこれ、日常だった? 慣れているのか?
「僕はメイベルが大好きだよっ」
パシンッ!
「でもね、わからずやはお仕置きだっ」
パシンッ!
「僕はルシールを生涯の伴侶として愛しているっ、謝るまでお尻ぺんぺんだからねっ」
パシンッ!
俺はお茶のセットをティーテーブルに置くと、お仕置き中の坊ちゃまの腕を掴んだ。
「止めないでくれ、ネイサン。ルシールは、僕が本気で愛したただ一人の異性なんだ」
「左様でございましょう。しかしながら、坊ちゃま、ルシール様がドン引きしておられますよ」
そこで初めて、ハッと我に返ったエイベル坊ちゃま。
震えているルシール様を振り返り、あれ、僕はいったい何を──、と動揺している。
「エイベル君、私、暴力は嫌いなの」
「あ、いや違うんだ、これはお仕置きで」
「もう立派なレディの妹さんを縛りあげて、お尻を叩くなんて」
「聞いてくれ、ルシール。僕はメイベルの我儘を諌めるつもりで──」
「尊厳を無視しているみたいじゃない。今度私にもやってみてくれるかしら」
「だって君を侮辱したことを分からせるために……ふぁっ!?」
「ちょっと興奮したというか、スパンキングって興味があって」
二人の不思議なやりとりに気を取られていると、その脇を風のようにメイベルお嬢様が通り抜けていった。
縛られた姿のまま、転びそうになりながら扉に体当たりし、部屋を出ていく。
俺は慌ててお嬢様を追いかけた。
「お嬢様っ、転びますよ!」
扉が開いたままだった自室に飛び込むと、ベッドにダイブしてうつ伏せになり、肩を震わせて嗚咽を堪えている。
「お嬢様、ロープを解きますね」
「入って来ないで」
「しかし」
「私いま、目から鼻水が出そうなの」
「ハンカチをお持ちします」
「見られたくないのっ!」
俺は息をついた。
そう言えば、お仕えしてもう四年以上経つが、気丈なお嬢様が泣いたところを見たのは、最初の頃、初めて俺がきつく叱った時だけだな。
「大丈夫でございます、私は使用人ですので、人と思わなくて結構です」
メイベルお嬢様の嗚咽が止まる。
「使用人は人だわ」
「……ふっ、そうですね」
俺は椅子を持ち出してベッドの前に置いた。音に気づいたのか、お嬢様が今にも泣きそうな顔を上げてこちらを見た。
「こちらにいらしてください」
「え?」
「抱っこで慰めてさしあげましょう」
今だけ、坊ちゃまの代わりをしよう。俺はそう思った。
ダメだって分かっている。そんなことをしたら俺が耐えられない。
なぜなら俺は、この十も年齢が下のブラコンお嬢様を愛してしまったからだ。
公私混同など以ての外、雇い主の娘であり、お仕えしお世話すべき十も離れた小娘に懸想するなど言語道断。
そう思っていたこの俺が、逆に絡め取られてしまった。この傲慢で我儘でひねくれたお嬢様に。
触れれば想いを知られてしまう。
だが、今傷ついたお嬢様を慰めるには、エイベル坊っちゃまの代わりに甘やかすことが一番に思えた。
お嬢様は、俺の提案に目を丸くした。それから、芋虫のような恰好で起き上がると、危なっかしくよたよた近づいてきた。
可愛いな!
「今日のこと、誰かに言ったらクビだからね」
「承知致しました」
お嬢様が膝の上にちょこんとのる。ふっくらしたお尻の感触や、甘い香りを意識しないよう、俺はお嬢様のロープを解くことに専念した。……くっそ固いなっ、どんな縛り方だよ。
「本当に誰にも言わないでよ」
「お約束いたします」
やっとお嬢様の腕のロープが外れた。それと同時に、お嬢様の気張っていた表情が崩れる。眉尻が下がり、引き結んでいた唇から嗚咽が漏れた。くしゃっと泣き顔に変わる。
両腕を俺の首に回すと、糊のきいた白シャツの胸に顔を埋め、わんわん泣き始めたではないか。
俺は吹き抜けの天井を仰いだ。可愛いなぁ……。
失礼致します、と呟いてから背中に手を回し、よしよしと膝を揺すりながらあやしてやる。
十八の女性にすることではないとは思ったが、今彼女がとても傷ついているように見えたのだ。
「今日はこのネイサンが、お嬢様の言うことを何でもお聞きしますよ。何か食べたいものはございませんか?」
柔らかい髪に隠れた耳を見つけると、そう囁いた。本当はその福耳を口に含んで舌で転がし、さらに耳の穴に息を吹きかけたい。
こんな不埒なことを考えているなどと──ロリコン変質者であることは、決して知られてはいけない。この身分違いの片恋は、墓場まで持っていくべき想いだ。
俺は保護者代理。今は彼女の兄だと、自分に言い聞かせる。
「お嬢様の好きな、抹茶のパウンドケーキなどいかがでしょう。今からでもお焼きしますが」
エイベル坊ちゃまには作れないだろうから。あの方の、唯一できないことが料理だ。
甘いものが大好きなメイベルお嬢様に、あまりお菓子を与えてはいけない。体重を気にされていたから。しかしこれくらいしか、エイベル坊っちゃまに勝てるものはない。
まったく……勝つってなんだよ。張り合ってどうする。
「……たい」
ひっくひっくしゃくりあげながら、メイベルお嬢様は言った。
「ううう……、じゃ、じゃあ、お休みのチュウして、添い寝も」
それから、唇に人差し指を置いて潤んだ目で俺を見あげた。
後片付けをしていると、坊ちゃまが婚約者のご令嬢を連れてサプライズ訪問してきた。
そろそろ王都に到着する頃だと思っていたが、よりによって今日か……。おもてなしをするお菓子があっただろうか。
なるほど、式が近づいてきている。もうリハーサルなども済ませないといけない時期だ。
さすがに実妹が式に出ないのは、体裁が悪いものな。
お嬢様が頑固だから、アポなしで婚約者と対面させることにしたらしい。
里帰りをお互い済ませ、さまざまな手続きを終えて王都に戻ってこられたのだ、あとの障害はメイベルお嬢様だけ。
お嬢様がラスボス、と言うわけか。
幸い昨日テイラー夫人が作っていったガトーショコラが保冷庫にあったので、それを温めてお出しすることにした。
トレイにお茶とケーキを乗せて、応接室の扉を開けた時、俺は危うくトレイをぶちまけるところだった。
「ルシールに謝りなさい!」
「絶対に嫌──きゃぁあ!」
パシンッ!
お嬢様をハムのように縛りあげて膝の上に乗せ、そのお尻を叩いているエイベル坊ちゃま。ものすごい笑顔だけど、前に見た時の優しいそれではない。
婚約者のルシール様が、もうそれくらいで、と止めに入るも、ルシールは少し黙っていてくれるか、とにべもない。
「その女がいけないのよっ、お兄様をたぶらかすから、何よ、鯖みたいな髪の色っ! しかも鉄面皮!」
「まだ言うかっ!」
パシンッ!
音だけ聞くと、けっこう容赦ない力のように思える平手打ち。
そういえば昔「いいかい、優しい人間を怒らせるのだけはやめなさい。ものすごく怖いからね」と祖母が言っていたな、なんてぼんやり思い出しながら、俺はその不思議な光景に見入っていた。
「バカバカバカッ、お兄様なんて嫌いっ、ホクロ星人っ! 頬っぺに風穴男!」
お嬢様は顔を真っ赤にしながら坊ちゃまを振り返り、罵詈雑言を投げつけている。エイベル坊ちゃまのあのサイコパスな顔を見ても負けていない。
ただホクロ星人と、めったに笑わないとは言え頬っぺに風穴はブーメランだぞ、お嬢様。
あれ……もしかしてこれ、日常だった? 慣れているのか?
「僕はメイベルが大好きだよっ」
パシンッ!
「でもね、わからずやはお仕置きだっ」
パシンッ!
「僕はルシールを生涯の伴侶として愛しているっ、謝るまでお尻ぺんぺんだからねっ」
パシンッ!
俺はお茶のセットをティーテーブルに置くと、お仕置き中の坊ちゃまの腕を掴んだ。
「止めないでくれ、ネイサン。ルシールは、僕が本気で愛したただ一人の異性なんだ」
「左様でございましょう。しかしながら、坊ちゃま、ルシール様がドン引きしておられますよ」
そこで初めて、ハッと我に返ったエイベル坊ちゃま。
震えているルシール様を振り返り、あれ、僕はいったい何を──、と動揺している。
「エイベル君、私、暴力は嫌いなの」
「あ、いや違うんだ、これはお仕置きで」
「もう立派なレディの妹さんを縛りあげて、お尻を叩くなんて」
「聞いてくれ、ルシール。僕はメイベルの我儘を諌めるつもりで──」
「尊厳を無視しているみたいじゃない。今度私にもやってみてくれるかしら」
「だって君を侮辱したことを分からせるために……ふぁっ!?」
「ちょっと興奮したというか、スパンキングって興味があって」
二人の不思議なやりとりに気を取られていると、その脇を風のようにメイベルお嬢様が通り抜けていった。
縛られた姿のまま、転びそうになりながら扉に体当たりし、部屋を出ていく。
俺は慌ててお嬢様を追いかけた。
「お嬢様っ、転びますよ!」
扉が開いたままだった自室に飛び込むと、ベッドにダイブしてうつ伏せになり、肩を震わせて嗚咽を堪えている。
「お嬢様、ロープを解きますね」
「入って来ないで」
「しかし」
「私いま、目から鼻水が出そうなの」
「ハンカチをお持ちします」
「見られたくないのっ!」
俺は息をついた。
そう言えば、お仕えしてもう四年以上経つが、気丈なお嬢様が泣いたところを見たのは、最初の頃、初めて俺がきつく叱った時だけだな。
「大丈夫でございます、私は使用人ですので、人と思わなくて結構です」
メイベルお嬢様の嗚咽が止まる。
「使用人は人だわ」
「……ふっ、そうですね」
俺は椅子を持ち出してベッドの前に置いた。音に気づいたのか、お嬢様が今にも泣きそうな顔を上げてこちらを見た。
「こちらにいらしてください」
「え?」
「抱っこで慰めてさしあげましょう」
今だけ、坊ちゃまの代わりをしよう。俺はそう思った。
ダメだって分かっている。そんなことをしたら俺が耐えられない。
なぜなら俺は、この十も年齢が下のブラコンお嬢様を愛してしまったからだ。
公私混同など以ての外、雇い主の娘であり、お仕えしお世話すべき十も離れた小娘に懸想するなど言語道断。
そう思っていたこの俺が、逆に絡め取られてしまった。この傲慢で我儘でひねくれたお嬢様に。
触れれば想いを知られてしまう。
だが、今傷ついたお嬢様を慰めるには、エイベル坊っちゃまの代わりに甘やかすことが一番に思えた。
お嬢様は、俺の提案に目を丸くした。それから、芋虫のような恰好で起き上がると、危なっかしくよたよた近づいてきた。
可愛いな!
「今日のこと、誰かに言ったらクビだからね」
「承知致しました」
お嬢様が膝の上にちょこんとのる。ふっくらしたお尻の感触や、甘い香りを意識しないよう、俺はお嬢様のロープを解くことに専念した。……くっそ固いなっ、どんな縛り方だよ。
「本当に誰にも言わないでよ」
「お約束いたします」
やっとお嬢様の腕のロープが外れた。それと同時に、お嬢様の気張っていた表情が崩れる。眉尻が下がり、引き結んでいた唇から嗚咽が漏れた。くしゃっと泣き顔に変わる。
両腕を俺の首に回すと、糊のきいた白シャツの胸に顔を埋め、わんわん泣き始めたではないか。
俺は吹き抜けの天井を仰いだ。可愛いなぁ……。
失礼致します、と呟いてから背中に手を回し、よしよしと膝を揺すりながらあやしてやる。
十八の女性にすることではないとは思ったが、今彼女がとても傷ついているように見えたのだ。
「今日はこのネイサンが、お嬢様の言うことを何でもお聞きしますよ。何か食べたいものはございませんか?」
柔らかい髪に隠れた耳を見つけると、そう囁いた。本当はその福耳を口に含んで舌で転がし、さらに耳の穴に息を吹きかけたい。
こんな不埒なことを考えているなどと──ロリコン変質者であることは、決して知られてはいけない。この身分違いの片恋は、墓場まで持っていくべき想いだ。
俺は保護者代理。今は彼女の兄だと、自分に言い聞かせる。
「お嬢様の好きな、抹茶のパウンドケーキなどいかがでしょう。今からでもお焼きしますが」
エイベル坊ちゃまには作れないだろうから。あの方の、唯一できないことが料理だ。
甘いものが大好きなメイベルお嬢様に、あまりお菓子を与えてはいけない。体重を気にされていたから。しかしこれくらいしか、エイベル坊っちゃまに勝てるものはない。
まったく……勝つってなんだよ。張り合ってどうする。
「……たい」
ひっくひっくしゃくりあげながら、メイベルお嬢様は言った。
「ううう……、じゃ、じゃあ、お休みのチュウして、添い寝も」
それから、唇に人差し指を置いて潤んだ目で俺を見あげた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
219
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる