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第2部
船酔いと水面下の云々
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「こんなものでいいか……」
「3日分程度なら充分でしょう。持ち運ぶのもこれで限界ですし」
フードを被った二人の男が大きな荷物を抱えて歩いている。食料品やら何やらを買い込んだものらしい。彼らの風体は甚だ怪しいが、多くの人が行き交う通りでは気に留める者もいない。
「ちょっと兄さん達! 観光かい?」
誰にも触れられなかったところに屋台の女から声が飛び、彼らは足を止めた。
「随分流暢なルバルア語だな」
背の高い方の男が驚いたように言えば、女は「そりゃあね」と一笑する。
「観光客って言えば専らルバルア人だからね。特に最近は同盟を結んだお陰で、そりゃもうさ。ルバルア語が話せなきゃあたしらは商売にならないよ」
「なるほど。だが、なぜ俺たちがルバルア人だと?」
「簡単な事さ。あたしらはみーんな『アモ』を入れてるんだから。あんた達にはないだろ」
「アモ?」
「そう」
しゃらりと腕輪同士が触れ合う音をさせ、女が右腕を差し出す。ほっそりとした手指を見れば、その人差し指の付け根から第2関節までが若草色の模様で覆われている。
「刺青か?」
敬語で話していた方の男も興味を持って女の人差し指をしげしげと見つめる。女は観光客に語り慣れているのか、台詞を用意されていたかのように淀みなく答えた。
「違うよ。これは描いてるのさ。アモ用の特別な絵の具でね。模様を入れる位置はここに決まってるけど、どんな模様にするかは自由。その日の気分によって変えるもよし、恋人や友達とお揃いにするもよし、描く位置さえ守ってりゃ何でもありさ。ま、ある程度の節度ってものはあるけどね。親に初めに教わる身だしなみなんだ。誰でも物心ついた頃から自分でやってるよ」
ちなみにあたしのアモは旦那とお揃いだよ、と女は破顔する。
「──で、兄さん達。観光ならこの『モモスクの串焼き』を食べなきゃ始まらないよ!」
◇◇◇
「──しかし、見事なまでに赤毛ばかりですね」
半ば強引に購入させられた串焼きを頬張りながらノットが言った。フードが邪魔をして食べにくそうだが、器用に口に運んで咀嚼している。
「ああ……単一民族だとは知っていたが、実際に目の当たりにすると圧巻だな」
それに頷き、リューシは目の前を通り過ぎて行く人の流れを眺めた。
どこを見ても赤、赤、赤……
周囲にいる赤毛といえばバルトリスくらいのものだったが、ここ──ウィランドンでは基本的に赤しか見えない。一定の割合で異なる髪色の人間もいるが、それは他国からの観光客、もしくは移住者だ。
前世の故郷日本でも髪色は圧倒的に黒と焦げ茶色が多かったが、客観的にはこう見えていたのかとリューシは不思議な感慨を覚えていた。
「この中で頭を晒したら確実に目立ちますね」
ノットが感心したように言う。
この商店の建ち並ぶ通りには、数日分の物資調達に訪れている。バルトリスならウィランドン人に紛れ易いのだが、生憎彼はまだ船酔いから復活出来ていない。荷物持ちになるはずであった他2名も然り。結果として残ったリューシとノットが行く事になったのだった。
「ルバルアでは一般的な色でも、ここでは異国の者の証明だからな」
「まあ隊長は世界規模で珍しいですけどね」
「俺は例外だ」
会話が一段落し、ノットが「そうだ」と思い出したように右手の串焼きを差し出してくる。
「これ、見た目の割に結構いけますよ」
見た目の割に、というのはどの程度なんだ。リューシは30cm程の串に突き刺された物体を不審そうに見つめた。
屋台の女は「モモスクの串焼き」だと言っていたが、その「モモスク」が何なのかが不明だ。一応肉のようではある。香りも悪くはない。しかし、その色味は着色したような毒々しい青緑だ。本当に食べさせる気があるのかと疑いたくなる程食欲を減退させられる。
見た目の割にと言われても、その見た目がこれなのだから味の保証は全くないに等しかった。
「お前……よく平気で食べられるな」
鼻先に突き付けられている得体の知れないものに眉を寄せれば、ノットは「食わず嫌いは良くありませんよ」と言う。
「一口食べてみれば意外にいけますよ。人によっては好きかも」
ほらと押し付けられ、反射的に開いた口の中に青緑の肉が押し込まれる。吐き出すわけにもいかず、串から抜き取って噛み砕いた。
「……ん……」
確かに、想像するより悪くない。だが、
「何というか……形容し難い味だな」
「まあ『見た目の割に』ですし」
見た目の割に不味くないのはその通りだが、美味いかといえば肯定出来ない。こんなもの食えるかと撥ね付けられないが故にさっぱりしない味だ。
これは覚えのある感覚だが、何だったか。
一瞬考え込み、あっと気付いた。
──そうだ、ラーメンだ。
前世で高校生だった頃、不味いと評判だったラーメン屋に友人と行った事があった。高校生らしい、評判通りの「激マズ」を楽しみにしているような悪ふざけの気分だったのだが、まんまとその期待を裏切られたのだった。その時の何の感想も言えない味に似ている。
「……はぁ……」
「……? 隊長?」
何という下らない記憶を蘇らせてしまったのか。どうせならもっと意義のある事を思い出せば良いものを。全く自分に呆れる。
「何でもない。お前は早くそれを食べ切れ。あまり遅くなるとあいつらを待たせる」
「そうですね」
頷いたノットは手早く残りを胃に落とし、行きましょうかとベンチから立ち上がった。
◇◇◇
暫く並んで歩き、宿場に出た。リューシとノットはその中で一際質素な建物に入って行く。入口のカウンターの女将が無愛想な顔で渡してくれた鍵を持って2階へ。後にノットが続く。
古びた木製の階段は足元でギシギシと悲鳴を上げている。ろくに修理もしていないのか、所々に腐食やささくれが目立った。今にも抜けそうで心許ない。
この宿はこの辺り一帯で最も質素な、所謂木賃宿だ。無駄遣いは出来ないからとカイグルに頼んで紹介して貰った。彼はウィランドンに渡る度にこの宿場町を利用しており、隅々まで良く知っているのだ。
「あんたや皇子様みたいな人がそんな所に泊まっていいのか」と随分なしかめ面をされたが、自分たちはもうその身分を離れたものと思ってくれと言って納得させた。第一、リューシに至っては幽霊だ。身元がバレさえしなければ、そんな気遣いは無用だった。
さてこの宿が自炊前提の木賃宿であるが為にリューシはノットと共に買い出しに行かねばならなかったわけだが、かの留守番組はどうなっているか。
「おい生きてるか……殿下、お加減は?」
明らかに扱いの違う挨拶と共に部屋へ入ったリューシに、幾分か色の戻り始めた顔が一斉に向けられる。「何だその態度の差は……」と不満気に胡座をかくバルトリスはもう殆ど良さそうだ。セドルアも随分回復している。逆にまだ辛そうなのがレイドで、意外にもリーンはそれなりに調子が戻っているようであった。
「レイド、まだ吐き気がするか?」
しゃがみ込んで問えば、押さえた口元からええまあとくぐもった返答がある。
一応船酔いに効くという薬は道中で購入している。流石港町という事か、どの店にも置かれていた。
「散剤……粉薬の方がいいぜ。錠剤より効きが早い」
ごそごそと袋を探っていれば、バルトリスが口を挟む。幸い、どちらがいいのかわからず錠剤と散剤の両方を購入していた。軍医長の指示に従い粉薬の方を出しながら、ノットに水を持って来させる。
「レイド、お前、粉薬は飲める質か」
「ええ……大丈夫です」
「そうか。ならゆっくり飲め。噎せるなよ」
はいと頷いて薬を飲み始めたレイドを横目に、リューシはさてどうしたものかと思案した。直ぐにでもパヴィナ捜しをしたいところだが、最も回復しているバルトリスでもまだ本調子とは言えない。またノットと二人で出た方がいいだろうか。
「情報を集めに行きたいんだが……ノット、また同行を頼めるか」
そう声を掛けると、ノットは忠犬よろしくパッと顔を上げた。間髪入れず「勿論」と答えが返される。
「お望みならどこへでも」
じっと目を見つめながら言う部下に少々たじろいだ。なぜこいつはこんなに食い付いてくる。
バルトリスにちらと視線で伺えば、微妙な表情をしながらも頷いた。それに対し気にせず休んでいろと言いかけ、リューシははたと止める。長い付き合いだからこそわかった。どうもそういう意味の顔でもなさそうだ。しかし、それなら何なのかと考えても答えは出ない。こちらはこちらでその表情の意味がわからないが、やはりまだ動き回るには辛いのだろうと結論付け、リューシは「行くぞ」とノットを促した。
「待て」
扉に手を掛けたところで呼び止められ、体を正面に向けたまま顔だけで振り返る。
「俺も行く」
立ち上がろうとしているのはバルトリスではなく、セドルアであった。強く射抜いてくるアメジストの視線にぱちりと瞬く。
「しかし殿下、まだ──」
「問題ない」
最後まで言わせまいとするように被せるセドルアの顔色はまだ青い。そんな状態で連れて行けるわけがないと進言しようと口を開きかけた瞬間、ノットが「殿下」と声を上げた。
「失礼ながら、隊長と私の二人の方が効率は宜しいかと」
「……何?」
丁寧な口調でありながら不躾な物言いにセドルアの眉間が皺を刻む。
不味い。一瞬にして張り詰めた空気にリューシはひやりと心中で汗を流す。ノットの同期二人も元々船酔いで悪い顔色を更に青くしている。ただ一人、バルトリスだけが静かに傍観していた。
「貴方もどちらかといえば隊長と同じく警護対象です。他に同行者がいるならまだしも、2対1はいくら私でも危険がある」
「お前に守られなくとも自衛くらい出来る。ラヴォルは尚更だ」
「確かに隊長も腕はおありだ。私はよく知らないが貴方もそうなんでしょう。だが、そういう問題ではないんですよ」
「どういう問題だと言うんだ」
「隊長は既に“死人”です。でも貴方は違う。視察の為にルバルアを旅している事になっているんだ。他国で何かあれば全てが水の泡なんです」
「その何かが起こらないように自衛すると言っているんだ」
「だから、違うと言ってる! 俺はあんたの心配なんかしてない! あんたのせいで隊長が危険に晒されるのが許せねぇんだよ!」
「ノット!」
敬語も外れて勢い良く捲し立てる部下を鋭く制する。これ以上は流石に許容出来ない。
「失礼しました」とセドルアに断り、リューシはノットの灰の瞳を見下ろした。戦場で出会った頃と同じ生意気な双眸がきっと睨み返してくる。
「もういい。お前の意見はわかった」
「隊長、」
「殿下。お気持ちは有難いが、ここは我々に任せて休養を。幸いここには医者の端くれもおります」
顎でバルトリスを指せば、「端くれとは何だ、端くれとは」と憤慨する。
船に酔っても医者は医者だ。陸に上がれば割と直ぐに治まるはずの症状が長引いているこの状態では、彼とここに置いて行くのが一番良いだろう。
「だが、そいつは……」
「……? ノットが何か」
渋面を作るセドルアに首を傾げる。自分が同行出来ない事ではなく、ノットが同行する事が問題だと言いたいのだろうか。しかし、なぜ?
問い掛けの意味を込めて見つめれば、セドルアは諦めたようにかぶりを振った。
「……いや、いい。お前の部下の言い分も一理ある」
ただ、と続ける。
「一つ言っておく」
何をと尋ねるより早くセドルアは立ち上がり、ノットの耳元で何事かを囁いた。怪訝な顔で見守るリューシにちらと視線を送り、ノットはにやりと意地悪く片唇を引き上げる。
「案外、皇子様でも余裕ないんだな」
辛うじてリューシの耳が拾ったその台詞にうるさいと言わんばかりに顔をしかめ、セドルアはやや乱暴に座り直した。一体セドルアは何を言ったというのか。
「行きましょう、隊長」
訊く隙を与えまいとするようなノットに、リューシは廊下へ押し出された。
「3日分程度なら充分でしょう。持ち運ぶのもこれで限界ですし」
フードを被った二人の男が大きな荷物を抱えて歩いている。食料品やら何やらを買い込んだものらしい。彼らの風体は甚だ怪しいが、多くの人が行き交う通りでは気に留める者もいない。
「ちょっと兄さん達! 観光かい?」
誰にも触れられなかったところに屋台の女から声が飛び、彼らは足を止めた。
「随分流暢なルバルア語だな」
背の高い方の男が驚いたように言えば、女は「そりゃあね」と一笑する。
「観光客って言えば専らルバルア人だからね。特に最近は同盟を結んだお陰で、そりゃもうさ。ルバルア語が話せなきゃあたしらは商売にならないよ」
「なるほど。だが、なぜ俺たちがルバルア人だと?」
「簡単な事さ。あたしらはみーんな『アモ』を入れてるんだから。あんた達にはないだろ」
「アモ?」
「そう」
しゃらりと腕輪同士が触れ合う音をさせ、女が右腕を差し出す。ほっそりとした手指を見れば、その人差し指の付け根から第2関節までが若草色の模様で覆われている。
「刺青か?」
敬語で話していた方の男も興味を持って女の人差し指をしげしげと見つめる。女は観光客に語り慣れているのか、台詞を用意されていたかのように淀みなく答えた。
「違うよ。これは描いてるのさ。アモ用の特別な絵の具でね。模様を入れる位置はここに決まってるけど、どんな模様にするかは自由。その日の気分によって変えるもよし、恋人や友達とお揃いにするもよし、描く位置さえ守ってりゃ何でもありさ。ま、ある程度の節度ってものはあるけどね。親に初めに教わる身だしなみなんだ。誰でも物心ついた頃から自分でやってるよ」
ちなみにあたしのアモは旦那とお揃いだよ、と女は破顔する。
「──で、兄さん達。観光ならこの『モモスクの串焼き』を食べなきゃ始まらないよ!」
◇◇◇
「──しかし、見事なまでに赤毛ばかりですね」
半ば強引に購入させられた串焼きを頬張りながらノットが言った。フードが邪魔をして食べにくそうだが、器用に口に運んで咀嚼している。
「ああ……単一民族だとは知っていたが、実際に目の当たりにすると圧巻だな」
それに頷き、リューシは目の前を通り過ぎて行く人の流れを眺めた。
どこを見ても赤、赤、赤……
周囲にいる赤毛といえばバルトリスくらいのものだったが、ここ──ウィランドンでは基本的に赤しか見えない。一定の割合で異なる髪色の人間もいるが、それは他国からの観光客、もしくは移住者だ。
前世の故郷日本でも髪色は圧倒的に黒と焦げ茶色が多かったが、客観的にはこう見えていたのかとリューシは不思議な感慨を覚えていた。
「この中で頭を晒したら確実に目立ちますね」
ノットが感心したように言う。
この商店の建ち並ぶ通りには、数日分の物資調達に訪れている。バルトリスならウィランドン人に紛れ易いのだが、生憎彼はまだ船酔いから復活出来ていない。荷物持ちになるはずであった他2名も然り。結果として残ったリューシとノットが行く事になったのだった。
「ルバルアでは一般的な色でも、ここでは異国の者の証明だからな」
「まあ隊長は世界規模で珍しいですけどね」
「俺は例外だ」
会話が一段落し、ノットが「そうだ」と思い出したように右手の串焼きを差し出してくる。
「これ、見た目の割に結構いけますよ」
見た目の割に、というのはどの程度なんだ。リューシは30cm程の串に突き刺された物体を不審そうに見つめた。
屋台の女は「モモスクの串焼き」だと言っていたが、その「モモスク」が何なのかが不明だ。一応肉のようではある。香りも悪くはない。しかし、その色味は着色したような毒々しい青緑だ。本当に食べさせる気があるのかと疑いたくなる程食欲を減退させられる。
見た目の割にと言われても、その見た目がこれなのだから味の保証は全くないに等しかった。
「お前……よく平気で食べられるな」
鼻先に突き付けられている得体の知れないものに眉を寄せれば、ノットは「食わず嫌いは良くありませんよ」と言う。
「一口食べてみれば意外にいけますよ。人によっては好きかも」
ほらと押し付けられ、反射的に開いた口の中に青緑の肉が押し込まれる。吐き出すわけにもいかず、串から抜き取って噛み砕いた。
「……ん……」
確かに、想像するより悪くない。だが、
「何というか……形容し難い味だな」
「まあ『見た目の割に』ですし」
見た目の割に不味くないのはその通りだが、美味いかといえば肯定出来ない。こんなもの食えるかと撥ね付けられないが故にさっぱりしない味だ。
これは覚えのある感覚だが、何だったか。
一瞬考え込み、あっと気付いた。
──そうだ、ラーメンだ。
前世で高校生だった頃、不味いと評判だったラーメン屋に友人と行った事があった。高校生らしい、評判通りの「激マズ」を楽しみにしているような悪ふざけの気分だったのだが、まんまとその期待を裏切られたのだった。その時の何の感想も言えない味に似ている。
「……はぁ……」
「……? 隊長?」
何という下らない記憶を蘇らせてしまったのか。どうせならもっと意義のある事を思い出せば良いものを。全く自分に呆れる。
「何でもない。お前は早くそれを食べ切れ。あまり遅くなるとあいつらを待たせる」
「そうですね」
頷いたノットは手早く残りを胃に落とし、行きましょうかとベンチから立ち上がった。
◇◇◇
暫く並んで歩き、宿場に出た。リューシとノットはその中で一際質素な建物に入って行く。入口のカウンターの女将が無愛想な顔で渡してくれた鍵を持って2階へ。後にノットが続く。
古びた木製の階段は足元でギシギシと悲鳴を上げている。ろくに修理もしていないのか、所々に腐食やささくれが目立った。今にも抜けそうで心許ない。
この宿はこの辺り一帯で最も質素な、所謂木賃宿だ。無駄遣いは出来ないからとカイグルに頼んで紹介して貰った。彼はウィランドンに渡る度にこの宿場町を利用しており、隅々まで良く知っているのだ。
「あんたや皇子様みたいな人がそんな所に泊まっていいのか」と随分なしかめ面をされたが、自分たちはもうその身分を離れたものと思ってくれと言って納得させた。第一、リューシに至っては幽霊だ。身元がバレさえしなければ、そんな気遣いは無用だった。
さてこの宿が自炊前提の木賃宿であるが為にリューシはノットと共に買い出しに行かねばならなかったわけだが、かの留守番組はどうなっているか。
「おい生きてるか……殿下、お加減は?」
明らかに扱いの違う挨拶と共に部屋へ入ったリューシに、幾分か色の戻り始めた顔が一斉に向けられる。「何だその態度の差は……」と不満気に胡座をかくバルトリスはもう殆ど良さそうだ。セドルアも随分回復している。逆にまだ辛そうなのがレイドで、意外にもリーンはそれなりに調子が戻っているようであった。
「レイド、まだ吐き気がするか?」
しゃがみ込んで問えば、押さえた口元からええまあとくぐもった返答がある。
一応船酔いに効くという薬は道中で購入している。流石港町という事か、どの店にも置かれていた。
「散剤……粉薬の方がいいぜ。錠剤より効きが早い」
ごそごそと袋を探っていれば、バルトリスが口を挟む。幸い、どちらがいいのかわからず錠剤と散剤の両方を購入していた。軍医長の指示に従い粉薬の方を出しながら、ノットに水を持って来させる。
「レイド、お前、粉薬は飲める質か」
「ええ……大丈夫です」
「そうか。ならゆっくり飲め。噎せるなよ」
はいと頷いて薬を飲み始めたレイドを横目に、リューシはさてどうしたものかと思案した。直ぐにでもパヴィナ捜しをしたいところだが、最も回復しているバルトリスでもまだ本調子とは言えない。またノットと二人で出た方がいいだろうか。
「情報を集めに行きたいんだが……ノット、また同行を頼めるか」
そう声を掛けると、ノットは忠犬よろしくパッと顔を上げた。間髪入れず「勿論」と答えが返される。
「お望みならどこへでも」
じっと目を見つめながら言う部下に少々たじろいだ。なぜこいつはこんなに食い付いてくる。
バルトリスにちらと視線で伺えば、微妙な表情をしながらも頷いた。それに対し気にせず休んでいろと言いかけ、リューシははたと止める。長い付き合いだからこそわかった。どうもそういう意味の顔でもなさそうだ。しかし、それなら何なのかと考えても答えは出ない。こちらはこちらでその表情の意味がわからないが、やはりまだ動き回るには辛いのだろうと結論付け、リューシは「行くぞ」とノットを促した。
「待て」
扉に手を掛けたところで呼び止められ、体を正面に向けたまま顔だけで振り返る。
「俺も行く」
立ち上がろうとしているのはバルトリスではなく、セドルアであった。強く射抜いてくるアメジストの視線にぱちりと瞬く。
「しかし殿下、まだ──」
「問題ない」
最後まで言わせまいとするように被せるセドルアの顔色はまだ青い。そんな状態で連れて行けるわけがないと進言しようと口を開きかけた瞬間、ノットが「殿下」と声を上げた。
「失礼ながら、隊長と私の二人の方が効率は宜しいかと」
「……何?」
丁寧な口調でありながら不躾な物言いにセドルアの眉間が皺を刻む。
不味い。一瞬にして張り詰めた空気にリューシはひやりと心中で汗を流す。ノットの同期二人も元々船酔いで悪い顔色を更に青くしている。ただ一人、バルトリスだけが静かに傍観していた。
「貴方もどちらかといえば隊長と同じく警護対象です。他に同行者がいるならまだしも、2対1はいくら私でも危険がある」
「お前に守られなくとも自衛くらい出来る。ラヴォルは尚更だ」
「確かに隊長も腕はおありだ。私はよく知らないが貴方もそうなんでしょう。だが、そういう問題ではないんですよ」
「どういう問題だと言うんだ」
「隊長は既に“死人”です。でも貴方は違う。視察の為にルバルアを旅している事になっているんだ。他国で何かあれば全てが水の泡なんです」
「その何かが起こらないように自衛すると言っているんだ」
「だから、違うと言ってる! 俺はあんたの心配なんかしてない! あんたのせいで隊長が危険に晒されるのが許せねぇんだよ!」
「ノット!」
敬語も外れて勢い良く捲し立てる部下を鋭く制する。これ以上は流石に許容出来ない。
「失礼しました」とセドルアに断り、リューシはノットの灰の瞳を見下ろした。戦場で出会った頃と同じ生意気な双眸がきっと睨み返してくる。
「もういい。お前の意見はわかった」
「隊長、」
「殿下。お気持ちは有難いが、ここは我々に任せて休養を。幸いここには医者の端くれもおります」
顎でバルトリスを指せば、「端くれとは何だ、端くれとは」と憤慨する。
船に酔っても医者は医者だ。陸に上がれば割と直ぐに治まるはずの症状が長引いているこの状態では、彼とここに置いて行くのが一番良いだろう。
「だが、そいつは……」
「……? ノットが何か」
渋面を作るセドルアに首を傾げる。自分が同行出来ない事ではなく、ノットが同行する事が問題だと言いたいのだろうか。しかし、なぜ?
問い掛けの意味を込めて見つめれば、セドルアは諦めたようにかぶりを振った。
「……いや、いい。お前の部下の言い分も一理ある」
ただ、と続ける。
「一つ言っておく」
何をと尋ねるより早くセドルアは立ち上がり、ノットの耳元で何事かを囁いた。怪訝な顔で見守るリューシにちらと視線を送り、ノットはにやりと意地悪く片唇を引き上げる。
「案外、皇子様でも余裕ないんだな」
辛うじてリューシの耳が拾ったその台詞にうるさいと言わんばかりに顔をしかめ、セドルアはやや乱暴に座り直した。一体セドルアは何を言ったというのか。
「行きましょう、隊長」
訊く隙を与えまいとするようなノットに、リューシは廊下へ押し出された。
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