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第1話
しおりを挟む「こんにちは。先日となりに引っ越してきました、本田といいます」
「……どうも」
突然鳴ったインターホンに玄関の扉を開けてみれば、そこに立っていたのは小柄な女性。茶髪で猫目をした、とてもきれいなひとだった。
「これ、お近づきの印によかったらどうぞ」
差し出されたのは、高級そうな菓子折袋。
「……あぁ、わざわざすみません」
それをさっと受け取ると、僕は小さく会釈をして扉を閉めた。
「……はぁ」
扉を背に、小さく息をつく。
びっくりした。いきなり女性が訪ねてくるなんて、果たしていつぶりだろう。
菓子折をテーブルに放り、冷蔵庫を開ける。ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、喉を潤す。
……僕は、人が苦手だ。
昔からそうだった。
学校が苦手で、教室が苦手で、いつも校庭の池で鯉をぼんやり眺めたりしていた。学生の頃はそれでもなんとか通っていたけれど、人見知りがひとつの個性として扱われるのは未成年までのこと。
おとなの世界でそんなものは通用しない。
周りの空気を読んで、上司の顔色を伺って、取引先には腰より低く頭を下げて。
毎日神経をすり減らして、死への旅路をゆく。それが人生。
そんな毎日に疲れてしまった僕は、すべてにおいて期待するということをやめた。
だって、社会や会社が僕に対してなんにも期待していないということが分かったから。
だから僕も、もらっている給金以上のことはしない。
時間通りに出勤して、定時で帰る。お人好しのいいひとなんて損だし、新人教育なんてものも仕事効率が悪くなるだけだからわざわざしない。
あからさまにそういう態度をする僕を、会社や近所のひとたちは変人だと囁いて、少しづつ避けるようになった。
ちょうど、仕事から帰って部屋着に着替え終わったとき、インターホンが鳴った。
「こんにちは。これ、作り過ぎちゃって。おすそわけです」
「……はぁ。どうも」
となりの部屋に引っ越してきた本田とかいうこの女性は、なぜか僕によく料理の差し入れをくれる。
見た目からして、おそらく二十代前半くらい。
僕のようなくたびれたおじさんに餌付けをしてなにが楽しいのかと思うけれど、まぁ拒絶するのも面倒だし、どうせすぐに飽きるだろう。
……と、思っていたのだけれど。
差し入れが週に一度から三度に増えて、いつの間にか、毎日のようにインターホンが鳴るようになった。
「あの……本田さん」
「ハイ?」
まるまるとした瞳が僕を映し出す。
「その……差し入れはありがたいんですが、なぜこんなに僕によくしてくれるんです?」
すると、彼女は数度瞬きをして、言った。
「好きだからです」
「……は?」
今、なんて? スキダカラ?
「好きなんです、野上さんのこと」
こんな若くて可愛い彼女が、こんなくたびれたサラリーマンの僕を?
……いや、有り得ない。
「……もしかして、バカにしてます?」
「な、なんでですか! してませんよ」
慌てた様子の彼女に、胡散臭い目を向ける。
「……正直、迷惑なんです。若い君に僕が手を出したとか噂になってるし」
「あ……そ、それは……」
本田さんはしゅんとしたように肩を落として、「すみません」と呟いた。
「そういうことなので、明日からこういうことはやめてください」
「……はい」
これだけ差し入れをもらっておいて、冷たい言い方だっただろうか。でも、ほかの言い方が分からない。彼女には悪いけど、僕はもう、だれとも仲良くなるつもりなんてないのだ。
それから、彼女は僕の部屋のインターホンを鳴らさなくなった。
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