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第2話
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それは、珍しく残業をした日の帰り道だった。河道を歩いていると、前方に人影が見えた。コンビニ袋を手に歩く後ろ姿に覚えがある。
「……あ」
本田さんだった。
僕の気配に気付いたのか、本田さんが振り返る。
「あっ、野上さん! こんばんは」
見つかってしまったら仕方ない。僕はため息混じりに彼女のそばに歩みを進める。
「……こんな時間にコンビニですか」
女の人ひとりでこんな街灯のない道、危ないだろうに。
「あ、えっと、夕飯を買いに」
「夕飯……?」
毎日のように夕飯を作りすぎたと言っていた彼女でも、コンビニに頼ることなんてあるのか。なんて考えながら歩いていると、本田さんが言った。
「……ここらへんって、昔からぜんぜん街灯ないですよね」
「まぁそうですね……って、本田さんってこのへん出身だったんですか?」
「いえ。違いますけど、左右田のおばあちゃんが言ってたから」
「あぁ」
左右田のおばあちゃんとは、本田さんの左となりの部屋のひとだ。ひとり世帯のさみしい老人で、いつも話し相手を探している。本田さんも彼女の餌食になっていたらしい。
「……ここら辺は、大雨になるとすぐに水かさが増す。氾濫することも多いから、雨が降ってるときは避けたほうがいいですよ」
この川は、かつてこの辺りを襲った大雨で増水し、周辺の家々を浸水させたという前科を持つ。
僕はひとり暮らしをする前からこの街に住んでいた。この川辺にもよく来ていた。いい思い出はないけれど。
「そうなんですか」
川のせせらぎが聞こえるほうへ目を向ける。視界は真っ暗だった。
「それにしてもここ、すごい雑草ですね。野上さんの背よりあるんじゃないですか?」
ぼんやりしていると、突然目の前に顔が現れた。
「わっ!? な、なに!?」
驚いて後退りすると、本田さんはさらりと僕から離れた。
「すみません。そんな驚くと思わず……けど、野上さんちょっと大袈裟ですよ。そんな化け物を見たような顔されたら、さすがの私も落ち込みます」
ぷりぷりとした声を出す本田さんに、僕は何度目か分からないため息をつく。
「それより、どうかしました?」
「……いや、べつに」
河原から視線を外し、帰り道、コンビニで買ったチューハイを喉に流し込む。
炭酸で舌が痺れた。
そのとき、ひゅっと風が吹いた。
風に乗って、なにかが聞こえた気がした。足を止め、耳をすませる。
「野上さん?」
立ち止まった僕を、本田さんが振り返る。
「……あ、いやなんでもない」
再び足を前に出したとき。
――にゃあ。
川のせせらぎの隙間から、たしかに聞こえた。
「……この声」
「え?」
スマホの懐中電灯を付けて、川辺に降りた。
「ちょっ……野上さん!?」
本田さんの止める声も無視して、僕は草の根をかき分けるようにして声の主を探す。
「野上さん! なにしてるんですか」
「猫の声がしたんだ。たぶん、まだ仔猫」
「猫……? ここに?」
本田さんが周囲を見渡す。
「たぶん、すぐ近くにいる気が……」
「え、だからって探すんですか? こんなに真っ暗なのに無理ですよ。もしいたとしても、仔猫じゃ怯えてどこかに隠れちゃうんじゃないですか」
「それならいいんだけど……でも、もし明日ここで仔猫が死んでたら後悔すると思うから、やれることはやりたい。送れなくて申し訳ないんですけど……もう深夜だし、本田さんは先に帰ってください。暗いから気を付けて」
夜露で濡れた草を避けながら、河道にいる本田さんに叫ぶ。
伸び切った雑草は、ただでさえ悪い視界を遮るし皮膚をくすぐるしで鬱陶しい。でも、雑草が濡れているおかげで顔や手の皮膚を切ることはなさそうだ。
無心でちいさな命を探していると、頭上から大きなため息が聞こえてきた。
「こんな夜中に、しかもこんな視界が悪い場所で仔猫探しなんて、無謀にも程がありますよ」
思ったより近くで声がして、驚いて顔を上げる。
「そもそも、考えてみてください。こんな真夜中にひとりで中年の男が河原をうろついていたら」
……想像する。いや、想像しなくても分かる。
「確実に不審者。職質案件ですよ」
「それは……」
「そういうわけだから、さっさと見つけちゃいましょ! さて。可愛いかわいい仔猫ちゃんはどこかなー?」
と、当たり前のように仔猫捜索に合流する本田さん。
「……本田さんって、変わってますよね」
こんな僕なんかに、手を貸すだなんて変人以外の何者でもない。
「え~? そんなことないですよ~。少なくとも、野上さんほど不審者がられてないです」
「……それもそうか」
僕は手に持っていたスマホをかざして、階段を降りてくる本田さんの足元を照らした。
「……あ」
本田さんだった。
僕の気配に気付いたのか、本田さんが振り返る。
「あっ、野上さん! こんばんは」
見つかってしまったら仕方ない。僕はため息混じりに彼女のそばに歩みを進める。
「……こんな時間にコンビニですか」
女の人ひとりでこんな街灯のない道、危ないだろうに。
「あ、えっと、夕飯を買いに」
「夕飯……?」
毎日のように夕飯を作りすぎたと言っていた彼女でも、コンビニに頼ることなんてあるのか。なんて考えながら歩いていると、本田さんが言った。
「……ここらへんって、昔からぜんぜん街灯ないですよね」
「まぁそうですね……って、本田さんってこのへん出身だったんですか?」
「いえ。違いますけど、左右田のおばあちゃんが言ってたから」
「あぁ」
左右田のおばあちゃんとは、本田さんの左となりの部屋のひとだ。ひとり世帯のさみしい老人で、いつも話し相手を探している。本田さんも彼女の餌食になっていたらしい。
「……ここら辺は、大雨になるとすぐに水かさが増す。氾濫することも多いから、雨が降ってるときは避けたほうがいいですよ」
この川は、かつてこの辺りを襲った大雨で増水し、周辺の家々を浸水させたという前科を持つ。
僕はひとり暮らしをする前からこの街に住んでいた。この川辺にもよく来ていた。いい思い出はないけれど。
「そうなんですか」
川のせせらぎが聞こえるほうへ目を向ける。視界は真っ暗だった。
「それにしてもここ、すごい雑草ですね。野上さんの背よりあるんじゃないですか?」
ぼんやりしていると、突然目の前に顔が現れた。
「わっ!? な、なに!?」
驚いて後退りすると、本田さんはさらりと僕から離れた。
「すみません。そんな驚くと思わず……けど、野上さんちょっと大袈裟ですよ。そんな化け物を見たような顔されたら、さすがの私も落ち込みます」
ぷりぷりとした声を出す本田さんに、僕は何度目か分からないため息をつく。
「それより、どうかしました?」
「……いや、べつに」
河原から視線を外し、帰り道、コンビニで買ったチューハイを喉に流し込む。
炭酸で舌が痺れた。
そのとき、ひゅっと風が吹いた。
風に乗って、なにかが聞こえた気がした。足を止め、耳をすませる。
「野上さん?」
立ち止まった僕を、本田さんが振り返る。
「……あ、いやなんでもない」
再び足を前に出したとき。
――にゃあ。
川のせせらぎの隙間から、たしかに聞こえた。
「……この声」
「え?」
スマホの懐中電灯を付けて、川辺に降りた。
「ちょっ……野上さん!?」
本田さんの止める声も無視して、僕は草の根をかき分けるようにして声の主を探す。
「野上さん! なにしてるんですか」
「猫の声がしたんだ。たぶん、まだ仔猫」
「猫……? ここに?」
本田さんが周囲を見渡す。
「たぶん、すぐ近くにいる気が……」
「え、だからって探すんですか? こんなに真っ暗なのに無理ですよ。もしいたとしても、仔猫じゃ怯えてどこかに隠れちゃうんじゃないですか」
「それならいいんだけど……でも、もし明日ここで仔猫が死んでたら後悔すると思うから、やれることはやりたい。送れなくて申し訳ないんですけど……もう深夜だし、本田さんは先に帰ってください。暗いから気を付けて」
夜露で濡れた草を避けながら、河道にいる本田さんに叫ぶ。
伸び切った雑草は、ただでさえ悪い視界を遮るし皮膚をくすぐるしで鬱陶しい。でも、雑草が濡れているおかげで顔や手の皮膚を切ることはなさそうだ。
無心でちいさな命を探していると、頭上から大きなため息が聞こえてきた。
「こんな夜中に、しかもこんな視界が悪い場所で仔猫探しなんて、無謀にも程がありますよ」
思ったより近くで声がして、驚いて顔を上げる。
「そもそも、考えてみてください。こんな真夜中にひとりで中年の男が河原をうろついていたら」
……想像する。いや、想像しなくても分かる。
「確実に不審者。職質案件ですよ」
「それは……」
「そういうわけだから、さっさと見つけちゃいましょ! さて。可愛いかわいい仔猫ちゃんはどこかなー?」
と、当たり前のように仔猫捜索に合流する本田さん。
「……本田さんって、変わってますよね」
こんな僕なんかに、手を貸すだなんて変人以外の何者でもない。
「え~? そんなことないですよ~。少なくとも、野上さんほど不審者がられてないです」
「……それもそうか」
僕は手に持っていたスマホをかざして、階段を降りてくる本田さんの足元を照らした。
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