諦めない男は愛人つきの花嫁を得る

丸井竹

文字の大きさ
6 / 40

6.話し合わない妻

しおりを挟む
「ソフィ。ローレンスが逃げるように帰った。挨拶ぐらいさせてもらわなければ困る。俺は一応夫だ」

ルドガーはやはりローレンスが死人のわけがないと確信を持った。
死人がソフィの体に口づけの跡を作れるわけがないし、ソフィの気だるげな表情も、生身の体と交わった証拠だ。

「君に聞きたいことがある。俺の休暇を事前に調べ、俺がここに頻繁に帰っていると俺の上司に報告していたな?俺の休暇届けの申請理由の全てが君の監視になっている。
俺の役目は世継ぎを作ることだけではなかったのか?結婚に伴う夫の役目を記した婚前契約書があるなら見せてもらいたい」

淡々と話しながらも、ルドガーはソフィの体から目が離せないでいた。
ソフィの裸身は思いがけず美しく、ルドガーの下半身を強く刺激した。

顔だって悪くはない。
ルドガーは不機嫌そうなソフィと目が合うと、慌てて床に落ちていた上掛けを拾い、ソフィの上に投げかけた。

「俺に隠していることがあるだろう、ソフィ。だんまりを決め込むなら君が届け出ている通り俺は頻繁にここに通い、君の仕事ぶりを監視する必要がある」

「やめてよ!」

爆発するようにソフィが叫んだ。
素早く体を布でくるみ、上半身を起こしてルドガーを睨みつける。
ルドガーはこれ以上ソフィを刺激しないように、ソフィから視線を外した。

「俺は話がしたい。そのために戻ってきた。俺が君の生活の邪魔になることはわかっている。だからといって君に全てを譲ることは出来ない。王命に従う義務がある。
愛人と君を引き裂くような真似はしないし、極力君の意思に沿うように関係を築いていきたいと思っている。そのための話し合いをしよう」

「出て行ってよ!」

敵意に満ちたソフィの声に、ルドガーは肩を落とした。
愛人と愛し合った直後に邪魔な夫が寝室に入ってきたのだ。怒るのも当然だ。

「すまない。だが、君に話を聞いてもらいたかった。外で待っている。身支度を整えたら出てきてくれ」

ルドガーは素早く背を向け、寝室の外に出た。

「ルドガー!」

外で待っていたイーゼンが駆け寄った。
ルドガーの腕をとって、下の階を指し示す。

「人がいない。本当に誰もいない。だけどそこかしこに気配がする。扉をあけっぱなしにしたせいだ」

すっかり怯え切っているイーゼンを見て、ルドガーはさらに疲れ切ったようにため息をついた。

「お前まで問題を増やすな。もし幽霊がこの世に存在していたとしても何ができる?その辺にいるように感じさせるだけじゃ何の意味もない」

「剣で斬れない存在は怖いだろう!」

取り乱すイーゼンを、ルドガーは正気を疑うような目でまじまじと見た。
我に返ったようにイーゼンは顔を赤くしたが、先ほどの怪異は無かったことにはならなかった。

「こんなところにいたら気が病んでしまうのもうなずける。周りは墓だらけで家は真っ黒。死人の肖像画そっくりの愛人に、召使が一人もいないのに塵一つ落ちていない大きな屋敷だ。こんなところ、大金を積まれても婿入りなんてするもんじゃない」

「全くだ。俺だって他に選択肢があるなら選ばない。しかし王命であれば他に道はないだろう。これも任務の一つだ。しかし俺は自分の任務を正確に把握できていなかったようだ。彼女の役割についても全くわかっていない。
お前が調べてきた王墓の決まりも、何の意味があるのかさっぱり理解出来ない。
扉が閉まっていようと、開いていようとどうでもいい話だ。防犯上は閉めていた方がいいのだろうが、部屋の中で使える灯りの数なんてどうでもいいだろう?」

「ある意味お前はこの館の主に適任だよ。あの生きた幽霊を見てもまだ死人が出歩くなどあり得ないと思っているのだろう?」

「あれは死人じゃない。走っていたし、そこから飛び下りた。俺はこの目で見た」

「二階から飛び降りても痛そうな顔一つしなかった。まるで体重がないみたいに軽々と走って、外に飛び出して行った。それにあの顔は……いや。見間違いだ。そんなことがあるわけがない。夫が現れて驚いた愛人が逃げ出した。それだけだ。良くある話だ……」

イーゼンの声は次第に小さくなり、最後は独り言のように萎んで消えてしまった。
背後で扉があく音がして、二人は振り返った。

通路に灰色のローブを頭からすっぽり被ったソフィが出てきた。

「ソフィ、まず書斎だ。来てくれ」

室内でフードはいらないだろうとルドガーは思ったが、口には出さなかった。
服装のことで言い争うのはごめんだった。

 ルドガーは書斎まで大人しくついてきたソフィに、ソファを勧め、向かいに座った。
イーゼンは書斎の机に積まれていた書類を覗き見て、ルドガーが大金持ちだとわかり目を丸くしたが、羨ましそうな顔はしなかった。
大金を積まれてもこの屋敷に住むのはご免だった。

「彼は友人で同じ部隊に所属しているイーゼン。冷静に話し合うために、立会人を頼んだ。ソフィ、俺達の結婚に関して取り決めがあったと思うが、契約書の類を持っているか?」

ルドガーは穏やかに話しかけたが、ソフィは不機嫌な顔でそっぽを向いていた。

仕方なくイーゼンとルドガーは書斎内にある書類を調べ始めた。
数分の捜索で、結婚に関する書類が一枚だけ見つかった。

それは王墓にある財産が夫ルドガーの所有になることを記したもので、貴族社会では常識であり、書類にするようなことでもなかった。

「王墓の守り人の決まり事を書いた物などはないのか?毎日しなければならないとされている仕事の内容が書いてあるものだ。あるのだろう?」

優しい声音を心掛けたが、ソフィは険しい表情を崩さなかった。

「私は全てを学び、最終試験を経てここに来ました。今更そんなもの見なくてもわかっています。どうしても知りたいというのなら、フィリス家に行ってください」

「お前、歳はいくつだ?いくつからここに住んでいる?ずっと一人なのか?愛人は何人いる?ローレンスだけか?他にもいるのか?だいたいどこから通っている。こんな場所で出会いがあるのか?」

矢継ぎ早に繰り出される質問に、ソフィはさらに不快感をあらわにし、敵意に満ちた眼差しをルドガーに向けた。

「もちろん、あなたの愛人の数も教えてくれるのよね?名前は?どれだけの付き合いなの?私と結婚する前から?仕事の合間にどれだけあっているの?既婚者なのに出会いがあるの?」

ルドガーはむっとして口を引き結び、前のめりだった姿勢を後ろに戻した。
向かい合う二人の顔はしかめっ面で両者とも鼻に皺を寄せている。
イーゼンから見たら似た者夫婦だ。

「とりあえず、結婚の契約内容を確認するなら、お前の実家にあるかもしれないぞ。勝手に結婚を取り決めたのはお前の父親だろう?それに王都にあるフィリス家に行けば王墓の守り人の役目もわかるだろう。良く知っている妻に聞くのが一番早いが、無理やり吐かせるわけにはいかない。とにかく、良好な関係とは言い難いようだからな……」

怒りの感情を見せるソフィに、イーゼンは少しだけ安心した。
少なくともソフィは生身の人間だと信じられる。

「フィリス家か……。そういえばソフィ、君の両親に挨拶もしていないな。互いに望まない結婚だったとはいえ、挨拶ぐらいはするべきだった。あるいは、俺の父親がもう挨拶に行ったかな?ソフィ、何か聞いているか?」

ソフィは横を向き、ルドガーと目も合わせようとしない。

「お前……何をしたんだよ」

妻に完全に嫌われているルドガーに、イーゼンが呆れたように問いかける。

「怒鳴り合いになるのも困るが、黙っていられるのも話し合いにならない。ソフィ、俺の最初の対応が悪かったのは認めるが、そろそろ普通に接してくれ。だったら、さっきのローレンスをよんでくれ。彼となら、まだ話ができそうだ」

イーゼンはどう考えても、ローレンスが本物の人間だとは信じられず、身震いした。

「ルドガー、彼女にこれ以上話す気はなさそうだ。出来ることから始めよう。お前の実家に行き、結婚の契約内容を調べて、その後、王都のフィリス家に向かおう。それにやはり上に報告しないわけにはいかない。まずいことになるぞ」

ルドガーも半ば覚悟を決めていた。

「ソフィ。また戻ってくる。お互いの役割を忠実に果たす必要がある」

ソフィは答えなかった。

すぐに出発しようと、イーゼンは飛ぶように部屋を出て行き、ルドガーはソフィに別れの挨拶をしようとしたが、ソフィが横を向いたままだったため、結局そのままイーゼンを追いかけた。



 書斎に残されたソフィは、窓の外に目を向け、遠ざかる馬蹄の音を聞いていた。
突然暖炉に火が入り、ぱちぱちと火が爆ぜる音が響きだす。

「彼宛ての書類は全て火の中では?」

いつの間にかローレンスが暖炉の傍らに立っていた。
ソフィは驚いた様子もなく、小さな顎に皺を寄せる。

ローレンスは火の中から燃え残った書類の切れ端を拾い上げ、テーブルに置いた。
三角の紙の切れ端は焦げて煤けている。

「彼は諦めないよ」

ローレンスは、先ほどまでルドガーが座っていた場所に優雅な所作で腰を下ろした。クッションが少し沈み、ほっそりとした指が肘あてを小刻みに打つ。

背後の窓から光が差し込んでいるが、正面に置かれたテーブルにローレンスの影は落ちなかった。

「夜まで引っ込んでいたら?そろそろあなたにも飽きたし、他の男を呼ぼうかな」

形の良い眉をひそめ、ローレンスはさっと立ち上がる。

「私に不満が?私は君の物なのに」

ソフィの手に触れ、ローレンスはその指先に唇を押し付けた。

「じゃあ、愛しているって言ってよ。誰よりも愛しているって。あなたの愛した人よりもずっと、私が好きだって」

「あなたを愛しています……嘘偽りなく」

唇を震わせ、ソフィは立ち上がるとローレンスの額を蹴りつけた。
避けることもなく、ローレンスは後ろに倒れかけ、すぐに元の姿勢に戻る。
ふわふわのスリッパに包まれたソフィの足にローレンスは身を屈めて唇を寄せた。

それを見おろし、ソフィは唇をかみしめた。
古の時代の英雄を辱めても少しも気は晴れない。
満たされない想いはどうしたら癒されるのか。

「夜になったら寝室に来て」

「そうしよう」

その言葉と共にローレンスの体は消え去った。
一人になったソフィは、王墓に続く一本道を窓越しに見つめ、固く拳を握りしめた。


しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

冷たい王妃の生活

柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。 三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。 王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。 孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。 「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。 自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。 やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。 嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...