諦めない男は愛人つきの花嫁を得る

丸井竹

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7.帰ってきた夫

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 ルドガーは五日かけて揃えたソフィとの結婚契約書を前に、渋い顔をしていた。

「夫となった者は王墓の守り人が国の求めに応じて忠実に仕事をしているか監視し、またそうなるように導く必要がある。子供を作るのもそのための手段の一つである。子供を作れば、妻は国を裏切ることが難しくなる。
その真の目的は、悪霊や呪いから王国を守ることである」

その胡散臭い内容を前に、我が国が本気でこんなことを信じているとは思えないと首を横に振る。
その隣で、フィリス家から借りてきた本のページをめくっていたイーゼンが顔を上げる。

「扉は全て閉めておくと書いてあるぞ。やはり開けっ放しはよくないのだ。死者を招き入れる行為だ。それに、濁った水をそのままにしてはいけないともある。
庭先の水たまりに聖水をまく必要がある。死者の国と通じることになると書いてある」

やはりローレンスは蘇った死人なのだと、イーゼンが震える声をあげた。

「お前の妻は、真面目に仕事をしていない。こうした小さな決まりを守っていかないと、少しずつ死者の国への扉が開き、悪霊がこの世に出てきてしまうと書いてある」

ルドガーは親友の発言に顔をしかめた。

「本気か?死者の国を封じる役目を王墓の守り人が果たし、従順にその勤めを果たしているか監視するのが夫の役目だと?なぜこうも死者を恐れる?意味がわからない」

フィリス家から借りてきた本には、王墓の館で使える灯りの数から、扉を叩く際のノックの回数、階段を上る歩数、墓地を回る順序まで細かく記載され、そのすべてを守ることにより王墓の平和が保たれると記載されていた。

「歴代の王墓の守り人を支えた夫の名前が書いてあるぞ」

イーゼンが本の最後のページを見て悲鳴をあげた。

「見ろ!王墓の守り人の夫になった騎士達の名前が書かれている!ここにローレンスの名前がある!あの肖像画の男だ。いや、二階から飛び降りたあの男だ!やっぱり死んでいる!」

「同姓同名の別人だ」

ルドガーが断言した。

「お前こそ本気か?死の世界を信じているのか?こんなの迷信だ。悪霊から国を守るだと?
この世界に理不尽に殺されている人間がどれだけいると思っている?騙され、売られている人間だっている。
悪霊がいるならとっくの昔に全ての悪人は呪い殺されているだろう。
そんなものどこにもいない。救いなんてない。生きている人間が行動しなければ、この世は何も変わらない。
俺達は剣の腕を磨き、規律を守り、信念を持って軍隊に所属し、この国の秩序を守る。それが全てだ。
それこそ王墓の守りなんてものは神の国を信じる神官に任せておけばいいじゃないか。なぜわざわざ騎士が夫になる必要がある」

迷いのないルドガーの堂々たる物言いに、イーゼンはついに感心したような顔になった。

「なるほど。お前は王墓の守り人の夫に適役だな。俺なら一晩でもあんなところで過ごすのはごめんだ。しかも妻が死人といちゃついているとあればな」

「死人じゃないだろう」

ルドガーにとってローレンスは死人ではないのだ。イーゼンはもうそこは言い争わなかった。

「まぁいいが……。しかしソフィもお前と似たようなところがあるのだろうな。扉を開けっぱなしにしても気にしていないということは、祟りや呪いを信じていないのだろう。もし決まりを破り、死者の国が開けば真っ先に呪われるのは王墓の守り人だと書かれている」

「死人の世話や墓場の管理なんかより愛人と遊ぶ方が楽しいのだろう」

そっけなくルドガーは言って、さてどうするべきかとあらためて考えた。

結婚の契約内容は理解出来たと思うが、明らかにこの任務にルドガーは相応しくない。
王墓の決まりはどれもこれも胡散臭く信じる気にもなれないし、妻を監視し、国のために従順に働くよう導くという役目についても、ソフィに嫌われている段階でうまくいく気がしない。

だいたい見目好い愛人がいるのなら、ルドガーの出る幕はない。
イーゼンが思いついたように叫んだ。

「王墓の守り人は霊力のある者が選ばれるとある。フィリス家で選ばれたからにはソフィには不思議な力があるのだろう?死人を蘇らせて愛人にしているのかもしれない」

「なるほど……死人を蘇らせる能力か。現実味がないな。そんな能力があれば不死の軍勢を作れるじゃないか」

またもやイーゼンの発言をばっさり切り捨て、ルドガーは揃えた書類を前に考え込んだ。


 翌朝、処罰を覚悟の上で、ルドガーはダレル隊長のもとに向かった。

イーゼンも嘘に加担したことと、ルドガーが結婚に関して本当に何も知らなかったことを証言するため同行した。
執務室に通された二人は、ダレル隊長に正直に全てを打ち明けた。

ソフィと離縁するように命じられるのだろうとルドガーは覚悟を決めていたが、ダレル隊長は、今離縁をするのは無理だと告げた。

「お前に荷が重いのはわかったが、今のところお前以外に王墓の守り人の夫になれるものがいない。実はお前が騎士養成学校時代に適性検査を行っている。その結果、お前の家の事情がすぐに調べられ、王墓の守り人の夫を募集している便りを出した。大抵の親はそれでも断ってくるものだが、まぁ……幸いお前の父親は息子を差し出した」

「え?!」

「お前の到着にあわせ王墓の館に書類を郵送したが、受け取っていないのであれば仕方がないな」

父親に売られただけではなく、国はそれよりも前にルドガーに王墓の守り人の夫役として適性があると結論を出していたのだ。それ故、父親に息子を差し出す気はないかと打診した。

「歳の近い者がやはり良いだろうとは思ったが、もちろん強制するものではないし、大抵は年配の騎士が選ばれる。どうしてもああいう場所に若い男は行きたがらない。
王墓の守り人は強い霊力があり、それを正しく使うことが求められる。その心に迷いがあれば、王墓に眠る悪霊を解放してしまうことになる。それ故、王墓の守り人を見守り導く役割が必要なのだ」

険しい表情をして黙り込んでいるルドガーを見て、ダレル隊長は苦笑した。

「わかっている。お前はそうしたことを信じにくい性格だ。馬鹿げた話だとでも思っているのだろう?」

確かにその通りであり、ルドガーは赤面し少しだけ申し訳なさそうに俯いた。

「そうした男だから選ばれた。候補は数人いたが、お前が抜きんでて優秀だった」

「あの……私はソフィに嫌われています。とてもその、うまくいくとは」

「とにかく今のところお前のかわりはいない。長く一緒に過ごせ。山賊狩りは合流させてやる。だが一カ月空けるのはだめだ。これから三年間の穴埋めに戻れ」

青ざめたのはイーゼンだった。あの墓場にまた戻らなければならないルドガーに同情の視線を向ける。
ルドガーは意外にも平然としていた。覚悟を決めたように表情を引き締めた。

「それが私の任務だと理解しました。すぐに向かいます」

部屋を出ると、ルドガーは笑顔でイーゼンの肩を叩いた。

「武運を祈る」

「お前もな……」

あの不気味な墓地に戻るぐらいなら、二か月の山賊狩りの方がよっぽどましだとイーゼンは思った。

既に気持ちを切り替えた様子のルドガーは、さっさと通路を歩きだす。
その左側の壁には亡き英雄騎士達の肖像画が飾られている。

気づくだろうかと、イーゼンが見ていると、ルドガーはローレンスの肖像画の前を素通りし、さっさと角を曲がって階段を下りていってしまった。
その靴音があっという間に遠ざかる。

「鋼の心臓だな。あいつは……」

目を丸くして呟いたイーゼンは、ルドガーの去った通路に背を向け、反対側の通路を歩き出した。




――

 三日後、王墓の館では、ソフィが窓越しに灰色の空を見上げていた。
王墓の空に晴れの日は訪れない。

寝台の上から不機嫌な顔で窓の外を見ていたソフィは、突然後ろを振り返り、ローレンスの首に抱き着いた。

「大嫌い。あの男を追い出してよ」

ローレンスはソフィの体を抱き留め、そっと仰向けに横たえた。
その上にのしかかり、優しく抱きしめる。

「そろそろ戻った方がよさそうだ」

「駄目よ。ここに居て。追い返してよ!」

困ったように微笑み、ローレンスはソフィの頬に唇を押し当てた。
生前から孤独な王墓の守り人を慰めてきたローレンスはそのやり方を心得ている。
しかし、これから来る男に対して出来ることはなかった。

「彼は君の夫だ。追い出すことは出来ない。それに、彼は少し普通と違う。気に入るかもしれない」

穏やかで優しい声音だが、ソフィの怒りは収まらなかった。

「大嫌い!私を抱いて。ちゃんと入れてくれなきゃ嫌!」

ローレンスはソフィの体を抱き寄せ、ゆっくりその体を撫でる。
リボンを解き、漆黒の服のボタンを外す。
裾をまくりあげ、腰を押し付けると、ソフィの下半身を擦るように体を揺らし始める。

その時、階下から扉を開ける乱暴な音が聞こえてきた。
すぐにけたたましい足音が館内に響きだし、ソフィのいる寝室に迫ってくる。
その野蛮な物音に、ソフィは怒って顔をあげた。

ノックも無しに扉が開き、男が入ってきた。

ローレンスとは対照的な野性味あふれる体格で、日に焼けた顔に鋭い目を光らせている。
ほとんど面識のない名ばかりの夫の顔をソフィは睨みつけた。

その視線を正面から受け止め、ルドガーが突然話し出した。

「今日から一カ月ここに住むことになった。夫が戻ったからには愛人には出ていってもらう。俺がいなくなったら出入り自由だ。今は出ていってくれ」

怒っていたソフィの顔が、驚愕の表情に変わる。
ルドガーが寝台に近づき、ローレンスの腕を掴んだ。

「お前とは話をしたいと思っていたが、それは今じゃない。とにかく出ていけ」

ソフィからローレンスの体を引き離し、強引に扉の外に追い出してしまう。
それを呆然と見つめるソフィの前に、険しい表情のルドガーが戻ってきた。

「ソフィ。聞いた通りだ。俺は夫婦をやり直しにきた。ここではだめだ」

夫が容認しているとはいえ、愛人と妻が愛し合っていた寝台など使えない。
簡単に妻を抱き上げ、ルドガーは暗い廊下に出ると一度しか使ったことのない自分の寝室に向かう。
ソフィは驚き過ぎて言葉を失っていたが、すぐにルドガーの背中を殴り始めた。

「おろしてよ!」

その要求通りに、ソフィの体はルドガーの部屋の寝台に投げ出された。
逃げようとするソフィの体を背後から押さえつけ、ルドガーが隣に横たわる。

「とにかく夫婦の真似事から始める。何もしないが、ここで寝てもらう」

強引な夫のやり方にソフィは憤慨したが、女の力では腕を払いのけることもできない。
分厚い体に押さえ込まれ、ソフィは諦めたように体の力を抜いた。

ルドガーの腕の中で、冷え切っていたソフィの体が少しずつ熱を帯びてくる。
逃げようと機会をうかがっていたソフィは、その心地良さにあっという間に眠りに落ちた。

寝息が聞こえてくると、ルドガーは背後から伸びあがってソフィの顔を確認した。

幸福そうな寝顔ではなかったが、ソフィは瞼を落とし眠っている。
安堵の吐息を漏らし、ルドガーはソフィを抱きしめたまま睡魔の訪れを待った。

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