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(6)イケメンほど雰囲気を救う言葉はない

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 日本に帰国して早くも半年が経ち、転職先の雰囲気にもだいぶ慣れて来たと思う。
 都内に自社ビルを構える株式会社ユニバーサルブックスは、一階がコラボカフェやグッズ販売のポップアップストアになっていて、それ目的のお客様で賑わいを見せる。
「……さん、飯嶋さん、大丈夫ですか」
「え、ごめん。どうかした?」
「もしかして具合い悪いんですか」
「なに、そんなに顔色悪く見える? やだ、メイク落ちて来たかな」
「いえいえ、雰囲気が少しいつもと違う気がしただけです」
 隣の席の清永杏果きよながきょうかさんは、私より三つ下でサポートについてくれている、お人形さんみたいな大きな目をしてて、巻き髪が似合う可愛らしい女の子。
 だけど中身は空手の黒帯で、最近はキックボクシングにハマってる、総合格闘技が大好きな武闘派で、義理人情に熱い体育会系で真面目な性格をしてる。
 社歴は彼女の方が先輩なのに、私が歳上だからと言って、気遣いや敬意を持って接してくれる、気の利くタイプの子なので打ち解けるのは早かった。
「ごめんね、なにか用事だった?」
「ああ、すみません。これ法務に回す書類なんですけどチェックお願いできますか」
「了解」
「あと、また来てますよ」
「ん?」
「ほら、営業の宮野さんですよ」
 清永さんが小声で目配せすると、海外事業部のフロアの入り口から、すらっとして背の高い男性がこちらに向かって来るのが見えた。
「飯嶋さん、お疲れ様。これ取引先がくれたお菓子なんだけど、俺は食べないからよかったらもらってくれるかな?」
「お疲れ様です。わざわざ海外事業部に来なくても営業にも甘い物好きな方はいらっしゃるのでは? 私も甘い物は得意じゃないので結構です。清永さんいただいたら?」
 パッと見爽やかな笑顔だけどそれが妙に胡散臭くて、特に目の奥がギラついてて絶倫っぽいのが気持ち悪くて、この宮野って男はどうも苦手だ。
 実際この男は、ダイエットし損ねた私の尻や胸元をチラチラ見て来る。
「あ、え……と、じゃあ、いただきますね」
 清永さんが困惑しながらお菓子を受け取ると、宮野さんもさすがに苦笑いを浮かべて気まずそうにしている。
「飯嶋さんって、やっぱり海外に居ただけあって、ハッキリした性格だよね」
「ああ、すみません。空気読むのが苦手なもので」
 そもそも仕事中だろと思いながら、目線も合わさずにキーボードを叩くと、さすがに諦めたのか、宮野さんはお疲れ様と言い残して私たちのデスクから離れていく。
「飯嶋さんってもしかしてイケメン嫌いなんですか? それか内緒の彼氏がやっぱり居るとか」
「なあに、それ」
「だって宮野さんって社内の女子に人気あるんですよ。狙ってる人も多いですし」
「そうなの? 悪いけど好みじゃないし、そもそも私みたいなのに声掛ける理由か分からない」
「分からないって、そんなの口説いてるに決まってるじゃないですか。あんなに露骨な宮野さんって初めて見ますよ」
「気のせいでしょ。そんなモテる人なら尚更、私なんかを口説かないわよ」
 だいたい私は二十八にもなって、恋の一つもしたことがないクセに、エロへの執着と好奇心が旺盛なヤバい方の人種なんだけど。
 仕事中なのに、そんなことに思いを馳せてハッとすると、心配そうな顔をする清永さんと目が合った。
「そんなに宮野さん苦手なんですか」
「知り合いじゃないから本質は知らないけど、印象だけならあまり得意じゃないかな」
「まああんなにイケメンですし、社内と社外問わずに遊んでる噂も聞きますから、飯嶋さんの直感の方が正しいかも知れませんね」
 せっかくのお菓子なんで配って来ますねと、清永さんは席を立つと、宮野さんが持って来たお菓子を他の社員にも小分けにして配り始めた。
 海外事業部のデザインチームのデスク辺りで、まだ油を売っている宮野さんをそっと盗み見するが、あの程度の顔でイケメンと言われてもピンとこない。
(イケメンって便利な言葉だよね)
 正直言って、イーサンやエリオット、それにルークを長く見てきたからか、どうしても日本人の、雰囲気だけのカッコ良さはチープな感じに見えてしまうのは私のせいじゃないと思う。
 あまりジロジロ見て勘違いされても嫌なのでパソコンに視線を戻すと、気分転換を兼ねて清永さんから預かった書類に目を通す。
 ビジネスシーンにおいては、日常的に使う言い回しが、本来の意味と異なるケースもあるし、かなり珍しい単語が当たり前に使われることもある。
 実際に住んで働いてみないと分からないことは、こんな風にたくさんあって、今までの経験や知識を活かせるのはやり甲斐を感じるし、働いていて楽しい。
 だから、もう三十前だけど、今更バタバタ恋愛方面に駆け込むつもりはないし、自分らしく生きられるように恋以外で充足感を得られるようにしていきたい。
 まあそれでも性欲が抑えきれずに、その快楽欲しさにまたディルド買いましたけども、とはとてもじゃないけど言えない。
「飯嶋さん、さっき甘いの苦手みたいに答えてましたけど、お菓子要らなかったですか」
 清永さんの声にハッとして我に返ると、気遣い無用とばかり片手を挙げて断りを入れた。
「私は大丈夫。それより部長が甘い物お好きなの知ってる? 差し上げたら多分喜ぶと思うよ」
「そうなんですか。じゃあちょっと揶揄いついでにデスクに行ってみますね」
 染めてない白髪の混じった髪をオールバックに整えた山根部長は、パッと見は強面だけど酔うとお子さんの話をしてデレる子煩悩なパパさんだ。
 みんなが宮野さんの持って来たお菓子で、プチ休憩の空気になると、私も休憩ブースでコーヒーを買って一息吐く。
 そういえば新しい生活のことで頭がいっぱいで、菜智にもしばらく会えていない。
 向こうも仕事は忙しいだろうけど金曜日だし、何気なく今夜辺り飲みに行けないかとメッセージを送ると、デートの先約があるとあっさり断られた。
(デートか。イーサンたちが恋しいなぁ)
 ついつい友だちを思い出して感傷に浸りそうになるけど、こっちでは自分の力で乗り越えていかないと、いつまでも世話を焼いてくれる友だちを頼る訳にもいかない。
「飯嶋さん、なんだか楽しそうですね。もしかしてデートですか」
「違うよ。友だちにフラれたところ。あ、そうだ。清永さん今日飲みに行かない?」
「飯嶋さんからのお誘いはめちゃくちゃ嬉しいんですけど先約があって。せっかくだし、来週ならお相手出来るのでどうですか」
「清永さんこそデートなんじゃないの? 今日はなんだかいつもより可愛らしいし」
「バレバレですよね。はは」
「いいじゃない、とっても素敵なことよ。じゃあ私は来週その話を聞かせてもらおうかな」
「揶揄わないでくださいよ。来週の予定は空けときますね」
 恋する女の子の顔の可愛いことよ。
 私なんか恋人が居たこともなければ、初体験はディルドからヤリチンに変わっただけだし、なんならそれが生涯唯一のバラ色の出来事で元肥満児。 
 そのキラキラを少しでいいから分けて欲しいと、心の底から願うばかりだった。
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