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第二話

竜血の乙女、暴君を穿つのこと14

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 建屋の中に血風熱風が吹き荒れる最中、瀬織は景を連れて外に脱出していた。

 千一郎が〈ジゾライド〉と各種装備を保管するために作った門外不出の格納庫とはいえ、公の建築物として作られた以上は消防法に則った構造でなくてはならない。

 つまり、災害時に使用する非常階段が必ず設置されている。

 混乱に紛れて、瀬織は誰にも見つからずそれを見つけて、まんまと建屋の裏手に降りたというわけだ。

 しかし、逃げた先はフェンスで閉じられている。肝心の道路側はデイビス一派のトレーラーで埋め尽くされており、流石に今の装備で正面突破する度胸は瀬織にも無かった。

「あーあ、面倒臭いですわねえ~。雷王牙さん、いるんでしょう?」

 闇の中に呼びかけると、ぬっと〈雷王牙〉の白い顔がフェンスの向こうに現れた。

「ここ、開けてくださいます?」

 瀬織の要請に対し、〈雷王牙〉はぐうと喉を鳴らして渋って見せた。

 それくらい自分でやれ。お前のくだらない命令なぞ聞きたくない、といった態度だ。

「ちょ……わたくしは兎も角、景くんもいることお忘れでは?」

 善なる空繰は人間の味方である。守るべき対象がいるから仕方ないと、〈雷王牙〉は不承不承に爪を一閃。切り裂かれたフェンスの金網がベロリと捲れた。

 逃げ支度を進める瀬織の後で、景は不安げに建屋に振り返った。

「左大さん、一人で大丈夫なの……?」

 戦闘に突入する直前には場を離れていたので、景は左大がどうなったのか知る由もない。

 瀬織は戦闘の経過は大体の想像がつくので、景に惨劇を見せずに済んで良かった程度にしか思っていない。

「心配はないと思いますがあ?」

「助けに行ってあげないの?」

 景が懇願の視線を向けてくる。

 それがたまらなく、くすぐったくて、思わず瀬織は前に向き直った。

「あ~……やめてくださいまし。そういうお顔……。わたくし、人の願いを受けるのに弱いの知ってるでしょう? 大体、わたくしの仕事は隠し財産の探索であって、左大さんの警護ではありません」

「でも、面倒事の始末をつけるって言ったじゃない」

 面倒事には、デイビスたち一派の対応も含まれている。

 瀬織は困ったように溜息を吐いた。

「はぁ~~……。あのですね、景くん。頼まれた以外の仕事をする、というのは経営者目線ではありがたいかも知れませんが、労働者目線では愚の骨頂でございますよ? たった一度の善意でも、それは上手く利用されて果てしない譲歩と後退に繋がるのです」

「そういう話じゃなくて! 人が死にそうなら助けるのが普通でしょ!」

 打算ではなく情の話、というのは瀬織にも分かる。

 常識的に考えれば丸腰の男一人が武装した数十人に敵うはずもない。素人目にはそう映る。

 戦う力を持っている瀬織が〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉を使って介入すれば助けられる、“”という淡い期待も理解できる。

 だが全ては、実戦を知らぬ景の甘い考えでしかない。

「景くん。実戦の勝敗は単純な数で決まるものではありません。戦いの経験と技術、そして何より相手を殺すという覚悟と気迫こそが肝要。恐らく、負けるのはデイビスさん達です。それも全滅でしょう」

「そっ……そんな簡単に……何十人も殺すって……」

 冷たく現実を述べる瀬織に、景は狼狽えた。

 以前に空繰や荒神との戦いを見たとはいえ、景は現代日本に生きる普通の少年だ。瞬時に何十人もの人間が死んでいく様など想像もできない。全く無縁の世界に考えが及ばないのは当然だ。

「左大さんは……なんというか、生まれる時代を間違った人なんですよ。1000年前の日の元はああいう方ばかりでした。なんなら、景くんのひいおじい様も同じ種類の方でした」

「人を殺すのに躊躇とか……ないの」

「わたくしからすれば、自分を殺そうとする人間に囲まれながら『殺したくない』と情けをかける人間の方こそ狂っていると思いますわ。自分の命より他人を心配できるほど余裕があるのでしょうか?」

 瀬織の現実主義に、景は何も言い返せなかった。

 仮に、自らに殺意を向ける敵に対して余裕があるほどの実力差があったとしても、下手な情けをかけるのもまた戦を知らぬ素人の考えである。

「左大さんが何となく寂しそうだった理由、今なら分かりますわ。戦う力を持っているのに自分に相応しい戦場がない。力を存分に振るえる相手も場所もいない。あの方は、戦場不在の孤独な竜というわけです」

「だから戦うのが嬉しいって? 自分が死ぬとか……思わないの?」

「もちろん、自分が死ぬ可能性も込みで刹那を満喫するのです。左大さんにとって、デイビスさん達は待ちにまった互角に戦える好敵手なんです。たとえ文化の異なる敵同士でも、剣を交えて理解し合える戦いの妙味がある……と昔、偉い方が仰っていました」

「誰が言ってたのさ」

「阿倍比羅夫という方です。蝦夷との戦いで何度か扈従こしょうした折に、お話を聞く機会が――」

 話の途中だが、景が聞き慣れない言葉の羅列に目を白黒させているので、瀬織はこの辺りで止めることにした。

「アベノピラフ? コショウ?」

「うーん、まあそのうち、日本史で習うと思いますわ」

 瀬織が切開されたフェンスを潜り、敷地の外に出ると、建屋の中から爆発音が聞こえた。空気を伝わった衝撃が耳から入り込み、震動が全身に浸透した。

 景は、この感触に覚えがあった。

「ねえ……これって爆発じゃないの」

「でしょうね」

 戦場の空気が変わったと、瀬織は察した。

「あのデイビスという方、戦いの中で一皮剥けたようですねぇ」

 左大を殺すつもりはない云々と言っていたので、何か思惑があったようだが自らの死と直面したことで吹っ切れたのだろう。

 いや、正確には左大が意図的に誘導し、自分に相応しい敵として鍛え上げたのか。

 追い込まれたデイビスがもはや手段を選ばず、〈ウェンディゴ〉の火砲を使ったのは想像がつく。

 こうなると、戦いの結果は分からなくなってきた。

「さて、どうしましょうねえ~? わたくしは、とっとと逃げてしまいたいのですが~?」

 ちらり、と横目で景の様子を伺う。

 何か言いだけに、上目遣いでこちらを見ている。それがたまらなくいじらしく、瀬織は痺れる。

 景の要求が分かっているから、瀬織は少しばかり景を苛めてやるのだ。

「景くん、勘違いされていませんか? わたくしは別にイイモノではないのです。縁の薄い人を助けてさしあげる義理は欠片もございません。ぶっちゃけた話、景くんに害がなければ他の人間が何千、何万死のうと知ったこっちゃないのですよぉ~?」

 愉快げに、半分本心で瀬織は邪悪に嗤った。

 こうして景をどんどん要求を口に出し難い状況に追い込んであげたい。

「左大さんを助けたいのなら……ほら、電話で警察に通報すれば良いのです。でも、そしたら大騒ぎですよね~? 明日の朝刊載っちゃいますよね~? 一応親戚だから、園衛様の所にも取材きちゃうかも知れませんね~? それに何より、今世の警察は犯人の逮捕がお仕事であって、やっつけるのは仕事ではないのです。つまり、捕まえてもデイビスさん達はお役所仕事で国外退去。またやって来るかもですね~? ほほほほ……」

 瀬織はくるりと回って頭を下げて一礼すると見せかけて、下からくいっと景の顎を指で押し上げた。

「景くぅん……わたくし、これでも一応神様のはしくれなんです。人が神様にお願いをする時、何が必要ですか?」

「お……お賽銭とか……?」

 間近に迫る香り立つ暗黒の魅力に圧倒され、半ば怯え、半ば魅了されて、景はおずおずと声を搾り出した。

「そう、貢ぎ物です。景くんは、わたくしに何か捧げられますか?」

 景は少し考えた。

 願いに見合うようなお金は持っていない。瀬織が喜ぶような物品も思いつかない。女の扱いなど微塵も知らない14歳のうぶな少年が顔を真っ赤にして思考を巡らせ、葛藤と苦悶の末に

「な……なんでも瀬織の言うこと聞くよぉ……。それで許して……」

 少女の姿をした黒い邪悪に、完全に屈服した。

 瀬織は満足のいく答を得た。支配の悦楽に酔い痴れ、首を大きく上に向けて笑った。

「くくくく……あっははははは! いいですわあ~っ! なっさけない顔とびくびく震えた声ぇぇ……っ! これぞ最高の供物ですわぁ……っ」

 愛する少年の恥辱を食らい、東瀬織は身震いした。

 そして瀬織は景に体を密着させて、耳元で甘く問いかける。

「さあ……聞かせてくださいな。景くんのおねがい……」

 肝心の願いを、少年の体を妖しい手つきで撫でまわしながら、闇に染まった女神が問うた。

 景は絶対的上位存在に捕食されるような本能的錯覚で無意識に涙を滲ませて、か細い声で答えた。

「さ……左大さんのこと……助けてあげて……」

「うふふ……了解ですわ」

 瀬織が身を翻すと、景は脱力してその場にへたり込んだ。

 〈雷王牙〉は景を心配して身を寄せつつ、瀬織を威嚇するように唸った。

 自分を威嚇する格下の空繰は無視して、瀬織はスマホから電話をかけた。登録した番号の名前は〈西本庄〉と表示されている。

「こんなこともあろうかと、一応準備して頂いてるんです」

 そう都合良く左大がデイビス達を始末してくれるとは最初から考えていない。現実は常々に予想を裏切るものである故、ここに来る道中で園衛や篝に連絡を入れていた。

 1コールの後で篝が電話に出たが

『も……し……もしも……あれ? なんか声……電波が……』

 通話が断続的にしか聞こえない上に、妙に音量が小さい。

 瀬織がスマホのディスプレイを見ると、電波状態を示す三段階のインジケーターが最低ランクになっている。

 大企業の工場や重要港湾のある場所で、この電波状態は不自然だ。

「さっきまでは普通だったはずですが……。もしもし、西本庄さん? 今どこにいますか?」

 瀬織は、やや声を張り上げて電話に向かった。

 篝も同様に大き目の声で返してきた。

『今ですねぇ! あの……高速降りて……あと3分くらいで……多分』

「近づいたら荷物は降ろしてください。後はこっちで何とかします」

『お嬢さ……ちょっとこれ……電波悪いの……ヤバ……ヤバいです!』

「何が……ヤバいんですの?」

 なんとも容量を得ない口振りに瀬織は怪訝な顔をした。電波状態程度で慌てる意味が分からない。

 対する篝は、電話の向こうで焦燥と恐怖で声を張り上げた。

『このレベルの電波干渉……っ! ジゾライドがぁっ……起動してますよぉ!』

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