上 下
11 / 45

第十話 ライラの真価

しおりを挟む
 
 田舎道を歩くライラの背中をリュカはじっと見つめていた。
 自分よりも遥かに背が低く、他人から見れば貧相にも思える体。
 あの小さな少女の頭に、一体どれだけの叡智が詰まっているのだろう。

「僕はあまり詳しく知らないんだけどさ」

 リュカは周囲に気を配りながら歩くルネに話しかけた。

「実際のところ、ライラってどれだけすごいんだい」
「魔法の申し子です」

 ルネは筆と紙を取り出した。

「例えばですが、殿下はこの紙に真円を描くことが出来ますか?」
「……コンパスなしで?」
「もちろん」
「無理だね。絶対にどこか歪んじゃう」
「そうです。魔法陣において真円を描くことは基本であり奥義。これは魔法界隈の常識です」

 魔法陣における円とは力の発動範囲であり、『力ある言葉』を繋げる通路である。
 この円が機能していなければ目的通りの対象に発動しなかったり、
 あるいはまったく逆の意味として発動されてしまい、大事故を起こす可能性がある。

 これを防ぐためにコンパスが発明されたが、魔法陣にコンパスを用いることは出来なかった。
 円は通路なのだ。通路は魔力で作られていなければならない。
 魔法陣を描く専用のペンで、均一な通路を作ることが求められるのだ。

 だからこそ普通の魔法使いは魔法陣一つ描くのに時間をかける。
 単純な効果を持つ魔法陣でも五分。
 複雑な効果を持たせるなら一時間以上かかってもおかしくない。

「ですが、ライラ様は一分もかからず魔法陣を完成させました」
「……」
「しかも、魔獣除けの魔法陣です。普通、宮廷魔術師が一時間かけて描くんですよ?」
「それは……」

 リュカはライラの手を取った時のことを思い出す。
 彼女の手は女性にしては皮が厚く、ペンだこで潰れた跡がいくつもあった。
 自分よりも年下の、あんなに小さな女の子の手とは思えないほどに。

「それは一体、どれだけ努力したんだろうね……」

 自分が触れたのは小さな身体に積まれた努力の証だったのだ。
 天才とは言うまい。
 幼い頃から魔法に触れる環境にあったとはいえ、それは彼女の積み重ねた研鑽の歴史だ。

(どんな人生を歩んできたのだろう)

 リュカとてライラと会うために身辺調査はしたが、平民として生まれた後に子爵令嬢となり、伯爵家の令息と婚約したということしか分からなかった。母親は病死し、今では父親と二人で子爵領を切り盛りしている──。

「それだけではありません。彼女が描いた魔法文字はこの世のどこにもないものでした」
「それって」
「オリジナルの魔法文字。それは開発者に一生の栄誉と巨額の富をもたらす魔法使いの夢です」

 普段は冷静で何事にも動じないルネが興奮を隠せていない。
 元魔法騎士団副団長の彼女が言うのなら、きっとライラの才能は本物なのだろう。

「まさか、古代魔法が使えたりする?」
「さすがにそれはないかと」
「だよね……まぁ、ないよね」

 本来、魔法とは《力ある言葉》を用いて《世界録オド》に刻まれた現象を作り出す業。

 つまりは自然現象の範疇を人為的、かつ恣意的に再現するもの。
 火を生み出すならマッチを使えばいい。氷が欲しいなら氷山でも獲れる。
 そういった手間を省くのが魔法というだけで、常識外のことは出来ない。

 しかし古代魔法は違う。
 かつて《空の文明》が生み出したこの魔法は無から有を生み出す。
 かの文明が数千年前に神の逆鱗に触れて滅んで以来、古代魔法は遺跡で発掘される魔導書でのみ確認されている。

(その使い手ならばあるいは、と思ったけど)

 それにしても解せない。
 ルネが手放しで賞賛するほどの逸材が至るまで誰にも知られず、こんな辺境の田舎で生きていることに。

「……恐ろしいのは、それがあの方のすべてではないということです」

 魔法陣を描くのが早いだけなら良かった。
 オリジナル魔法文字の開発、これもまだ許容できる範囲だ。
 しかし、ライラの知識は底知れず、未だ何が出て来るか分からないとルネは語る。

「彼女の存在は魔法界を一変させるかもしれません」

 興奮気味に語ったルネだが、リュカの心中は穏やかではない。

「……過ぎたる才能はよからぬ輩を呼ぶ」
「え?」

 経験談だ。
 リュカは幼い頃から人間の悪意と野心に触れ続けて来た。
 それに晒されて潰れた人間を、変えられた者達を何人も見てきている。

「ルネ」
「はい」
「ヴィルヘルム伯爵家を調べさせてくれ」
「どういう意図で……いえ、まさか」

 ヴィルヘルム伯爵家は古くから続く魔法の名家だが、ここ最近は魔法技術の発展に伴って目新しい功績を残すこともなく、社交界でも影が薄くなっていた。しかし最近になって、当主と令息が名を上げ始めた。彼らが名をあげはじめた時期は、ライラと伯爵家が婚約した時期が一致している。

「伯爵家が、ライラ様の才能を使い潰していた……?」
「もしそれが事実なら、潰すよ。全力で」
「……ライラ様を表舞台に引っ張るのですか?」
「……いや」

 リュカは領民と楽しそうに話すライラを見て目を細める。

「彼女が優れた魔法使いとして名を上げたいなら協力する。しかし、そうでないなら、僕たちは全力で彼女を守り抜くべきだろうね。あるいは、彼女の才能を世間から隠してでも」
「……本当にライラ様を気にかけているのですね」
「なに? 君も反対するの?」
「いえ、ただ……変わりましたね、殿下」
「そうかい?」
「前はもっと人間に興味がありませんでした」
「……そうかもね。僕は望めば何でも手に入ったから」

 第二王子の自分を持ち上げるしか能がない無能共。
 権力と野心のために甘い蜜を吸うために集まった蜂に興味など持てようか。
 両親でさえも息子である前に王族と見ている節がある。

 ライラだけだ。自分を見てくれたのは。
 ただ一人の人間として対等に接してくれる彼女の存在にどれだけ救われただろう。
 きっと彼女は気付いてもいないのだろうけど。

「今はライラしか見えないかな。他がどうでもいいのは変わらないよ」
「……さようですか」

 ルネが頷くと、リュカはライラの隣に行った。

「──というわけで、ライラ。婚約しない?」
「どういうわけですか!?」
「大丈夫。君に一生苦労を負わせたりしないから」
「脈絡ない上に怖いんですけど。さっき何を話してたんですか」
「もしかして嫉妬? 嬉しいな」
「耳が腐ってんですかっ?」
「あはは」

 楽しそうに笑うリュカを見ながらルネは思う。
 冷たい王子を知っている身からすれば今の王子は別人だ。
 見る者が見れば彼の瞳にある甘い熱にすぐ気づくだろう。

 その軽さがなければライラの反応も違っただろうに。

「……一方的な溺愛というのも考え物ですね」

 ルネはしみじみ呟くのだった。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:26,309pt お気に入り:3,544

公爵様と行き遅れ~婚期を逃した令嬢が幸せになるまで~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:2,705pt お気に入り:26

あなたが見放されたのは私のせいではありませんよ?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7,797pt お気に入り:1,660

浮気の認識の違いが結婚式当日に判明しました。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,565pt お気に入り:1,219

この結婚、ケリつけさせて頂きます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:6,150pt お気に入り:2,909

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:10,266pt お気に入り:3,099

婚約破棄させてください!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:8,967pt お気に入り:3,022

処理中です...