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Internally Flawless
06 恋情 01
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◇秋生◇
7日目。
ふと、その人の声が聞こえた気がした。
「……っ」
慌ててシャワーのお湯を止めて、バスルームを飛び出す。
しかし、脱衣所から伺う外の空気には誰の気配も混じってはいなかった。自室ですでに就寝しているはずのユキの気配も。もちろん、ここにはいないはずのスイの気配もだ。
「……気のせい……」
ため息交じりに呟いて、バスルームに戻る。思わず乱暴に扉を閉めそうになって、アキは手を止めた。明日早いだろうユキの眠りを妨げたくない。軽く舌打ちをして、アキは静かに扉を閉めた。
「……くそ」
苛立ち紛れにコックをひねる。シャワーの温度をあげて、頭からかぶった。
髪を、頬を、肩を、水滴が打つ。目を閉じてその感覚に身を任せていても、瞼の裏に浮かぶのはその人の顔ばかりだった。
「スイさん」
名前を呼ぶ。返事がないのはわかっているけれど、スイが出ていってから、アキはその名前を何度も呼んだ。意識的にではない。ほぼ無意識に。だ。
スイが自分のどんな言葉に傷つけられたのか、アキにもわかっていた。それでも、自分の言ったことが間違っているとは思っていない。ただ、余裕がなくて、言い方を選べなかった自分にも非があることは認める。
「無様だな」
今まで、どんな状況でも自分を見失わないでいられると自負していた。実際、どんな危険な仕事でも冷静に対処できた。だから、こうして生き延びることができたのだ。
けれど、スイと出会って、そんな矜持などすぐに消し飛んでしまった。スイのこととなると、ほんの些細なことで冷静でいられなくなってしまう。スイが自分やユキ以外の誰かといると思うと、それだけで気に入らない。まるで駄々をこねる子供のようだ。
その上、スイがあまりにも無自覚だから性質が悪い。
スイは気付いていない。ここ数か月で、彼自身がどれほど変わったかということ。
「いい加減。気付けよ」
最初から、年上とは思えない少し幼い顔が、少年と少女の狭間のような危うい印象の美しさを持っていることには気付いていた。ただ、彼はいつも俯きがちで、まるで誰の目にもとまらぬように細心の注意を払っているかのように見えた。だからだろうか、彼の名前と同じ色の、ひどく人目を引く髪や瞳も、はじめからなかったように隠されていた。
けれど、アキにはそれに気付いておいて、なかったことになどできなかった。
どうしてかなんて、わからない。
ただ、吸い寄せられるように、目が離せなかった。
だから、全部見ていた。その人の表情が変わっていくさまを。まるで、花がほころぶように。ぎこちなかった笑顔が自然に、柔らかく、そして、綺麗になっていった。
同時に、幼い子供のように無防備で、無自覚な一面にも気づかされた。彼は、自分の魅力に気づいてはいない。極力他人とのかかわりを避けてきたからなのか、他人の目に自分がどう映っているか全く知らないのだ。
「誰にも……見せたくねえんだよ」
呟いた声は、流れる水の音にかき消える。
おはよう。と、少し高い声。アキやユキを見つけたときの心から微笑んだ時の表情。二人を叱るときの保護者のような顔。アキにだけ教えてくれた過去に怯える泣き顔。好き。と、囁くときのはにかんだ顔。
それが、どれくらい魅力的なのか、知っているのはユキと自分だけでいい。他の誰にも気づかれたくない。
7日目。
ふと、その人の声が聞こえた気がした。
「……っ」
慌ててシャワーのお湯を止めて、バスルームを飛び出す。
しかし、脱衣所から伺う外の空気には誰の気配も混じってはいなかった。自室ですでに就寝しているはずのユキの気配も。もちろん、ここにはいないはずのスイの気配もだ。
「……気のせい……」
ため息交じりに呟いて、バスルームに戻る。思わず乱暴に扉を閉めそうになって、アキは手を止めた。明日早いだろうユキの眠りを妨げたくない。軽く舌打ちをして、アキは静かに扉を閉めた。
「……くそ」
苛立ち紛れにコックをひねる。シャワーの温度をあげて、頭からかぶった。
髪を、頬を、肩を、水滴が打つ。目を閉じてその感覚に身を任せていても、瞼の裏に浮かぶのはその人の顔ばかりだった。
「スイさん」
名前を呼ぶ。返事がないのはわかっているけれど、スイが出ていってから、アキはその名前を何度も呼んだ。意識的にではない。ほぼ無意識に。だ。
スイが自分のどんな言葉に傷つけられたのか、アキにもわかっていた。それでも、自分の言ったことが間違っているとは思っていない。ただ、余裕がなくて、言い方を選べなかった自分にも非があることは認める。
「無様だな」
今まで、どんな状況でも自分を見失わないでいられると自負していた。実際、どんな危険な仕事でも冷静に対処できた。だから、こうして生き延びることができたのだ。
けれど、スイと出会って、そんな矜持などすぐに消し飛んでしまった。スイのこととなると、ほんの些細なことで冷静でいられなくなってしまう。スイが自分やユキ以外の誰かといると思うと、それだけで気に入らない。まるで駄々をこねる子供のようだ。
その上、スイがあまりにも無自覚だから性質が悪い。
スイは気付いていない。ここ数か月で、彼自身がどれほど変わったかということ。
「いい加減。気付けよ」
最初から、年上とは思えない少し幼い顔が、少年と少女の狭間のような危うい印象の美しさを持っていることには気付いていた。ただ、彼はいつも俯きがちで、まるで誰の目にもとまらぬように細心の注意を払っているかのように見えた。だからだろうか、彼の名前と同じ色の、ひどく人目を引く髪や瞳も、はじめからなかったように隠されていた。
けれど、アキにはそれに気付いておいて、なかったことになどできなかった。
どうしてかなんて、わからない。
ただ、吸い寄せられるように、目が離せなかった。
だから、全部見ていた。その人の表情が変わっていくさまを。まるで、花がほころぶように。ぎこちなかった笑顔が自然に、柔らかく、そして、綺麗になっていった。
同時に、幼い子供のように無防備で、無自覚な一面にも気づかされた。彼は、自分の魅力に気づいてはいない。極力他人とのかかわりを避けてきたからなのか、他人の目に自分がどう映っているか全く知らないのだ。
「誰にも……見せたくねえんだよ」
呟いた声は、流れる水の音にかき消える。
おはよう。と、少し高い声。アキやユキを見つけたときの心から微笑んだ時の表情。二人を叱るときの保護者のような顔。アキにだけ教えてくれた過去に怯える泣き顔。好き。と、囁くときのはにかんだ顔。
それが、どれくらい魅力的なのか、知っているのはユキと自分だけでいい。他の誰にも気づかれたくない。
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